ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ネヴィル・ゴダード

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

想定の法則を超える

映画『マトリックス』の中で、おそらく、モービアスがネオにだろうが、
「速く動こうとするな。速く動けると知れ」
みたいなことを言ったらしい。
これは、神田昌典さんのどれかの本に書かれていたことだ。
これについて、おそらく神田さんは、あまり分かり易くは説明出来なかったのだと思う。

これは、バッティング能力を向上させたい野球選手であれば、
「ヒットを打とうとするな。ヒットを打てると知れ」
だし、セールスマンであれば、
「売ろうとするな。売れると知れ」
である。
一般的な話をすると、それをどのようにやるのかというと、セールスの世界ではかなり昔から、鏡に自分の顔を映して、
「売れるぞ。お前は偉大なセールスマンだ。今日も必ず売れる」
とか言う方法が使われ、成果も出ていたようだし、今でも行っている会社があるかもしれない。
一般的には、アファーメーションとして、
「私は偉大なセールスマンだ。私は今月も新記録を達成する」
みたいなことを言うのだろう。
野球のバッターなら、
「私は偉大なバッターだ。私は3割3分打てる」
みたいなアファーメーションをすることが考えられる。

しかし、そのような自己暗示じみたアファーメーションは、うまくいく場合もあればうまくいかない場合もあり、どちらかというと駄目な場合が多いのだと思う。
だから、ほとんどの場合は、「私はヒットが打てる」と念じるのではなく、やはり、ヒットを打とうと普通に努力するのだろう。
ただ、やはり、アファーメーションとか、肯定的口ぐせを勧める人は必ずいる。

では、アインシュタインは、時空の秘密をどうやって解き明かしたのだろうか?
おそらく、あまり真面目に「時空の秘密を解いてやろう」と思ったのではないし、「時空の秘密を解けると知っている」わけでもなかった。
アインシュタインが何を考えたかなんて分かるわけがない・・・と思うだろうが、分かっているのだ。
アインシュタインは、「光と一緒に飛んだら、どんな感じだろう?」と思ったのだ。
これを正確に言うと、アインシュタインは自分の脳に、「光と一緒に飛んだら、どんな感じだろう?」と質問したのだ。
脳というのは、真剣に尋ねられたことには答を出そうとするのである。
そして、脳というのは非常に優秀で、その構造の大半は実際は不明だ。
さらに、脳は単体で存在するのではなく、潜在意識にアクセスして答を探そうとし、潜在意識は宇宙全体の意識と通じていて、結局、脳が見つけられない答はないし、さらには、宇宙意識は全知全能で、どんなことでも起こせる。

つまり、「速く動く」ためには、「速く動いたらどんな感じだろう?」と自分に尋ねれば良いのだ。
「思うようにヒットが打てたらどんな感じだろう?」
それは想像は出来るかもしれないが、その想像は、おそらく、当たっていない。
脳は、質問されたら答を出すという意味で、昨日も書いたが、
「何で私はお金がどんどん入って来るのだろう?」
と脳に尋ねたら、脳は答を出すべく、最終的には宇宙を動かし、お金がどんどん入って来るようにしてしまう。
その中で、「気分」の重要性に注目し、
「お金がどんどん入って来たら、どんな気分だろう?」
と質問をするのが、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」だ。
だが、偉大なるネヴィル・ゴダードの欠点は、「どんな気分だろう?」を自分で想像させるところだ。
「十億円の預金があったら、どんな気分だろう?」と想像するのが、想定の法則の方法だが、自分で想像しても、正しい想像が出来ない。
そこで、脳に、「十億円の預金があったら、どんな気分だろう?」と質問するだけにすれば、脳はその気分を「本当に」味あわせてくれる。

これは、「想定の法則ネオ」とでも言うもので、想定の法則を超える。
使えるなら、凄い精度で世界を動かせる。
使い方は実際は簡単だが、子供のようなセンス(感覚)が必要である。
実は、このことで、私はエマーソンも超えたのだが、少しずつ書いていこうと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アインシュタイン回顧録(アルベルト・アインシュタイン)
(2)アインシュタイン―大人の科学伝記 天才物理学者の見たこと、考えたこと、話したこと
(3)非常識な成功法則(神田昌典)
(4)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード)

体温
AIアート985
「体温」
Kay

一瞬で叶えるエリクソン式想定の法則

何度か書いたことがあるが、精神科医のミルトン・エリクソンが不良男子高校生を更生させた話が極めて印象的だ。
並の不良ではなかったと思われるが、その不良高校生が連れてこられた時、エリクソンはその不良高校生に、
「君が真面目になったら、皆驚くだろうね」
と言い、不良高校生は、
「そりゃ驚くだろうね」
と応えた。
そして、エリクソンは「もういい」と言って彼を下がらせた。
エリクソンはこの不良高校生を見放したと思われた。
ところが、この不良高校生はすぐに真面目な高校生になった。

