ある意味、この世は思い込みの世界であるようだ。
言ってみれば、この世は「思う通り」になるのではなく「思い込んだ」通りになる。
「思い込む」も「信じる」も同じだが、いずれにしろ、都合よく思い込んだり信じたり出来るわけではない。
この世が思い込んだ通りということが明確に書かれた本が『トーチェ氏の心の法則』だ。
たとえば、トナカイの肉しか食べないある民族は、栄養学的には栄養が偏っているのに彼らは極めて健康である。しかし、彼らに栄養学の知識を与えると、彼らは途端に病気になり始める。
また、「沢山食べれば癌が治る」と思い込んだ末期癌患者が、せっせと食べ続けたら、やはり癌が完治してしまった。
もっと瞬間的な例で言えば、酔っ払いが、自分ではちょっと戸口で転んだと思ったが、別に何ともなかったので立ち上がるとそのまま機嫌よく歩いていったが、実際には4階の窓から落ちたのだった。
他にも、この本には、そんな話・・・世界は思い込んだ通りになることが沢山書かれている。
「A子がお前のことを好きらしいぞ」と言われた男の子は、それを信じてしまえばその通りになる。
そうならないとしたら、その男の子はやはり信じていないのだ。
「いや、そんなことを信じる勘違い男はいるわよ」と言うかもしれないが、その勘違い男にちゃんと尋ねたら、本当には信じていないことが分かる。
昔の人は天動説を信じていたと言うが、実際には、そんなことを具体的に信じていたのではなく、敢えて疑わなかっただけだ。
だから、当時でも、本当に賢い人は、天動説について「疑ってはいないが、信じてもいない」と思っていたのだ。
ガリレイに天動説を強要した教会の人達だって、本当に天動説を信じていたわけではない。
しかし、ガリレイは本当に地動説を信じていた。
ちなみに、ガリレイが「それでも地球は動く(E pur si muove. ※原語通りなら「それでも動く」)」と言ったというのは伝記作家の創作である。
昔の引き寄せでは、繰り返し言えば信じることが出来、そして、その通りになると言われている。
いわゆる「嘘も千回言えば本当になる」だが、その言葉を言ったと言われるベッケルス(ヒトラーの広報担当)が本当にそう思っていたかどうかは分からない。
ところが、カート・ヴォネガットの『母なる夜』で、千回というのではないが、人間は表面的にでも振る舞っているような人間になってしまうことが描かれている。
それを一見否定しているように見えるのが、シェイクスピアの『リア王』だ。これは戯曲とはいえ、シェイクスピアはカート・ヴォネガットが「下手だが人間をよく知っている作家」と言った大作家だ。
リア王の長女と次女は、口では父王をこの上なく愛していると言ったが、全くそうではなかった。
一方、末娘は「当たり前に父を愛しており、それ以上でも以下でもない」と言ったが、読者は、末娘こそが父王を深く愛していると思ったことだろう。
しかし、姉達は「父を深く愛している」と言う回数が少なかった。だから、そうならなかった。それだけの話だ。
それに対し、末娘は、敢えて言わないまでも「普通に父を愛している」といつも思っていたので、実は、単に普通に父を愛していたのだ。
普通に愛することが尊いのであり、娘がそんなに父を愛するはずがない。
つまり、千回ほど言えば、本当に嘘も本当になる。
千回で駄目なら一万回。状況によっては、1回で本当になる。
ちゃんとした言葉を使えば、だいたい千回で本当になるようだ。
とにかく、肝に銘じておくべきは「数が大切」である。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)トーチェ氏の心の法則
(2)母なる夜(カート・ヴォネガット)
(3)リア王 (光文社古典新訳文庫)
(4)信念の魔術(C・M・ブリストル)

AIアート977
「あさみどり」
Kay
言ってみれば、この世は「思う通り」になるのではなく「思い込んだ」通りになる。
「思い込む」も「信じる」も同じだが、いずれにしろ、都合よく思い込んだり信じたり出来るわけではない。
この世が思い込んだ通りということが明確に書かれた本が『トーチェ氏の心の法則』だ。
たとえば、トナカイの肉しか食べないある民族は、栄養学的には栄養が偏っているのに彼らは極めて健康である。しかし、彼らに栄養学の知識を与えると、彼らは途端に病気になり始める。
また、「沢山食べれば癌が治る」と思い込んだ末期癌患者が、せっせと食べ続けたら、やはり癌が完治してしまった。
もっと瞬間的な例で言えば、酔っ払いが、自分ではちょっと戸口で転んだと思ったが、別に何ともなかったので立ち上がるとそのまま機嫌よく歩いていったが、実際には4階の窓から落ちたのだった。
他にも、この本には、そんな話・・・世界は思い込んだ通りになることが沢山書かれている。
「A子がお前のことを好きらしいぞ」と言われた男の子は、それを信じてしまえばその通りになる。
そうならないとしたら、その男の子はやはり信じていないのだ。
「いや、そんなことを信じる勘違い男はいるわよ」と言うかもしれないが、その勘違い男にちゃんと尋ねたら、本当には信じていないことが分かる。
昔の人は天動説を信じていたと言うが、実際には、そんなことを具体的に信じていたのではなく、敢えて疑わなかっただけだ。
だから、当時でも、本当に賢い人は、天動説について「疑ってはいないが、信じてもいない」と思っていたのだ。
ガリレイに天動説を強要した教会の人達だって、本当に天動説を信じていたわけではない。
しかし、ガリレイは本当に地動説を信じていた。
ちなみに、ガリレイが「それでも地球は動く(E pur si muove. ※原語通りなら「それでも動く」)」と言ったというのは伝記作家の創作である。
昔の引き寄せでは、繰り返し言えば信じることが出来、そして、その通りになると言われている。
いわゆる「嘘も千回言えば本当になる」だが、その言葉を言ったと言われるベッケルス(ヒトラーの広報担当)が本当にそう思っていたかどうかは分からない。
ところが、カート・ヴォネガットの『母なる夜』で、千回というのではないが、人間は表面的にでも振る舞っているような人間になってしまうことが描かれている。
それを一見否定しているように見えるのが、シェイクスピアの『リア王』だ。これは戯曲とはいえ、シェイクスピアはカート・ヴォネガットが「下手だが人間をよく知っている作家」と言った大作家だ。
リア王の長女と次女は、口では父王をこの上なく愛していると言ったが、全くそうではなかった。
一方、末娘は「当たり前に父を愛しており、それ以上でも以下でもない」と言ったが、読者は、末娘こそが父王を深く愛していると思ったことだろう。
しかし、姉達は「父を深く愛している」と言う回数が少なかった。だから、そうならなかった。それだけの話だ。
それに対し、末娘は、敢えて言わないまでも「普通に父を愛している」といつも思っていたので、実は、単に普通に父を愛していたのだ。
普通に愛することが尊いのであり、娘がそんなに父を愛するはずがない。
つまり、千回ほど言えば、本当に嘘も本当になる。
千回で駄目なら一万回。状況によっては、1回で本当になる。
ちゃんとした言葉を使えば、だいたい千回で本当になるようだ。
とにかく、肝に銘じておくべきは「数が大切」である。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)トーチェ氏の心の法則
(2)母なる夜(カート・ヴォネガット)
(3)リア王 (光文社古典新訳文庫)
(4)信念の魔術(C・M・ブリストル)

AIアート977
「あさみどり」
Kay