サティヤ・サイ・ババ(1926~2011)を知らない人も多くなってきたと思う。
サイババは、インドの聖者と言われた世界的に有名な宗教家で、教育、医療、生活、文化など広い面で大きな社会貢献を行い、彼の葬儀は国葬で行われ、それにはインド首相も参列した。
サイババは頻繁に奇跡を起こしたことで知られ、最も有名な奇跡はビブーティ(聖灰)と呼ばれる白い粉を手から出すことで、それをいつでも出来たとされる。
他にも、ネックレス、時計、その他の物を手のひらなどから出現させることが出来たと言われ、「上に向けられたサイババの手のひらから、ニョキニョキ生えるように現れた」と証言する著名人もいるようだ。
一方で、サイババに対する批判もあり、奇跡は全てトリックであるとか、少年に性的虐待を行ったという話もある。
私は、サイババの奇跡も、サイババへの批判のどちらも信じていない。
個人的な印象では、サイババへの過度な称賛も過激な批判も、どちらも胡散臭い。
私は、サイババと直接会ったという事業家の方と会って、じっくり話を聞いたことがあり、その際、サイババが出したビブーティ(聖灰)も分けてもらった。また、その人から、立派な額に入った2Lサイズ(127×178mm)のサイババの写真もいただき、今も書斎に置いてある。
その人は、非常に立派で穏やかな良識ある人物で、サイババの教えや奇跡を完全に信じているようであった。
ただし、その人から、何かの組織に誘われたり、寄付を要求されたことはない。
社会的に立派と言えば、サイババを日本に紹介し、著書『理性のゆらぎ』を出版した青山圭秀さんという方は理学博士と医学博士の両方を持っているらしく、一頃有名であったが、最近はさっぱり聞かなくなった。まだ大した歳ではないはずだが。
この青山圭秀さんのように社会的に評価がある人が、サイババに会って心酔したという話は多いようである。海外ではVIPの信者も多いようだ。
政木和三さんは、サイババの奇跡について、「別に大したものではない」として、あるならあるで良いといった立場だった。政木さんが経験したという奇跡の方が壮大であるからだろう。
ただ、私も、政木さんの奇跡現象に関しては、物質的なものは見ていない。しかし、不思議なことなら沢山あったと思う。
私は、サイババの本は、読みかけたものはあるが、一冊を除き読み通したものはない。
内容がややこしいし、正直、胡散臭くて疲れるからだ。
ただ1冊、『ナーマスマラナ』だけは気に入っている。
ナーマスマラナとは、神の名を唱える行のことで、念仏に近い。
サイババは、今の時代は、ナーマスマラナでしか救われないと述べたと本に書かれているが、この本以外では、サイババがそう教えているようには思われない。
そういえば、浄土系仏教では、釈迦は、末法の世(釈迦の教えが理解されなくなった時代)では、念仏以外では救われないと教えたことになっているが、その根拠となると、どこにあるのかはっきりしない。
そもそもが、浄土三部経にしたって、決して、念仏を唱えよと教えているわけではないと私は思う。
上祐史浩氏がYouTubeで、浄土仏教について話しているのを見たが、阿弥陀経と観無量寿経を間違えているし、無量寿経の解釈もおかしいように思ったが、そういうことは上祐氏に限らず多いし、本物の仏教の専門家でも、必ずしも教典の解釈は一定していない。
だから、誰が言ったというのではなく、私は、神の名やマントラ(真言)、呪文、短い祝詞を唱える以外に救われる道はないというのは、ほぼ正しいと思う。
ただそれは、これらの言葉に霊的な力があるからといったものではなく(ないとも言わないが)、最も肯定的な言葉を長く繰り返し唱えることで、脳あるいは心の自然な働きとして思考が消えるからである。
肯定的な意味の言葉ではなく、「ナ・ダーム」のような何の意味もない言葉を採用するメソッド(手法)もあり、TM(超越瞑想)がそうだし、また、日本人にとって、サンスクリット語やそれを音写した中国で使われているマントラ等も同じである。
しかし、マントラ等にこだわる必要はなく、自分で唱え易い言葉であればそれで良いのである。
自分で試すしかないが、引き寄せ程度のことは、これで十分に行えるし、最も確実であると思う。
その効果を高めるには、深呼吸と薄目が役に立つと思う。
AIアート699
「白百合」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ナーマスマラナ(サティヤ・サイ・ババ)
(2)歎異抄(梅原猛。講談社学術文庫)
(3)選択本願念仏集(法然)
(4)理性のゆらぎ(青山圭秀)
(5)密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字
