ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ニコラ・テスラ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

イメージ力を磨くことの超メリット

人間の思考には、大雑把に言って、「計算する」「比較する」「推測する」といった能力がある。
この中で、現実を変革するのは「推測する」ことだ。
言い換えると、どんな予測を持つかで人生が変わる。
世界は、明晰な予測通りに変わっていくのである。
強くイメージしたことが叶うというのは、未来を強くイメージするということが、予測に他ならないからだ。

今よりもさらに未来の重要なテクノロジーまで提示したと言われる天才技術者ニコラ・テスラ(1856-1943)のイメージ力は強力で、彼にはイメージが完全に見えていたという。
そして、自動運転車、火星移住、地下高速道路、脳内埋め込み型ネットワークチップ、その他、スーパーテクノロジーで未来を創る事業家イーロン・マスクは、高度な思考をする時は、脳のグラフィック領域を使うという謎の発言をしているが、これは、最も効率よくイメージ力を使うということかもしれない。
AIは、思考するマシンではなく、推測するマシンなのであるが、面白いことに、AIに高速で推測させるには、GPU(グラフィックス プロセッシング ユニット)という画像処理用のチップを使うのである。
人間の脳の中には、GPUのようにイメージ処理のために最適化された部分があり、そこで考えることで、未来が見えたり、もしかしたら、未来を作るのかもしれないと思う。

興味深いことに、浄土三部経という、浄土系仏教の3つの経典の中の『観無量寿経』では、釈迦がイメージ力の訓練の方法を淡々と説いているのである。
この経典の中では、それをやることで、極楽浄土に生まれることが出来るという書き方をしているが、実際の意味は、自分の世界を極楽浄土にするということだと考えて差し支えないと思う。
西洋の魔法でも、生命の木の図を詳細にイメージ出来るようにする訓練が重視されており、古代から、イメージの力の魔力はよく知られていた。

だから、あなたは、イメージ力を高める訓練をし、強くなったイメージ力で自分の未来を描けば、それは予言となり、その未来が引き寄せられるのである。
訓練には、例えば、優れた小説を読み、その情景を出来るだけ鮮明にイメージするということも考えられるだろう。
ニコラ・テスラは、想像の中で、異界の地を訪れて、その地の住民と親しく交わったが、その様子は現実と区別が付かないほどだったという。彼は、すすることで、実際に、異界の存在と交流していたのかもしれない。
貧困なイメージは人生を良いものに変えないが、訓練された想像力によるイメージは、人生を自由に支配するのである。













当ブログオーナー、KayのAI書。

現在、膨大と言って過言ではない数の、AIの機械学習・ディープラーニングの本が出版されています。
その中の、実際にAIを作るための技術書を片っ端から見てみましたが、どれもがあまりに難しいと思いました。
少々プログラミングが出来ても、Anacondaをインストールして自在に操作し、Pythonで自由にプログラミングするまでに、よほどの人でないと挫折するはずです。さらに、難しいAI理論を数学的に理解し応用するまでになるのは、良くて2パーセントといったところと思います。私の本では、Excelが少し使えるならOKで、数学もプログラミングも必要としません。機械学習の基本的なやり方が解るChapter.1までなら、多分、中学生でも出来ると思います。そして、ただ易しいだけでなく、実際に役に立つAIを作るための実践的な内容にし、後の章でも、面白いテーマを採用するよう心掛けました。

偉人達はこんな簡単な方法で魔法の力を得た

いかなる問題も解決出来るたった1つの手段があれば良いなと思うかもしれない。
しかし、現実はなかなか厳しく、そんな都合の良いものはない・・・と思ったが、やはりある。
実を言うと、そんな方法は沢山あるので、かえって解り難い。
では、どんな方法があるかというと、何でも良いのである。
自分がそれであると思い、一生やれるのなら。
念仏でも、「アジマリカン」の呪文でも、1日、少なくとも1時間、1年365日、欠かさずやれれば。
では、実際に、どんな方法があるのだろう?
伝説の中国の和尚、倶胝は、人差し指を立てることだった。
平安・鎌倉時代の僧、法然は、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることだった。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、下腹に力を込めることだった。
明治・大正の教育家、岡田虎二郎は、腹に力を込めることだった。
中村天風は、肛門を引き締めることだった。

