ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

トランプ大統領

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

成功者は必ず引き寄せを使っている

成功者は、引き寄せを意識的に使っている。
昔なら、成功者でも、自分では引き寄せを使っているとは思っておらず、どこかで、誰かに「仕事の不思議な秘訣」「人生の不思議な秘訣」的に引き寄せを教わっていて、無意識的に使っている場合もあったが、この情報時代では、成功者のほとんどが引き寄せ(潜在意識の法則とか成功哲学という名称を使う場合もあるが)を明確に意識して使っている。
ところが、一般の人のほとんどは、引き寄せのことを聞くと、胡散臭いと感じ、そんなものを否定することが、社会的信用がある人の知的な態度と思っている。
だが、一般の人の中の10パーセントほどが引き寄せのことを知って取り組み、3パーセントが引き寄せを使えるようになる。
残りの7パーセントが引き寄せを使えないのは、引き寄せに対する疑念があったり、誤ったやり方をするからだ。
ただ、少々、やり方が間違っていても、それなりの成果は出るものだが、一般人のほとんどがうまくいかないのは、むしろ、根気とか粘りといったものがないせいだ。

有名人の引き寄せのテキストとしては、トランプ大統領やレーガン大統領は、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』、オバマ大統領では、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの『自己信頼』であることがよく知られている。これらの本は、引き寄せの本と思われていない場合もあるが、実に最高の引き寄せの本だ。

さっき、一般人は、ほとんどの場合、引き寄せを疑うと言ったが、むしろ、「一般人とは、引き寄せを信じない人種である」と定義し直しても良い。
これには、「信じたいけど、信じることが出来ない」という場合もある。
では、成功者はなぜ引き寄せを信じるかというと、引き寄せを信じられるような家庭教育や、良い師匠的な存在に巡り合えたといういった理由が多いのだと思う。
しかし、成功者に共通する、ある特徴が注目に値する。
それは、古典を愛読していることだ。
ある時、トランプ大統領が、「私ほど聖書を読んでいる者はいない」と言い、それは誇張かもしれないが、トランプ大統領は、やはり、自分はかなり読んでいるという自信があるのだろう。
そして、成功者は皆、何らかの古典を読んでいる。
多いのは、やはり『聖書』だと思うが、『バガヴァッド・ギーター』である場合も案外に多い。
他には、『論語』や『タルムード』、『コーラン』も人気があるし、元は犯罪者で刑務所にいたが、そこで読み始めた『法華経』が自分の成功の秘訣だったと言う成功者もいる。
古典の中には、引き寄せへの信念を高めてくれ、また、最高の秘訣を言葉というよりは、インスピレーションとして与えてくれる場合が多い。

上で、引き寄せを知っていても、一般人は根気がないので成功しないと述べた。
『新約聖書』の『福音書』の中に、こんな話がある。
ある女が、裁判所に訴えを起こしたが、軽んじられて取り合ってもらえなかった。
ところが、その女は、諦めずに毎日裁判所に通った。
すると、裁判官は、「この女の申し出を受けないと、これからもずっと煩わされる」と思い、女の訴えを受け付けた。
アメリカの弁護士で宗教家のJ.E.アディントンは著書『奇跡の時は今』の中で、イエスは、「祈りとはこのくらい根気が必要なものだ」と教えたのだと述べている。
良い古典は、こういった重要な心構えを、自然に身に付けさせる効果があるのだと思う。
トランプ大統領の粘り強さは大したもので、何度も破産しながら大富豪になり、ホワイトハウスを去ってからは、権力側からの執拗な攻撃を受けながら、堂々戦っているが、その内実を少しでも知れば、やはり、その脅威の粘り根性には驚かされる。これも、聖書から学んだものだろう。












心安らかな超能力者であるために

そういえば、私は、トランプ大統領の怒った顔なんてものを思い出すことは出来ない。
そもそも、私は、トランプ大統領が怒った顔を見たことがないと思う。
トランプ大統領が、心を込めて言う、強く言う、激しく言う・・・などということはあっても、彼は、人前で怒ることはないのではと思う。
ヒラリー・クリントン氏やジョー・バイデン氏とテレビ討論会でディベートした時だって、口調が激しくなることはあっても、怒っていたことはなかったのだと思う。
彼が、カメラの前で誰かを強く非難することは当然よくあるが、それでも、怒っている・・・というふうではない。
これは新発見だ。
人間というのは、怒った時の顔というのは、みっともないし醜悪なものである。
特に、俗に言う「キレる」、つまり、逆上した時ほど、惨めな雰囲気を醸し出すことはない。
だが、トランプ大統領がみっともない顔になったことはないと思う。
言葉が激しくても、彼は常に冷静なのだと思う。

