ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ネヴィル・ゴダード

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

もし身体から魂を抜かれたら?

私はキリスト教徒になったことはないが、新約聖書の福音書は16歳の時から読んでいる。
その中で、福音書に記述されていることで気になることがあった。
同じようなことが書かれている2つの部分である。
1つは、湖の沖に浮かぶ船の中のイエスの弟子達が、岸から湖の上を歩いてこちらに向かってくる人影を見て、幽霊だと思って恐がった。
すると、その湖の上を歩く者が言う。
「恐れるな。私だ」
それで弟子達は、その人物がイエスであると分かった。
これは、普通に考えれば、弟子達は、声によってイエスだと判別出来るということで、イエスもそう思っていたということだ。
もう1つのところはこうだ。
イエスが磔の刑で死んだ後、イエスの弟子達が部屋に居る時、1人の人物が部屋に入って来て、弟子の1人が、「あなたは誰ですか?」と尋ねる。
すると、その人物は「私だ」と言い、弟子達はイエスと気付くが、確信出来なかったので、イエスは磔にされた時に槍で刺された傷を見せる。
今度は、弟子達は、イエスの声を聞いても分からなかったのだ。

引き寄せ界の重要人物であるネヴィル・ゴダードは、福音書のみならず、新約、旧約の聖書の全体を通して、このようであると言う。
つまり、神もイエスも、「私は神である」とか「私はイエスである」とは全く言わず、いつも「私だ」と言うのだ。
ゴダードは、その「私だ」は、英語で言えば、「I AM」だと言う。つまり、「私は在る」だ。
旧約聖書で、モーセの前に現れた神は「私は『私は在る(I AM)』だ」と言っている。
(原語のヘブライ語では、神は「エヒュー・アシェル・エヒュー」と名乗っているが、これが「I AM THAT I AM」と訳されている)

だから、ゴダードは、神は「私は在る」なのであるが、誰でも「私は在る」と思っているし、人間が唯一確信出来ることは、「私は在る」だけであると言う聖者もいる。
デカルトは「疑っているわれは確かに存在する(一般には、われ思うゆえにわれあり)」と言い、「疑っている」と限定はしたが、究極の真理は「われあり(私は在る)」だということには気付いていた。

もし、あなたが、肉体から魂を抜き取られたらどうなるだろうか?
その時、あなたは、肉体ではなく、魂が自分だと感じると予想出来ると思う。
昔、NHKで放送されていたアニメ『キャプテン・フューチャー』(原作はエドモンド・ハミルトンのSF小説)で、キャプテン・フューチャーことカーティス・ニュートンは、肉体から魂を抜かれたことがあった。
その時のカーティスの反応が面白い。
「肉体がなくなっても目が見えるのか?これは驚くべき発見だ」
これほどの緊急事態でも、さすがに宇宙一の科学者は冷静であるようだ。
だが、それなら、存在の自覚があることに驚くべきである。
カーティスは機械によって魂を抜かれたのだが、これは、言い換えれば、魂から肉体を除去したのである。しかし、この装置は、魂から心まで除去しないようである。
もし、心まで除去出来れば、カーティスは全知全能の神になっていたと思われる。
心まで抜かれても、存在の自覚はある。それが神であるようだ。
そして、肉体も心もある我々も、存在の自覚を感じることが出来る。
だが、普通の人は、存在の自覚を重要視しない。
もし存在の自覚を大切にすれば、全知全能の力と一致していく。それが、ネヴィル・ゴダードの引き寄せの根本原理である。
だから、「私は在る」と唱えることが重要で、それだけで引き寄せの力は強大になる。
すぐには納得出来ないと思うが、やってみれば分かると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)新約聖書 福音書(塚本虎二訳。岩波文庫)
(4)聖書(フェデリコ・バルバロ訳)
(5)恐怖の宇宙帝王/暗黒星大接近! <キャプテン・フューチャー全集1>(エドモンド・ハミルトン)

