ピアニストやヴァイオリニストになりたいというのは、プロの交響楽団の中でクラシックコンサートで演奏したり、あるいは、もっと良いのかもしれないが、ピアノリサイタルやヴァイオリンリサイタルを開くような演奏者になりたいという意味であることが多いと思う。
しかし、レストランやバーやキャバレーで演奏するような演奏者もいる。そんな演奏者は、上に挙げたような演奏者になる素質や練習環境がなかったり、あるいは、一度はそんな「立派な」演奏者になったが、競争に負けるなどでやっていけなくなって「転落した」という場合もあるだろう。
歌手も、オペラ歌手やロック歌手として「ちゃんとした舞台」に立つ歌手が理想であろうが、今は、昔のような流しの歌手は少ないだろうが、ローカルに活動する歌手も多い。
こういったものを、日なたのピアニスト、日なたの歌手と、日陰のピアニスト、日陰の歌手と言うことが出来るかもしれない。

江戸時代以前の剣術に関しては、武士の家に生まれ、○○流とかいう道場で修行をして剣術を修得するというのが、日なたの剣術家であろう。
しかし、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー紋次郎のように、農家に生まれたが家を捨て、習ったり訓練したりした訳ではないが、生きるために身につけた、経験と勘と度胸で戦う日陰の喧嘩剣法家もいると考えるべきだろう。だが、紋次郎のように滅法強いと、「上州長脇差(じょうしゅうながどす)」と敬意を込めて呼ばれるようになる。
もっとも、紋次郎はヤクザ同士では無敵でも、やはり、正統な剣術を極めた武士に勝てるものではなく、紋次郎も、そんな一流剣士達とまともに戦おうとはせず(戦えば当然大苦戦した)、知略を巡らして戦ったが、それは卑怯でも何でもないだろう。ただ、紋次郎の腕なら、相手がたとえまともな剣術家であっても、それほどの実力者でなければ力で打ち勝っている。

コンピュータプログラマーなら、昔であれば、「まともなプログラマー」は、COBOLやFORTRAN、あるいは、PK/I(ピーエルワン)といったプログラミング言語を使い、パソコンが出てきて流行ったBASICを使うのは、パチモノ(偽物)、落ちこぼれ、下級のプログラマーなどと言われることもあったが、これは、その「上の」プログラマーのエリート意識や差別心が作った分類でもあったと思う。
今なら、大雑把過ぎるかもしれないが、JavaやC#で開発するのが武士の剣士的プログラマーで、VBAで開発するのが喧嘩剣法のプログラマーという言い方をしても良いと思う。

私のような、元ひきこもりは、クラシックピアニスト、○○流の剣術家に相当するプログラマーには、なかなかなれないので、キャバレーのピアニスト、喧嘩剣法の剣客のようなプログラマーのつもりでいる。
目指すは、紋次郎のように上州長脇差と呼ばれるほどになることだ。
私は、仕事で使ったプログラム言語に限れば、COBOLも少しだけやったが、BASIC、C言語、xBASE、dbMAGIC(今はMAGIC)と日の当らないコースをひたすら進み、今はVBAを使っているのだから、やっぱり、キャバレーや荒地が似合うピアニスト、剣客である。
尚、C言語は、OSやプログラム言語等の基本システムを本格的に開発する場合には、クラシックや○○流のピアニストや剣術家であるが、メーカーに認定されないデバイスドライバや「おかしな」ツールみたいなものを作るだけなのは、やっぱり下級かもしれない。
まあ、アインシュタインだって、成功したから良いようなものの、本来はパチモノ物理学者であったと言って良いと思う。

以前、大統領だったオバマが、アメリカ国民はみんなプログラミングをやろうと言ったり、アップルやGooogleやマイクロソフトも参加してプログラミング教育を世界的に推進したりしているが、それらは、クラシックのピアニスト、○○流の剣術っぽいものを前提にしている感じがする。
だから、どこか違和感がある。
VBAは、マイクロソフトがちょっと出来心で作ってしまったものが半端者に普及したと言ったら、あまりに言い過ぎだが、渡世人のような半端者に合っている(やっぱり言い過ぎか)。
だから、ひきこもりや、落ちこぼれサラリーマンは、紋次郎の長ドスのように、VBAを実戦で磨いて、上州長脇差プログラマーになろう・・・という訳の分からない話になってしまったが、私の感覚にはピッタリ合っているのである。









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