ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ネヴィル・ゴダード

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

引き寄せを超える魔法力

私は、幼い時に使っていた魔法的な最強の引き寄せの力を思い出そうとするが、まあ、普通はそこまでの力は必要ないので、なおざりにしてきた。
しかし、この力を大人になってから使ったことがあり、それは、私が社会人になって初めてやった仕事であるセールスマンで成果を上げるためであった。
ちょっとやり方を書いておく。
やり方が分かれば、無理そうなものを一気に引き寄せたりするのに使えるかもしれない。

セールスの会社に入ったばかりの時、セールスコンテストが実施された。
その月の売り上げで競うのであり、セールスマン全員が自動的に参加となった。
月収数百万円の強豪もおり、優勝は私には縁のないことと思われていたと思う。
その月、私は新人ながら、そこそこの売り上げを上げていたが、ずっと優勝圏外であった。
しかし、最終日に大口の契約2件を決め、なぜかライバルの強豪達が契約がなかったこともあり、私の逆転優勝となった。
どうやったかというと、優勝は意識せず、目標金額を決め、その金額を「意識していた」。
たとえばそれが2千万円なら「2千万円、2千万円、・・・」と唱えるのではなく、また、なんらかのイメージをするのではなく、ただ「意識していた」のである。
私が、幼い時に使った魔法の技法は、まさにこれだった。

似たやり方が、サン・テグジュペリの『星の王子さま』にある。
『星の王子さま』の中で、「ぼく」が王子さまにヒツジの絵を描くように頼まれたが、「ぼく」は絵が得意ではなく、どう描いても王子さまは気にいらない。
そこで、「ぼく」は、穴がいくつか空いた箱を描き、王子さまに「ヒツジはこの中にいる」と言ったら、王子さまは満足した。
この時、「ぼく」は、箱の中のヒツジをイメージしたわけではないが、箱の中にヒツジがいることを意識したと思う。
同じように、欲しいものがあったら、箱でも描いて、その中に望みのもの・・・あるいは、望み以上のものがあると「意識する」のである。
そして、これはあくまで「ぼく」のやり方で、「意識する」のヒントにするしかない。

ちょっと難しいかもしれない。
だが、本当の魔法はこんなもので、本来、子供は造作もなくやってのける。
だが、これこそ魔法で、最強の引き寄せだ。

波の音
AIアート570
「波の音」
Kay


尚、実を言えば、上のセールスコンテストの際、私はジョセフ・マーフィーの方法を使っていたつもりだったし、それもあったと思う。
しかし、本気になった結果、幼い時の魔法の力を無意識に使ったのだ。
その威力はやっぱり凄かったわけだ。
ところで、この魔法の使い方を書いた本がないのかというと、ある。
それが、ネヴィル・ゴダードの『世界はどうしたってあなたの意のまま』で、原題の『At Your Command』は、ビートルズの『ひとりぼっちのあいつ(Nowhereman)』の歌詞にもなっている。

The world is at your command.
世界は君の意のままなのさ

私は、ネヴィル・ゴダードのことなど全く知らない時から、ビートルズの『ひとりぼっちのあいつ』が大好きで、上の歌詞を非常に印象深く憶えていたのだ。
尚、ネヴィル・ゴダードは、ジョセフ・マーフィーと友好があり、マーフィーが「本物の天才」と呼んだ人物である。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(2)星の王子さま (新潮文庫)
(3)「心の法則」を使ってお金を引き寄せる方法! 水をぶどう酒に変える魔法の公式(ジョセフ・マーフィー)
(4)人類史上最大の発見―潜在意識の偉大なる力(ジョセフ・マーフィー)
(5)マーフィー 努力嫌いの成功法(ジョセフ・マーフィー)
(6)ザ・ビートルズ 1962年~1966年(CD)

