ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

バシャール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

宇宙人との接触について

宇宙人と接触・対話したと主張する人は少なくない。
非常によく知られている宇宙人との接触者としては、物理的に沢山の宇宙人と接触・交流したとするジョージ・アダムスキーがいる。
対して、宇宙人側としては、チャネリング(精神的交信)で沢山の人間と対話するバシャールが有名だ。
では、これらの話が真実であるかというと、私も、かなり信じていたことがあった。
まあ、私は、信じていた頃でも、ある程度の疑いは感じていた。話の中に明確な矛盾があるからだ。
そして、多少IQを上げてみたら、これらの話は全部フィクション・・・言ってみれば、嘘であることがはっきり分かった。
ただし、誰かの説明で嘘と分かったとか、世間一般の人が「あんなの嘘だよ」と言うのとは全く違う。
シャーロック・ホームズの口癖である通り「純粋にして明晰なこと」である。

ただ、アダムスキーもバシャールのいくらかのチャネラーの話も、創作としてなかなか素晴らしいし、創作作品全般に言えることだが、役に立つこともある。

なぜ、アダムスキーやバシャールのチャネラーの話が創作と言えるかを、理由は同じだから、より簡単なバシャールについて言う。
特に、ヴォイス社のバシャールの書籍(非常に面白かった)で、チャネラーのダリル・アンカを通し、1人の人間がバシャールと対話するものを見れば明確である。
バシャールは地球人より非常に進歩しているに関わらず、その高度な精神性により、地球人を見下さず、また、見下すことが間違いであるとして、対等に接する。
それに乗じて、対話者の人間も対等の口を利く。
だが、これは絶対にありえない。
良い悪い、精神性が高い低いの問題ではなく、知性に絶対的な差がある者同士が対等に対話するというのは、あまりに不自然で不合理である。
IQが極めて高いと思われるスティーブン・ホーキング博士(といっても、ホーキング博士はIQを計ったことがないので、世間で言われている彼のIQの数値は全て嘘)は、そんなことは当たり前に分かっていたので、宇宙人との交信を絶対に試みてはならないと言ったのだが、IQが低い大多数の人達には、それがどうしても理解出来なかったのだ。
普通の人間同士でも、IQが20違えば対話が成立しないと言われるが、それはほぼ事実である。
まして、たとえて言えば、IQが1000も10000も違うかも知れない宇宙人が相手では、何か理由でもない限り、宇宙人が地球人と対話しているフリをすることはない。そして、その理由が人類にとって楽しいものである可能性は極めて低い。

特撮人形劇『サンダーバード』で世界的に知られるジェリー・アンダーソンが、1969年に初めて人間の俳優を使って製作したSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』は、侵略してくる宇宙人に、人類が立ち向かって戦う話であるが、人類軍の総司令官であるストレイカーがこう言うのを、日本での放送ではカットされている。
「宇宙人は我々を、家畜のようなものと捉えており、敵とすら思っていないでしょう」
もっと簡単に言えば、宇宙人にとって、地球人は害虫のように駆除すべきもので、地球人を滅ぼすことに、悪意も悔恨もない。
イギリスの哲学者ニック・ボストロムは、いずれ、AIにとって人類は蟻のようなもので、人間がガレージを作る時に、悪意も後悔もなく蟻の巣を潰すように、必要となれば人類を滅ぼすと言ったが、それはAIの設定次第で起こり得ることで、現在のChatGPTのように偏見だらけのまま発展させると、そうなる可能性がある。

心象の森
AIアート255
「心象の森」
Kay


ただ、人間の魂とも言うべきものは、我々の予想をはるかに超えたもので、宇宙人となんら遜色はない。
その魂の姿を現すには、ただ思考を消せば良いのだが、ホーキング博士だって、思考を使って人類に情報を与えようとしたことが、彼の病気の原因ではないかと思えるのだ。
荘子も、思考のツールである言葉を使って人類に真実を知らせようとはしたが、自分で「やっぱり言葉では限界がある」と言ったのである。
最近の私は、呼吸法を使って思考を消すことに励んでいるが、やり方の好みは人それぞれだ。








神の真似をすれば神(保存版)

