ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ノワール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

パラレルワールドの遊び方

パラレルワールド(並行宇宙。並列宇宙)の考え方に馴染むほど、引き寄せは上手くなる。
いや、引き取せる必要すらない。

『ノワール』という、2001年のアニメがある。
その中で、殺しのスペシャリストである少女、クロエが、恨みと怒りを込めて、こう叫ぶ。
「私だった!私のはずだった!」
どういうことかというと、夕叢霧香(ゆうむらきりか)のパートナーになるのは自分のはずなのに、その位置には、ミレイユ・ブーケが収まろうとしていた。
クロエは、幼い時から霧香に憧れ、ずっと霧香のパートナーになりたかった。
そのために、あらゆる試練を乗り越えてきたのに、その夢を壊され、そう叫んだのだ。

クロエに並行宇宙に関する理解があればと思う。
自分が霧香のパートナーになる世界もあれば、ミレイユが霧香のパートナーになる世界もある・・・それだけのことだ。
いや、想像さえ出来るなら、自分とミレイユがパートナーになる世界だってあるのだ。
そして、好むか好まないかに関わらず、クロエは、霧香とミレイユがパートナーになった世界にフォーカスした・・・つまり、それが自然なことに感じてしまっていたのだ。
それが嫌なら、自分と霧香がパートナーになった世界を想像して、その世界を作り、その世界にフォーカスして自然に感じれば良いだけだ。
すると、
「あれ・・・霧香とミレイユがパートナーになっていたみたいだけど・・・気のせいかしら」
と思いつつ、霧香は自分のパートナーなんだから、変なことを考えたものだと思って、思わず笑ってしまうのだ。

では、あなたの憧れのあの子(その人)が、ライバルにかっさらわれたとする。
それも1つの世界だ。
では、自分が彼女とねんごろになったことを想像して、そんな楽しい世界を生み出すことだ。
ただ、この時点では、その「素敵な世界」は、フォーカスが合っておらず、非現実感が強く、まだ、夢や白昼夢のようなものだろう。
フォーカスを合わせるには、イメージを鮮明化すれば良いのだが、大抵の人は、そこでまずいやり方をする。
つまり、彼女(彼氏)とデートしたり、いちゃいちゃしたり、エッチなことをするところばかり想像する。
それは非日常なので、自然でなく、フォーカスが合わない。
そうではなく、もっと、さりげない場面を想像するのだ。
「フォーカスが合う=自然であること」だ。
楽しさは感じても普通に会話しているところ、近くにいる彼女の髪が不意に風になびくところ、2人でごく普通に買い物をし、店員にお金を払うところ。
そういった、「さりげない」ことを、静かに想像するのだ。
さりげなさが自然さなのである。
「さりげなく」が超重要なキーワードである。

希望の大学の入学試験に合格する世界は、ちょっと想像したら、すぐに生まれる。
しかし、ほとんどの人は、古い引き寄せの本にあるように、合格発表を見て歓喜したり、親や友達が祝福してくれるといった、「さりげなさ」とは程遠い、非日常の想像をするのだ。
そうではなく、嬉しくはあるが、普通に大学に通学し、当たり前に講義を受ける場面を「さりげなく」想像するのだ。

重要なので繰り返すと、好みのパラレルワールドにフォーカスする鍵は「さりげなく」である。
ところで私は、子供の時に、大怪我で入院したような想いがあるのだが、そんな事実はないようだ。
つまり、別の並列宇宙で、子供の時に事故に遭ったのだが、そんなものがない今の宇宙にフォーカスを合わせており、入院した方の世界にはフォーカスが合ってないので、夢幻にしか感じないのである。
あるいは、昔のことだが、ある女の子に、「君、ずっと前に付き合っていたよね」と言い、「何、この人。キモいんですけど」って目で見られた(笑)。
まあ、そんな世界に居たこと(フォーカスしていたこと)もあるのだろう。








S.パパートと川上量生さんの頭を良くした鍵をあなたに

カドカワ社長でドワンゴ会長の川上量生さんの口癖は「だいたい」であるようだ。
だから、私は、川上さんというのは、頭の良い人だと思うのだ。
どういう意味かというと、試しに、子供に尋ねてみると良い。
(男の子用)「君のクラスで一番可愛い女の子は、だいたい、どんな子だね?」
(女の子用)「君のクラスで一番格好良い男の子は、だいたい、どんな子かな?」
うまく答える子は、頭の良い子だが、うまい答にも個性があって面白いことだろう。