万能の神になる方法を出来るだけ簡単に書いてみた

『ちびまる子ちゃん』というアニメで、主人公の小学3年生の女の子である、まる子(本当の名はさくら)の頭の中で、天使のまる子と悪魔のまる子が戦うという場面を見たことがあるかもしれない。
悪魔のまる子が、悪いことを「このくらいいいじゃない」「皆やってるじゃない」「バレなきゃいいじゃない」とやることを勧めるが、天使のまる子が、それに断固反対するといった感じのものだ。
いわゆる、エゴと良心の葛藤というやつだ。
普段、我々は、「エゴを無視する」「エゴを黙らせる」「良心に従う」「良心に逆らわない」などと言う。
しかし、それでは何だか、自分の心以外に、エゴ(悪魔の心)とか良心(天使の心)みたいなものがあるように感じる。
では、自分とは何なのだろう?
イエスは「退けサタン!」と言い、このサタンがエゴのことだと言われる。
しかし、心理学では「エゴ=自我=自分」であり、「退け」と言うのは誰なのだろう?
ここらを、皆、あまりに曖昧に・・・つまり、ちゃんと意味を定義しないで話すので、混乱してしまうのだ。
ある人は、自分をエゴと捉えているし、ある人は、自分を良心だと捉え、別のある人は、自分はエゴとも良心とも異なる意識だと思っている。
これでは話が成立しない。

だが、『バガヴァッド・ギーター』に答が書いてある。
『バガヴァッド・ギーター』では、独特の言い方をするが、考え方だけ拝借すると、エゴの性質とか良心の性質というのは、同じ1つの心の様々な性質だ。
心は、エゴの性質が強くなったり、良心の性質が強くなったりするだけで、心以外にエゴや良心があるわけではない。
つまり、エゴも良心も自分の心である。
言ってみれば、「太る」と「痩せる」が、自分の身体とは別にあるのではなく、自分の身体が太ったり痩せたりするようなものだ。

だが、インドの聖者達は、自我(=心)とは別に真我というものがあり、こちらが本物の自分だと言う。
そう言われて分かる人はいない。
インドの聖者達も、いろいろ説明することもあるが、説明が無茶苦茶なので、聞いた人達は混乱するだけだ。
そして、分かった顔で勝手なことを言って商売をする者も多い。
だが、これ(自我と真我の違い)も、心とエゴと良心の話と同じだ。
心の中にエゴと良心があるように、真我の中に自我があるというだけのことだ。
心の中のエゴを大人しくさせれば良い人になるように、真我の中の自我を大人しくさせれば、真我は神なのだから、万能の存在になる。

では、どうしたら、自我を大人しくさせ、真我を表に出せるかというと、インドの聖者達はとんでもなく抽象的で難しいことを言うが、簡単か難しいかはともかく、まずは、自我と真我をはっきり区別出来るよう定義しなければ話にならない。
これは本当は簡単で、自我は「する(行う)」意識で、真我は「在る(存在する)」意識だ。
コーヒーを飲むことを「する」ことは出来るが、「在る」ことを「する」ことは出来ない。どうしたって、最初から在るからだ。
これで、「する」と「在る」が決定的に違うことが分かるだろう。
そして、自分が存在することを意識すれば、万能の神に近付き、何もしなくても何でも出来るようになる。
「自分が存在する」というのを、ちょっと抽象的に思うかもしれないが、「私は存在する」ことは荒唐無稽なことではないので、ちゃんと意識出来るはずだ。
単に、簡単過ぎて戸惑うだけである。
「私は存在する」という意識に、少しずつ馴染めば良い。そうすれば、不可能はなくなる。
どうしても分からなければ、「私は在る」という言葉を呪文、あるいは、マントラのように唱えると良い。
ニサルガダッタ・マハラジは、「私は在る」が最高のマントラだと言ったらしい。

今回の内容は、ネヴィル・ゴダードの『世界はどうしたってあなたの意のまま』にも書かれているが、その本では、聖書を数多く引用し、やや抽象的と感じるかもしれない。
まあ、やや昔の本なので、少々下手なのは仕方がないと思う。








引き寄せは簡単過ぎて分からない

引き寄せというのは、簡単に言えば願望を実現することだが、引き寄せが出来るか出来ないかという言い方は本来正しくない。
と言うのは、引き寄せは誰でも、必ず、今すぐ出来るものだからだ。
つまり、願った瞬間に、それは実現している。
それは、願いの内容に関係はなく、想像出来ることでさえあれば何でも実現する。
(確かに何らかのリミッターはあるようだが、かなり特異なレベルの話であり、リミッターはないと思って良い)
こういったことは、案外に多くの人が知っているが、そう言う人でも、「でも、実現しているように見えない」と言われた時の回答には困り、回答をしても、誤魔化しているようにしか思えない。
だが、誤魔化すまでもなく、単に、願いが実現した後、「そんなことはあり得ない」という想いが、事実上の願望になり、実現する前の状況に戻るだけだ。
だが、一瞬は実現するのだから、喜んで良い。
昔から、文学の世界で「一瞬の夢」という言葉が頻発するのも、感性の鋭い作家は、それに気付いているからだ。