この話は、リチャード・バンドラーの神経言語プログラミング(NLP)のどれかの本(多分『神経言語プログラミング』)に書かれていて、バンドラーは何が起こったか説明していたが、私は納得出来なかったので、どんな説明だったか憶えていない。
私も数年に一度は、この話の説明を試みているが、どう説明したのか憶えていないのだから、それほど腑に落ちてはいなかったのだろう。
ただ、バンドラーの説明は納得いかなったとはいえ、バンドラーは、この不良高校生が、無意識では変わりたがっていたはずだと推測していたが、これは正しい推測だと思う。このバンドラーの推測は私も腑に落ちたらしく、憶えていた。

おそらく、エリクソンは無意識に「君が真面目になったら、皆驚くだろうね」と言ったのだ。
無意識は全知全能で、何を言えばいいか知っている。
そして、このエリクソンの言葉で何が起こったのか?
この不良高校生にとって、自分が立派な人間になることは、無意識では願っていた。
その願いが叶ったことを、この高校生は想定したのだ。
すると、「そりゃ驚くだろうね」という想いが浮かび、その時の気持ちは悪い気持ちではなく、良い気持ちだった。

これは、結果的に、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」が働いたのだ。
想定の法則とは、「願いが叶った時の気持ちを想像すれば叶う」である。
この不良高校生は、「そりゃ驚くだろうね」と言いながら、心の願いである、自分が真面目な高校生になったことを「想定」し、その時の自分の気持ちを想像したのだ。
つまり、この不良高校生は「そりゃ(皆が)驚くだろうね」と言いつつ、心の中では「そりゃ嬉しいだろうね」と想像したのだ。

では、あなたの願いを叶えるための応用である。
たとえば、あなたの願いが1億円とする。
それなら、
「私の銀行口座に1億円あったら安心だろうね」
と問い、それに対して、
「そりゃ安心だろうね」
と答えつつ、そうなった時の気持ちを想像するのだ。
あるいは、意中の人がいたら、
「彼(彼女)が私の恋人だったら嬉しいだろうね」
と問い、それに対して、
「そりゃ嬉しいだろうね」
と答えつつ、そうなった時の気持ちを想像するのだ。

試してみる価値はあると思う。
尚、昨日書いた、ドクター・マッコイのセリフを応用した呪文、
「それは簡単だ」
のように呪文化するなら、
「それは嬉しいだろうね」「それは楽しいだろうね」
などになるだろう。

夜の薔薇
AIアート845
「夜の薔薇」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神経言語プログラミング(リチャード・バンドラー)
(2)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~
(3) 想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード)

嬉しい引き寄せを簡単に起こす

クラウド・ブリストル(1891~1951)の『信念の魔術』は、世界中で80年も出版され続けている引き寄せのロングセラーだ。
読んでいると、引き寄せというものが本当にあることを感じさせてくれるし、奇跡的という意味ではあり得ないような引き寄せを数えきれないほど起こした私も共感を感じるような内容である。
ただ、他の引き寄せの名著と共通することとして、「では、どうすれば引き寄せを起こせるのか」が割と曖昧で、ピンとこないのではと思う。

その『信念の魔術』の中に、こんな話がある。
著者のブリストルがまだ若く、それほど地位が高くなかった頃の話だと思う。
世界旅行をしていた彼がアメリカに帰ろうと船に乗る時、彼は、船長のテーブルで食事をしたいものだと思った。
すると、すんなりとそうなった。
そのずっと後で、船長に尋ねたら、船長は船に乗り込んできたブリストルを見ると、何とはなく、自分のテーブルに来て欲しいと思ってそうしたのだと言う。
船の乗客には、ブリストルより上のクラスの人が十数人はいて、ブリストルは群衆の1人に過ぎなかったにも関わらずである。

『信念の魔術』は、要するに、実現するという信念を持っていることが、実際に実現するという内容の本である。
だが、上の例で、ブリストルは別に、自分が船長のテーブルに座れるという信念を持っていたわけではなく、本の主張をスルーしてしまっているようなものだ。

