ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ピカソ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

欠点は治すな、決して治すな

サッカーの三浦知良さんが、FIFAワールドカップに一度も出場していない(フットサル除く)のは不思議なことだ。
いろいろなタイミングが合わなかったとはいえ、あれほどの選手が、31歳、35歳、39歳でのW杯の代表を逃したのはなぜだろう?
それは、彼が完璧な選手だったからではないかと思うのだ。
確かに、彼は、心身のトータルで欠点のない選手だから、50歳近い今でも現役でやれるのだと思う。
しかし、彼がもし、何か大きく欠けたところのある選手だったら、選手寿命はとっくに尽きていたが、別の部分で、もっと突出した選手になっていたと思う。

野球のイチローも完璧な選手のように思われているかもしれないが、彼は欠点が大きいと思う。
「ホームランは狙って打てる」と言うが、彼は狙わない。
オールスター戦前のホームラン競争への出場を断ったのは、松井秀喜さんの「自分には分不相応」というのとは違い、理由がはっきりしなかったが、コンディションを落とす可能性があるからだと思われる。
イチローは、打てるとしてもホームランを狙えないのだ。
また、彼は、チームの勝利より、個人としての活躍を優先・・・とまでは言わないが、かなり重視する選手であることは確かだと思う。
全盛期に、3番を打診されても、可能な限り断り、打席数を稼げる一番に執着し、チームの勝利のために四球を選ぶこともなかった。
結局は、あまりに素晴らしい案打数のために評価されてしまっているが、彼が長打を狙い、3番に入っていれば、チームはもっと勝っていたかもしれない。
彼だって、チームの優勝やWシリーズ制覇は願っていただろうが、自分の活躍はもっと大事だと思っていたとしても、あれほどの選手だから罪はない。
第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、監督を務めて優勝した王貞治さんが、不思議なほど積極的に参加したイチローに対し、「彼はもっと個人主義かと思っていた」と言ったのが印象的だ。
本当は、王さんが思われた通りなのだ。そして、王さんも、実はかなりの個人主義なのではないかと思う。
イチローも、力が衰えてからは、ヤンキースやマーリンズで盛り上げ役をやるようになったが、それは、彼の鋭さを鈍らせることになってしまったと思う。
彼があくまで、大きな欠点のある孤高の打者でいれば、とっくに引退し、これほどの大記録は打ち立てなかったと思う。
まあ、どちらが良いかは分からないが。

芸術家だって、ピカソもゴッホも欠点だらけだ。
ピカソは「60代が芸術家の青春」と言って10代や20代も初めの若い女性ばかり求めたのは、単なる精神的未熟に過ぎないが、それが彼を大芸術家にしたのだ。
ゴッホは、一生、弟のテオに経済面の一切を依存した、単なるニートだった。精神異常もあり、精神病院にも入院した。
そんな救いようのない欠点が、やはり彼を偉大な画家にしたのだと思う。
そもそも、天才にまともな人間なんて、本当はいないのではないかと思う。
岡本太郎は、豪快で爽快なことを沢山言ったが、それは、つまるところ、「欠点なんか気にするな。それを治そうとするなど卑しい」ということなのだ。
彼のロングセラー『自分の中に毒を持て』なんてタイトル自体がそのことを示唆しているが、もっとど単純に、『欠点を持て』として欲しかったところだ。

学校では、欠点を矯正しようとする。
それで、良くいえば、見かけはバランスの取れた人間になるかもしれないが、そんな人間は爪のない鷹、牙のない狼だ。
人々は学校で、最初から終わった人間にされてしまい、世の中で何も出来ないのだ。
私は、元々引きこもりで、コミュニケーション能力はゼロだったが、セールスの仕事をしたことをきっかけに、その能力を少し持ってしまった。
それは、1つには、徹底したコミュニケーション能力の無さのせいで、学校で、かなり辛い目に遭っていたという理由もあるだろう。
それで、偽りのコミュニケーション能力を身につけたおかげで、底辺にしかいられない。確かに、「底辺にはいられる」という見方も出来るが、ストレスも多い。
まあ、協調性の方は、相変わらず1パーセントもないが、そのおかげで、少しは良い思いをしているのである。
国際的事業家で、特にセキュリティーの分野で、日米の政府機関にも関与する、斉藤ウィリアム浩幸氏は、「日本人にはチーム力がない」と指摘し、その改善を強く薦めるが、大きなお世話だ。
日本人だって、チーム力のあるやつはあり、ないやつはないというだけのことだ。
チーム力があることは良いことだが、ないやつは、その欠点が武器なのである。
なけなしの牙を抜かれた者がどれだけ惨めかは、彼のような超優秀なやつには分からない。

哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだしてゆく
~『心臓デモクラシー』(作詞、作曲、編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~

これは私の聖歌である。
我々凡人・・・いや、それ以下の不良星人は、欠点を大切に抱え、恥を知り、惨めにならなければならない。
それで、全てが廻りだすのである。









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アップルの良さとピカソの良さは似ている

何度も繰り返されてきた問題として、「ピカソの絵の何が良いのか?」というものがある。
これは、ピカソだけでなく、ゴッホやダ・ヴィンチ、その他の芸術的絵画についても同様の問題である。
例えば、モローやレンブラント、あるいは、ドレなどの絵は、一目で「上手い!」と分かるが、本当の良さとなると、やはり難しいのである。

絶対的な結論は、間違いなくこうだと思う。
「ピカソの絵の良さは、言葉で説明できない。以上」
これまで、専門家と言われる者達を含む多くの人達が、ピカソ(あるいは他の芸術絵画)の「何が良いか」を解説をしているが、どの解説も、誰も覚えていない。
これは、解説を見たり聴いたりした側が馬鹿なのではない。
それらの解説全部が、嘘、的外れ、ピント外れなのだ。
では、岡本太郎が『今日の芸術』で書いたピカソやゴッホの良さは嘘かというと、岡本太郎はいろいろ書いているようでいて、結局のところ、「何も言葉で説明出来ない」と、本当のことを述べているのである。
岡本太郎は、今日の芸術は(実際は芸術全ては)、「うまくあってはならない」「きれいであってはならない」「ここちよくあってはならない」と述べているが、「なぜか」は言わないのである。言葉で言えるはずがないからである。

芸術より、もっと身近に、同じようなものがある。
アップル製品である。
ここでは、とりあえず、スマートフォンのiPhoneに、アップル製品を代表させる。
iPhoneが、他のスマートフォンに比べどこが良いかというと、機能的な面においては、どこも優れていないと言って良い。
むしろ、最新のAndroidスマートフォンに比べ、劣っている部分も少なくはない。
では、iPhoneが売れるのは、洗脳的、あるいは、催眠術的なイメージ戦略の威力なのかというと、そういう面も確かにあるが、もちろん、それだけではない。
良いから売れるのであり、アップルが時価総額世界一の企業であり、いまだ信じ難いが、それはマイクロソフトの倍なのである。
一頃は、マイクロソフトが圧倒的に強く、アップルは瀕死の状態で、「アップルを潰さないのは、マイクロソフトが、その方がメリットがあるからである」とまで言われていたのが、スティーブ・ジョブズが戻ってきて、大きく方向転換したら、アップルの大逆襲が始まり、そして、アっプルは勝ったのである。
iPhoneの良さというものは、ピカソの良さに通じるのである。
iPhoneの本当の良さは、言葉では説明出来ない。
iPhoneの良さを言葉で説明した人はいたが、それらの説明を誰も覚えていない。
これらの説明全部が、嘘、的外れ、ピント外れなのだ。
あるいは、アップル製品全体について、昔からよく「作業効率が違います」と言われたが、では、「どう作業効率が違うのか?」と問われたら、「とにかく違うんです」と言うしかなかった。
実際は、具体的、論理的に作業効率が良かったりはしない。
真実を言えば、「使っていて気分が良いので作業効率が良く感じるだけ」である。
しかし、「気分」以上に、作業の能率を上げるものはないのも確かである。

脳科学者の茂木健一郎氏が、アップル製品を絶賛し、マイクロソフト製品を貶し、目の前で聴いていた、元マイクロソフト日本法人社長だった西和彦氏に、恫喝も同然に罵倒されたが(茂木氏は気の毒に、かなりビビっていたと感じた)、あれは茂木氏が悪いと思う。
茂木氏の間違いは、「論理的に」アップル製品が良いような言い方をしたことと、マイクロソフト製品を不当に酷評したことだ。
マイクロソフト製品のどこも悪くはない。論理的には、現時点において最高のはずだ。
単に、「私はアップル製品が好きで、マイクロソフト製品が嫌いなんです」と言えば良いのである。

