ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

パガティーニ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

我流で本格派に勝つには

悪魔に魂を売ってそうなったと言われるほど上手かったイタリアのヴァイオリニスト、パガニーニの演奏技術は独学だった。
アインシュタインの科学も独学だった。大学には行っていたが、彼は講義には一切出席しなかった。
魔法を使って治していると言われた精神科医のエリクソンも独学と言って良いと思う。

師を奉っているうちは、師の半分にもならない。
親鸞は法然を敬ってはいたが、法然の教えと明らかに反することも教えた。
そして、親鸞には、実際は沢山の弟子がいたが、親鸞自身は、「私は一人の弟子も持っていない」と言った。
師や弟子の関係なんて、手ほどきが終わったところで解消すれば良い。
慢心もいけないが、会社で、いつまでも創業者に平伏しているような人間ばかりなら、その会社も長くはないだろう。
むしろ、師や創業者を否定しなければ発展はないというのは、それが自然なことだからである。

木枯し紋次郎の剣は、全くの我流で、度胸と経験を頼りにしていた。
紋次郎は、武士と戦うことになった場合、腕で劣ることをはっきり自覚していた。
紋次郎が、食べるものもなく、餓えながら農作業をやらされていた年齢には、武士の子達は栄養のあるものを十分に食べてみっちり剣術を仕込まれていたのだから、敵うはずがない。
しかし、達人の武士を相手にしても、紋次郎は機転を利かせて勝ってしまう。
それは正々堂々の戦いではないかもしれないが、それでも、達人の武士は紋次郎に切られて死ぬのだ。
紋次郎は架空の人物であるが、宮本武蔵だって、決して正々堂々の戦いを信条とせず、不意打ちや、敵をむかつかせるといった心理作戦もためらうことなく駆使した。
武蔵もまた、独学の剣士だった。

私のコンピュータープログラミングも独学だ。
学校はもちろん、企業の研修で学んだこともない。
だから、プロなら恥ずかしくてやらないと言われるやり方も特に抵抗はない。
紋次郎と同じで、正式にコンピューターサイエンスなんてものを学んだ者に叶う訳がないと思っているので、かえってうまくやれるのである。
例えば、マイクロソフトAccessは素人が使うものだと言われるが、私はこれを使って、大手の開発会社では3人で3ヶ月かかると言ったシステムを一人で1ヶ月で作ることもよくある。
何かの本で読んだが、ある有名なQ&Aサイトは、大手開発会社が数億円の見積りを出したものを、大学生が一人で数万円のバイト料で作ったらしい。

決して、素人の方が良いというのではないが、素人でも、謙虚で観察力があれば、専門家以上のことができることもあるのである。
だから、何でもやってみることだ。
だが、謙虚に、そして、探偵のような観察を忘れないように。
本格派は、この2つを忘れてしまうものなのだ。









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我流でも引け目なんか感じるな

竹宮恵子さんの漫画作品『変奏曲』だったと思うが(昔読んだのだが、今は私の家に本が無い)、ある名門の音楽学校で、入学試験を受けたエドアルド・ソルティーという少年のことで物議を醸していた。教師達は、彼の演奏が抜群であることは認めたが、弾き方がデタラメにしか見えなかった。実は、彼の演奏は独学だった。
そんなことが可能かどうかは分からないが、パガティーニという実在したヴァイオリニストは、あまりの上手さに、彼は悪魔に魂を売って演奏技術を得たと言われたくらいだったが、彼の演奏も独学だったと言われる。風説だとは思うが、彼がどれくらい恐るべき腕前だったかという話にこんなものがある。パガティーニが公演中、ヴァイオリンの弦が1本切れたが、パガティーニは平気で引き続けた。続いて2本目が切れたが、それでも変わらない。すると、なんと3本目まで切れてしまう。しかし、パガティーニは1本の弦だけで、見事に演奏を終えたという。
『フラッシュダンス』というアメリカ映画でも、アレックスという若い女性は、名門のダンサー養成所への入学を希望するが、受験者の大半はクラシックバレエのしっかりとした基礎のある者ばかりだった。しかし、彼女は、そのような経験の無い独学のダンサーで、日頃ダンスの腕を磨いているのは夜のバーだった。
立派な基礎訓練というものは、ある種の運が無い者には無縁な場合が多く、こういったお話には、心ときめくものがある。

