ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ヒマラヤ聖者の生活探求

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』第24章を一言で言えば「何も要らない」

今回は『老子』第24章だ。
この章を一言で言えば「何も要らない」だ。

昔、『フルーツバスケット』という漫画で、こんな話をする可愛い高校1年生男子がいた。
ある優しい人がいて、欲しいと言われたら、相手が誰であっても、自分のものであれば、何でも即座にあげた。
それで、最後は、自分の手足や目玉も全部上げて、頭だけになったという話だ。
この話し手の男子高校生は、その優しい人を褒めたが、その優しい人は、ただの馬鹿である。
『老子』第24章を一言で言えば「何も要らない」だと述べたが、それは「不要なものは何も要らない」という意味で、必要なものは持っていなければならない。
なぜなら、必要なものは、魂(=神)が与えたものだからだ。
そして、イエスも言ったのだ。
「父(神)は、お前達が必要なものなど、とっくにご存じで、それは必ず与えられる」
とね。

グリム童話の中に『星の銀貨』という、元のお話は数行という短いものがあったが、グリム兄弟は、かなり加筆した。
それで、こんな感じの話になった。
ある、貧しいが信仰深い女の子がいて、やはり、乞われると、何でもすぐに与えた。
それで、夜になる頃には下着だけになってしまったが、それも欲しいと言われる。
女の子は、「夜だから見られることはない」と、下着も与え、丸裸になる。
やはり、この女の子もやり過ぎだが、このやり過ぎの部分はグリム兄弟が書き加えた馬鹿話だ。
それを真に受けてはいけない。ものには限度がある。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者、ベアード.T.スポールディングは、援助を乞われたら、必ず全財産を与えたと言う。
彼の場合はどうかというと、彼がそれをするのは、相手が本当に困っていた場合だけであったし、彼は、すぐにまた得られることをよく知っていたので問題はないのである。

まず、嫌々与える必要はない。
それで言えば、『星の銀貨』の女の子も、馬鹿ではあったが、自分が楽しいのであれば、何をどれだけ与えても別に構わない。
だから、下着をあげた後、神様が大量の銀貨と、新しい服をくれたのである。
『フルーツバスケット』の方の、あの優しい人も、頭だけになった後、すぐに復活したかもしれないが、やはり、ものには限度がある。
ましてや、したくない寄付はしなくて良い。
もちろん、本当にしたければすれば良いが。
とはいえ、あのエマーソンだって、「いつか断ろう」と思いつつ、寄付をしていた。
だが、本来は寄付は不要だとエマーソンは言う。
『フルーツバスケット』のあの優しい人も、『星の銀貨』の女の子も、本来は与える必要はなかった。
なぜなら、人は誰でも、神のようなものである全知全能の魂なのであり、下手にものを与えたら、ますます、それを思い出せなくなるからだ。
とはいえ、不幸にも、本当の自分を思い出すにはあまりにも無知蒙昧な場合は、とりあえず助けるのも良いが、好ましくない場合も多いのである。
まあ、こう言うと、世界に沢山いる、明日の命も知れない貧困国の困窮した人々の話をしたがる人がいるが、まずは自分を救えば、それらの人々を救うことも出来るかもしれない。
しかし、今の我々が何をしても同じだ。

だから、まずは、自分が本当の自分に戻らなければならない。
そのためには、失われた記憶を取り戻さなければならない。
そのために、出来るだけ多く「私は誰か?」と自分に問うのである。








神のようになった人達の秘密

我々は本当は神のような存在であり、一般に信じられているような能力しか持たない哀れな、地を這う虫のような存在ではない。
ではなぜ、地を這う虫のような存在であるのかというと、これは簡単なことで、単に、地を這う虫の真似をしているからだ。
知力に関しても、我々は、極めて高く、低くはないのだが、それは、学校の試験や受験で高得点を取るような制限されたつまらない能力ではない。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、ヒマラヤの大師(英語ではマスター)達に接するうち、アメリカのある調査隊員は、
「なぜ人間たる我々が地を這う虫の真似をしなきゃならないんだ」
と気付き、能力の一部を解放した。
すると、白紙の紙に、自動で仕事の書類が仕上がり、燃える火の中でも平気でいられた。
(著名な精神科医のミルトン・エリクソンも、自動で書類が仕上がる仕事法を行っていた)
彼は何をしたのだろう?
虫の真似をする代わりに、大師の真似をしたのである。それだけだ。
ひろさちや氏が、著書『空海入門』で、『徒然草』を引用して言ったように、
「狂人のマネをすれば狂人、仏陀のマネをすれば仏陀」
なのである。