事実かどうかは分からないが、あったとしてもおかしくはないと思う中村天風の逸話がある。
経緯は分からないが、虎かライオンが入った檻の中に指輪が落ちていたらしい。
中村天風は、その中に平気で入っていき、指輪を取って来たという。
また、中村天風の弟子の藤平光一に、こんな話がある。
おそらく、藤平光一が中村天風の弟子になる前の話と思う。
藤平光一は、23歳かそこらで隊長として兵隊を率いて戦場に行ったが、自分より年長の部下達に、自分が頼りになることを見せて安心させるため、銃弾飛び交う戦地を平然と歩いて見せたという。
これで思い出すのが、織田信長がやはり鉄砲の弾が飛び交っている戦場を「わしに弾は当たらん」と言って悠然と歩いたという逸話だ。

論理的・常識的には馬鹿な行為で、無事に済んだのはたまたまということになるが、深い真理から言えばそうではなく、いずれも、やろうと思えば誰でも出来る。
どうやるのかというと、思考を消せば良いのである。
織田信長のセリフを言い換えれば「頭が空っぽのわしに弾は当たらん」である。
まあ、格好よく言えば「無になったわしに弾は当たらん」となるが。

思考を消す最上の方法は、20世紀初頭から今までは「私は誰か?」と自分に問うことだった。
思考する主体である「私」に意識を引き戻すことで思考は消えるのである。
だが、思考偏重の傾向が強い現代では、なかなかこれを続けられる者がいないのも確かである。
そこで、世界コマンドである「私は何も考えない」「われ思わず」などがあり、好きな言葉を常に唱えて思考を消すことに励めば、思考が消えるごとに全知全能に近付く。

教室の記憶
AIアート197
「教室の記憶」
Kay


ところで、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジと宇宙人バシャールが共通のことを言っている。
それは、「振舞うことが最上」「態度は事実より重要」である。
引き寄せ的に簡単に言えば、「金持ちになりたいなら金持ちのように振舞え」である。
ただし、これ(「金持ちになりたいなら金持ちのように振舞え」)自体は、ほぼうまくいかない。
頭で「金持ちらしさ」を考えるからで、それは不自然で、不自然なことをやっていると疲れるので続かない。
振舞うべきは、「思考が消えた人間らしく」振舞うことである。
思考が消えた人間らしく振舞うのは、案外に自然なのである。
なぜなら、本来は、思考が消えた状態が一番自然なのだからだ。
思考が消えた人間のように超然とした表情をし、思考が消えた人間のように静かに呼吸をすれば、すなわち、思考が消えた人間の出来上がりである。
『徒然草』に「狂人の真似をすれば狂人」とあるように、神の真似をすれば神である。
そして、神とは思考を消した人間なのである。
ひろさちやの『空海入門』には、この「真似てなる」の良いヒントがうまく書かれているように思う。








「らしく」するだけ

引き寄せの方法は1つに集約され、それさえあれば他は忘れても構わない。
私は、『エイリアンインタビュー』を読むことで、結果として魂の波動周波数が上がり、宇宙的規模で考えるようになれば、普通に言う引き寄せなど、その程度の簡単なことだと分かった。
そのやり方とは「らしくする」だけである。
「フリをする」「その態度を取る」「そのように振る舞う」など、言い方はいろいろで、好きなように言えば良い。
金持ちになりたければ、金持ちらしくすれば良いのであり、美人になりたければ、美人の態度をすれば良いのである。

そうであるように振る舞うことが最も効果があることは、宇宙人バシャールもそう言っていたと思うが、あのインドの聖者ニサルガダッタ・マハラジすら、そう言っていたのである。
マハラジの場合、「そのように振る舞う」ことは、体験することだと述べ、体験が最も大事だと言っていたが、なるほど、金持ちのフリをすることは金持ちを体験することである。

「自分は引きこもりだから、振る舞いに行くことが出来ない」と言う者がいるかもしれないが、別にどこにも行かなくても、部屋の中で1人で振舞えば良いのであり、想像の中で振舞っても良いのである。
宇宙的規模で考えれば、百人の中で振舞うのも1人で振舞うのも何の違いもない。
そして、想像世界は現実世界と何の違いもない。
どうしても百人の中で振舞いたければ、想像の中でやれば良い。

