ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ヒマラヤ聖者の生活探求

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

奇跡を起こせない不思議な理由

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、著者のベアード.T.スポールディングら、アメリカの調査隊の前で、ヒマラヤの聖者達は、川の水の上を歩いたり、遠く離れた場所に瞬間移動(テレポーテーション)したり、瀕死の怪我人を一瞬で治したり、あばら家を一瞬で快適な新築の家に変えて見せたりする。
そして、ヒマラヤの聖者たちが繰り返し言ったことは、それらのことは誰でも出来るし、あなた方(スポールディングら)にも当然出来、そのために修行みたいなことをする必要はないということだった。
そして、ついには、スポールディングらも、ヒマラヤの聖者達が言った通りになり、目の前の仕事の書類に勝手に文字が書き込まれて完成していったり、燃え盛る炎の中で、スポールディングは熱さを恥じることもなくいることが出来た。

広い部屋
AIアート102
「広い部屋」
Kay


だが、ヒマラヤの聖者たちも、スポールディングも、そのやり方を全く書いていないのは不可解だ。
これでは、この本を読んだ読者は何も出来ず、途方に暮れるだけである。
やり方を書かないのは、何か意図があるのだろうか?

そのやり方は、全く難しいことではなく、ただ、思考を消す、あるいは、心を消すと言っても良いが、それだけである。
ただし、気絶していたり、睡眠状態であってはならない。
なぜ、こういうふうに簡単に書かないのかというというと、やはり、思考(心)を消すというのは難しいことなのだろうか?
だが、それだって、「私は誰か?」と自分に問えば良いだけで、そして、その状態に慣れれば良いだけである。

しかし、私にも少し分かってきたが、どういうわけか、人々は「私は誰か?」と十分なだけ問うことが出来ないのである。
これも、宇宙人が地球に仕掛けたマインドコントロール装置の影響なのだろうか?
この「私は誰か?」の問いを人類に提示したラマナ・マハルシが、なぜか、アルナチャラという場所に固執し、現在もそこに多くの人々が巡礼するのは、この場所が、マインドコントロール装置の影響を受け難い何かがあるのかもしれない。
とはいえ、なんとか「私は誰か?」と問うことに、少しずつでも慣れると良いのだと思う。








歳を取らない言葉

ラルフ・ウォルドー・トラインの『In tune with the Infinite』(翻訳は『人生の扉をひらく「万能の鍵」』他がある)に、80歳を過ぎているが25歳以上には見えない女性の話があったと思う。
同様の話なら、アダムスキーの本に出て来る宇宙人の女性には百歳(地球換算だろう)を超えても二十歳前の絶世の美少女に見える女性が何人もいたし、『ヒマラヤ聖者の生活探求』には400歳以上だが18歳に見える一般の女性もいた。
同書では、聖者の女性であれば、いくつになっても、十代の、幼く見える場合すらある美少女ばかりだった。
まさに夢のような話であるが、私は、それに近い例を知っている。
その女性を最初に見た時は、着ているものが大人っぽいこともあり、多目に見て18歳か19歳かと思った。
しかし、中学生でありながら二十歳くらいに見える大人っぽい少女を2人ほど知っていたので、その人も同じかもしれないと思った。
ところが、正確には教えてもらわなかったが、60歳を少し過ぎているようなのである。

古い石段
AIアート90
「古い石段」
Kay


で、トラインの本のその女性の特質は、全ての人やものごとに善しか見ないということだった。
昨日の記事『万能の言葉』で書いたように、それは、現状を肯定することであり、全てを善いことと見なすことだ。
それを実践している者に口ぐせがあるなら、これも昨日書いたが、その言葉は「オールOK」であり、あるいは、もっと前に書いたが「完璧」「パーフェクト」ということになる。
なぜ、その女性が歳を取らないのかというと、思考を消しているからであることは明らかだ。
「オールOK」あるいは「完璧」なら、何も考える必要がないからである。

よって、あなたも「オールOK」「完璧」「パーフェクト」といった言葉を常に使えば歳を取らない。
他には、こんな言葉を好ましく思うかもしれない。
「なぜか知らないがお金がどんどん入ってくる」
これは、引き寄せ界隈で人気のあるアファーメーションだが、始めの「なぜか知らないが」で思考を拒否しているところが良いのである。
もっとエレガントには、
「不思議だけどお金がどんどん入ってくる」
「不思議だけどもててもてて仕方がない」
という言葉があり、こちらの方が良いと思う。
これも、「不思議だけど」と言った時点で思考しないことを設定したのである。