『エリート』という、1965年の漫画ながら、紙の本が2005年まで出ていて、2017年8月にKindle化され、Wikipediaにも載っている漫画がある。
人間というものは、持っている能力のほんの一部しか使っておらず、全ての潜在力を引き出すと、誰もが超人になるという、当時としては画期的で、今でも、よく分かっていない人が多い事実にスポットライトを当てるところから始める壮大な傑作漫画だ。
原作は『幻魔大戦』などで知られるSF作家の平井和正氏で、漫画は昨年(2020年)亡くなられた桑田次郎氏(ある時期から桑田二郎に改名)だ。
竜太郎という中学3年生の少年は、地球征服をもくろむ巨悪エルケーニッヒ・ダンガーと人類の運命をかけて戦っていて、ジョンという、幼い子供だが、大人より頭が良い上に超能力者である者が味方であった。
読者はずっと、竜太郎とジョンは共に戦うと思っていたはずだが、なぜか、ジョンは、だんだん竜太郎を相手にしなくなる。
そして、なんと、それは最後まで続き・・・というか、ジョンは舞台から姿を消す。
ジョンは、竜太郎を見捨てたのだ。
その理由は、正義感が強く、主人公に相応しい心優しい少年ながら、すぐにかっとなる人格の低い竜太郎を軽蔑したのだと思う。
ジョンは、竜太郎を、野蛮な猿のように見えておかしいとすら言った。
だが、読者は、「あれ、ジョンが出て来なくなったな」くらいには思っても、ジョンが竜太郎を見捨てたことは、あまり気にしないと思う。
しかし、改めて考えると、原作者で、思想家とすら言えるに違いない平井和正氏は、何かを意図していたのだろうと思う。
結局、平井氏すら、竜太郎を見捨てたのかもしれない。
最後、ダンガーとの戦いに勝った竜太郎は孤独だった。
なぜ、竜太郎は見捨てられたのか?
すぐに怒る、キレる、ちっぽけな心を持った低い人格ゆえにだ。
竜太郎は、中学3年生とはいえ、宇宙人アルゴールにより、全潜在力を引き出された超人だ。
それにも関わらず、心が狭いゆえに怒りに心を奪われ、衝動的だ。
そんな人間は、英雄でも何でもない、ちょっと利口で身軽な猿のようなものでしかない。
もし、人間が万物の霊長であるなら、それは、暴力で他の生物を支配出来る力のためではなく、万物を慈しむ人格ゆえだ。

ハンガリー出身のユダヤ人で、天才的な思想家であるアーサー・ケストラーは、『ホロン革命』の中で、人間の脳は出来損ないで、理性が本能をコントロール出来ない・・・つまり、怒りなどの原始的な衝動を理性で抑えることが出来ないと断言し、いわば、絶望しているように思えた。
だが、全くそうではない。
釈迦は、なるほど人間は、たとえ聖人でも、怒り、悲しみ、欲望などの感情が起きると言い、その感情を「第一の矢」と呼んだ。
しかし、凡人が、自分で自分に「第二の矢」を放つ・・・つまり、感情を自分でさらに掻き立てることを聖人はしないと言った。
そして、自分で「第二の矢」を自分に放たなければ、感情は収まる。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、弟子のラメッシ・バルセカールによれば怒りっぽかったらしいが、怒った次の瞬間には上機嫌になっていたのだと言う。
そして、そのような人間になることは高い目標でも何でもなく、誰でも出来ることだ。
むしろ、いつまでも嫌な気分を引きずる愚か者は、優れた人間に見捨てられ排除されるかもしれない。
ジョンが竜太郎を見捨てたように。

発明家で能力開発指導者であった中山正和氏は、般若心経の呪文は、乱れた心を紛らわすのに使えば良いと著書で述べていたことがあった。
呪文や真言、念仏などに霊験があるのかどうかは分からないが、そのような使い方をすれば、それが霊験に優るものである。
我々は、もはや、愚かな猿であってはならない。
他人の迷惑だし、自分も苦しいのである。
ネットなどでも、ちっぽけなプライドが傷付けられたといったような理由だけで暴言を吐く者の愚かさを見ても、そんなことが解るだろう。
私は、ツイッターがトランプ大統領のアカウントを削除したのは間違いであるとは思うが、発言に何らかの規制を持ち込みたがっているのは、今のところ、あまりうまく機能していない面もあるとしても、善意からであるのだと信じたい。
トランプ大統領だって、ホワイトハウスに残したジョー・バイデンへの手紙は、バイデンの幸運と成功を祈ったものであり、一部で言われているようなバイデンを脅迫するようなものでは決してなかった。
やはりトランプ大統領は人格者なのである。
悪意は悪意を、怒りは怒りしか呼ばない。
たとえずぐに心を支配出来ないとしても、このことだけは知っておくべきと思う。