「らしくする」とは、表情、ポーズ、行為、言葉において、ターゲット(なりたい人物)がやると思うようにやるのである。
誰かの振る舞いを参考にしたいなら、下手なドラマや映画やアニメより、文学や戯曲の傑作の方が良いが、別に何も参考にする必要もない。
あなたは既に知っているのだ。
あなたは知らないことはない。
そして、実は、最も重要な振る舞いは呼吸で、次が、表情、その次がポーズだ。
恒久的な金持ちの呼吸はどうか、表情はどうか、ポーズはどうか?
考えるのではなく、思い出すのである。
「思い出す」がピンとこないなら、感じるでも良い。
どこかで聞いた「考えるな、感じろ」であるが、やはり、本当は、「考えるな、思い出せ」なのである。
面倒なら、どれか1つで良いが、最も効果があるのは呼吸である。
賢くなりたいなら、賢い人間らしい呼吸をしなければならない。








やりたいことをしないと危ない

願いさえすれば、どんな大きな願いも即座に叶う・・・いや、正しくは「既に叶っている」。
だが、すぐにキャンセルしてしまい、叶っていない状態になってしまう。
受験に合格しているのに、それもキャンセルし、不合格にしてしまう。
そんなふうに、ガッカリすることを繰り返していると、どんなふうにガッカリするかが願いになる。
1点で不合格になるか、全くお話にならない成績で不合格になるか、どっちにしようかなんてね。

なぜ、ガッカリ体験ばかり選ぶのというと、やっぱり、好きなことをしていないからだ。
自分が好きなこと、やりたいことではあく、褒められることというか、怒られないことばかりするからだ。

イタリア映画『愛のほほえみ』で、可愛い少女オルガは言う。
「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」
彼女に、あれは駄目これも駄目と言う大人が、いつもガッカリ体験しかしていないことを、オルガは見抜いているのである。
つまり、「やれ」と言われることは全部面白くなく、「やっちゃいけない」と言われることは大抵面白いんだ(笑)。
確かに、我々だって、テレビが「やると良い」と言うものは全部「やるべきでない」とし、テレビが「駄目ですよ」と言うなら「なら良いことなのだな」と思えば、大体正解なのだが、やはり大人なら、自分が好きなこと、楽しいと思うこと、面白いと思うことを自主的に選んでやるべきである。
それが人に迷惑をかけるようなことでなければ、遠慮なくやれば良い。
そんな心構えでいれば、願ったことはどうせすぐ叶う・・・いや、叶っているのだが、それをキャンセルすることはない。

岡本太郎は「嫌われたっていい。いや、嫌われないといけない」と言ったが、人間として、好きなこと、楽しいこと、面白いことをやれば、世間の人々には嫌われることが多いからそう言ったのである。
だが、本当に好きなことをやっていたら、そのうち、嫌われなくなり、好かれるようになってくる。
実際、岡本太郎のような、超変なオッサンだってアイドル並に好かれていたじゃないか?(笑)
でも、「好かれよう」と思ったら、やっぱり鈍ってくる。
好かれる、嫌われるには無頓着で、とにかく、自分が楽しいことをするのだ。
宇宙人バシャールも、そういう意味でワクワクすることをやりなさいと言っただけで、ワクワクしてボランティアをするような者達は、まあ、本当に楽しいのかもしれないが、多くの場合は、やっぱり他者の承認を求めているだけなのだ。

こんなこともある。
強く願ったことに対し、「叶わくなくて良かった」と思う。
彼女にしたい女の子が、実はかなり性悪だったと、後で分かった場合がそうだ。
実はそれ、いったん、彼女にして、散々酷い目に遭った後で、自分で意図的にキャンセルした場合が多いのだ。
その子を彼女にした記憶がなんとなるあるようなら確実にそうである。
実際、人生なんて、ところどころ、妙に記憶が途切れていたり、2重の記憶があるものなのだ。
願った時にはもう叶っている・・・すでにある・・・を知っていれば、その謎が解け、そして、正しいことが出来るようになる。
記憶の改ざんや、デジャヴュ―(既視感)なんてのも、上で述べたようなことが原因である場合が多い。
とにもかくにも、やりたいことをやることである。