私は、昔からアップル製品が大嫌いで、アップル製品で購入したことがあるのは、iPod touchが1つだけで、それもやむなき事情で買ったのだった。
そして、iPod touchを使って、ますますアップルが嫌いになった。
茂木氏は、マイクロソフト製品に我慢ならないと言うが、私には、アップル製品に我慢が出来ない。
データの受け渡しに、いちいちパソコンと「同期」させないといけないが、それは、iPod touch等とそっくり同じコンテンツを持つパソコンでしか出来ない。
もし、iPod touch、iPhone、iPadといった製品を複数持っていれば、パソコンが一台なら、全てが同じコンテンツになってしまう。
iPod touchのコンテンツを、「ちょっと」どこかのパソコンで取り出すことも(その逆も)出来ない。
もう呆れてものが言えない。
しかし、ピカソの絵が優れていることを認めるなら、似た理由で、アップル製品が優れていることも確かなのだ。
とはいえ、アップルは「テクノロジにおいては駄目」と言うのではない。
ただ、他社製品と差がないというだけのことだ。
優れた部分もあるが、劣った部分もある。しかし、その差は大したことはなく、少なくとも、実用的には問題にするほどのことではないのだ。それを問題にしたがる者がいるから、ややこしくなるのだが。

そして、これからの世の中では、ピカソやアップル製品が持つ、「非言語的な良さ」が重要になってくる。
もっと当を得た言い方をするなら、ピカソの作品やアップル製品を生み出すような、「非言語的な知性、あるいは、能力」が必要になるのである。
それは言葉では説明できないながら、少なくとも、それが分からないと時代遅れになってしまうのである。
しかし、単に好き嫌いとして分かるだけでも駄目なのである。
だが、言葉では説明出来ない。
古い人間は、「いったいそれは何なんだ?俺に分かるように説明しろ!」と怒鳴りたくなるだろうが、そんなこと、誰もしてくれないし、そもそも、出来ない。
これまでは、「試験の点」という、旧世代の人類に「よく分かる」ことだけで評価が行われ、世界はこんなに駄目になった。
これからは、試験の点よりはるかに重要なことが価値を持ち、「評価される」かどうかは分からないが「認められる」のである。

では、アップル製品を崇拝すれば良いのか?
そうではない。
あれは、やっぱり駄目なところは駄目だ。
まだ未完成なのだ。
アップルとマイクロソフトの融合という、それぞれのファンにとって「虫唾が走る」ことが行われないといけないのである。
でないと、Googleが本当に世界を支配してしまうだろう。それが良いか悪いかは言わないが。
Googleは、当分、アップルやマイクロソフト、あるいは、Amazonを排除しようとし続けるだろう。
(以下、ギャグと思っていただいて良い。書き手はごく真面目だが・・・)
それらを全て包み込める可能性があるのは初音ミクさんだけだ。
それには、ニコニコ動画が海外に進出し、売上を百倍化、千倍化しなければならない。
その可能性はあるが、現状のニコニコ動画では駄目だ。
だが、アニメ『NOIR(ノワール)』で、ソルダの幹部ブレフォールが、ミレイユ・ブーケについて言ったのと同じように、川上量生さんは「やってくれるでしょう」。
私には、ブレフォールの言葉が、鮮やかに蘇っているのである。
すると、夕叢霧香は、チームラボの猪子寿之さんか、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之さんだろうか?
そして、悲劇のクロエは、これから現れるのかもしれない。









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手の中にある運命を上書きする鍵

テレビでAKB48などのアイドルを見ると、つくづく、人間というのは運命を生きているのだと思う。
彼女達を見ていると、たまたま容姿に恵まれて生まれ、たまたまチャンスを捕らえ、たまたまアイドルでいることに熱中し、たまたま上手く行ったのだということが分かるのである。
当然、彼女達にも、四苦八苦、悲喜こもごもがあるのだろうが、それらも全て、たまたまそうなっただけなのだ。
彼女達が自分の意志でやっているといったようなスピーチやドキュメンタリー映像を見ると、本当は誰でも違和感を感じているのだと思う。
そして、あのグループの中でも、自分の意志でやっているという意識の強い人ほど早く駄目になっていると思うのである。
自分はやらされているだけといった、少し引いた(あるいは醒めた)感じのある人が、年を取っても長く活躍するように思う。