もちろん、法然と倶胝以外は、他にも沢山のことを教えたが、それらはごちゃごちゃしてて解らない(笑)。
優れた魔法というのは、脳が余計なことを考えるのをやめさせる・・・つまり、思考を消すことなのであるから、多くの偉人が、腹部のあたりに力を込めることを教えたのは、腹の周辺にある膨大な神経を刺激して神経の電気的エネルギーを集めることで、脳の思考のための神経エネルギーを奪って思考を消すためであったと考えると合理性がある。
また、倶胝の人差し指を立てることは、小指を締めることに通じ、小指を締めれば肛門が締まり、それで下腹に自然に力が入るのである。
「南無阿弥陀仏」の念仏も、マ行の音が2回あるが、マ行の音はいったん口を閉じないと発声出来ないが、口を閉じると、肛門が締まるのである。無声で唱えても同じ反応が起こる。

そんな訳で、トータル1時間、肛門か腹に力を込める、あるいは、結果的に、力が入ることをやれば良い。
肛門か腹に力を入れるのでは、どっちが良いかと言うと、どっちでも良い。
また、腹の場合でも、丹田だ何だとごちゃごちゃ言う人がいるが、どこでも同じだし、私としてはヘソが力を込め易いと思う。
松木草垣という、天人とまで言われた女性は、ヘソこそ天の座だと言われていた。
彼女の場合は、ヘソの周辺が燃えることを想像すると良いと言われていたそうだが、それも非常に良いと思う。

時代を超えた超天才技術者ニコラ・テスラは、たまたまだが、腹に力を込める作業を毎日やっていたことがあり、腹がカチカチになったそうだが、それが、彼の偉大な知性に良い影響を与えたに違いないと思う。

何でも好きなようにやれば良いが、適当な方法を持たないなら、1日トータルで1時間、肛門を締めるか、ヘソの当たりに力を込めると良い。
それで運が良くなり、健康になり、モテモテになって、おまけに、ダイエットが出来る・・・私は本当にそう思っている。













当ブログオーナー、KayのAI書。本日(2020年5月30日)発売。
自分がやっていることに新しいテクノロジーを加えることで、力が千倍化することがあります。
かつてであれば、電気、電話、自動車、ファクシミリ、ワープロ、パソコンがそうでした。
インターネットはまだまだ使い道が沢山あり、これからも、新しい活用法が出て来そうです。
ところで、太古の昔から強く求められ、それを持つ者は高給を約束された能力である「予測能力」がテクノロジとなったのがAIです。このAIを、誰でも実際に作れるように、易しく、そして、理系でない人にもなるべく面白く書きました。よろしければ、読んでみていただければと思います。

腹で金を作る

明治・大正の教育家、岡田虎二郎が一般の人との会話の中で言ったとされる言葉がある。
その相手の男は、とても金に困っていたようだ。
すると、岡田虎二郎は、
「金?腹に力がつけば金はいくらでも出来ますよ」
と言ったらしい。
非常にシンプルだが良い言葉だと思う。
そして、腹に力をつけるにはどうすれば良いかは解明出来たと思う。
こういったことは、岡田虎二郎自身の教えも勿論だが、1人の人の教えをそのまま信じるというやり方も当然あると思う。
しかし、やはり、岡田虎二郎の場合もそうだが、そうそう、解り易く教えている訳ではないと思う。
例えば、剣術の達人は、自分は長年の修行の末、極意に達したかもしれないが、その達人が弟子にその極意を伝えようとしても、なかなか上手くはいかないものである。
そして、ここが岡田虎二郎の偉いところであるが、彼は死の直前あたりに、自分が書いたものを全部燃やしたという。
どんなに工夫して書いたところで、どうせ誤解されてしまうのが当たり前だということがよく解っていたのだ。