『老子』第24章を一言で言えば「何も要らない」

今回は『老子』第24章だ。
この章を一言で言えば「何も要らない」だ。

昔、『フルーツバスケット』という漫画で、こんな話をする可愛い高校1年生男子がいた。
ある優しい人がいて、欲しいと言われたら、相手が誰であっても、自分のものであれば、何でも即座にあげた。
それで、最後は、自分の手足や目玉も全部上げて、頭だけになったという話だ。
この話し手の男子高校生は、その優しい人を褒めたが、その優しい人は、ただの馬鹿である。
『老子』第24章を一言で言えば「何も要らない」だと述べたが、それは「不要なものは何も要らない」という意味で、必要なものは持っていなければならない。
なぜなら、必要なものは、魂(=神)が与えたものだからだ。
そして、イエスも言ったのだ。
「父(神)は、お前達が必要なものなど、とっくにご存じで、それは必ず与えられる」
とね。

グリム童話の中に『星の銀貨』という、元のお話は数行という短いものがあったが、グリム兄弟は、かなり加筆した。
それで、こんな感じの話になった。
ある、貧しいが信仰深い女の子がいて、やはり、乞われると、何でもすぐに与えた。
それで、夜になる頃には下着だけになってしまったが、それも欲しいと言われる。
女の子は、「夜だから見られることはない」と、下着も与え、丸裸になる。
やはり、この女の子もやり過ぎだが、このやり過ぎの部分はグリム兄弟が書き加えた馬鹿話だ。
それを真に受けてはいけない。ものには限度がある。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者、ベアード.T.スポールディングは、援助を乞われたら、必ず全財産を与えたと言う。
彼の場合はどうかというと、彼がそれをするのは、相手が本当に困っていた場合だけであったし、彼は、すぐにまた得られることをよく知っていたので問題はないのである。

まず、嫌々与える必要はない。
それで言えば、『星の銀貨』の女の子も、馬鹿ではあったが、自分が楽しいのであれば、何をどれだけ与えても別に構わない。
だから、下着をあげた後、神様が大量の銀貨と、新しい服をくれたのである。
『フルーツバスケット』の方の、あの優しい人も、頭だけになった後、すぐに復活したかもしれないが、やはり、ものには限度がある。
ましてや、したくない寄付はしなくて良い。
もちろん、本当にしたければすれば良いが。
とはいえ、あのエマーソンだって、「いつか断ろう」と思いつつ、寄付をしていた。
だが、本来は寄付は不要だとエマーソンは言う。
『フルーツバスケット』のあの優しい人も、『星の銀貨』の女の子も、本来は与える必要はなかった。
なぜなら、人は誰でも、神のようなものである全知全能の魂なのであり、下手にものを与えたら、ますます、それを思い出せなくなるからだ。
とはいえ、不幸にも、本当の自分を思い出すにはあまりにも無知蒙昧な場合は、とりあえず助けるのも良いが、好ましくない場合も多いのである。
まあ、こう言うと、世界に沢山いる、明日の命も知れない貧困国の困窮した人々の話をしたがる人がいるが、まずは自分を救えば、それらの人々を救うことも出来るかもしれない。
しかし、今の我々が何をしても同じだ。

だから、まずは、自分が本当の自分に戻らなければならない。
そのためには、失われた記憶を取り戻さなければならない。
そのために、出来るだけ多く「私は誰か?」と自分に問うのである。








神のようになった人達の秘密

我々は本当は神のような存在であり、一般に信じられているような能力しか持たない哀れな、地を這う虫のような存在ではない。
ではなぜ、地を這う虫のような存在であるのかというと、これは簡単なことで、単に、地を這う虫の真似をしているからだ。
知力に関しても、我々は、極めて高く、低くはないのだが、それは、学校の試験や受験で高得点を取るような制限されたつまらない能力ではない。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、ヒマラヤの大師(英語ではマスター)達に接するうち、アメリカのある調査隊員は、
「なぜ人間たる我々が地を這う虫の真似をしなきゃならないんだ」
と気付き、能力の一部を解放した。
すると、白紙の紙に、自動で仕事の書類が仕上がり、燃える火の中でも平気でいられた。
(著名な精神科医のミルトン・エリクソンも、自動で書類が仕上がる仕事法を行っていた)
彼は何をしたのだろう?
虫の真似をする代わりに、大師の真似をしたのである。それだけだ。
ひろさちや氏が、著書『空海入門』で、『徒然草』を引用して言ったように、
「狂人のマネをすれば狂人、仏陀のマネをすれば仏陀」
なのである。