「だいたい」は、漢字で「大体」で、だいたい「おおよそ」って意味だ。「あらかた」でも良い。
辞書によれば、「細かい点を除いた主要な部分。また、全体を大づかみにしたところ。」である。
そして、ものごとの主要な部分を的確に捉え(理解し)、表現出来るのは、頭の良い人の特徴なのである。
これを、難しく言えば、「概念を掴む」とか「抽象化する」と言う。
「抽象概念」という言葉は、だいたい同じ、「抽象」と「概念」をくっつけた言葉だ。

だから、頭の良い人のことを小難しく言うと、「概念を掴む能力が高い」とか、「抽象化する能力が高い」と言うのだ。
ところが、闇雲に、概念化、抽象化しようとするのは、効率が悪いのである。
頭の悪い人は、そんなことをしているのだ。
知識が多かろうと、IQが高かろうと、概念化や抽象化の方法を知らない人は、なぜか「グズ」なのである。
逆に、ものをあまり知らなくても、少々IQが低くても、概念化、抽象化のテクニックを持っていれば、さらには、その達人であれば、無茶苦茶賢いのである。

シーモア・パパートという、無茶苦茶賢い人がいる。
数学者、心理学者、コンピューター科学者、教育学者、人工知能研究家で、そのいずれも世界でトップクラスだ。
ある世界最高クラスの心理学者に、「人類最高の数学教師」と言われたこともあった。
そのパパートの『マインド・ストーム』という本に、彼の能力の秘密が書かれている。
パパートは、自分は平凡な能力の持ち主と言う。
「またまた、そんなご謙遜を」
というか、そりゃ、身長177cmで股下85cmの人が、「僕の脚の長さは平凡だ」と言うくらい嫌味だ。
藤原竜也さんですら、公式プロフィールで、身長178cmで股下81cmなのだが、写真で見ると、ちゃんとスタイル良いのだから。
でも、パパートの頭の良さは、藤原竜也さんのスタイルのように、平凡でも、際立つ秘密があるのだ。

パパートの秘密は、4歳くらいの時、自動車のエンジンを見て、当時の自動車のエンジンはそうだったのかもしれないが、歯車が動くのが見えたか、見せてもらったのだろう。
パパートは、その歯車に「惚れ込んでしまった」のだ。
歯車に恋したのだ。
そして、彼は、何でも歯車で考えるようになった。
算数や遊びの計画、女の子の口説き方まで、頭の中で、いくつかの歯車を用意し、それを動かせば、何でも答が出た。
そして、それは、高等数学でも同じように役立ち、彼は、一生、熱烈に恋した歯車さんと仲良くしているのだ(今後、離婚するかもしれないが・・・)。
こんなことを言うと、「頭の悪い」教育サービス業者は、
「じゃあ、パパートの歯車セットという教材を作って売ったら儲かるぞ」
とか言うのである。
似たようなことやってる教材会社はよくある。
嗚呼・・・頭の悪い連中だ。どの会社とは言わないが・・・。
パパートは、あえて言うのだ。
「惚れ込んだってのが大切なんだ」
彼は、歯車に惚れ込んだから、歯車の霊が助けてくれた・・・まあ、だいたい、そんな感じだ(嘘だ・・・笑)。

だからね、あなたも、パパートにとっての歯車のような、概念化、抽象化の鍵を持つべきなんだ。
それで、川上量生さんの、概念化、抽象化の鍵は何かというと、これはもう、ずばり、「ボードゲーム」だ。
ボードゲームとは、盤上ゲーム・・・つまり、チェス、碁、オセロ、バックギャモン、日本には、囲碁、将棋がある。
確かに、ボードゲームは、抽象化、概念化、「だいたい」化のテクニックを磨く素晴らしい遊びだ。
コンピューターゲームも良いが、こんなアナログゲームも実は素晴らしい。
川上さんも、ボードゲームで頭を鍛えたのだろう。
まあ、今は、スマートフォンで使える、無料のボードゲームもいっぱいあり、かなり手強いものが多い。
川上さんは、世界最強の人間の囲碁棋士に勝った、Google傘下のDeepMind社が開発したAlphaGoという囲碁ソフトを超えるものを作ると宣言した。
きっと、「やってくれるでしょう(※)」。
※アニメ『ノワール』で、夕叢霧香とクロエをノワール(最強の殺人者ユニット)にし、ソルダ(殺し屋組織)を支配しようとするアルテナの野望を打ち砕くべく送り込んだミレイユ・ブーケに対し、ブレフォールが言った言葉。あまりにマニアックだが、私には印象深い。ミレイユは、技量では霧香やクロエに劣るが、ミレイユには何か得別なものがあった。