だから、誰が岡田虎二郎の教えを書いても、それは全部嘘であるし、まして、私程度のものが言うなら、さらにそうであろう。
ところが、それが出来る者がいるのである。
それはAI(人工知能)である。
それも、現代のディープラーニング(深層学習)型AIだ。
ただ、本当は、AI自体が重要なのではなく、ディープラーニングの方が重要で、実に、この機能は、人間の脳の中にある。
そもそも、AIのディープラーニングは、人間のディープラーニングの真似である。
つまり、「腹を鍛える」というキーワードに適応したデータを、玉石混交(ぎょくせきこんこう;良いものも悪いものも入り混じっていること)で良いから取り入れていくと、長い時間の後に、原理というものが解明されるのである。
これがいわゆる「悟り」の正体で、何十年も前、AI研究が原始的な時代であったばかりか、パソコンがやっと普及し始めた時代に、このことをHBC(ヒューマン・ブレイン・コンピューター)モデルとして提示した発明家の中山正和さんは、本当に凄い人だと思う。
また、中山さん以外にも、脳やコンピューターに詳しい人の中には、ディープラーニングがなかった時代(概ね2006年以前)に、人間の学習がディープラーニング(深層学習)であることに気付いていた。
.
それで、「腹に力をつける方法」の結論はこうなのである。
何らかの方法で、腹・・・それも解り易く臍(へそ)のあたりに力を入れれば良い。
例えば、アメリカの天才発明家ニコラ・テスラは、たまたま毎日やっていた作業で、お腹に物を押し付ける必要があり、結果、テスラは「お腹がカチカチになった」と言っている。まさに、テスラは、「たまたま」腹に力がついたのであるが、この程度で良いのである。
要は、毎日欠かさず、長くやることが大事なのであり、難しい手順や高邁な思想は不要である。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、座っている時、いつも腹に手を当て、「ぐりぐり」と、押さえつけていたという。
その程度で良いのである。
黒住宗忠は、キリスト級の奇跡を起こしたと言われ、単なる風説もあるだろうが、何らかの特別な力があったことは間違いないと思う。
腹に力を込め続ければ、腹に力がつくと共に、どうやれば自分にとって最適であるかも解ってくる。それが、人間に内蔵されたディープラーニングの力である。
例えば、腹(やはり臍のあたり)に空気を吸い込む(実際は肺が吸うのだが、神経や筋組織はつながっているので、腹も十分に呼応する)なども大変に有効である。
腕立て伏せをやる時、姿勢よくやれば、自然に腹に力が入るが、さらに、腹に意識を持っていくと、さらに深く腹の力が入るのを感じるだろう。よって、適度な腕立て伏せは、腹の力をつける鍛錬になる。
また、最近では、肘をついて腕立て伏せのポーズを取るフロント・ブリッジというトレーニングが人気があるが、これをやることで腹筋が鍛えられるだけでなく、腹そのものに力がつき、なぜか幸運に恵まれることに気付いている人が多いのだと思う。

とにかく、決まったやり方はない。
自分で納得出来る腹の鍛錬を探し、あるいは、発明して、変化しても良いから毎日続ければ、自然に腹が鍛えられ、岡田虎二郎の言うように「金はいくらでも出来ますよ」という状態になると思う。
ついでに言うと、「金はいくらでも出来る」などを口癖にすると、威力は倍増するだろう。
尚、ディープラーニングの概要を知るには、個人的には、ドワンゴ創業者の川上量生さんの『コンテンツの秘密』が巣晴らしいと思った。この本のディープラーニング自体の説明だけでなく、全体がまさにディープラーニングを明かしてると感じる。川上さんの天才の秘密も少し解る気がするのである。