これも、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」で簡単に説明が出来る。
『信念の魔術』には書かれていないが、ブリストルは、いわば思いつきで「船長のテーブルに座りたい」と思い、その時、船長のテーブルに座ることを想像したはずだ。そこまではよくある話だろう。
そして、一般の引き寄せの手法では、船長のテーブルに座る情景をありありと思い描いたり、「私は船長のテーブルに座る」と繰り返し暗示をかけるといったことを行う。
ゴダードは、そのようなやり方を否定している。
そして、ブリストルはまさに、ゴダードが教える方法を無自覚に行ったのだ。
つまり、「船長のテーブルに座ったら、どんな気持ちだろう」と想像したのだ。
それはきっと、楽しい、ワクワクする、幸せな、愉快な気持ちで、ブリストルはそれをしっかり感じた。
それを何度か繰り返したのかもしれないが、この程度のことなら、一度でも十分だったかもしれない。
ブリストルは希望通り、船長のテーブルに呼ばれた。

想定の法則の活用法は、「願いがかなった時の気持ちを想像する」だけである。
それを繰り返すほど早く確実に叶うのである。

午後の陽射し
AIアート786
「午後の陽射し」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(2)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(3)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書

神とは何かの意外な答

ちょっと私の備忘録的な意味もあるが、興味深いことを述べる。
それは、「神の名」、あるいは、「神とは何か?」に関する旧約聖書の記述である。
私は、子供の時、『十戒』という旧約聖書の『創世記』を描いた映画をテレビで見たが、その中で、モーセの前に現れた神が、
「われは、在りて在るものである」
と名乗るのを印象的に憶えている。
子供の時に、そんなふうに1度聞いただけではっきり憶えていることは、大抵真理であると思う。
一般的にも、「私は、私は在るという者である」というのは、キリスト教やユダヤ教の神の定義の定番であると思う。

ところが、私が12歳の夏に入手したW.E.バトラーの『魔法入門』の文庫本の171ページに、こんなことが書かれている。

この(神の)名前は『欽訳聖書』によれば『われは有りて有るものなり』と訳されているが、ヘブライ語では、「エヒュー・アシェル・エヒュー」、すなわちモッハの翻訳するところでは「わたくしはなるようになるであろう」という意味であり、この方がはるかにヘブライ語の意味を伝えている。わたくしはあるヘブライ語の学者に教えられたことがあるが、もっと忠実には「われはつねに生成する者なり」と訳することができるという。

『欽訳聖書』とは、おそらく『欽定訳聖書』つまり、イングランド王ジェームズ一世の命令で訳された聖書で1611年刊行の英訳聖書である。
そこに、神の名は、I AM THAT I AM(私は私は在るという者である)と訳されているのだろう。

ヘブライ語で聖書を読んでいたネヴィル・ゴダードも、神の名を I AM THAT I AMと訳しており、字義的にはこれで良いのだが、注目すべきは、ゴダードは、I AM THAT I AMを「われはつねに生成する者なり」の意味があると示唆していることだ。

字義的に、神とは「私は在る」であるが、正確には、「私は在るという自覚」が神である。
「私は在る」は、多少の違いはあれ、誰でも感じているが、その感じが神であり、それが、あらゆるものを常に生成する主体である。
それならば、「私は在る」という自覚を大切にせずにはいられない。

ヒンズー教の聖者に学んだと考えられるニサルガダッタ・マハラジは、「常に、私は在るという感覚にしがみつきなさい」と教えたというが、これは、「常に、私は在るという自覚を持ちなさい」という意味だろう。
ゴダードは、おそらく「とっかかりは」という意味であると思うが、言葉で「私は在る」と心で唱えることを勧めている。
そうすれば、容易く、「私は在る」という感覚が分かるのではないかと思う。
マハラジもまた「私は在る」が最高のマントラ(真言)であると言ったらしい。
だが、「私は在る」は呪文ではないので、言葉なしに、それを感じないといけない。
「私は在る」が神であり、「私は在る」と感じることは、少なくとも神と交流することである。
ならば、これをせずにいられるはずがない。

呼吸と光合成
AIアート780
「呼吸と光合成」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(2)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(3)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(4)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話
(5)魔法入門(ウォルター・アーネスト・バトラー)
(6)魔法修行(ウォルター・アーネスト・バトラー)
(7)神秘のカバラー(ダイアン・フォーチュン)

やる気にさせたいと思って書いた話

神とは何かというと、ネヴィル・ゴダードによれば、「私は在る」という自覚であるらしい。
その根拠は、旧約聖書で、神がモーセに、「私は『私は在る』という者だ」と言ったことによるのだが、ゴダードは、旧訳聖書をヘブライ語(へブル語)の原典で読めたらしい。
自分でヘブライ語で読めたのではないかもしれないが、ウィリアム・アーネスト・バトラーは、言語学者の様々な解釈を研究した上で、 「私は『私は在る』という者だ」の解釈に疑問を唱えているが、こういうことは疑問がなければむしろ信じることは出来ない。
そして、異なる解釈も、結局は 「私は『私は在る』という者だ」という意味になることが分かれば、信憑性が高まる。