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呪文とアファメーション

呪文とアファメーションはどう違うのだろう?
アファメーションとは、「私は億万長者になる」とか、「私はこの会社の重役に相応しい」といった、肯定的な言葉で、有名なものでは、
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
といったものがある。
呪文も、それらと似たようなものもあるだろう。
たとえば、心理学者の河合隼雄さんの好きな呪文は、
「ふたつよいことさてないものよ」
「人の心などわかるはずがない」
だったようだ。呪文を唱えると、心が収まると言う。

アファーメーションとは、願望や欲望の言葉である。
勇気を起こすための言葉とも言えるかもしれないが、やはり、本質は、願望や欲望なのだと思う。
一方、呪文とは、「真理」なのである。
真理と言える言葉を唱えることによって、心が真理である自然、宇宙、あるいは、神に同調して、動揺がなくなり、静かで平安な状態になる。
当然、河合さんの言われる通り、心が収まるはずである。

呪文とは言っておられなかったが、超人的な合氣道家の藤平光一さんが著書に書かれていた、「重みは下にある」という言葉を言えば氣が出るというのも、真理の言葉を唱えることで、心が宇宙大自然と調和する結果なのである。

ところで、「私は神である」というのも、根本的には真理であるから、優れた呪文ではあるが、自我が神であるとは言えないので、よほど心が静かな状態でなければ、ややノイズが入る。
そこで、普通は、「私は本当は神である」と唱えた方が良いだろう。こちらであれば、特に問題はなく、神秘な力を得るだろう。

私の好きな呪文に、『NOIR(ノワール)』というアニメで、イントッカービレ(イタリア語。英語のアンタッチャブル=侵すべからざる者)と呼ばれる、レディー・シルヴァーナが、少女の時に言った言葉がある。
シルヴァーナと、幼い時のミレイユ・ブーケは、断崖絶壁の上に立ち、はるか下の海を見下ろしていた。
「こわい・・・」
と震えるミレイユに、シルヴァーナは言ったのだ。
「私に恐れはない」
真の自分(神)は恐れない。
だから、この言葉を呪文として唱えると、宇宙の真理を表明すると共に、自我が真の自己である真我(神我)と一致してくる。
そして、実際に、一切の恐れは去り、無限の力と同調し、不可能はなくなる。
私は、この言葉を呪文としている。
ちなみに、今、Amazonで、『NOIR(ノワール)』のDVDが、叩き売り状態だ。
しかし、素晴らしい名作アニメと思う。









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何が起きても平然としていた人達の素敵なお話

本日は、日本全国各地で荒れた天気であったと思う。
しかし、それだけのことだ・・・というのが、今回のテーマである。

よく、「雨が降ったら憂鬱」という言い方をするが、なぜそうなのだろう?
雨が降っている時に道を歩いていて、近くを自動車が走ると、私も嫌な気持ちになっていたものだ。
アスファルトに溜まった水が、自動車のタイヤにはじき飛ばされ、自分の方に飛んでくるような気になったからだ。
しかし、実際にそんなことになった記憶がない。
つまり、多少気を付ければ、そんな被害に遭うことはまずないのだ。
万一、水をかけられたとしても、それは不運だったというだけのことだ。忘れるしかないじゃないか?
それなのに、どうも気になっていたのだ。
なぜだろう?