感性の優れた作家や漫画家には、精神がクリアになった時、人間の本質を感じ取ることがある。
SF作家の平井和正氏がそうだったし、彼は仕事がなくて困っていた時、漫画原作の仕事をしたが、彼と組んだ漫画家の桑田次郎(後に桑田二郎)氏や石ノ森章太郎氏らは、元々素質があったのが、それでさらに、人間の本質に気付くようになり、超能力をテーマにした漫画を独自にも描くようになった。
平井和正氏原作で桑田次郎氏が漫画を描いた『エリート』、平井和正氏原作で石ノ森章太郎氏が漫画を描いた『幻魔大戦』が代表的なものである。
これらは、出版されて半世紀ほども経つが、現在も出版され、特に『幻魔大戦』は紙の本でも新品が購入出来る。
私は幸い、これらの本を子供の時に詠み、登場人物の超能力者のマネをしたら、確かに超能力が発動したが、子供を徹底的に虫けらの状態に貶める学校により、思ったように力を伸ばせなかった。
これは、学校、あるいは、テレビだけの問題ではなく、人類全体を低い精神状態に留める強力な装置が働いていることが、根本的な問題である。
それが、最近、このブログでずっと取り上げている『エイリアンインタビュー』で明かされていることである。
GAFA(GAFMA。現在はGAMA、GAMAM)といったビッグテックを起こした者達も、皆、SFの愛読家で、SFに登場する超人達のマネをしたのだが、彼らは様々な事情で、結局は、宇宙人の装置の力に屈したように思われる。
宇宙人に直接狙われた可能性もあるが、表舞台に立つと、いろいろ障害があるのだと思う。
精神性を重んじたスティーブ・ジョブズは、若い頃は精神が乱れることが多かったが、中年を過ぎて、いよいよ本物になってきた時に、集中して攻撃されたように思う。
我々は、大事業を行うのではなく、「私は誰か?」と問うか、自分が神(のようなもの)であることを憶えていることで、精神の力で偉大なことを行うべきである。








悪の宇宙人の精神支配装置から脱した人達

一応「ドメイン」と呼称する宇宙連合に属す宇宙人へのインタビューが綴られた『エイリアン インタビュー』は、本物か偽物かは分からないが、その内容が、この世界の複雑なものごとをあまりにうまく説明してしまえることや、聖典・聖人の言葉に統一性を与えるヒントになることから、少なくとも、何らかの真理が含まれていることは間違いないと私は思う。
その内容の中で我々にとって重要なことが、「ドメイン」と敵対関係にある「旧帝国」グループの宇宙人により、地球人類の魂に致命的な悪影響を与える装置が、太古の昔に地球に設置され、今も稼働し続けていることだ。
この装置の効果は、我々の記憶(今生での誕生以前)を消し、偽の記憶を与えることで、これにより、我々は大切な精神的能力を失ってしまっている。たとえば、魂が肉体から自由に離れる能力や、おそらく、超能力や引き寄せの力もである。

「ドメイン」に相応しい知恵は、ヴェーダ(古代インド哲学)、老子、仏陀(釈迦)、ゾロアスター教に遺っているというが、確かに、これらの知恵は人類を超えている。
老子は、旧帝国宇宙人のあの装置の影響を脱した人であったらしい。
つまり、そんなことをすることが可能であるということだ。
元々、あの装置は思考に反応するので、無になれば、装置の影響を免れると思われる。
これは、古代から、あらゆる聖者、あるいは聖典が「無になれば不可能はない」と言っていることと一致する。
それと、装置の影響を脱した人間のフリをする・・・そんな人間らしく振る舞うことも、装置の影響を脱するために有効と思う。
装置があるに関わらず、人間は、振舞った通りの人になる性質がある。
引き寄せでは「我々は自分が思う通りの人になる」と言われるが、我々は、あの装置で「思う能力」が損なわれているので、この言葉はあまり有益とは言えない。
そうではなく、「我々はフリをした通りの人になる」のである。

