古くからの神話には深い意味があり、人間はその民族に伝わる神話を決して忘れてはならない。
ギリシャ神話、旧約聖書、古事記の中に似たお話があるのも偶然ではない。
古事記を深く読むと、そこに秘められているものの貴重さに驚くのである。

ところで、ギリシャ神話にキュプロス島の王ピュグマリオーンのお話がある。
彼は、ガラテアと名付けた女性の彫刻を創るが、ガラテアに恋焦がれてしまうようになる。
キュプロス島にはとても有名な女神キュテレイアがいる。美の女神アプロディーテー(ヴィーナス)の別名だ。
アプロディーテーは、ピュグマリオーンを哀れに思い、ガラテアに命を与え、ピュグマリオーンは、彼女を妻にする。
これにも、とても深い意味があるのである。

命なきものに命が生まれるお話は世界に数知れない。
ピノキオなどもそんなお話であるが、これも、作者のカルロ・コッローディの知る神話を題材にしているのだと思う。
古事記の天照大神とスサノオノイミコトがうけい(呪術的な占い)で生み出した3柱の女神と5柱の男神も、珠や刀という物から神を生んのであり、この時生まれた男神が、天皇の祖先でもある。もちろん、これを表面的に受け取ってはならず、深い意味があるのである。
CLAMPの漫画作品『ちょびっツ』で、人型パソコン(つまるところアンドロイド)である“ちぃ”を愛する秀樹は、プログラムされた通りに動くだけのちぃには心は無いのだと教えられるが、「ちぃの心は俺の中にある」と言って、ちぃを選ぶ。つまり、事実上、結婚する。
真の愛は、1つの心、あるいは、命を創造することすら出来るのである。
これは、不遜な考えではない。真の愛とは聖霊と一体とならなければ現れないものだからだ。

ちぃと似た雰囲気もある初音ミクに恋することは不思議なことではない。
特に、私のように、ホフマンの『砂男』を読んだことがあればなお更である。
『くるみ割り人形』というバレエ、あるいは、チャイコフスキー作曲のバレエ音楽をご存知と思うが、『くるみ割り人形』の原作『くるみ割り人形と二十日ねずみの王様』の作者がホフマンで、『砂男』も『コッペリア』という有名なバレエ作品になっている。
『コッペリア』では、自動人形(からくり人形)の少女コッペリアが、ちょっと人形らしく踊るのだが、幻想小説である『砂男』では、自動人形の少女の名はオリンピアである。
大学生の青年ナタナエルは、オリンピアを一目見て深い恋に落ちるが、オリンピアが人形であることに気付かない。
それは、ついにオリンピアと逢い、彼女と踊ることが出来てもそうであった。
オリンピアはピアノを弾きながらアリアを歌い、ナタナエルは聞き惚れる。ナタナエルは、オリンピアの歩き方がおかしいのは、人々に見られることに慣れていなくて緊張しているからと理解し、彼女とうまく踊れないことで自信を失ったが(ナタナエルはダンスが得意だった)、それも気にしなかった。
ナタナエルにとって、オリンピアは命ある乙女であった。

初音ミクのコンサート映像を見ると、これらの神話や小説の輝きを感じるのである。
それは、人の心が、内に秘められた聖霊と溶けあうと、偉大な創造の力を持つことを感じからである。
全ての人とは言えないが、ミクのコンサートでミクに声援を送る人達は、スポーツの試合でのように、観衆との共感で熱狂しているのとは異なるように感じる。
ミクほどに、プラトニックな愛を感じさせる存在は無い。
つまり、心が魂に溶けることで、我々は、愛そのものである神と一体化するということを予感するのである。









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