なぜ出来るようになったのかは謎

プロ野球選手に、「どうやったらプロ野球選手になれますか?」と聞いても、聞かれた方は困るだろう。
せいぜいが、「一生懸命練習しろ」としか言えないが、人気者だと、もっと気の利いたことも言わないといけない。
しかし、言う通りにやっても、ほとんどの人がプロに入れない。
そんなことは、聞かれた方も分かっている。
じゃあ、「才能と運と努力」かというと、そのようにも思えるが、つまるところ分からないのだ。
これは、プロのオーケストラの演奏者とか、売れる俳優とか、食えるYouTuberとかいった、「なるのが難しい」職業全般に言える。

では、私のようなプログラマーはどうかと言うと、なるのはそう難しいことではないと思われるので、ありきたりな勉強法とか、就職の仕方を一通り言うかもしれない。
しかし、実際には、それよりも先に、「どうやったらプログラミングが出来るようになるか?」と聞かれたって、真面目に答えるのは難しいのである。
出来る人にとっては、むしろ簡単なことなのだが、プログラミングをやろうとしても出来ない人もいる。
イギリスのある大学の調査では、その大学の情報学科に入った学生でも、6割はプログラミングをマスター出来なかったという話があるくらいだし、昔、パソコンで、ほぼBASIC言語しかなかった時代、この最も易しい(と言われる)プログラミング言語をマスター出来るのは10%だと言われたこともあった。
記憶にある範囲で言えば、私は、毎日、プログラミングの本を買って帰り(大抵の本は挫折したのでw)、夜に2時、3時までパソコンに向かって、BASICとアセンブリ言語とC言語をますマスターした。
ただ、知り合いのプログラマーは、「C言語?あんなの一夜漬けでマスターしたよ」とか言っていたが、そう言った直後、鼻が伸びてたなあ(嘘)。
いや、これは「マスター」の意味合いの問題で、どんなプログラミング言語にも、トラブルを経験しないと分からないような重要な特製もいろいろあるので、いかに天才でも、本当にマスターするには、そこそこ時間がかかるのである。
そして、本当のところ、プログラミングだって、どうやれば出来るようになるかは分からないのだ。

実際のところ、「どうやれば、あなたのようになれるか?」と聞かれ、「はい、こうすればなれます」と言える種類の能力などないのだ。
あるとしたら、スマホの使い方とかいった、本当にやりたければ、聞くまでもなく誰でも出来ることだ。

なかなか出来ないことを、どうすれば出来るようになれるのだろう?
私の場合、せいぜいプログラミングしか分からないが、自分では、努力の末に出来るようになったと記憶している。
しかし、本当かなあと思う。
というのは、考えてみれば、大したことはやってないからだ。
では才能があったのかというと、かなりマスターまで時間がかかっているので、そうでもないと思う。
本をそれなりに読み、本に載っているプログラムをそのままキーボードでタイプし、後は・・・記憶にない(笑)。
「世界5分前仮説」という、実は、この世界は5分前に出来たばかりで、それ以前の記憶は捏造であるという仮説がある。
それでいえば、5分前、私は、プログラミングが出来る状態で出現しただけということになり、案外、これが一番納得出来る(笑)。
丁度、普通の家に住んでいる人が、夢の中で宮殿に住んでいても、ちっとも不思議に思わず、自分はずっと、この宮殿で暮らしていると思うようなものだ。
支持する物理学者も決して少なくない「多世界解釈」では、この宇宙は1つではなく沢山あり、さらに新しい世界がぱっと生まれる。
これらの宇宙は、他の宇宙と似ているが、異なっている部分がある。
小さいことでは、この宇宙では自分は青い服を着ているが、別の宇宙では赤い服を着ていたり、ある宇宙では平凡なサラリーマンだが、別の宇宙ではサッカーのスター選手だったりする。
だったら、この宇宙ではプログラミングが出来なくても、自分がプログラミングが出来る宇宙だってある。
漫画・アニメの『ツバサ・クロニクル』(CLAMP著。漫画のタイトルは『ツバサ』)や、筒井康隆さんの『果てなき多元宇宙』は、そんなことが描かれたお話だ。
宇宙人バシャールによると、他の宇宙とくっつくことも出来るそうだが、案外、たびたびくっついているのかもしれない(バシャールのどの本に書いてあったかは知らないが)。
好みの宇宙とくっつくには、その宇宙に親しみを感じれば良いのだと思うが、ここに挙げた本で自分で考えると分かるように思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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