昔の3人組の男性アイドルグループの1人が、グループ解散後、かなり年月が経ってから、「僕達は、正直、芸能界をなめていた。適当にレッスンして適当に歌ったら、それで売れるんだから」と言っていたのは、正直な告白と思うが、彼は、人気がなくなってグループを解散した後、自力でがんばってうだつが上がらない。
だが、その中で、一番醒めていたような者が、大俳優になっているのである。

ピカソが幼い頃から絵の英才教育を受け、超名門美術学校で学び、やがて、新しい絵画スタイルを創造して歴史的画家になったのも運命。
一方、毎日サンマと大根おろしを食べさせられながらパリに憧れ、美術の情報なんてほとんどない田舎で育ち、東京芸大の受験は4回連続で失敗して諦め、街の似顔絵屋としても見込みがなかったという池田満寿夫さんが、それでも諦めずに絵を描き続けているうちに版画に出会い、やがて世界的美術家になったのも、まさに運命を感じさせる。
横尾忠則さんは、自分は、天上の美を地上に現すための神の道具でしかないと言われていたと思うが、彼は自覚があるのだ。

ある浄土真宗のお坊さんは、老衰で寝込み、意識もない状態だったが、不意に起き上がり、「我が力やない」と言い残して亡くなられた。
この「我が力やない」というのが、浄土仏教の真髄であると共に、世界の真理であると思う。
ラマナ・マハルシは、「財務長官は、責任感を持って熱心に仕事をしているように見えるが、実は彼は何もしていない」といった話を時々したらしいが、これも同じ真理を述べているのだろう。
何事も、自分の力でやっているのではなく、成功しても賞賛を受けるべきでないし、失敗しても悔やむ必要はない。

喫茶店に入ってカフェオレを注文したのも、自分でやったと思っているが、本当はさせられただけなのだ。
付き合っていた女の子に、思い切って「お前には耐えられない。これで別れよう」と言ったのも、言わされただけであり、また、そうなることは避けられなかったのだから苦しむ必要はないが、苦しむこともまた避けられない。だが、なるべく苦しまないことだ。

ところが、人間には、運命を変える鍵が用意されている。
それが自主的な掟の設定、つまり、自己制約だ。
自主的に食を慎んだり、自主的に沈黙を守って喋らないことで運命をオーバーロード(上書き)する。
何の得にもならないし、しかも、それをすることは少々辛いといったことを、あえてやれば、世界が変容するのである。
念仏ばかり唱えていたり、思い出せば腹に力を込めたり、肛門を引き締めることも、それに該当する。
これらは、楽しいと言うよりは、少々厳しい。しかし、それをあえてやれば、不思議な力をまとうことになる。
毎日、それなりの時間、腕振り運動を必ずするというのも、やはりそうである。
食の慎みにも似た自主性がなければ、腕振り運動だって続かない。
よって、1日千回以上の腕振り運動を長く続けることは、必ずや運命を開くのである。
上に採り上げた芸術家や宗教家、あるいは、長く芸能界で活躍している人達も、必ずや自分の掟を持ち、それを守っているはずだ。









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ルールを自分で作り出せる者が勝つ

最近は、プロレスなどの格闘技の試合で、選手紹介の際、「180cm、120kg」と、メートル、グラムで言うことも多くなってきたが、少し昔は、体重をパウンド(ポンド)で言うのが当たり前だった。
アメリカのスポーツ等では、今でもそうだし、距離は、インチ、フィート、ヤード、マイルだ。
だから、ヤード、ポンド等が国際的なのだと誤解している人もいるが、国際標準は、あくまで、メートル、グラムなのだ。
ただ、アメリカは、慣れたヤード・ポンド法を勝手に使っているだけなのだ。
日本で、今だ尺貫法を使っていたらおかしいが、それをアメリカは堂々とやっているのである。
これなどは、ほんの一例であり、アメリカは、何でもアメリカ基準が正しいのだと思っているのである。
しかし、だから、アメリカは何でも強いのだ。
経済など、日本式にやっていたら、国が何回滅びていたか分からないが、実際は、いまだ世界最強だ。
この強さは、「私がルールだ」というエゴイズムを押し通す強さがあるからだ。
もっと恐ろしいのが中国だ。
ディズニー、ドラえもん、ポケモン・・・著作権者に無許可で製品を作ろうが、そんなことは、彼らにとって、悪いことでも何でもない。
中国は、やがてアメリカを超えるだろう。
ルールを守る日本が、アメリカや中国とまともに競争して勝てるはずがない。