それは、私にとっては、小学1年生の時、授業で、「雨が降って良いこと、悪いこと」といった課題が扱われたことが原因だったのである。
先生のその質問に、子供たちが手を上げて答える。
良いこととしては、「農家で作物が育つ」などと発言した子がいたが、私には思いつかないことだった。私は、「君んち、農家だったの?」と思ったものだった。
「カエルが喜ぶ」
君、カエルと話が出来るのかい?(凄いな)
実際、ほとんど私には言えないようなことばかりなので、私は、「こいつら天才か?」と思い、アホな私がこんなとこにいてもいいのだろうかと真剣に思ったものだった。
しかし、カラクリが分かった。
それは、こんな問題は、小学1年生用の立派な試験問題でもあり、教科書だったか、副教材だったか忘れたが、ちゃんと答が書いてあるのだ。
そして、「雨が降ったら嫌なこと」の中に、「車に水をかけられる」というのがちゃんとあり、ご丁寧に、迫真に満ちた絵まで描かれていた。自動車がはじいた水をかけられる寸前の、悲鳴でも上げていそうな、同い年(小学1年生)くらいの子供達だった。
よっぽど運の悪い子だろう。
そして、先生の「雨が降ったら、どんなことが嫌ですかあ?」の質問に、「ハイ!」と元気よく手を上げ、指名されたら、「車に水をかけられること!」と答えれば、よく出来ましたであり、試験問題にもそう解答したら、○(丸)なのである。
私も、授業中の指名対策、および、試験対策として、それを憶えてしまった。
それが不幸の原因だったのだ。

私は一度もなかったが、雨が降って、道に水がたまり、私の近くを無神経なドライバーが運転する自動車がスピードを落とさずに走り過ぎ、そのタイヤがはじいた水が、絶妙なタイミングで私に襲い掛かり、結果、私がパンツの中までぐしょぐしょになったとする。
だが、それを悪いこと、嫌なことと思わなければならないという決まりなどないのだ。
実際、それはただの出来事だ。
それに良い悪い、好き嫌いの判断をするのは人間だ。
そして、そんな是非好悪の判断をすることが、人間の不幸の原因なのである。
学校は、不幸な子供生産工場なのかもしれない。

別の面白い例で考えてみよう。

谷川流さんの小説、『涼宮ハルヒの驚愕』の初回限定版の付録の小冊子『涼宮ハルヒの秘話』では、主人公のキョン(高校2年生男子)が中学3年生だった時の思い出話が語れている。
夏のある日、学校から帰ったキョンは、クラスメイトの、変わり者の女友達である佐々木と、自転車の二人乗りで塾に向かっていた。
だが、その時、激しい夕立となってしまう。
荷台に乗っていた佐々木が言う。
「このままじゃパンツの中まで濡れ鼠だ。どこかで雨宿りしよう」
読んでいる私はなかなかドキっとしたが、キョンが認識したのは、「雨宿りしよう」だけだった。キョンは、その時も、それからも、佐々木を女だと認識していないのだ。彼にとっては、彼女は男友達と変わらない。
ずぶ濡れのセーラー服の佐々木を無頓着に見るキョンに、佐々木は、「あまりこっちを見ないでくれないか」と抗議しいても、キョンには意味が分からない。佐々木の夏服のセーラー服は、スケスケだったのだが・・・
そんなキョンに、佐々木は、「やれやれ」と頭を振り、「君は時々忘れるようだが、僕は遺伝子的に紛れもなく女なんだよ」と戒め、やっとキョンは、不本意ながらだろうが、佐々木に謝る。
佐々木も、「僕の貧相な胸部なんてマジマジと見たところで益にはならないだろう?岡本さんのならまだしもさ」と、自分と違い、見ごたえ十分の豊かな胸を持つ、色っぽい女子クラス委員長を引き合いに出して、キョンを放免せざるを得ないことを認める。
佐々木は、胸のことだけでなく、自分のことを「僕」と言い、クラスメイトの男子を「君」と呼ぶ、そして、やたら理屈っぽく、やや女らしさに欠けるところがあった。
しかし、実は、佐々木は大変な美少女なのだ。
この付録の、いとうのいぢさん描く、中学生の時の佐々木が可愛い。こんな姿の佐々木と雨宿りして平気だったキョンは大したものである。

長い引用だったが、キョンや佐々木にとって、雨は確かに不都合であったが、別に好きでも嫌いでも無いし、良いとも悪いとも思っていなかった。
単に、雨が降ったというだけのことだ。
また、この時のことは思い出にはなったかもしれないが、2人はそれを特別とも見なしていないだろう。
我々も、出来事に対し、そのようでなければならない。
荘子は、全てをあるがままに見、思慮分別を離れ、是非好悪の判断をしないことが、永遠の道(タオ)と一体化するために必要な態度であると述べたが、これが2400年伝わっている至高の英知なのである。