一方、アニメ『魔法少女リリカルなのは A's』の中で、達人的な騎士シグナムは、魔導師の少女フェイト・テスタロッサとの戦いで圧倒的勝利を収め、悠然としていたが、ザフィーラは何かに気付いていた。そして、シグナムはザフィーラに対し、実は、フェイトに一太刀を浴びていたことを告白する。シグナムは、自分が勝てたのは、持っていた武器の威力の差だと言い、もし、武器が同じなら苦しかったことを認めた。
そして、シグナムは、フェイトについて言う。「綺麗な太刀筋だった。きっと、良い師に学んだのだろう」
正直、私は、あまり良い気持ちではなかった。私は、何に関しても、優れた師に学ぶ機会はなかったからだ。この感情は、一種のひがみ根性と言えるかもしれない。
だが、アインシュタインも岡本太郎も独学ではあったが、本は読んだだろうし、瞬間的になら優れた人物から何かを学んだことはあったはずだ。
私も、数度しか会わなかったが、政木和三さんと話した時に、貴重なことを聞いたことをよく憶えている。

私と同様、多くのコンピュータプログラマは、ほとんど独学の場合が多いと思う。
しかし、この世界には、ブライアン・カーニハンの『プログラム書法』や、『ソフトウェア作法』、そして、新しい『プログラミング作法』という素晴らしい教本がある。
あまりに素晴らしいので、読むとすっかり愉快になってしまうような本だ。
とはいえ、これらの本に書かれているのはあくまで基礎である。
基礎は大事であるが、その上に独自のスタイルを構築しなければ、どんなことでも一人前にはならないだろう。
そして、基礎、応用に限らず、最も良い師は自然である。
迷った時は、自然を謙虚に観察すれば、必ずヒントが得られるものだ。
私は以前、dbMAGIC(今はMAGIC)という開発ツールの腕前を磨き、多くの企業から指導依頼を受けたが、開発の仕方そのものは本に書かれている。しかし、私は、本に書かれていないが効果的な開発方法を編み出していたので求められたのだ。しかし、そのヒントは、ある優秀なdbMAGICの開発者の処に足しげく通い、彼の技を参考にしたものだった。
私は、今はマイクロソフトのAccessをよく使う。これは、素人の道具のように言われるが、やはり、本には書かれていないオリジナルの手法がなければ力を発揮しない。それは、決して自己中心的な偏った技法ではない。大袈裟に言えば、宮本武蔵の剣法は独自のものではあるが、実は、最も自然の流れに沿った普遍的なものだというのと同じだ。武蔵の極意はあらゆるものに通じるし、岡本太郎に関しても同じである。
Accessは簡単だと馬鹿にする者も多いが、それは、ギターやオカリナを、誰でも音が出せるから簡単だというのと変わらない。
Accessより簡単だと言われる桐(管理工学研究所のデータベースソフト)も、名人の手にかかれば素晴らしい開発ツールであり、実際に、これで素晴らしいシステムを開発している人もいる。
どんな世界だって、基礎の上に立った、オリジナルの技を編み出した者が道を究める。
そして、いつまでも師の元で学んでいては、決して師を超えないばかりか、やがて落ちぶれるだろう。だから、昔から、師の下を離れた後で師に挑んで負かすことを、師に対する最高の「恩返し」と言うのである。彼は、師と同じ道を歩み、その世界そのものを発展させたのだからだ。負けた師が本物なら、非常に喜んでいるだろうし、弟子も、自分と同時に師が勝ったことを理解しているのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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