ロシアのプーチン大統領は2023年10月17日のインタビューの中で、アメリカのバイデン大統領に対して言ったのだとされているが、
「他人を尊重し、妥協することを学ぶべきだ」
と言ったようだ。
これほど賢い言葉を言った人物は、私が記憶する限りは他にいない。
私がそう思うだけかもしれないが、これに比べれば、マザー・テレサが言ったことは複雑で役に立たないことのように思える。
尊重ということに関しては、金持ち、権力者、利権を持つ者は無制限に尊重され、そうでない人は全く尊重されないという現実がある。
一部では、賢い人、正しい人、心の美しい人が尊重されることがあり、それは良いことかもしれないが、そのことが、そうでない人が全く尊重されないという現実も生んでいる。
愚か者も尊重されるべきではある。しかし、同時に無制限に尊重することが出来るはずがないことも知らねばならない。
ところが、人々が馬鹿になってきている日本やアメリカでは、無制限に尊重するか全く尊重しないかの極端なやり方しか出来なくなっている。
尊重ということの中にも妥協は必要である。
現実問題として、「この人はここまでは尊重しよう。しかし、それ以上は無理」という妥協も必要なのだ。
しかし、現実には、「この人は無制限に尊重する」「この人は全く尊重しない」に近いことが行われている。
おそらく、尊重と妥協は関係が強く、それだけになおさら両方が重要なのかもしれない。
例えば、日本は新型コロナウイルスのワクチンを、アメリカの製薬会社から、他国と比べ、破格の高い値段で買い、100兆円も使ったと言われている。国民の税金で買いながら政府は製薬会社との契約書を公開していない。政府は、契約書を公開しないことも契約の中に入っているという子供の言い訳みたいなことを言っているようだが・・・。
確かに、日本は実際はアメリカの属国で、アメリカ政府に従わなければならない部分は現実としてあるだろう。
しかし、日本政府は限度を超えて従っている。
一方で、アメリカの不適切な要求は一切拒否せよとでも言いたい人達もいるが、それもまた現実的ではない。
そこで、本当は、アメリカと日本で、お互いを尊重し、妥協点を見出さなければならないのだ。
しかし、頭の悪い日本とアメリカの権力者は、アメリカのみを尊重し、適切な妥協点を見出そうとしていないのだ。
その結果、日本のみが、人間での治験を全く行っていない(少数のマウスでしか治験を行っていないらしい)新しいワクチンによる7回目の接種を、世界で唯一行おうとしている。政府に口止めされているマスコミは、こんなことを一切言わないが、調べるまでもなく、分かることである。ただ、テレビ、新聞ばかり見ている人には分からないのである。
『美少女戦士セーラームーン』という有名なアニメの中で、1つの大きなテーマがあった。
セーラームーンこと月野うさぎの信念は「誰も犠牲にしない」で、これは最後まで貫かれる。
一方、セーラームーンの仲間でもあるセーラーウラヌス、セーラーネプチューン、セーラープルートらは「全体のためには少数の犠牲はやむなし」で、これは、セーラームーンの影響で多少は和らいだ感はあったが、結局、このポリシーは最後まで残っていたように思う。
これは、解決が難しい問題で、私も悩んでいた。
その後のアニメ『まほろまてぃっく』で、主人公の「完璧な心を持つ」まほろは、こんな自問自答をする。
「全体のために誰かが犠牲になる。これは正しいことでしょうか?」
「善くはありませんが、それが悲しい現実です」
これを聞いて、私は、一応、上のセーラームーン問題の一応の解決を見たと思ったが、実際は何も解決されていない。
だが、プーチンが解決してくれたのだ。
分かってしまえば、実に簡単なことで、こんなことが分からなかったことがむしろ可笑しい。
答は「尊重ある妥協」だ。
「誰も犠牲にしない」を無制限に貫くことは現実的に出来ない。
しかし、安易に誰かを犠牲にしてもならない。
なんとかして妥協点を見出すしかない。
我々は妥協なきことを美徳と考える傾向が強い。
一方で、きちんとやるべきことを、どこまでも怠惰で放埓(勝手気まま)にやってしまうことが多い。
真にIQが高い者とは、高い妥協点を見いだせる者で、IQテストの成績が高い者ではない。
実際、普通に周りを見ても、IQが高い者は適切な妥協をし、IQが低い者はどこまでも妥協しない。

AIアート480
「陽光」
Kay
有名なトロッコ問題というものがある。
放っておいたら5人が死ぬが、ある人がある操作をすれば、関係のない1人が死に、その5人は助かる。
そのある人はその操作をするべきか?
