やる気が出ないのは無力感のせいで、無力感は未来の不安が原因だ。未来はコントロール出来ない。
原始時代の人間は、未来のことなんか考えず、今日の獲物を獲ったり、今日食べる木の実を採った。
だが、獲物が獲れなかったり、木の実がなくなったら餓死して死んだ。
それで、食べ物が得られない未来への不安が起こり、それによって食料を備蓄したり、農耕で多くの安定した食料を作るようになることから文明が起こった。
つまり、不安は良い面もある。
だが、いくら備蓄したり、農耕をしても、自然災害で飢饉することもあり、不安はなくならない。
そこで、自然をつかさどる神の概念が生まれ、神の機嫌を取るために供物を捧げるようになった。
ところが、作物や獣といった供物を捧げても災害は起こり、供物の質を上げていった。
最高の供物は美少女の生贄というのが相場だ。
ソクラテスがヒッピアスに「美とは何か?」と尋ねたら、ヒッピアスが「美しい少女だ」と即答したように、この世で一番美しいのは美少女であるというのが一面の真理だ。
供物というのは効果があったのだと思う。でなければ、そんな風習が長く続いたりしない。
しかし、鳥や牛を捧げても災害が起こるようになり、さらに、美少女を捧げても、やはり災害は起こるようになった。
なぜか?
供物さえ捧げていればいいという怠慢や、自分達が助かれば、美少女が死んでも構わないという浅ましさのせいだ。
C.G.ユングが好きだったという雨乞い師の話がある。
何年も干ばつに苦しむ村があり、そこに有名な雨乞い師が呼ばれた。
雨乞い師は3日で雨を降らせた。
雨乞い師は「この村は神の意思に反していた。私は神の意思に従った」と言ったというが、これでは何も分からない。
そこで私が補足する。
何年も干ばつに苦しむ村があった。
神に祈り、作物や動物の供物を捧げた。しかし成果はない。
さすがに、もう美少女を生贄にする時代ではなかったはずだが、やがて、美少女を捧げないと駄目だという話が出る。
それで、素晴らしい美少女が目を付けられ、生贄にしようとするが、彼女の親や親しい人達が反発する。
しかし、反発する者達は攻撃され、彼女に心を寄せていた男達は怖くて戦うようなことをしない。
それで、彼女は生贄にされることになってしまった。
だが、別対策も考えられていて、高名な雨乞い師が呼ばれた。
雨乞い師は3日で雨を降らせ、美少女の命は助かった。
雨乞い師は言った。
「この村は神の意思に反している」
そりゃそうだ。自分達が助かるためなら、美少女はどうなっても構わないと思い、彼女のファンの野郎共は何もしない。
いや、1人くらいはピュアな彼女のファンが戦ったかもしれないが袋叩きに遭ったことだろう。
つまりね、人間は生きられるのだ。
神の意思に従えば。
だが、自分のために他者を犠牲にすることは神の意思に反するのだ。
人間の最大の罪は自殺だ。人間は神によって生かされているからだ。
映画『パピヨン』で、パピヨンは夢の中で断罪される。
パピヨンは「俺は殺してない。無罪だ」と言うが、裁判官は「それではない。お前は人生最大の罪を犯した」と言う。
パピヨンが「その罪とは何だ?」と問うと、裁判官は「人生を無駄にした罪だ」と言う。
するとパピヨンは、「確かに有罪だ。認めるよ」とうなだれる。
人間は人生を無駄にしなければ神によって生かされるのだろう。
雨乞い師は、3日の間テントに籠った。
ユングが言うには、彼は「神と調和した」と言う。
何をしたのか?