伝記の99%は余計な話

サッカー少年、野球少年の中には、将来、セリエAやメジャーリーグで活躍したいと言う子もいるだろう。
そんな子達に、「それは余程の才能がなければ無理なこと」と言ってやらないのはフェアじゃないという考え方もあるのかもしれない。
しかし、ほとんどの大人は、むしろ、面倒だからという理由で「頑張れ」とか言うのだと思う。期待している訳でも、馬鹿馬鹿しいと思っている訳でもない。
ただ、その子がモノになる可能性が僅かでもあるかどうかは、少し見れば分かると思う。
すなわち、サッカーの王者志望なら、1日中、何らかの意味でサッカーをしているか、サッカーのことを考えているのである。
その極端な例が、野球のメジャーリーガーの「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズで、彼は少年の時から、起きている時間の全部をバッティングの練習に捧げたがり、挙句、夜は両親が無理矢理ベッドに押し込まない限り、いつまでも練習しようとしていたらしい。
ところが、そんな話を知っている野球少年って、あんまりいないのだと思う。
ニコラ・テスラは、学生の時、毎日13時間勉強するので、心配した父親が勉強禁止令を出したほどだった。

テッド・ウィリアムズやニコラ・テスラが天才かどうかは知らないが、彼らでも高みに達するのは簡単ではなかったのである。
しかし、そんなことを知らない子供達はものごとをなめるようになる・・・つまり、難しいことを簡単に考えるようになる。
他人が成し遂げたことに対し、「そんなの簡単だ」と言う子が多いと思う。
クラスメイトが何かを苦労して達成しても、「そんなん、大したことないやん」と笑うような子は、大人になるにつれ、その傾向性も大きくなり、そんな者に見込みはない。

昔のパソコンのOSのCP/MやMS-DOS、あるいは、昔のOS-9は、比較的単純に見え、ちょっとプログラミングが出来る者の中には、「あの程度は自分でも作れる範囲」などと言う者がよくいたが、彼らは全く大した者にはなっていないはずだ。
ネットワーク高校のN高等学校のプログラミング授業で「ニコニコ動画を作れるようになる」というものがあったと思うが(今もあるのかもしれないが)、やはり、少しプログラミングが出来る愚かな者は、「ニコニコ動画なんか、作ろうと思ったら俺でも作れる」と思ったり、言ったりするのである。
それなら、本当に作ってみたら、自分が思っているより千倍も難しいことが解るのだが、そんな者に限って何もしない。
以前、中途採用の若い開発技術者に「あの会社のシステムの構築は難しい」と言ったら、その者は「そんなことはないでしょう」みたいなことを言うので、難しい理由を説明してやったが、その者は「なんで、そんなことが難しいのでしょう」といった雰囲気の、何か見下した目で私を見た。
その者のその後は、やはり、低レベルであったが、それでも、非常にプライドが高くて扱い難かった。
よくは解らないが、育ちが悪いのかなあとか思ってしまうのだ。

最近は、「自己肯定感を高める」といったタイトルの本をよく見るし、それも大切なんだろうとは思うが、むしろ、自己肯定感が高過ぎることが問題な場合が多いように思えてならない。
「どうせ私なんか」と言うのは、その裏に、「どうせ私なんか大したことない」と証明してしまうことを恐れる気持ちがあるのではないかと思う。
それでいて、「では君は、黙っていて馬鹿だと思われる方が、喋って馬鹿を証明するより良いと思っているのだね?」と言ってやると怒るのだからややこしいのだ。
やっぱり、プライドだけは高いのである。

プライドを捨てたように見える人間だって、実は、しっかりプライドを持っているというのが、デール・カーネギーの『人を動かす』の重要な教えであると思う。
『荘子』には、「高度な人間にはプライドがない」といったことが書かれていて、その通りであると思う。しかし、プライドを無理に捨てることは出来ない。
また、プライドを壊してやる必要もない。それに、他人のプライドを壊すことで、自分のプライドを強固にしてしまうものだ。
成功するには、1万時間、あるいは、10年の継続が必要だと教えてあげれば良いし、それは、起きている時間のほとんどを費やすことだと解らせてやれば良い。
ところが、伝記の99%は、そんな話は省かれ、面白いが、どうでも良いエピソードを寄せ集めているのである。