悪魔にズタズタにされないために

我々は、自分が理不尽な目に遭うことを恐れている。
簡単な例で言えば、有力者に殴られたので警察に訴えたが、相手は有力者で警察の上部とつながっているので、警察に相手にされないばかりか、長い間粘り強く訴えたら、逆に自分が名誉棄損で訴えられ、こっちは即座に刑務所に送られた・・・みたいな話だ。

我々は、この世に正義があることを信じたいのである。
赤穂浪士の討ち入りの話が人気があるのも、そのためである。
理不尽に切腹させられた浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇を、臣下の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が取って、主君の無念を晴らすという話を信じたいのだ。
今回のアメリカ大統領選挙で、一般民衆の多くがトランプ大統領に味方するのは、もちろん、正義のためというのもあるが、トランプ大統領側の言い分が全く認められない理不尽に対する恐怖心があるのだと思う。

あまり壮大なお話ではなく、身近に感じられるお話の例として、こんな時代劇の話がある。
ある30代の武士は、主君に嫌われていて、毎日いじめられて辛い目に遭っていたが、家族のためにも耐えていた。
しかし、主君は、その武士の妻が気に入り、ついに連れ去ってしまう。
これまでの恨みも重なり、遂に武士もキレるが、田舎でもあり、訴えるところもないので、主君に直接、抗議文を送ったが、主君は、「それは謀反だ」として、「〇〇月〇〇日に取り押さえに行く」と通達した。
その武士には家来はいないので、自分と、年老いた父の二人が鎧を着て、主君の家来の数十名の精鋭を迎え撃つが、当然、一瞬で叩きのめされ連行され、拷問的な刑罰の末、処刑される。
いやあ、そんな目には遭いたくないものだ(笑)。

日本を代表する思想家であった吉本隆明氏は、学校の中にもある、正義が通用しない理不尽・・・例えば、教師によって理不尽な目に遭わされることについて、
「社会の理不尽は、学校や教師によるものとは比較にならない。だから、学校で鍛えておかないと社会でやっていけない」
として、教師を反面教師と捉えることを勧めていた。
まあ、それも一理あるが、私の個人的な考えでは、社会はまだ正義が通用するところがあるが、学校こそ、全く不法な悪の巣窟であると思う。

だが、いずれにせよ、邪悪な悪魔のなすがままにされてはならない。
そのためには力が必要だ。
敵はいつ攻撃をしかけてくるか分からない。
しかし、力があれば、「この程度はどうということはない」と涼しい顔をしつつ、致命傷を避けることが出来る。
では、どうすれば力が得られるかというと、そんなものはなくても、神様に守ってもらえば良い。
敵と同じ種類の力を持ち、その力で対抗したところで、必ずしも勝つとは限らないし、勝っても被害を受けるものだ。
だが、聖書には書かれている。
「神があなたの代わりに戦ってくれる」
と。
こう言うと、宗教的な妄想と言われるかもしれないが、厳しい状況にある者こそ、経験的に、これが確かと知っている。
リン・ウッド弁護士が、極めてヤバい状況で、聖書の言葉を盛んに引用するのも、そのためだ。
トランプ大統領の愛読書である、ノーマン・ヴィンセント・ピールの著書『積極的考え方の力』の最後に、「なぜ神の力を求めないのか?」と書かれている。
大統領が不屈であるのは、ピールに学んだことが大きいのであると思う。








ジ・エンド

「フィナーレ」は、「最後」という意味のイタリア語だが、スポーツの決勝戦や、音楽・小説・映画の最終章のことを、我々日本人も普通にフィナーレと言う。
イタリアは芸術の国なので、芸術的に価値ある最後のことをフィナーレと言うようになったのではあるまいかと想像する。

映画の最後に、「THE END」と表示される場合と、「FINALE」と表示される場合があるが、やはり、FINALEは芸術的な映画に似合う。
そして、「THE END」も「FINALE」も「最後」なのだが、「THE END」は、どこか「もうお終いだ」といった絶望的な雰囲気があるが、「FINALE」は、どこか華々しい感じがするのではないかと思う。