時々、「願望が叶った世界と波長を合わせたら叶う」などという曖昧なことを言う人もいるが、言われても困るだろう(笑)。
だって、願望を想像した時点で波長は合っているのだから。
それで一瞬叶い、すぐに元に戻るだけだ。
で、元に戻らないためにはどうすれば良いかというと、「気楽でいること」「何度も叶えることを繰り返すこと」で、そうであれば、元に戻らなくなる。
おとぎ話で、神様が3つの願いを叶えてくれるというお話があり、大抵は、つまらない願いを3つ叶えることで終わってしまうのである。
しかし、知恵の働く者は、願いが無限に叶うよう願うのだが、そんなことを言うと、皆、「ぽかん」とした顔をするのが私には印象的だった。
「それはいい!是非、そう願おう」なんて、誰も言わないのだ。
それと同じで、叶った願いが叶わない状態に戻らないためには、元に戻らないことを願えば良いのである。
だが、それが分からない人が多いのと、分かってしまうと、もう願わない人が多い。
それが真の願いでないと気付くからだ。

願った瞬間に叶うというのは、物理法則と同じで、確実である。
大昔は、重いものは軽いものより速く落下すると考えられていた。
だが、実際は、高校の物理で学習するように、重さに関係なく、同じ速さで落下する。
それと全く変わらない確からしさで、願ったことは、願った瞬間に実現する。
天動説を信じていようが地動説が正しいのと同様、願った瞬間に叶わないと思っていても叶うのである。
法則が正しいことを理解するには、数式を使う方法と、知恵を使う方法がある。
ところが、重さに関わらず同じ速さで落下するというのは、数式で理解しても、実際に理解したことにはならない。単に数式が分かるだけだ。
知恵で理解するにはどうすれば良いかと言うと、重いものと軽いものをくっつけることを考えると良い。
重いものと軽いものをくっつけたら、最初の重いものより重くなるのだから、もし、重いものほど速く落下するのなら、一番速く落下するはずである。
その矛盾を考えることが出来るかどうかだ。
速いものと遅いものをくっつけたら、速いものよりは遅く、遅いものよりは速くなるはずだ。
納得出来ないなら、重いものと軽いものを、ヒモでくっつけて落とすと良い。
もし、重いものが速く落下するなら、ヒモがたるんでいる間は、重いものの方が速く落ち、ヒモがピンと張ったら、重さは合わさるのだから、スピードアップしてしまうという変なことになってしまう。
ここまで言っても納得しない人はいるだろう。
引き寄せの法則も、物理法則と同じくらい確実なのに、納得しない人は多く、そんな人は、引き寄せていることを信じないのである。
信じていなくても引き寄せているのだが、納得しないので、元に戻ってしまうのである。
では、それをどう解決すれば良いだろう?

この世で最も確実なことは何だろう?
2人の永遠の愛かというと、それは怪しい(笑)。
そもそも、最初から愛なんて存在しないのではということだ。
最も確実なことは「私が在ること」、「私が生きている」ことである。
実感し易いのは、生きていることだ。
それで、昔から人は、「生きている限り願いは叶う」と言ったのだが、やや消極的に「生きている限り失敗していない」と言う場合もあったのである。
これは両方正しく、生きている限り願いは叶うのである。これは信じるべきである。
もっと厳格な真理は「私が在るなら願いは叶う」である。
これはやや難しいが、「存在の自覚」が神なのである。
それを説明したのが、ネヴィル・ゴダードの短い本『At Your Command(翻訳:世界はどうしたってあなたの意のまま)』だ。
難しいが、納得してしまえば無敵だ。
それには、本を読むまでもなく、単に、「私は在る」と思えばよく、とりあえずは、「私は在る」と心で言えば良い。
ニサルガダッタ・マハラジも、最高のマントラ(真言)は「私は在る」だと言っていたようである。
ただ、「私が在る」のは、過去でも未来でもなく、「今、この瞬間」だ。
だから、「今、この瞬間」を意識することが、最もやり易く、また、楽しいのであり、さらに、望まなくても良いことが起こるのである。