卓越した人物は、旧帝国の装置の影響を大きく無効にした人であると思われる。
特に事業家や発明家はそうである。
優れた発明家は、前世の記憶を取り戻し、既にドメインが発明したものを再現したのである。
これは、政木和三さんが度々言っていたことと同じである。
政木さんは、子供の時、1分で1回の呼吸が出来るようになることで、過去生の記憶を取り戻した。
これは偶然に、呼吸数が少ない優良な宇宙人のフリをしたことになるのだと思う。
(尚、『エイリアンインタビュー』の宇宙人は人工の身体を持っていたので、呼吸はしないかもしれない)
イーロン・マスクは、少年時代、『銀河ヒッチハイクガイド』などのSFを読み、人類救済の使命を持ったらしいが、SFの登場人物になり切った・・・つまり、その登場人物のフリをしたことで、彼は装置の影響を免れたのかもしれないが、再び偽の記憶を植え付けられた可能性もある。
小説、あるいは、漫画の作者などは、装置の影響を消すことが出来た人が多いのではと思う。
ただ、逆に、装置に偽の記憶を植え付けられ、その記憶によって書かれたものが大ヒットすることも多いので注意しないといけない。
喧噪を起こすだけの大ヒットをする作品は、ほとんどが、偽記憶によって書かれたものであると思う。
悪い方の作品名を上げても良いが、好きな人も多いだろうから控える。
しかし、見ていると心が重くなることから完全に分かるのである。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の大師達は、装置の影響を免れた人類と言うより、装置の危険を承知の上で、地球人の肉体に入ったドメインの宇宙人である可能性もあると思う。
ヒマラヤ山脈には、ドメインの基地があり、そこは、元々、旧帝国の基地があったのを、旧帝国を撃退して作った基地であったらしいので。
そもそも、ヒマラヤの大師達は人間として好ましいので、彼らのフリをすることは良いことと思う。








呪文、大いに唱えるべし

改めて思うと、一番偉かったのは法然であると思う。
法然の教えを難しく言う「センセー」がいっぱいいる。
法然の教えは、『選択本願念仏集』に込められていると思われるが、この本を難しく解説したがるエゴの強い人が多いのだと思う。
法然の教えは、むしろ、彼の遺言である『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』という、文字通り、一枚の紙に書かれたものだ。
しかし、『選択本願念仏集』も『一枚起請文』も、書かれていることはただ1つ。
「念仏しろ」
である。
法然の教えは他に何もない。
ところで、『選択本願念仏集』には、なぜ念仏を唱えることが良いのか書かれている。
私は、そこに書かれていることは、全部、「こじつけ」と思う。
法然は『選択本願念仏集』を、世話になっている人の要請で書いたが、その中に、「読んだら捨てよ」と書いている。
なぜそう書いたかを、当時は念仏が幕府に禁止され、こんな書が発見されたら、世話になっている人に危害が及ぶからと言う人がいるが(この見解が一般的かもしれない)、私は、法然は、やっぱりこれは意味のないこじつけだと分かって書いたのだと思う。

正直、今の時代に念仏は無理がある。
なぜ無理があるかというと、葬式用になってしまったからだ。
それに、宗教の手垢もつき過ぎた。
だが、別に念仏でも良い。
しかし、唱えるのは、念仏でなくて何でも良く、それで法然の意図に合うのだと思う。
たとえば、「神様の奇跡が起こる」でも「お金がある」でも全く同じである。

法然の弟子で一番名高い・・・と言うより、法然より名高いかもしれない親鸞の教えは複雑だった。
「念仏は1回でも良い。いや、唱えようという気持ちがあれば良く、1回も唱えなくていい」
などと言った。
そして、その理由の解釈をまたあれこれ言う人達がいっぱいいて困るのだ。
確かに、親鸞には親鸞の想いがあったのだろう。
しかし、そんな曖昧な難しいことを言っても、庶民には分からない・・・どころか、学者や僧の間でも見解が分かれているではないか?
いったい何のための教えだバカヤローと言いたい(笑)。

ラマナ・マハルシは「私は誰か?」を呪文にしてはいけないと言ったらしい。
それで、マハルシ本人が言ったのかどうかは分からないが、「私は誰か?」の意味をあれこれ言う人達がいっぱいいて、「私は誰か?」がつまらないものになってしまった。
呪文で良いのである。
そして、マハルシも「私」という言葉をずっと唱えろと、呪文を奨めているのである。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、現代(と言っても19世紀だが)に出現したイエス・キリストは「他のことは忘れて良い」として、「神という言葉を出来るだけ多く使え」と言ったらしい。
だが、著者のベアード・T・スポールディングは、やっぱり「神を呪文にしてはいけない」と書く始末だ。
呪文で良いんだ。
だが、イエスもまた「このことを公式にしてはいけない」と、これまた曖昧な抽象的なことを言ったことになっている。
もし、本当にそんなことを言ったのなら、やっぱり余計なことだと思う。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻で、ロンドンのロースン(ローソン)という男が、「There is nothing but GOD(神の他に何もない)」と唱えることで奇跡を起こす場面がある。
ロースンが、この言葉を呪文のようにしていたとは書かれていないが、私は呪文で良いと思う。もちろん、日本人なら「神の他に何もない」あるいは「ただ神だけがある」と唱えれば良い(『ヒマラヤ聖者の生活探求』では「神の他に何もない。ただ神だけがある」と翻訳している)。
また、この本の中では、「生命、愛、平和」という言葉が起こす奇跡についても書かれている。
何でも良いのだ。
良い言葉なら・・・いや、良いと思う言葉なら。
お金が好きなら「富」とか、ロリコンなら「聖なる乙女」とか。もちろん、あくまで一例だが。