女神の出現
AIアート1229
「女神の出現」
Kay

「私は誰か?」の答

インドの聖者ラマナ・マハルシが「私は誰か?」という問いを提示したことはよく知られている。
これは、各自が「私は誰か?」を見出さねばならないということだ。
では、私は誰だろう?
実は、マハルシ自身が言葉で答えている。
その答は、文章では複雑・抽象的に書かれているが、簡単に言えば、
「身体と心を除いた後に残る覚醒(目覚めた精神)」
である。
目覚めた精神の本質は、「存在、意識、至福」である。

ところで、「私は誰か?」の答を、「想定の法則」で知られる伝説的な引き寄せのマスターであるネヴィル・ゴダードがこう簡単に言っている。
それは「存在の自覚」だ。
彼は、原語で聖書を読んで研究し、その確証を得たのだと思われる。

マハルシの答もゴダードの答も、本質は同じと思う。
どちらも分かり易いとは言えないが、ゴダードの「存在の自覚」の方が分かり易いので、こちらを採用する。

神やイエスに、「あなたは誰ですか?」と尋ねた時、返ってくる答えは、
「私は、<私は在る>だ」
である。
たとえば、あなたが電気ショックを受けて身体が動かず、知覚も働かず、朦朧として思考も働かないが、意識だけはある状態で、心の奥から「おい、居るか」という声があったら、あなたは「居る」と感じるだろう。
それが存在の自覚だ。
そして、聖者やネヴィル・ゴダードが言うところでは、存在の自覚が神である。
『若きウェルテルの悩み』というゲーテの傑作小説があるが、ウェルテルが何を悩んでいたか分からなくても、絶対にこれで悩んでいたのではないと断言出来ることが「私は存在するのだろうか?」だ。
つまり、いかなる状態であろうが、ウェルテルには存在の自覚があるということだ。
その存在の自覚に集中することが、真の自己(「私は誰か?」の答)に集中することで、同時に、神に集中することだ。
「存在の自覚」を感じるほど、余分なものが剥がれて純粋な自己が現れる。
純粋な自己は神なのだから、全知全能である。

「私は在る」と唱えれば、わずかかもしれないが、存在の自覚を感じる。
唱えれば唱えるほど、存在の自覚が分かってくる。
やがて、「私は在る」と唱えなくても、存在の自覚を簡単に感じるようになる。
それを突き詰めれば、悟りに至るのだろうが、なかなかそこまではいかない。しかし、引き寄せのマスターにはなれると思う。
引き寄せマスターは、凡人の意識状態から悟りの意識状態への途中経過にある者だと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)
(2)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(3)アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(4)新約聖書 福音書(塚本虎二)

都市に吹く風
AIアート1226
「都会に吹く風」
Kay

想定の法則を超える

映画『マトリックス』の中で、おそらく、モービアスがネオにだろうが、
「速く動こうとするな。速く動けると知れ」
みたいなことを言ったらしい。
これは、神田昌典さんのどれかの本に書かれていたことだ。
これについて、おそらく神田さんは、あまり分かり易くは説明出来なかったのだと思う。

これは、バッティング能力を向上させたい野球選手であれば、
「ヒットを打とうとするな。ヒットを打てると知れ」
だし、セールスマンであれば、
「売ろうとするな。売れると知れ」
である。
一般的な話をすると、それをどのようにやるのかというと、セールスの世界ではかなり昔から、鏡に自分の顔を映して、
「売れるぞ。お前は偉大なセールスマンだ。今日も必ず売れる」
とか言う方法が使われ、成果も出ていたようだし、今でも行っている会社があるかもしれない。
一般的には、アファーメーションとして、
「私は偉大なセールスマンだ。私は今月も新記録を達成する」
みたいなことを言うのだろう。
野球のバッターなら、
「私は偉大なバッターだ。私は3割3分打てる」
みたいなアファーメーションをすることが考えられる。

しかし、そのような自己暗示じみたアファーメーションは、うまくいく場合もあればうまくいかない場合もあり、どちらかというと駄目な場合が多いのだと思う。
だから、ほとんどの場合は、「私はヒットが打てる」と念じるのではなく、やはり、ヒットを打とうと普通に努力するのだろう。
ただ、やはり、アファーメーションとか、肯定的口ぐせを勧める人は必ずいる。