今の、トランプ大統領の状況は、まさに「THE END」で、「FINALE」は似合わない。
簡単にまとめるとこうだ。
今回のアメリカ大統領選挙は、バイデン候補の圧勝という結果になった。
だが、ミシガン州、ジョージア州、アリゾナ州、ウィスコンシン州で、大規模な不正が行われ、実際は、トランプが圧倒的に勝利しているはずが、トランプに投票された大量の票が、バイデンに付け替えられた。
不正の証拠は山のようにあり、その多くは、YouTubeなどで誰でも確認出来る。
しかし、トランプ弁護団がいくら証拠を示しても、アメリカの主要メディアは、「不正の証拠は全くない」と一貫して報道し、日本のテレビ・新聞は、それらの報道をそのまま翻訳して報道するので、日本では、テレビ・新聞しか見ない人は、選挙不正のことなど全く知らない。
州裁判所では、「証拠不十分」として棄却するが、詳しいことは言わないが、それは仕方がないことと思う。
簡単に理由を1つ言えば、悪事の証拠を裁判で示すのは難しい(レイプされたなんて裁判がほとんど成り立たないのもこのためだ)。
裁判官としては、出来る限り「証拠不十分」とするのが一番楽で、自分の経歴に傷がつかない。
また、ネットの選挙不正情報も、特に日本語のものは、内容そのものはそれなりに正しくても、品がないものや、表現方法に問題があるものが多いし、主張そのものにも問題があるものもあったりで、誤解されてしまっていることもあると思う。
そして、最近、YouTubeでは、選挙不正に関する投稿は削除すると発表した。

ただ、その中で、8日、テキサス州が、 ミシガン州、ジョージア州、アリゾナ州、ウィスコンシン州らの選挙の実施方法が憲法に違反しているとして、アメリカ連邦最高裁判所に提訴し、 17もの州が。テキサス州に追随した。
確かに、その4つの州の憲法違反は明らかなので、最高裁が、これらの州の選挙結果(全て、バイデン候補の勝利)を無効とすることが期待された。
私も、当然、そうなると思っていた。
ところが、最高裁は、あっさりとテキサス州の訴えを棄却した。
その理由は、「テキサス州は他州を訴える立場にない」という短いものだった。
つまり、違憲かどうかは問題でなく、テキサス州の提訴そのものが間違いだと言ったことになる。
こう言われたら、もうどうしようもない。

今後、どうなるか分からない。
だが、事態は、特に日本の普通の人が思うほど穏やかでない。
ただ、正義はどこまでも追い込まれることがある。
特に、人類にとっての大きな転換点ではそうだ。
今がその時かもしれない。
トランプ大統領には、後1つ、手段が残っている。
それを最後にやったのは、リンカーン大統領で、それでリンカーンはアメリカを分裂から救った英雄となった。
だが、リンカーンが本当にやったことは、あまり知られていない。
あまりにエグかったからだと思う。
元アメリカ陸軍中将マイケル・フリン将軍や、リンカーン・ウッド弁護士は、トランプにそれをやることを強く薦めている。








大物はなぜピンチでも余裕があるのか?

「マカロニ・ウェスタン」とは、イタリア製の西部劇のことだが、イタリア、アメリカでは、「スパゲッティ・ウェスタン」と言うらしく、マカロニ・ウェスタンと言うのは日本だけだ。
マカロニ・ウェスタンという言葉は、有名な映画評論家だった淀川長治さんが作ったものらしい。
しかし、スパゲッティがイタリアの代名詞みたいなものであるところが面白い。
私もスパゲッティ(最近はパスタという言い方をするが)は大好きで、先月の29日、インテックス大阪で、初音ミクさんのライブ&企画展「マジカルミライ2020 in OOSAKA」に行った後、JR大阪駅の近くでスパゲッティを食べたものだ。
今年の3月には既に、飲食店の客は少なくなっていたが、今はもっとそうかもしれず、そのスパゲッティのお店のサービスも非常に良かったが、その店に後から入って来た4人連れの若者達は、食事をしながら顔を寄せ合い、大きな声で会話をしていた。それが彼らの生活態度なのだろうから、新型コロナウイルスの感染も増えそうである。
ちなみに、「マジカルミライ2020 in OOSAKA」の新型コロナウイルス対策は完璧で、主催者やスタッフの努力は大変なものだった。
ライブコンサートでは収容人数を50%に制限したとはいえ、1万人規模の会場が凄い人数であることは一目で分かる。
しかし、初音ミクさんのライブでは、観客は、いつもなら歓声を上げてミクさん達を応援するのであるが、マジカルミライの公式ウェブサイトで要請されていた通り、誰も声を出さず、歓声の代わりに、ペンライトを離して拍手をしていた。
以前は、初音ミクさん関係のコンサートのお客さんのマナーの良さを感じていたが、それが戻ってきた感じで、それを含め、新型コロナウイルスには良い影響も確かに多いと思う。