これさえ憶えていれば願いは叶う(決定版)

引き寄せ。あるいは、潜在意識の法則で願いを叶える過程が、新約聖書の「マタイによる福音書」の中の短いお話に簡潔に書かれている。
私が好きなお話なので、何度も書いたが、よくよく味わう価値があると思う。

イエスの弟子達が湖の沖に浮かぶ船に乗っていたが、風が強く波が大きかった。
夜が明ける頃、イエスは湖上を歩いて船に向かったが、それを見た弟子達は、幽霊だと思って恐怖し、叫び声を上げた。
イエスは、「私だ。安心しなさい。恐れるな」と言った。
すると、ペトロ(ペテロ)が、イエスに、
「私に命じて、私を水の上を歩いてそちらに行かせて下さい」
と言い、イエスが、
「私は命じる。来い」
と言うと、ペトロは船から降りて水の上を歩き、イエスの方に向かった。
だが、途中でペトロは強い風が吹いていることに気付き、怖くなって沈みかけたので、イエスに助けてくれるよう懇願すると、イエスは手を伸ばしてペトロを捕まえて、
「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」
とペトロを叱った。

マルコ福音書やヨハネ福音書にも、イエスが水の上を歩く話はあるが、ペトロが水の上を歩くのはマタイ福音書のみである。
ルカ福音書では、イエスが水の上を歩く話すらない(最初から船に乗っていた)。

上の話を憶えておけば、どんな願いも叶えられる。
まず、イエスが水の上を歩いたことは、潜在意識との間の壁がない者は、潜在意識の力により万能であることを示す。
ペトロは、その事実を信じ、自分もそれをやるよう命じて下さいとイエスに願ったら、イエスは「私は命じる」と言った。
ペトロの望みは水の上を歩くことだった。
そして、イエスが「私は命じる」と言ったことが重要である。
この「私」は、イエス個人のことではなく、「真の自己」のことで、真の自己が命じたら潜在意識は何でも叶えるのである。
ペトロの真の自己が命じたので、ペトロもイエスと同じように水の上を歩いた。
だが、ペトロは強い風に気付いてしまった。
それまでは、ペトロは風を意識しなかったのである。
意識しないものは存在しないのと同じである。
つまり、一切の困難、問題は、意識するから存在するのであり、意識を逸らせてしまえば存在しない。
ここが、普通の人がなかなか分からないことであるが、引き寄せのマスター達は皆知っている。
理解したければ、ジョセフ・マーフィーが天才と讃えたネヴィル・ゴダードの『世界はどうしたってあなたの意のまま(原題:At Your Command)』に詳しく説明されている。
ペトロは、せっかく望みを叶えたのに、強い風という問題を意識してしまったために、望みが叶っていない状態に戻ってしまったのである。
ところで、少し戻るが「真の自己が命じる」は、どうすれば良いのだろうか?
つまり、どうすれば、自分が願うことを、真の自己に命じてもらえるのだろうか?
何もする必要はない。
願望が浮かんだ瞬間に、真の自己は「それを得よ」と命じているのである。
ペトロは、考えて「水の上を歩きたい」と思ったのではない。
ペトロは、イエスが水の上を歩くのを見た瞬間、「水の上を歩く」という願望が浮かんだ。これが即ち、真の自己の命令である。
そして、願望が浮かんだ瞬間に、願望は叶うのである。
これは凡人でも例外ではない。
だが、すぐに強い風(「そんなことがあるはずがない」という疑い)が浮かぶ。
これはエゴの声で、凡人は、真の自分の声ではなく、エゴの声に従ってしまい、願望はキャンセルされ、願望が叶った状態が消えたのである。
イエスは、「なぜ、真の自分の声ではなく、エゴの声を信じたのか」と叱ったのである。