「トホカミエミタメ」も「アジマリカン」も良い。
だが、これらの言葉を普及させている者が「この言葉が一番だ」とか「こっちが上だ」と言っていたら、さっさと見放せ。
よく憶えていないが、「トホカミエミタメよりアジマリカンが優れている」とか「トホカミエミタメは南無阿弥陀仏と比較にならないほど威力がある」と述べ、そのしょーもない理由を並べているのを見た記憶がある。
そんなことを言う者は我の塊か、人々を騙して儲けようと思っているだけであり、そもそも必要なのは言葉だけだ。

私は、今は、今を意識する「今今メソッド」しかしていないが、これも、今を意識するなんて難しいことを言わず「今、今、今・・・」と言っても同じである。そもそも、「今今メソッド」で有名な人も、実は、始まりは、「今、今、今・・・」と言ったことらしい。
理論に関しては、エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』という本に書かれている・・・が、しかし、なんてややこしい日本語タイトルを付けるのだろう。原題はシンプルで『The Power of NOW』だ。
そのまま『今の力』でいいじゃないか?
そもそも、この元のタイトルこそ、本の中身を表しているというのに。
タイトルは出版社(徳間書店)がつけたのかもしれないが。








魔法がいずれ現実になる

童話の『シンデレラ(灰かぶり姫)』では、魔法使いは、シンデレラのボロボロの古着を美しい高級な衣装に変え、ネズミを立派な黒い馬に変え、カボチャを豪華な馬車に変えた。
しかし、たとえば、馬車について言えば、馬車の車輪1つ作るにも熟練の技術が必要なのに、そんなものが、技術的なことを知っているとも思えない魔法使いの魔法で一瞬で作られることは不合理なことだと、私は子供の時でも思った。
1966年のアニメ『魔法使いサリー』のオープニングで、少女(小学5年生)の魔法使いであるサリーが、木の切り株に魔法をかけると、それが見る見る豪華な屋敷に変わる有名な場面があるが、家なんて複雑で精密な技術やノウハウが集まったものなのだから、魔法とは、恐ろしくも強大な力であると思わざるを得ないのである。
そして、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、ヒマラヤ大師達の母親(少女にしか見えない)が、瀕死の怪我を負った幼い少年を一瞬で完全に治癒させ、さらに、この少年が住んいるあばら家を、新しい快適な家に一瞬で変えてしまう話がある。
こんな話が数多く収められたこの書を胡散臭く思う者は多い。

しかし、これらは、AI分野で現在注目されている「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるものに近い。
「プロンプトエンジニアリング」とは、言葉で指示を出して、AIにものを作らせるというものだ。
現在、プロンプトエンジニアリングで可能なこととしては、AIによるイラスト作成がある。
たとえば、「白いパラソルを持った、15歳のセーラー服を着た少女の絵を描け」とAIに指示を出すと、見事なそんな絵を描いてくれる。
実際には、うまく指示を出すほど良い絵が描かれ、プロ並み、あるいは、それ以上の出来になることもある。
今のところ、イラストの他に、音楽や文章などでも発達しているようだが、いずれは、あらゆることで、プロンプトエンジニアリングが実現する。
建築でも、設計においては、素人が言葉で指示を出せば、AIにより、一流のプロの技術と高度なセンスを持って、短時間で設計が行われるようになる。
さらには、かなり先のことかもしれないが、ロボットによる自動建築作業も可能になると思う。
それは、医療、ファッション、料理、教育、その他、あらゆる分野で実現する。
そうなれば、『シンデレラ』や『魔法使いサリー』や『ヒマラヤ聖者の生活探求』のようなことが、現実になる。

物理世界のことに関しては、これらの実現には、かなり高いハードルがあるが、コンピューターゲームのようなVR世界に関しては、現在でも実現が可能で、精度を問わなければ、メタ・バース世界で既にかなりのことが行われている。
そして、我々のこの世界が、実は三次元仮想世界であるメタ・バースであるという「シミュレーション仮説」を、多くの優秀な人達が支持するようになってきた。
つまり、我々に出来ないだけで、『シンデレラ』のような魔法は、実は、今すぐ、完全に可能かもしれないのである。
私は、それが事実である可能性は極めて高いと考える。
そして、そういった魔法のようなことは、必ずしも我々に無縁ではなく、やり方さえ分かれば、かなり自然に行えるのだと思う。
私は、そのごく一端かもしれないが、確実に実践したことがあると思っている。
やり方だって、実験と検証の結果として、ある程度のことは分かるのである。
まずは、そんな事実だけでも、理解しておくと良いと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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