では、アインシュタインは、時空の秘密をどうやって解き明かしたのだろうか?
おそらく、あまり真面目に「時空の秘密を解いてやろう」と思ったのではないし、「時空の秘密を解けると知っている」わけでもなかった。
アインシュタインが何を考えたかなんて分かるわけがない・・・と思うだろうが、分かっているのだ。
アインシュタインは、「光と一緒に飛んだら、どんな感じだろう?」と思ったのだ。
これを正確に言うと、アインシュタインは自分の脳に、「光と一緒に飛んだら、どんな感じだろう?」と質問したのだ。
脳というのは、真剣に尋ねられたことには答を出そうとするのである。
そして、脳というのは非常に優秀で、その構造の大半は実際は不明だ。
さらに、脳は単体で存在するのではなく、潜在意識にアクセスして答を探そうとし、潜在意識は宇宙全体の意識と通じていて、結局、脳が見つけられない答はないし、さらには、宇宙意識は全知全能で、どんなことでも起こせる。

つまり、「速く動く」ためには、「速く動いたらどんな感じだろう?」と自分に尋ねれば良いのだ。
「思うようにヒットが打てたらどんな感じだろう?」
それは想像は出来るかもしれないが、その想像は、おそらく、当たっていない。
脳は、質問されたら答を出すという意味で、昨日も書いたが、
「何で私はお金がどんどん入って来るのだろう?」
と脳に尋ねたら、脳は答を出すべく、最終的には宇宙を動かし、お金がどんどん入って来るようにしてしまう。
その中で、「気分」の重要性に注目し、
「お金がどんどん入って来たら、どんな気分だろう?」
と質問をするのが、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」だ。
だが、偉大なるネヴィル・ゴダードの欠点は、「どんな気分だろう?」を自分で想像させるところだ。
「十億円の預金があったら、どんな気分だろう?」と想像するのが、想定の法則の方法だが、自分で想像しても、正しい想像が出来ない。
そこで、脳に、「十億円の預金があったら、どんな気分だろう?」と質問するだけにすれば、脳はその気分を「本当に」味あわせてくれる。

これは、「想定の法則ネオ」とでも言うもので、想定の法則を超える。
使えるなら、凄い精度で世界を動かせる。
使い方は実際は簡単だが、子供のようなセンス(感覚)が必要である。
実は、このことで、私はエマーソンも超えたのだが、少しずつ書いていこうと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アインシュタイン回顧録(アルベルト・アインシュタイン)
(2)アインシュタイン―大人の科学伝記 天才物理学者の見たこと、考えたこと、話したこと
(3)非常識な成功法則(神田昌典)
(4)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード)

体温
AIアート985
「体温」
Kay

一瞬で叶えるエリクソン式想定の法則

何度か書いたことがあるが、精神科医のミルトン・エリクソンが不良男子高校生を更生させた話が極めて印象的だ。
並の不良ではなかったと思われるが、その不良高校生が連れてこられた時、エリクソンはその不良高校生に、
「君が真面目になったら、皆驚くだろうね」
と言い、不良高校生は、
「そりゃ驚くだろうね」
と応えた。
そして、エリクソンは「もういい」と言って彼を下がらせた。
エリクソンはこの不良高校生を見放したと思われた。
ところが、この不良高校生はすぐに真面目な高校生になった。

この話は、リチャード・バンドラーの神経言語プログラミング(NLP)のどれかの本(多分『神経言語プログラミング』)に書かれていて、バンドラーは何が起こったか説明していたが、私は納得出来なかったので、どんな説明だったか憶えていない。
私も数年に一度は、この話の説明を試みているが、どう説明したのか憶えていないのだから、それほど腑に落ちてはいなかったのだろう。
ただ、バンドラーの説明は納得いかなったとはいえ、バンドラーは、この不良高校生が、無意識では変わりたがっていたはずだと推測していたが、これは正しい推測だと思う。このバンドラーの推測は私も腑に落ちたらしく、憶えていた。

おそらく、エリクソンは無意識に「君が真面目になったら、皆驚くだろうね」と言ったのだ。
無意識は全知全能で、何を言えばいいか知っている。
そして、このエリクソンの言葉で何が起こったのか?
この不良高校生にとって、自分が立派な人間になることは、無意識では願っていた。
その願いが叶ったことを、この高校生は想定したのだ。
すると、「そりゃ驚くだろうね」という想いが浮かび、その時の気持ちは悪い気持ちではなく、良い気持ちだった。