1つだけ付け加える。
願望は真の自分の声であるなら、誰かを殺したいという願望もそうなのだろうか?
そうではない。
誰かを殺したいというのは、真の自己の声を歪んで解釈しただけだ。
誰かを殺したいというのは、欲求を叶えるための短絡的な考えだ。
『南から来た用心棒』という映画の中で、大悪党が初めて殺人をした時のことを語る。殺したのは自分の父親で、その悪党が子供の時だった。
子供の時、彼は、父親の懐中時計が欲しいと思った。
父親は「俺が死んだらお前のものだよ」と言った。
悪党は笑って言う。
「5秒後に俺のものになっていた」
我々は、このように短絡的に考える愚か者になってはならない。








引き寄せのイメージングが苦手な人もこれなら簡単

引き寄せにおいて、願望成就のイメージングをすることは強力な力があるが、イメージングが苦手な人が多い。
願いが叶った時の状態なんて、実際にはどうなるか分からないところが多く、想像力で補完しなくてはならないが、想像力がある場合だって、「この想像は的外れではないのか」という懸念が浮かぶものである。子供の場合はあまりそうではないが、論理的に考えることに慣れた大人、特に頭が良い人の場合はそうではないかと思う。
しかし、それは、イメージングの考え方が間違っているのである。
引き寄せのイメージングは、物理的な状態を思い描くこと自体が目的なのではなく、気分を良くし、心の波長を高めるためのものだ。
フロイトやユングだって、心象イメージは「象徴的」と言っているではないか?
そして、引き寄せのイメージは、象徴による心象イメージよりも、さらに抽象的(曖昧)で良いである。気分さえ良くなれば、心の周波数さえ上がれば良いのだからだ。

実に簡単で、具体的にはこうする。
例えば、今はあまり(あるいは全く)お金がないが、1000万円欲しいとする。
そんな時は、「1000万円が自分の銀行口座に振り込まれたら、どんな気分だろう?」と、その気分を想像するのだ。
そして、すぐ、あるいは、少し慣れたら、こう心で言う。
「1000万円が自分の銀行口座に振り込まれた」
そして、それに対する気分を味わうのだ。
この手順は厳密でなくて良い。
「1000万円が自分の銀行口座に振り込まれたら、どんな気分だろう?」と想像したら、すぐに叶う人もいる。
また、いきなり、「1000万円が自分の銀行口座に振り込まれた」と心で言って、気分を味わうことの方が楽な人もいる。
このあたりは自由にやれば良いし、実際は、どれでやっても、そうは変わらない。
迷ったら、上の通りにやれば良い。

自分の願いに対し、どのように行えば良いかは簡単に分かると思う。
例えば、クラスの可愛いあの子を彼女にしたい場合なら、当然、
「〇〇(彼女の名)が僕の彼女になったら、どんな気分だろう?」
「〇〇が僕の彼女になった」
である。
大統領になりたい場合は、
「大統領になったら、どんな気分だろう?」
「大統領になった」
である。

随分、簡単に言うと思うかもしれない。
しかし、実際、簡単なのだ。
なぜなら、気分を味わうまでもなく、そう思った時には、それが実現したパラレルワールド(並行世界)が存在するからだ。
そして、後は、気分で同調すれば、その世界に移行する・・・それだけである。

尚、以下は余談と思ってもらえば良い。
例えば、銀行口座に希望の金額が振り込まれた時の気分を味わう際、言葉で「嬉しいなあ」「幸せだなあ」と言うのが、効果的な人と、そうでない人がいる。
これは、本当に、個性の問題だ。
ジョセフ・マーフィーが引き寄せの天才と言ったネヴィル・ゴダードは、言葉にしない方が良いと言ったが、あくまで「その方が無難」と言うことで、向いていない場合は、多少、叶うのに時間がかかるということと思う。
確かに、言葉を使わずに気分を味わった方が良いのかもしれない。
ところが、「天国だ」といった、直接的でない言葉の場合は、非常に有効であるという話もある。
いずれにしろ、あまり細かく考えて心配する必要はない。
ただ、うまくいかない場合、ここらに注意すると良いと思う。
まあ、うまくいかないはずはないが、いわゆる心のブロックが強い場合に、素早く願いを叶えるには、多少の工夫も必要かもしれない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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