ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

トワイライトゾーン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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哀しい中二病

アメリカのSFテレビドラマ『トワイライトゾーン』の中の1つの話だと思うが、自分そっくりのアンドロイドを作った男の話がある。
そのアンドロイドは、全く人間と見分けが付かないほどの出来で、何と、そのアンドロイド自身が、自分を人間だと思っていた。
そのアンドロイドを作った男は、自分そっくりのアンドロイドに言う。彼は、30代か40代だったと思う。
「俺は、どこかなりきれないんだ・・・大人にね。皆、子供の時は、博士になる、偉くなると言う。しかし、やがて言わなくなる。だが、俺は違った」
つまり、そんな心構えで、ついに、科学の限界を超え、精巧なアンドロイドを作ったのだろう。
ところで、この彼のセリフを見ると、現代では、彼のような人間を指す最適な言葉がある。
「中二病」だ。
「中二病」をgoo辞書で検索すると、

思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄(やゆ)する俗語。具体的には、不自然に大人びた言動や、自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み、またはコンプレックスなどを指す。

とある。
この定義の中でも「自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み」が、中二病の最大の特徴と思う。
大人で中二病を患っている者も多いと言われるが、それがこのアンドロイドを作ったことになっている男である。
このお話は、あくまで創作なので、この中二病の男は、大きなことを成し遂げたように見える。
だが、現実の中二病の人間は、「自分は特別だ」という誇大妄想を持っているが、残念ながら、ほとんどが凡人だ。
天才画家のサルバドール・ダリは、自分は天才で特別な人間であることを臆面もなく公言したという話がある。
ダリほどの本物の天才でも、そのような発言は見苦しいのに、凡人であれば、もはや「痛い(甚だしく恥ずかしい様を示す俗語)」以外の何物でもなく、実際、中二病の凡人ほど痛いものはない。
ところで、ダリのそのような発言は、風説(うわさ話)に過ぎないか、ダリの冗談だったという話もあり、おそらく、このいずれかと思う。
尚、『トワイライトゾーン』の、その自分そっくりのアンドロイドを作った中二病の男は、そのアンドロイドに殺された。
このアンドロイドは過剰な自意識が作った妄想の象徴として描かれたのだろう。

現代は、中二病の人間が多いという。
特別に誇れるものなど何もないのに、自分を特別視する困った人。
あなたの学校や職場にも、1人、あるいは、何人かいるのではないだろうか?
以前、私が勤めていた会社の職場にいた、まるでダメ男君に、冗談のつもりだったが、私は、「君も事業を起こして経営者になってはどうだい」と言ったら、彼は大真面目な顔で「いいですねえ」と答えた。これも中二病であろう。人並の仕事も出来ないのに、人の上に立つことを妄想しているからだ。

中二病を肯定する者もいる。
ある成功者は「僕は中二病ですよ。皆、中二病になればいいんです」と言っていたが、まあ、そんな面もあるのだろうが、駄目な中二病には言ってはならないことと思う。
こんな立派な人に言われて、勘違いを強化した中二病者は、人生をさらに悲惨にする可能性が高い。

自分を特別視することが、必ずしも悪いわけではないかもしれない。
ただし、それが許されるのは、その根拠があったり、そうでないなら、相応しい覚悟がある場合だけだろう。
そんな中二病者など、まずいないだろう。
何の根拠もない妄想で自分を特別視するが、辛いことがあったら、すぐに逃げて言い訳をし、冒険に挑む勇気もない。

中二病は、家庭の誤った教育によって作られるのだと思う。
あくまで個人的な考えとするが、大方の場合は、特に母親が愚かなのである。

何歳まで中二病が許されるかというと、子供でもまずいのである。
夢を持っていたり、自由に生きたいと思うことと、中二病のように自分を特別視することとは、全く別のことだ。
夢や自由は与えられるものではなく、それを得たいなら戦う覚悟がいる。
覚悟を持った者ほど、自分は大した人間ではないことを知っている。
また、覚悟を持った者は、何ごとも人のせいにしない。だから言い訳をしない。
一方、中二病者ほど言い訳の多い者はない。
覚悟がある者は、欲張らず、文句を言わないが、中二病者は欲張りで、文句ばかり言う。

結論を言えば、中二病者は人並以上のことは出来ない。
自分は中二病だと言う成功者は、中二病を誤解しているか、何か妙な意図でもあるのだと思う。

誰もが特別であるという意味でなら、なるほど、私もあなたも特別だ。
しかし、自分だけが特別であるとか、あるいは、自分以外では、人々に称賛されるような人間だけが特別と言うなら、救いようのない幼稚な中二病だ。
現代で多いのは、良い大学を出たというだけで、何か自分は特別だ、優秀だと思っている馬鹿で、そんな者は中二病を患っている可能性が高い。

自分を根拠なく特別視せず、もし、上に立ちたいなら、根拠があっても自分を特別視しないことだ。
立派な人間、真に優秀な人間は言い訳をしないものであり、そのためには、欲張らず、文句を言わないことだ。
そうでなければ、潜在意識の無限の力も引き出せない。
なぜなら、自分を特別視する人間の薄汚れた自我は、潜在意識への通路を完全に塞いでしまうからである。