感性の優れた作家や漫画家には、精神がクリアになった時、人間の本質を感じ取ることがある。
SF作家の平井和正氏がそうだったし、彼は仕事がなくて困っていた時、漫画原作の仕事をしたが、彼と組んだ漫画家の桑田次郎(後に桑田二郎)氏や石ノ森章太郎氏らは、元々素質があったのが、それでさらに、人間の本質に気付くようになり、超能力をテーマにした漫画を独自にも描くようになった。
平井和正氏原作で桑田次郎氏が漫画を描いた『エリート』、平井和正氏原作で石ノ森章太郎氏が漫画を描いた『幻魔大戦』が代表的なものである。
これらは、出版されて半世紀ほども経つが、現在も出版され、特に『幻魔大戦』は紙の本でも新品が購入出来る。
私は幸い、これらの本を子供の時に詠み、登場人物の超能力者のマネをしたら、確かに超能力が発動したが、子供を徹底的に虫けらの状態に貶める学校により、思ったように力を伸ばせなかった。
これは、学校、あるいは、テレビだけの問題ではなく、人類全体を低い精神状態に留める強力な装置が働いていることが、根本的な問題である。
それが、最近、このブログでずっと取り上げている『エイリアンインタビュー』で明かされていることである。
GAFA(GAFMA。現在はGAMA、GAMAM)といったビッグテックを起こした者達も、皆、SFの愛読家で、SFに登場する超人達のマネをしたのだが、彼らは様々な事情で、結局は、宇宙人の装置の力に屈したように思われる。
宇宙人に直接狙われた可能性もあるが、表舞台に立つと、いろいろ障害があるのだと思う。
精神性を重んじたスティーブ・ジョブズは、若い頃は精神が乱れることが多かったが、中年を過ぎて、いよいよ本物になってきた時に、集中して攻撃されたように思う。
我々は、大事業を行うのではなく、「私は誰か?」と問うか、自分が神(のようなもの)であることを憶えていることで、精神の力で偉大なことを行うべきである。








悪の宇宙人の精神支配装置から脱した人達

一応「ドメイン」と呼称する宇宙連合に属す宇宙人へのインタビューが綴られた『エイリアン インタビュー』は、本物か偽物かは分からないが、その内容が、この世界の複雑なものごとをあまりにうまく説明してしまえることや、聖典・聖人の言葉に統一性を与えるヒントになることから、少なくとも、何らかの真理が含まれていることは間違いないと私は思う。
その内容の中で我々にとって重要なことが、「ドメイン」と敵対関係にある「旧帝国」グループの宇宙人により、地球人類の魂に致命的な悪影響を与える装置が、太古の昔に地球に設置され、今も稼働し続けていることだ。
この装置の効果は、我々の記憶(今生での誕生以前)を消し、偽の記憶を与えることで、これにより、我々は大切な精神的能力を失ってしまっている。たとえば、魂が肉体から自由に離れる能力や、おそらく、超能力や引き寄せの力もである。

「ドメイン」に相応しい知恵は、ヴェーダ(古代インド哲学)、老子、仏陀(釈迦)、ゾロアスター教に遺っているというが、確かに、これらの知恵は人類を超えている。
老子は、旧帝国宇宙人のあの装置の影響を脱した人であったらしい。
つまり、そんなことをすることが可能であるということだ。
元々、あの装置は思考に反応するので、無になれば、装置の影響を免れると思われる。
これは、古代から、あらゆる聖者、あるいは聖典が「無になれば不可能はない」と言っていることと一致する。
それと、装置の影響を脱した人間のフリをする・・・そんな人間らしく振る舞うことも、装置の影響を脱するために有効と思う。
装置があるに関わらず、人間は、振舞った通りの人になる性質がある。
引き寄せでは「我々は自分が思う通りの人になる」と言われるが、我々は、あの装置で「思う能力」が損なわれているので、この言葉はあまり有益とは言えない。
そうではなく、「我々はフリをした通りの人になる」のである。

卓越した人物は、旧帝国の装置の影響を大きく無効にした人であると思われる。
特に事業家や発明家はそうである。
優れた発明家は、前世の記憶を取り戻し、既にドメインが発明したものを再現したのである。
これは、政木和三さんが度々言っていたことと同じである。
政木さんは、子供の時、1分で1回の呼吸が出来るようになることで、過去生の記憶を取り戻した。
これは偶然に、呼吸数が少ない優良な宇宙人のフリをしたことになるのだと思う。
(尚、『エイリアンインタビュー』の宇宙人は人工の身体を持っていたので、呼吸はしないかもしれない)
イーロン・マスクは、少年時代、『銀河ヒッチハイクガイド』などのSFを読み、人類救済の使命を持ったらしいが、SFの登場人物になり切った・・・つまり、その登場人物のフリをしたことで、彼は装置の影響を免れたのかもしれないが、再び偽の記憶を植え付けられた可能性もある。
小説、あるいは、漫画の作者などは、装置の影響を消すことが出来た人が多いのではと思う。
ただ、逆に、装置に偽の記憶を植え付けられ、その記憶によって書かれたものが大ヒットすることも多いので注意しないといけない。
喧噪を起こすだけの大ヒットをする作品は、ほとんどが、偽記憶によって書かれたものであると思う。
悪い方の作品名を上げても良いが、好きな人も多いだろうから控える。
しかし、見ていると心が重くなることから完全に分かるのである。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の大師達は、装置の影響を免れた人類と言うより、装置の危険を承知の上で、地球人の肉体に入ったドメインの宇宙人である可能性もあると思う。
ヒマラヤ山脈には、ドメインの基地があり、そこは、元々、旧帝国の基地があったのを、旧帝国を撃退して作った基地であったらしいので。
そもそも、ヒマラヤの大師達は人間として好ましいので、彼らのフリをすることは良いことと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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