雨乞い師は「何もしていない」と言う。
何でもいいのだ。神と調和しさえすれば。
我々もすぐに出来る。
心で常に「私、私、私」と言えば良い。
すると、やる気も出るだろう。無駄な思考は消え、不安はなくなるからだ。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)パピヨン [Blu-ray]
(2)パピヨン(1973)※Amazonレンタル
(3)パピヨン 上(H・シャリエール)
(4)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)

AIアート2937
「この世の美」
Kay
原始時代の人間は、未来のことなんか考えず、今日の獲物を獲ったり、今日食べる木の実を採った。
だが、獲物が獲れなかったり、木の実がなくなったら餓死して死んだ。
それで、食べ物が得られない未来への不安が起こり、それによって食料を備蓄したり、農耕で多くの安定した食料を作るようになることから文明が起こった。
つまり、不安は良い面もある。
だが、いくら備蓄したり、農耕をしても、自然災害で飢饉することもあり、不安はなくならない。
そこで、自然をつかさどる神の概念が生まれ、神の機嫌を取るために供物を捧げるようになった。
ところが、作物や獣といった供物を捧げても災害は起こり、供物の質を上げていった。
最高の供物は美少女の生贄というのが相場だ。
ソクラテスがヒッピアスに「美とは何か?」と尋ねたら、ヒッピアスが「美しい少女だ」と即答したように、この世で一番美しいのは美少女であるというのが一面の真理だ。
供物というのは効果があったのだと思う。でなければ、そんな風習が長く続いたりしない。
しかし、鳥や牛を捧げても災害が起こるようになり、さらに、美少女を捧げても、やはり災害は起こるようになった。
なぜか?
供物さえ捧げていればいいという怠慢や、自分達が助かれば、美少女が死んでも構わないという浅ましさのせいだ。
C.G.ユングが好きだったという雨乞い師の話がある。
何年も干ばつに苦しむ村があり、そこに有名な雨乞い師が呼ばれた。
雨乞い師は3日で雨を降らせた。
雨乞い師は「この村は神の意思に反していた。私は神の意思に従った」と言ったというが、これでは何も分からない。
そこで私が補足する。
何年も干ばつに苦しむ村があった。
神に祈り、作物や動物の供物を捧げた。しかし成果はない。
さすがに、もう美少女を生贄にする時代ではなかったはずだが、やがて、美少女を捧げないと駄目だという話が出る。
それで、素晴らしい美少女が目を付けられ、生贄にしようとするが、彼女の親や親しい人達が反発する。
しかし、反発する者達は攻撃され、彼女に心を寄せていた男達は怖くて戦うようなことをしない。
それで、彼女は生贄にされることになってしまった。
だが、別対策も考えられていて、高名な雨乞い師が呼ばれた。
雨乞い師は3日で雨を降らせ、美少女の命は助かった。
雨乞い師は言った。
「この村は神の意思に反している」
そりゃそうだ。自分達が助かるためなら、美少女はどうなっても構わないと思い、彼女のファンの野郎共は何もしない。
いや、1人くらいはピュアな彼女のファンが戦ったかもしれないが袋叩きに遭ったことだろう。
つまりね、人間は生きられるのだ。
神の意思に従えば。
だが、自分のために他者を犠牲にすることは神の意思に反するのだ。
人間の最大の罪は自殺だ。人間は神によって生かされているからだ。
映画『パピヨン』で、パピヨンは夢の中で断罪される。
パピヨンは「俺は殺してない。無罪だ」と言うが、裁判官は「それではない。お前は人生最大の罪を犯した」と言う。
パピヨンが「その罪とは何だ?」と問うと、裁判官は「人生を無駄にした罪だ」と言う。
するとパピヨンは、「確かに有罪だ。認めるよ」とうなだれる。
人間は人生を無駄にしなければ神によって生かされるのだろう。
雨乞い師は、3日の間テントに籠った。
ユングが言うには、彼は「神と調和した」と言う。
何をしたのか?
雨乞い師は「何もしていない」と言う。
何でもいいのだ。神と調和しさえすれば。
我々もすぐに出来る。
心で常に「私、私、私」と言えば良い。
すると、やる気も出るだろう。無駄な思考は消え、不安はなくなるからだ。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)パピヨン [Blu-ray]
(2)パピヨン(1973)※Amazonレンタル
(3)パピヨン 上(H・シャリエール)
(4)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)

AIアート2937
「この世の美」
Kay