さて、私は別に、国際問題だの、経済のことを話したいのではない。
このブログで、ここ最近、人生はゲームだと書いているが、ゲーム理論から言えば、アメリカのやり方は理に適っているのだ。
正しかどうかは別として、勝つということに関してね。
ゲーム理論というには、並のRPGで使われているようなものではない。
発明したのは、ジョン・フォン・ノイマンという、人類屈指の天才だ。
数学、物理学、工学、経済学、計算機科学・・・等々で、いずれも、現在に至るも影響力の衰えない業績を打ち立てた桁外れの能力を持った超人類で、彼を地球人類と認める訳にはいかない。
そのゲーム理論では、ルールは自分が有利になるように変えるのが正しいのだ。

簡単に、あなたの役に立つよう、応用法を述べる。
昨日も述べたが、ルールは自分で決めるのだ。
偏差値の高い大学を出たのが偉いというのが世間のルールで、実際、多くの人がそのルールに従っているので、一流大学卒が有利だ。
しかし、もし学歴がないなら、そんなルールに従わず、全く別のルールを作り、それに従えば良い。
初音ミクのようにスリムな女の子が良いというのが世間のルールかもしれないが、肥満しているなら、「太った女の子が可愛い」というルールにしちゃえば良い。
自分でそれを信じるのだ。
実際、時代や場所で、太っていることが美人の証であることはいくらでもある。
自分でそうきめれば、自分の世界ではそうなる。
昨日も書いたが、腕振り運動を1日千回やれば年収一千万円になるというルールにしてしまえば、やはりそうなる。
「アジマリカン」という呪文を毎日唱えている者が最強であるというルールを決めれば、もちろん、その通りになる。
ピカソは、「芸術家は60代が青春」というルールを決め、実際、60を過ぎて、十代の女の子を熱心にナンパし、かなりうまくいっていたのは、周知の通りだ。
とはいえ、ただ、「俺は宇宙の帝王だ」「私はキリストの愛人よ」と主張するだけでは、単なる狂人だ。
いや、主張しても良いが、ソフトな感覚も必要なのだ。
つまり、執着しないこと、こだわらないことが必要だ。
そのバランス感覚を身につけた時、世界はあなたの意のままだ。
長く、真に平和でいるためにも、執着しないことが大切だと強調しておく。アメリカ、中国は、強いが少しも幸福ではない。
まずは、腕振り運動と何かを結びつけ、それをルールにすれば良いと思う。
繰り返しやることと結び付くルールを作るのが、うまくいくコツなのである。









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目先の快楽を追わないことが人生を実りのあるものにする

スターバックスという会社は、本物のコーヒーの味に魅せられた人達が、コーヒーの伝道師になった気で事業を始めたのであるらしい。
本に書かれているところではそうなっている。
それを見ると、「コーヒー中毒者を増やして儲けただけじゃないのか」という思いも出てくるが、やはり、彼らを疑うべきじゃないだろう。
しかし、信じてもいけないのだ。

クリシュナムルティは、「私は何も信じない」と言ったが、「疑いもしない」と付け加えれば良かった。
クリシュナムルティのファンは彼を信じているのだろうが、やっぱり信じちゃいけない。
ただ、疑わないだけで十分である。

スターバックスに戻るが、本物のコーヒーの香り、味わいは、心に憩いを与え、それが、人生を豊かにすると言う。
さらに、スターバックスの事業に関して言うなら、「無理に儲ける気はない。しかし、本物を届けようとする誠意が、結局は幸運をもたらす」といったことも本に書かれていたと思う。
私はここで、「なら、クラシック音楽や絵画はもっと心を豊かにするのではないか?」と言うつもりはない。
だが、「なんて美しい言葉、理念だ」と、ただ感動するつもりもない。