ところで、マカロニ・ウェスタンの人気作品である『怒りの荒野』(1967)は、リー・ヴァン・クリーフとジュリアーノ・ジェンマという人気俳優の競演であるが、私は、世界一格好の良い男はジュリアーノ・ジェンマだと思っているが、禿げたリー・ヴァン・クリーフは、ジェンマに優るとも劣らない。
この映画で、クリーフ演じるタルビーという名の凄腕ガンマンが、ジェンマ演じる若いスコットに、「ガンマン心得十か条」を教える。
私は、その中の、No.6である、
・危険な時ほどよく狙え。(Right put it, right time, well aimed.)
というのが大好きで、これは、誰もが心に留めておくべきと思う。
普通の人は、いろんな意味で危機的な状況、あるいは、切羽詰まった状況で、焦り、慌て、浮足立ち、軽率なことや感情的なことをして、結果、全てを失ってしまうことがある。
ところが、大物はそうではない。
それを、少し前に、アメリカのトランプ大統領の姿に見た。
大統領選挙が行われた後、開票が進み、バイデン候補が圧倒的優勢で、マスコミは「バイデン勝利」を報道し、バイデンも勝利宣言を行った。
だが、その時は既に、選挙に不正があることは分かっていたが、主要メディアの全てが、そんなこと(選挙不正)は全く報道せず、ただ、バイデンを次期大統領と断じ、アメリカ国民や世界中に、それが事実であると思い込ませようとしていた。
その中で、面白いシーンがあった。
トランプ大統領が、悠然とゴルフを楽しんでいたのだ。
その後、トランプ大統領(の弁護団チームや協力チーム)は、選挙不正に対する大規模な訴訟を起こしているが、その中でも、トランプ大統領は普段通りの執務をこなし、また、感謝祭などでは、家族と楽しく過ごしていた。
マスコミは、「トランプ大統領は裁判でことごとく負けているが、権力にしがみつく往生際の悪い愚か者」と書き、トランプ大統領のイメージを貶めることに精力を注いだ。
その中で、非営利の報道団体であるプロジェクト・ベリタスのジェームズ・オキーフ氏が、アメリカの主要メディアの中でもトップクラスであるCNNというニュース報道局の朝の会議の録音を公開した。
そこでは、CNNの社長が、「トランプをまともな人間でないと思わせる報道をしろ」と報道官達に命じ、具体的な指示を出していることがはっきり録音されていた。
これは、ずっと以前から行われていたことで、CNNと全く同じような報道を行っている他の主要メディアも、同じような状態だと思われる。
つまり、アメリカのみならず、日本でも定着している、トランプ大統領の人間的に悪いイメージは、CNNら主要メディアが意図的・計画的に作り上げたものだということが暴露されたのである。
このことで、CNNには、真実を人々に知らせるというジャーナリズム精神が全くなく、巨大な悪の報道団体であると分かったのだと思う。
CNNは、プロジェクト・ベリタスや、オキーフ氏を訴えると言ったようだが、オキーフ氏は「お好きにどうぞ。我々は裁判で負けたことはない」と余裕を見せる。
そりゃそうで、真実を多くの人に知らせることを使命とし、大きな影響力を持つ主要メディアが思想統制をしていたのだから、どの顔で裁判を起こせるのかである。

マスコミという大きな敵や、政治上の敵、そして、それらの背後にある巨大な敵の大規模な攻撃に晒されながらも、トランプ大統領は余裕を見せている。
この姿を、志ある人間は覚えておくべきと思う。
正義は必ず勝つと言う。
なぜだろう?
それは、正義に立つということは、神を崇拝しているということであり、それは、神が味方するということだ。
トランプ大統領の愛読書とも言われる、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』でも、ピールは特に聖書の言葉、
「神が我々の味方なら、誰が我々に敵対できるだろう?」
を取り上げている。
だが、自分の利益のために悪魔に魂を売った敵は、神の加護を拒否しているのだろう。
それなら、勝負の結果は明らかであり、それをよく知る大物に余裕があるのは当然である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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