サイババは、インドの聖者と言われた世界的に有名な宗教家で、教育、医療、生活、文化など広い面で大きな社会貢献を行い、彼の葬儀は国葬で行われ、それにはインド首相も参列した。
サイババは頻繁に奇跡を起こしたことで知られ、最も有名な奇跡はビブーティ(聖灰)と呼ばれる白い粉を手から出すことで、それをいつでも出来たとされる。
他にも、ネックレス、時計、その他の物を手のひらなどから出現させることが出来たと言われ、「上に向けられたサイババの手のひらから、ニョキニョキ生えるように現れた」と証言する著名人もいるようだ。
一方で、サイババに対する批判もあり、奇跡は全てトリックであるとか、少年に性的虐待を行ったという話もある。
私は、サイババの奇跡も、サイババへの批判のどちらも信じていない。
個人的な印象では、サイババへの過度な称賛も過激な批判も、どちらも胡散臭い。
私は、サイババと直接会ったという事業家の方と会って、じっくり話を聞いたことがあり、その際、サイババが出したビブーティ(聖灰)も分けてもらった。また、その人から、立派な額に入った2Lサイズ(127×178mm)のサイババの写真もいただき、今も書斎に置いてある。
その人は、非常に立派で穏やかな良識ある人物で、サイババの教えや奇跡を完全に信じているようであった。
ただし、その人から、何かの組織に誘われたり、寄付を要求されたことはない。
社会的に立派と言えば、サイババを日本に紹介し、著書『理性のゆらぎ』を出版した青山圭秀さんという方は理学博士と医学博士の両方を持っているらしく、一頃有名であったが、最近はさっぱり聞かなくなった。まだ大した歳ではないはずだが。
この青山圭秀さんのように社会的に評価がある人が、サイババに会って心酔したという話は多いようである。海外ではVIPの信者も多いようだ。
政木和三さんは、サイババの奇跡について、「別に大したものではない」として、あるならあるで良いといった立場だった。政木さんが経験したという奇跡の方が壮大であるからだろう。
ただ、私も、政木さんの奇跡現象に関しては、物質的なものは見ていない。しかし、不思議なことなら沢山あったと思う。
私は、サイババの本は、読みかけたものはあるが、一冊を除き読み通したものはない。
内容がややこしいし、正直、胡散臭くて疲れるからだ。
ただ1冊、『ナーマスマラナ』だけは気に入っている。
ナーマスマラナとは、神の名を唱える行のことで、念仏に近い。
サイババは、今の時代は、ナーマスマラナでしか救われないと述べたと本に書かれているが、この本以外では、サイババがそう教えているようには思われない。
そういえば、浄土系仏教では、釈迦は、末法の世(釈迦の教えが理解されなくなった時代)では、念仏以外では救われないと教えたことになっているが、その根拠となると、どこにあるのかはっきりしない。
そもそもが、浄土三部経にしたって、決して、念仏を唱えよと教えているわけではないと私は思う。
上祐史浩氏がYouTubeで、浄土仏教について話しているのを見たが、阿弥陀経と観無量寿経を間違えているし、無量寿経の解釈もおかしいように思ったが、そういうことは上祐氏に限らず多いし、本物の仏教の専門家でも、必ずしも教典の解釈は一定していない。
だから、誰が言ったというのではなく、私は、神の名やマントラ(真言)、呪文、短い祝詞を唱える以外に救われる道はないというのは、ほぼ正しいと思う。
ただそれは、これらの言葉に霊的な力があるからといったものではなく(ないとも言わないが)、最も肯定的な言葉を長く繰り返し唱えることで、脳あるいは心の自然な働きとして思考が消えるからである。
肯定的な意味の言葉ではなく、「ナ・ダーム」のような何の意味もない言葉を採用するメソッド(手法)もあり、TM(超越瞑想)がそうだし、また、日本人にとって、サンスクリット語やそれを音写した中国で使われているマントラ等も同じである。
しかし、マントラ等にこだわる必要はなく、自分で唱え易い言葉であればそれで良いのである。
自分で試すしかないが、引き寄せ程度のことは、これで十分に行えるし、最も確実であると思う。
その効果を高めるには、深呼吸と薄目が役に立つと思う。
AIアート699
「白百合」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ナーマスマラナ(サティヤ・サイ・ババ)
(2)歎異抄(梅原猛。講談社学術文庫)
(3)選択本願念仏集(法然)
(4)理性のゆらぎ(青山圭秀)
(5)密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字