神とは絶対的真理だという方向から探求することも出来る。
これに関しては、ニサルガダッタ・マハラジが、「あなたが確信出来る唯一のことは『私は在る』だけである」と言ったが、では、眠っていて夢を見ていない時は「私は在る」と感じないのだから、私はないのかという疑問が生まれる。
これに関しては、古来から「夢のない眠りにこそ、本当の『私は在る』がある」と言われているが、当然ながら科学的根拠はない。

つまるところ、全て聖典頼みということになる。
ただ、古代仏教の教典を研究した者が、これに究極の真理が書かれていると信じざるを得ないと言うことがあるが、それはどういうことかというと、人間の知を超えた真理が書かれていることを、直観的に感じたり、ある程度は類推したり、帰納的(個々の特殊な事実から普遍的原理を導くこと)に考えたということだろう。

だが、私は、ゴダードが説く教えは、私の子供の時からの経験とかなり一致するという特殊な事情があって、かなり信じている。
また、私が初めてビートルズを聴いた時、英語は得意ではない私が極めて印象的に憶えていた歌詞が"AT YOUR COMMAND"だが、ゴダードが初めて書いた本のタイトルがまさに"AT YOUR COMMAND"だったということも面白い。

そしてもう1つ。
私は上に書かれてあるようなことを知る前に神の存在を理解し、理解した時はかなり高揚したものである。
それはデカルトの『方法序説』によるもので、これ(方法序説、あるいは、デカルトの思想)には欠陥があることは分かっているが、それでも価値がある。
デカルトは究極の真理を探究していたが、それは当然ながら、なかなか見つからなかった。
どれほど正しいと思えることも、疑おうと思えばあっさりと疑えた。疑えるからには真理ではない。
真理とは疑うことが出来ないからだ。
たとえば、母の愛が真理かというと、そんな馬鹿でも疑えることが真理であるはずがない。
だが、デカルトは気付いてしまった(笑)。
疑えるということは、自分の中に真理があるからだと。それが神である。
これを見て私は感動のあまり恍惚としてしまった。
それでデカルトは「疑っている私は確実に存在する」を究極の真理としたが、なぜそれが「われ思う、ゆえにわれあり」という不純なものになったかは不明だ(笑)。

ちなみに、本人は隠していたが、やはりというか、デカルトも魔法研究をしていた(笑)。
それはニュートンも同じであった。
というか、ニュートンは、メインの研究は聖書や魔法で、数学や物理学はついでにやっていたのである。
だから、魔法・・・これは旧約聖書から出ているものだが、それこそが真理なのである。
尚、デカルトの自己評価について述べておこう。
デカルトは、名門校の出身で、その学校の中でも優等であった自分が優秀であることは認めていた。
ただし、自分よりずっと上の者達がいることも分かっていた。実に聡明であると思う。
そして、さらに偉いのは、書物の学問は全て捨てたと宣言していることだ。
さっきも書いたが、デカルトにも欠点はあったが、これほどの人物はそうはいない。
デカルトは、究極の真理の柱を「疑う」と「在る」の2本としたが、「疑う」は、もっと洗練させて「気付き」とすればより完璧だった。
そうすれば、「私は在る」が神であるという古代の英知にたどり着けた。

そんなわけで、私にとっては「私は在る」が神であることは明瞭になった。
後は、「私は在る」の自覚から離れなければ神になるのだが、これは簡単であって難しい。
これに関しては宇宙人に聞いたことがある。
「適度にやれば超人になるが、やり過ぎるとこの世から消える」
なるほど、確かにいろんな賢者も同じことを言っていたと思う。
尚、正確に言うと、その宇宙人は、茶目っ気があったのかもしれないが、私に、存在の自覚を加速させるメソッドを教えてくれたのだ。
その上で「1日3回にしろ。それ以上やると消えるぞ」と言ったのだった。
まあ、それで結局、全くやらなくなるうちに、やり方を忘れてしまった。
いや、思い出せるが(笑)。
だが、そんなことは知らなくていいから、「私は在る」と感じることを、なるべく長くやることである。
それで十分に魔法使いに、超人に近付く。

眼差し
AIアート775
「眼差し」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)方法序説 (角川ソフィア文庫)
(2)方法序説ほか (中公クラシックス)
(3)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(5)ラマナ・マハルシの教え
(6)聖書(フェデリコ・バルバロ)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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