答は出ていないとされる。
まず、そんな事態が起こらないようにすることが第一だ。
次に、そんなことが起こった場合のルールを決めておくことが必要だ。
だが、この2つで解決しない場合は、その操作者が何をしても尊重するしかない。
ところが、現実では、その操作者を徹底して肯定・擁護するか、徹底して非難するかになる場合が多い。
多くの場合、肯定も非難も必要だが、妥協点を見出す他、どうしようもない。
「他人を尊重し、妥協することを学ぶべきだ」
と言ったようだ。
これほど賢い言葉を言った人物は、私が記憶する限りは他にいない。
私がそう思うだけかもしれないが、これに比べれば、マザー・テレサが言ったことは複雑で役に立たないことのように思える。
尊重ということに関しては、金持ち、権力者、利権を持つ者は無制限に尊重され、そうでない人は全く尊重されないという現実がある。
一部では、賢い人、正しい人、心の美しい人が尊重されることがあり、それは良いことかもしれないが、そのことが、そうでない人が全く尊重されないという現実も生んでいる。
愚か者も尊重されるべきではある。しかし、同時に無制限に尊重することが出来るはずがないことも知らねばならない。
ところが、人々が馬鹿になってきている日本やアメリカでは、無制限に尊重するか全く尊重しないかの極端なやり方しか出来なくなっている。
尊重ということの中にも妥協は必要である。
現実問題として、「この人はここまでは尊重しよう。しかし、それ以上は無理」という妥協も必要なのだ。
しかし、現実には、「この人は無制限に尊重する」「この人は全く尊重しない」に近いことが行われている。
おそらく、尊重と妥協は関係が強く、それだけになおさら両方が重要なのかもしれない。
例えば、日本は新型コロナウイルスのワクチンを、アメリカの製薬会社から、他国と比べ、破格の高い値段で買い、100兆円も使ったと言われている。国民の税金で買いながら政府は製薬会社との契約書を公開していない。政府は、契約書を公開しないことも契約の中に入っているという子供の言い訳みたいなことを言っているようだが・・・。
確かに、日本は実際はアメリカの属国で、アメリカ政府に従わなければならない部分は現実としてあるだろう。
しかし、日本政府は限度を超えて従っている。
一方で、アメリカの不適切な要求は一切拒否せよとでも言いたい人達もいるが、それもまた現実的ではない。
そこで、本当は、アメリカと日本で、お互いを尊重し、妥協点を見出さなければならないのだ。
しかし、頭の悪い日本とアメリカの権力者は、アメリカのみを尊重し、適切な妥協点を見出そうとしていないのだ。
その結果、日本のみが、人間での治験を全く行っていない(少数のマウスでしか治験を行っていないらしい)新しいワクチンによる7回目の接種を、世界で唯一行おうとしている。政府に口止めされているマスコミは、こんなことを一切言わないが、調べるまでもなく、分かることである。ただ、テレビ、新聞ばかり見ている人には分からないのである。
『美少女戦士セーラームーン』という有名なアニメの中で、1つの大きなテーマがあった。
セーラームーンこと月野うさぎの信念は「誰も犠牲にしない」で、これは最後まで貫かれる。
一方、セーラームーンの仲間でもあるセーラーウラヌス、セーラーネプチューン、セーラープルートらは「全体のためには少数の犠牲はやむなし」で、これは、セーラームーンの影響で多少は和らいだ感はあったが、結局、このポリシーは最後まで残っていたように思う。
これは、解決が難しい問題で、私も悩んでいた。
その後のアニメ『まほろまてぃっく』で、主人公の「完璧な心を持つ」まほろは、こんな自問自答をする。
「全体のために誰かが犠牲になる。これは正しいことでしょうか?」
「善くはありませんが、それが悲しい現実です」
これを聞いて、私は、一応、上のセーラームーン問題の一応の解決を見たと思ったが、実際は何も解決されていない。
だが、プーチンが解決してくれたのだ。
分かってしまえば、実に簡単なことで、こんなことが分からなかったことがむしろ可笑しい。
答は「尊重ある妥協」だ。
「誰も犠牲にしない」を無制限に貫くことは現実的に出来ない。
しかし、安易に誰かを犠牲にしてもならない。
なんとかして妥協点を見出すしかない。
我々は妥協なきことを美徳と考える傾向が強い。
一方で、きちんとやるべきことを、どこまでも怠惰で放埓(勝手気まま)にやってしまうことが多い。
真にIQが高い者とは、高い妥協点を見いだせる者で、IQテストの成績が高い者ではない。
実際、普通に周りを見ても、IQが高い者は適切な妥協をし、IQが低い者はどこまでも妥協しない。

AIアート480
「陽光」
Kay
有名なトロッコ問題というものがある。
放っておいたら5人が死ぬが、ある人がある操作をすれば、関係のない1人が死に、その5人は助かる。
そのある人はその操作をするべきか?
答は出ていないとされる。
まず、そんな事態が起こらないようにすることが第一だ。
次に、そんなことが起こった場合のルールを決めておくことが必要だ。
だが、この2つで解決しない場合は、その操作者が何をしても尊重するしかない。
ところが、現実では、その操作者を徹底して肯定・擁護するか、徹底して非難するかになる場合が多い。
多くの場合、肯定も非難も必要だが、妥協点を見出す他、どうしようもない。