スポーツ、演芸、芸術、武道等には「名コーチ」というものがいて、子供の才能を見抜くなどと信じられている。
しかし、はっきり言っておくが、そんなことのできる者はいない。
たまたま才能のある生徒を指導したら、その生徒が超一流になった等ということが2~3度あると、名コーチにされてしまうのである。
そして、コーチ自身も変な自信を持って、生徒を集めても、才能ある生徒のほぼ全てを潰してしまうのである。
それでも、生徒の数が多いので、たまたま才能がある生徒がいて、しかも、そのコーチと相性が良く、上手く育って活躍すれば、「名コーチ」の評判は維持できる。
そして、名コーチは言うのだ。
「本当に才能ある子は千人に一人、万人に一人だ」
ってね。
実際は、才能なんてもっとありふれている。
たかが人間に分かることなんて知れているのだ。
神を恐れよと言いたい。
あることについて、専門家に見解を聞けば、専門家達は、みんな違うことを言うのである。それぞれが真逆(逆を強調する俗語)であることすら珍しくない。
しかし、まぐれ当たりした者だけがクローズアップされ、「やっぱり専門家は正しい」となってしまうのである。
早い話が、誰も、何も分からないのだ。
ある名医が、自分の誤診率は14%だったと言ったらしいが、その時、医者と医者以外の両方が歓声を上げた。
医者以外の者達は、その誤診率の高さに。
そして、医者達は、その誤診率の低さにである。
だが、普通の医者は、もっとはるかに誤診をするのだ。
私は、その名医の誤診率が14%だなんて、全く信じない。
単純な症例は別として、実際は、ほとんど正しく診断できなかったはずなのだ。
いくらかまぐれ当たりがあるだけである。
だが、ビッグデータが正しく使われるようになりデータが十分に多くなれば、いつも正しい答が得られる。
ただ、その答がなぜ正しいのかは決して分からないのだ。
誤解してはならないのは、ビッグデータとは、コンピューターが推論や計算で正しい答えを出すことではなく、コンピューターが正しい答を見つける方法に過ぎないのである。
確かに真理は存在するが、なぜそれが真理であるのかは誰にも分からないのである。
だが、それによって、人間の知性など、卑小過ぎて何の力もないことを認識し、謙虚になれればそれで良いのである。
そして、人間が完全に謙虚になって、自分の知性を蔑み、ソクラテスのように、
「私は、自分が何も知らないということだけを知っている」
と本当に理解すれば、やはり、ソクラテスのような賢者になる。
それは、人間の知性ではなく、神の叡智と一体化したということである。
『ソクラテスの弁明』は、下記にご紹介した藤田大雪さんのKindle版が安価ながら素晴らしいと思ったし、評判も良いので推薦する。
ビッグデータに関しては、やはり下記にご紹介した、クター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエの著書の翻訳をお薦めする。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
しかし、はっきり言っておくが、そんなことのできる者はいない。
たまたま才能のある生徒を指導したら、その生徒が超一流になった等ということが2~3度あると、名コーチにされてしまうのである。
そして、コーチ自身も変な自信を持って、生徒を集めても、才能ある生徒のほぼ全てを潰してしまうのである。
それでも、生徒の数が多いので、たまたま才能がある生徒がいて、しかも、そのコーチと相性が良く、上手く育って活躍すれば、「名コーチ」の評判は維持できる。
そして、名コーチは言うのだ。
「本当に才能ある子は千人に一人、万人に一人だ」
ってね。
実際は、才能なんてもっとありふれている。
たかが人間に分かることなんて知れているのだ。
神を恐れよと言いたい。
あることについて、専門家に見解を聞けば、専門家達は、みんな違うことを言うのである。それぞれが真逆(逆を強調する俗語)であることすら珍しくない。
しかし、まぐれ当たりした者だけがクローズアップされ、「やっぱり専門家は正しい」となってしまうのである。
早い話が、誰も、何も分からないのだ。
ある名医が、自分の誤診率は14%だったと言ったらしいが、その時、医者と医者以外の両方が歓声を上げた。
医者以外の者達は、その誤診率の高さに。
そして、医者達は、その誤診率の低さにである。
だが、普通の医者は、もっとはるかに誤診をするのだ。
私は、その名医の誤診率が14%だなんて、全く信じない。
単純な症例は別として、実際は、ほとんど正しく診断できなかったはずなのだ。
いくらかまぐれ当たりがあるだけである。
だが、ビッグデータが正しく使われるようになりデータが十分に多くなれば、いつも正しい答が得られる。
ただ、その答がなぜ正しいのかは決して分からないのだ。
誤解してはならないのは、ビッグデータとは、コンピューターが推論や計算で正しい答えを出すことではなく、コンピューターが正しい答を見つける方法に過ぎないのである。
確かに真理は存在するが、なぜそれが真理であるのかは誰にも分からないのである。
だが、それによって、人間の知性など、卑小過ぎて何の力もないことを認識し、謙虚になれればそれで良いのである。
そして、人間が完全に謙虚になって、自分の知性を蔑み、ソクラテスのように、
「私は、自分が何も知らないということだけを知っている」
と本当に理解すれば、やはり、ソクラテスのような賢者になる。
それは、人間の知性ではなく、神の叡智と一体化したということである。
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