アニメ『ノワール』の第4話『波の音』で、政情不穏な国を狙い、武器調達や兵士の派遣、さらに、軍事訓縁といったビジネスで稼ぐハモンド社長は、殺し屋に殺害された2人の部下について、
「あいつらは不運だった」
と言って、一瞬、険しい顔で目を閉じるが、すぐに不適な顔に戻り、
「が、それだけのことだ」
と言う。
私は、その場面を妙に気に入ったのだが、悪人ながら、出来事に感情的に反応しない態度だけは立派なものだと感じたのだ。
別に、彼は、部下のことを嘆いたのではないだろうが、「次は自分」と恐怖しないところが素晴らしい。
そんな冷酷非道なハモンドも、別れた妻との間の娘ロザリー(15歳)を愛していた。
普段、ロザリーに優しい顔を見せることはないが、社長室のデスクに、明日、誕生日を迎えるロザリーの写真と、さっき購入した、彼女へのプレゼントの包みを見て微笑む。それは、ただの父親の顔だ。
その目の前に、霧香が現れ、無表情にハモンドに銃口を向ける。
全てを悟ったハモンドは穏やかな顔だった。さすが、ただ者ではない。
だが、ハモンドは一瞬、ロザリーの写真とプレンゼントに目をやり、表情を曇らせる。
霧香は眉一つ動かさずに引き金を引き。仕事は終わった。
霧香は、そこを離れ、全くの平静さを持って歩いていると、向こうから、オレンジが入った袋を抱えたロザリーが歩いてきた。
ロザリーの顔を知っている霧香は、一瞬表情を変えるが、すぐに無表情に戻った。
だが、ロザリーの持った袋からオレンジがこぼれたのは、神のいたずらか。
霧香は、自分の方に転がってきたオレンジを拾うと、ロザリーの抱えた袋に入れた。
自分とほぼ同い年の霧香を見て、親し気に微笑むロザリー。おしゃべりでもしたかったのだろう。しかし、霧香は、そっけなく行ってしまう。一瞬、当惑したロザリーだが、すぐに明るい顔に戻って、足早に歩き出す。
いつも冷たいが、本当は彼女も大好きなパパのところに行くのだろか?既に、彼女を見ることもないパパのところに。

制作者が意図的にやったのかどうかは分からないが、登場人物達が、出来事に感情的に巻き込まれないところが、なんとも素晴らしい作品であった。
霧香も、ハモンドも、ロザリーも、ただ殺しの劇を演じた役者のようだ。
我々も、どんな運命であろうと、このように人生という劇を演じなければならない。
我々はただ、神の決めたシナリオ通りに人生という劇を演じる役者である。それが幸福であろうが不幸であろうが、我々に何の関係があろう。
ウィリアム・バトラー・イェイツ(「20世紀最大の詩人」と言われるアイルランドの詩人)は、『ラピス・ラズリ』という詩に、「主役を演じるほどの役者は、自分が泣いたりしない。なぜなら、ハムレットもリヤも陽気だからだ」と書いた。
自らも最高の劇作家であったイェイツならではの洞察であろう。
シェイクスピアが陽気であることを、イェイツは知っていたのだ。
我々の運命を書いた神も陽気なのである。
それなのに、役者である我々が深刻振っては滑稽であろう。









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汚い仕事

『ノワール』というアニメの『地獄の季節』というお話で、チェコスロバキア出身の傭兵(やとわれ兵)の青年ミロシュ・ハメルが、自分の仕事を、「きれいな仕事のはずがない」と言ったのが、私にはとても印象的だった。
彼は傭兵の中でも外人部隊に所属していたのだが、それは、自国の兵隊にやらせる訳にはいかない仕事を請け負うといったものだろう。
どんな仕事かは述べられなかったが、非道なほど過酷で危険な、あるいは、卑怯で残虐な任務ということだろうと思う。
まあ、我々日本人には完全に異世界のものだろう。
ミロシュも、見た目は普通の少女である霧香(ヒロイン)に、「君みたいな女の子には想像もできない世界だろう」と言ったのだった。
もっとも、霧香は小さな声で、「そんなこと・・・ないです」と言うのだが(霧香はもっと「きれいでない」仕事をしていた)。