これは、結果的に、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」が働いたのだ。
想定の法則とは、「願いが叶った時の気持ちを想像すれば叶う」である。
この不良高校生は、「そりゃ驚くだろうね」と言いながら、心の願いである、自分が真面目な高校生になったことを「想定」し、その時の自分の気持ちを想像したのだ。
つまり、この不良高校生は「そりゃ(皆が)驚くだろうね」と言いつつ、心の中では「そりゃ嬉しいだろうね」と想像したのだ。

では、あなたの願いを叶えるための応用である。
たとえば、あなたの願いが1億円とする。
それなら、
「私の銀行口座に1億円あったら安心だろうね」
と問い、それに対して、
「そりゃ安心だろうね」
と答えつつ、そうなった時の気持ちを想像するのだ。
あるいは、意中の人がいたら、
「彼(彼女)が私の恋人だったら嬉しいだろうね」
と問い、それに対して、
「そりゃ嬉しいだろうね」
と答えつつ、そうなった時の気持ちを想像するのだ。

試してみる価値はあると思う。
尚、昨日書いた、ドクター・マッコイのセリフを応用した呪文、
「それは簡単だ」
のように呪文化するなら、
「それは嬉しいだろうね」「それは楽しいだろうね」
などになるだろう。

夜の薔薇
AIアート845
「夜の薔薇」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神経言語プログラミング(リチャード・バンドラー)
(2)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~
(3) 想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード)

嬉しい引き寄せを簡単に起こす

クラウド・ブリストル(1891~1951)の『信念の魔術』は、世界中で80年も出版され続けている引き寄せのロングセラーだ。
読んでいると、引き寄せというものが本当にあることを感じさせてくれるし、奇跡的という意味ではあり得ないような引き寄せを数えきれないほど起こした私も共感を感じるような内容である。
ただ、他の引き寄せの名著と共通することとして、「では、どうすれば引き寄せを起こせるのか」が割と曖昧で、ピンとこないのではと思う。

その『信念の魔術』の中に、こんな話がある。
著者のブリストルがまだ若く、それほど地位が高くなかった頃の話だと思う。
世界旅行をしていた彼がアメリカに帰ろうと船に乗る時、彼は、船長のテーブルで食事をしたいものだと思った。
すると、すんなりとそうなった。
そのずっと後で、船長に尋ねたら、船長は船に乗り込んできたブリストルを見ると、何とはなく、自分のテーブルに来て欲しいと思ってそうしたのだと言う。
船の乗客には、ブリストルより上のクラスの人が十数人はいて、ブリストルは群衆の1人に過ぎなかったにも関わらずである。

『信念の魔術』は、要するに、実現するという信念を持っていることが、実際に実現するという内容の本である。
だが、上の例で、ブリストルは別に、自分が船長のテーブルに座れるという信念を持っていたわけではなく、本の主張をスルーしてしまっているようなものだ。

これも、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」で簡単に説明が出来る。
『信念の魔術』には書かれていないが、ブリストルは、いわば思いつきで「船長のテーブルに座りたい」と思い、その時、船長のテーブルに座ることを想像したはずだ。そこまではよくある話だろう。
そして、一般の引き寄せの手法では、船長のテーブルに座る情景をありありと思い描いたり、「私は船長のテーブルに座る」と繰り返し暗示をかけるといったことを行う。
ゴダードは、そのようなやり方を否定している。
そして、ブリストルはまさに、ゴダードが教える方法を無自覚に行ったのだ。
つまり、「船長のテーブルに座ったら、どんな気持ちだろう」と想像したのだ。
それはきっと、楽しい、ワクワクする、幸せな、愉快な気持ちで、ブリストルはそれをしっかり感じた。
それを何度か繰り返したのかもしれないが、この程度のことなら、一度でも十分だったかもしれない。
ブリストルは希望通り、船長のテーブルに呼ばれた。

想定の法則の活用法は、「願いがかなった時の気持ちを想像する」だけである。
それを繰り返すほど早く確実に叶うのである。

午後の陽射し
AIアート786
「午後の陽射し」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(2)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(3)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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