奇跡の正しい起こし方

イギリスのSF作家、H.G.ウェルズは、コリン・ウィルソンやカート・ヴォネガットらの大作家が最高の賛辞を寄せる文学者だ。
ウェルズの『宇宙戦争(1898)』や『タイムマシン(1895)』は、20世紀に傑作映画が作られているが、それぞれ、2005年、2002年にも映画化されており、さらに、未来の再映画化も十分に考えられる。
タイムマシンの概念を作ったのはウェルズではないかと思うが、他にも、ウェルズは、原爆が無かった時代にその登場を予言した。

ウェルズの短編に『奇跡を起こせる男』(1898)という作品がある。
「奇跡を起こせる男」なんて言葉は日本語になってないなんて文句を言う人もいそうだが、訳者によって、『奇跡を行う男』『奇跡をおこさせる男』など、他にもいろんな日本語版タイトルがある。
原題は“The Man Who Could Work Miracles”だ。
私はこれを中学1年生の時に読んで、非常に面白く印象的だったのを憶えている。
どんな話かと言うと、突然に神のごとき力を得た、30歳の冴えない男の話だ。
彼が最初に起こした奇跡は、当時は石油ランプが使われていた時代だが、その石油ランプを、空中に逆さに浮かせて燃えさせるというものだった。
彼が、そうなれと言えばただちにそれは実現した。
上等の服も、豪華な料理も思いのまま、即座に出現させることが出来た。
ある時、刑事に追い詰められた時には、思わず、刑事に向かって「地獄へ行け」と言ったら、その刑事は消えてしまった。
地獄が本当にあるかどうかはともかく、いつまでもそのままでは悪いので、男が場所を指定して「帰って来い」と言ったら、地獄の炎で焼けたのか、服が焦げた刑事が、その場所に現れた。
現代と比べて、極めて情報が少ない時代の、凡庸なこの男の想像力では、それほど大それたことは考えないと思われたが、最後に、かなりヤバい奇跡を起こしたところ、予想もしなかった事態に怖れをなし、男は、最後の奇跡として、奇跡の力を捨てることと、最初に奇跡を起こした時間に戻るようにした。

奇跡を起こせる人と言えば、映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』の中の第3話である『子供の世界(IT'S A GOOD LIFE)』というものがある。
11歳位のアンソニーという少年が、やはり、万能の奇跡の力を持っていた。
それで、家族全員が、アンソニーに怯え、家来のように従っていた。
結局、若い女性教師ヘレンに諭され、アンソニーは奇跡の力を生涯、封印することを誓うが、さあ、どうなることやら。

いずれにしても、奇跡の力なんてものは、普通の人間には無用で、持つと、ロクなことにならないことを示している。
そもそも、奇跡の力というものがあるかとなると、自分が科学的であるとか常識があると思っている人の多くは「ない」と言うだろう。
しかし、新約聖書には、イエス・キリストが多くの奇跡を起こした話があり、キリスト教徒の多くは、それを信じている。
日本にだって、黒住宗忠という、奇跡の力を見せたと言われる神道家がいるし、他にも、話だけなら沢山いるだろう。
いや、私も、奇跡を起こせる人には結構会っているし、私も少々出来る(笑)。
そして、科学者の中にも奇跡を肯定する、あるいは、可能性を肯定する者は、今でも少なくないし、むしろ、増えているようにも思う。
もちろん、科学的に言うなら、「奇跡の定義は」から始まるので面倒であるが。

で、こう決着をつけておく。
イエスにしろ黒住宗忠にしろ、あるいは、誠実に思える奇跡を起こせる他の人達の間でも、奇跡には共通することがある。
まず、奇跡を起こす力は、ごく身近にある。
イエスは天にいる神の力としたが、神には距離は関係ない。
黒住宗忠の場合、絶対神としての天照大神は、外にもいるが、我々と一体でもあるとも言った。
そして、現在の潜在意識の法則や引き寄せの法則では、奇跡でも起こせる万能の力は、潜在意識、あるいは、無意識の中に存在し、誰でも、いつでも、それを使えるのだと言う。
ただ、上の『奇跡を起こせる男』や『子供の世界』には、圧倒的な誤りがある。
それは、奇跡というものは、人間の意思で無理矢理起こすものではなく、神とでも言うべき存在が起こすのだということだ。
それを、イエスは「私の思いではなく、神の思いが実現しますように」と言ったのだし、黒住宗忠は「神に丸ごとまかせれば間違いない」と言ったのだ。
そして、神が味方であることは、彼らを含めた全ての聖人や現代の引き寄せの法則の教師達が保証している。
で、どうすれば、神様が願いを聞いてくれるかと言うと、いろいろやり方はあると思うが、私に関して言えば、1つのやり方以外は難し過ぎて駄目である。
そのやり方は、何度も書いたが、
「私はXXXXである」
と、言葉や心で言うことだ(私はもっぱら心でだが)。
叶わないのは、やり方がどうとかではなく、単に回数が足りないだけで、小さな願いで数千回、大きな願いでも10万回で叶う。
まあ、保証する訳にはいかないが、特殊な事情がある場合を除き(滅多にない)、叶わないことはあり得ないと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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