ゴッホやピカソは、別に人々に憩いを与えたり、人々の人生を豊かにするために絵を描いた訳ではないだろう。
とはいえ、ピカソはたまたま金持ちになったが、両方とも、儲けるつもりで描いたのでもないと思う。
池田満寿夫さんによれば、ゴッホは、自分の絵が、人々の家の居間に飾られることを望んでいたのだと言う。
横尾忠則さんは、天国の美を地上に現すために制作するのだという。
しかし、誰が言ったことも、疑う必要はないが、無闇に信じてもいけない。
だから、もし、芸術家にしろ、スターバックスのような事業の事業家にしろ、彼らが、「私の言うことを信じろ」と言うなら、無視して良い。
「私を信じろ」なんて言う者は、ロクなものではないのだから。
宗教ってのは、大抵がそうかもしれない(この言い分自体、信じるな)。
宗教には、信じる以外のことはない。
しかし、「別に信じなくていいよ」という宗教家がいれば、彼は善い宗教家かもしれない。

音楽家の渋谷慶一郎さんは、自分が作曲した、初音ミクが歌う『イニシエーション』のWebサイトで、「中毒になるまで聴いて欲しい」と述べておられたと思うが、それは、要望としては悪くなく、非常に正直で清々しいとすら思う。
権威的な美術批評家グローマン博士が、池田満寿夫さんに手紙で、「君の版画が私の部屋に飾ってある。毎日、君の絵を見るのが私の楽しみだ」と書いて送ったようだが、別にグローマンでなくても、これが作品に対する最高の誉め言葉だろう。
あるいは、元大リーガーの長谷川滋利さんが、エンゼルス時代だったと思うが、先発から中継ぎに転向させられた際、監督は、「お前は先発で通用しないから、中継ぎをやれ」とは言わず、「俺は毎日、お前のピッチングを見たい」と言ったことを、長谷川さん自身が明かしていたが、長谷川さんはテレビの視聴者を楽しませるために言った部分もあるにしろ、この監督は本気で言ったと私は思いたいのだ。
そして、それが本気だったというのは、結果として現れている。
長谷川さんは大選手になり、オールスターにも出て、良い形で現役を終えることができたのだ。
グローマン博士は毎日、池田満寿夫さんの版画を見たかったのだし、エンゼルスの監督は、毎日、長谷川さんのピッチングを見たかったのだ。
渋谷慶一郎さんは、逆の立場で、「俺の曲を毎日聴いて」と言っているように思え、非常にピュア(純粋)で、ある意味、可愛いと思う。
ゴッホも、池田さんの言う通りなら、同じことなのだろうが、芸術家というのは、そんなものかもしれない。
私は、『イニシエーション』も好きだが、同じ曲から創られた、『声と言葉のアリア』が好きで、こちらは毎日聴いている。
この2つは、詩は違うが、別に、東浩紀さんの『イニシエーション』の詩が悪いのではなく、この詩は実に良い(ちょっと硬いとは思うが、それは意図的なものだろう)。
余談だが、私は初音ミクをエロティックに扱うのは大嫌いだが、エロスの王様の池田満寿夫さんなら、初音ミクをどうアレンジするかは見たいと思うのだ。
もちろん、池田さんはミクが生まれる10年以上前に亡くなっている。

つまるところ、本当に熱心にやれることを見つけられた人が幸いなのだろう。
ただし、上に挙げた、「熱心に励む」人達だって、最初から、そんなものがあった訳じゃない。
何でもやってみた結果、そこに行き着いたのだ。
ピカソは、生まれつき才能があったし、豊かな家庭にも恵まれた有利さはあったが、初めは写実画を熱心に勉強し、描いていて、後で抽象画に取り組んだのだ。
スターバックスの伝説のCEO、ハワード・シュルツは、貧しい家庭に育ち、フットボールや商社の仕事に夢中になりながら、コーヒーに行きついた。
平凡ではあるが、適当な快楽、快感を追わず、暫定的でも良いので、本気になれそうなものを見つけるのが、結局は、本当の人生の楽しみを見出せるということなのだろう。
つまらない人生というのは、何もしなかったのではなく、つまらないことばかりやった結果なのだ。
そして、早く本物を見つけるためには、誰も、あるいは、何も信じてはならないが、さりとて、疑ってもならない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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