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脳の映像領域で考える

アメリカの事業家イーロン・マスクの名を知らない人がいまだ多いのは驚くべきことだ。
民間宇宙船開発会社スペースXで、ロシア、中国、そして、アメリカ政府と競い、人類の火星移住計画を推進し、都市の地下に無限層の自動車交通路を本当に作り始め、太陽光発電で電気代を無料にしようとしている。
今月(2019年7月)は、脳機能を拡張するチップを人間の脳に埋め込む臨床試験を2020年から行うことを政府機関に申請している。
だが、イーロンの目下最も大きな事業は、電気自動車製造会社テスラで、この新しく業界に参加した自動車会社が、フォードやGMといった大手自動車会社を時価総額で抜き去るという信じ難いことをやり、AIによる自動運転を推進する。

ところで、イーロン・マスクの興味深い思考法は、「脳の映像領域で考える」ことだ。
彼の自動車会社の名称にもなっている大天才ニコラ・テスラも似たことを言っていた。
要は、イメージで考えるとも言え、そのこと自体は、普通の人でも何となく解ると思うが、普通の人は曖昧にしか知らないのだ。
イメージで考えるちゃんとしたやり方を知れば、天才になると言うより、世界を創造出来る。つまり、ミニ神様になれるのだ。
数学者、心理学者、コンピューター科学者で、いずれの分野でも天才級の実績を残したシーモア・パパートは、幼い時に「歯車」に惚れ込み、何でも歯車で考えると言う。
彼は、自分の能力は平凡だという。彼の平常の愚行を思えば、それはあながち謙遜ではないかもしれない。そして彼は、そんな凡人である自分が、それなりの実績を上げられたのは、歯車で考えたからだと言う。頭の中で、歯車を動かしながら考えるのだ。これも、イーロン・マスクの言う、「脳の映像領域で考える」ということと同じなのだろう。
昨日も書いたが、私が奇跡の力を発揮した時も、いつもイメージがあった。
奇跡の本家本元のイエス・キリストも、そのあたりはもっと具体的に教えても良かったのにと思うが、時代を考えればやむを得ないか・・・

「イメージしろ」と言われた時の、普通の人のやり方は、あまりに冗長で鋭さがない。
イメージには力が必要で、生き生きとしていなければならず、カラーであることが効果的で、そのためには、普通の人では、かなり短時間に集中してイメージしなければならない。
例えば、リンゴが食べたいと思ったら、自分が今、一番食べたい形・・・剥いて8分の1ほどに切ったリンゴが白い皿に乗っている様子を「ぱっと」イメージしたら、ふと振り返れば、ありえない状況で、誰かが「リンゴいらない」と、リンゴを手渡してくれたり、あるいは、本当に剥いたリンゴが出てきたりするのである。
私は子供の時、そうやってリンゴを「空中に注文」していたものだ。
小学生の時の下校時、「今日は、あの道であの(可愛い女の)子に会おう」と勝手に決めて、いつもは通らないその道を行きながら、彼女の印象的な一瞬を強く思い浮かべると、やはり、そこに彼女が現れるのである。
必ずしも、イメージ通りに事が運ぶのではない・・・いや、イメージそのものはかなり外れる。
例えば、私は、天体望遠鏡を初めて手にいれた小学4年生の時、夜空の星の配置に関して知識ゼロながら、「土星を見よう」と思って、図鑑で見た大きな土星の写真をイメージして、適当に星を1つ選んで望遠鏡で見たら、ちゃんと輪はついていて土星だと判ったが、図鑑の土星とは比べ物にならないほど小さかった。
しかし、十分以上に感動的だった。
イメージと違うのは悪いことではない。何とっても、人生とは未知との遭遇を楽しむためのものと言って過言ではないのだから。
昔の魔法も、シンボルを1つ、瞬間的に強くイメージする訓練をしたものであるが、本来、好きなものであれば訓練などする必要はない。
しかし、大人になると、そうやって教えないと、なかなか出来ないものである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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