違う意味での、きれいでない仕事・・・すんなり言えば、汚い仕事は、日本にだっていくらでもある。
無能唱元さんという、「あなたの願望は絶対叶います」式の成功法則の本を沢山書いているお坊さんが、『心配するな、なんとかなる』という本の中で、「不況といったって、選ばなければ日本にはいくらでも仕事はある」と書いてあるのを見て、私は、「困った言い方だ」と思った。
私が、ニート明けに初めてやった仕事というのが、そんなものだった。
行けば、誰でも入れてもらえる職場である。
今思えば、ミロシュが言ったように、「きれいな仕事のはずがない」と分かるのだが、当時は分からなかったし、親だってそんなダークな世界のことは知らない。
「どんな仕事でもがんばれよ」と気楽なものだ。
人を騙しても、脅しても、利益を上げれば正義という世界だ。ただ、やくざ組織ではないので、暴力的なことはしないし(私には無理だし)、「騙す」という表現は嫌って、「夢を与えると思えばいいのだ」と言われながらやったが、無論、勝手な言い分だ。
だが、騙さなければ食べていくことが出来ない。
そもそも、勤めていると言っても、給料が出るなんて保障は全くなく、実際、早朝から深夜まで休みなく働いて、月給5千円なんてこともある。
通勤費が無くて(職場が出してくれるはずがない)、改札を通らずにホームに忍び込んで電車に乗って通勤してたなんて人が実際にいた。彼に悪意なんて無い。仕方がなかったのだ。私には、そんな人を捕まえる警察の方が異常に感じていたものだった。
10人入ってくれば、翌月に1人残っていればマシな職場だった。
だが、いわゆる「過去のある人」なんてのがそんなにいた訳でもなく(つまり、多少はいるのだが)、ほとんどが、真面目で優秀な、そして、普通よりまともな人ばかりだった。
優秀というのは、謙遜でも何でもなく、私よりずっと優秀という意味であるのだが、私は、その後、有名大・院卒ばかりの会社に入ったのだが、断言するが、その転落組の人たちの方がはるかに優秀だった。もちろん、試験の点を取る能力ではなく、お金を自分で稼いだり、難しい人間関係を解決するという本物の能力のことである。
先ほど、「過去のある人」は少なかったと書いたが、私の知り合いには、もろに「その方面」の職場に「就職」していた人がいるが、彼が言うには、そんなところの人達は、エリート企業の人達よりずっとまともらしい。彼は、後に立派な会社を作り、そんな立派な企業との付き合いがある上で言ったのだった。

不都合だらけのデタラメな職場で世間に蔑まれながら、安い給料で働く者と、快適な職場で、良い給料で胸を張って働ける者との違いは何かというと、それは、ただ運命である。
「引き寄せの法則」とか「潜在意識の法則」といった、世間で言われるような方法とは異なる方法で願望を叶えるという、成功法則・成功哲学は、一部の人には人気があっても、ほとんどの人達は、そんなものについて全く知らないものだ。
そういったものに興味を持つのは、やはり、悪い状況にある者、上手くいかなくて苦しみ悩んでいる者だろう。
だから、統計調査でもすれば、そういった成功法則の本を読んで、実際に行っている者と、そんなものを全く知らない人では、後者の、そんなものに関わらない者の方が、成功度や収入はずっと多いだろう。アメリカのマイク・ハーナッキーという作家は、そんな本を読んでも、全く効果がないという統計調査までは突き止めていた。

引き寄せの法則にしろ、潜在意識の法則にしろ、その他、様々な、成功する方法にしろ、やるなら、必ず熱心に、毎日欠かさずやるべきである。
なぜなら、いい加減にやっていると、少なくとも20年、下手したら、30年、40年も経って、ようやく、「何の効果もないのだな」と挫折することができるが、その時はもう年だ。
しかし、熱心に、命がけでやれば、5年程度で挫折することが出来る。
全てはただ運命であり、上手くいかなくても、その者自身には何の責任もなく、もし、責任があるとすれば、運命を定めた神にある。
そして、自分が全くの無力で、人生で起こる出来事は、自分の意志など、何の関係もないということを悟ることが出来るかもしれない。
そうなった時に、ようやく、真の幸福に至る道を歩み始めるのである。
それは、決して、世間で全く成功せず、貧困な状況にある者のことばかりではない。本当は成功して金持ちになった者の方が惨めさを感じているのであるが、彼らがそれを、認めることは難しい。だから、あまり世間で成功しない方が幸せであるとは言える。
釈迦やイエスが、あるいは、老子や荘子が、また『バガヴァッド・ギーター』の至高神クリシュナや、近代の賢者達が示した、真の平安というものは、そちらに目を向けること自体が稀なのだ。そのためには、世間で挫折し、そして、素直に自分の無力を受け入れる必要があるのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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