ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

トライン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

歳を取らない言葉

ラルフ・ウォルドー・トラインの『In tune with the Infinite』(翻訳は『人生の扉をひらく「万能の鍵」』他がある)に、80歳を過ぎているが25歳以上には見えない女性の話があったと思う。
同様の話なら、アダムスキーの本に出て来る宇宙人の女性には百歳(地球換算だろう)を超えても二十歳前の絶世の美少女に見える女性が何人もいたし、『ヒマラヤ聖者の生活探求』には400歳以上だが18歳に見える一般の女性もいた。
同書では、聖者の女性であれば、いくつになっても、十代の、幼く見える場合すらある美少女ばかりだった。
まさに夢のような話であるが、私は、それに近い例を知っている。
その女性を最初に見た時は、着ているものが大人っぽいこともあり、多目に見て18歳か19歳かと思った。
しかし、中学生でありながら二十歳くらいに見える大人っぽい少女を2人ほど知っていたので、その人も同じかもしれないと思った。
ところが、正確には教えてもらわなかったが、60歳を少し過ぎているようなのである。

古い石段
AIアート90
「古い石段」
Kay


で、トラインの本のその女性の特質は、全ての人やものごとに善しか見ないということだった。
昨日の記事『万能の言葉』で書いたように、それは、現状を肯定することであり、全てを善いことと見なすことだ。
それを実践している者に口ぐせがあるなら、これも昨日書いたが、その言葉は「オールOK」であり、あるいは、もっと前に書いたが「完璧」「パーフェクト」ということになる。
なぜ、その女性が歳を取らないのかというと、思考を消しているからであることは明らかだ。
「オールOK」あるいは「完璧」なら、何も考える必要がないからである。

よって、あなたも「オールOK」「完璧」「パーフェクト」といった言葉を常に使えば歳を取らない。
他には、こんな言葉を好ましく思うかもしれない。
「なぜか知らないがお金がどんどん入ってくる」
これは、引き寄せ界隈で人気のあるアファーメーションだが、始めの「なぜか知らないが」で思考を拒否しているところが良いのである。
もっとエレガントには、
「不思議だけどお金がどんどん入ってくる」
「不思議だけどもててもてて仕方がない」
という言葉があり、こちらの方が良いと思う。
これも、「不思議だけど」と言った時点で思考しないことを設定したのである。








馬鹿がなぜそこかしこに居るのか

この世に悪霊が存在するのかと言うと、伝統的な悪霊と同じではないかもしれないが、確実に存在する。
成功哲学の世界的ベストセラー&ロングセラー『無限者と同調して(In Tune with the Infinite)』(翻訳には『人生の扉を開く「万能の鍵」』他がある)の中で、著者のトラインは、「悪霊に対し完全防御しよう」と書いているが、その方法はとなると、つまるところ、「立派な人間でいること」となるようで、どうにも困ったものだ。
戦後日本最大のベストセラー『脳内革命』が大ブームを起こしていた時、ある著名な作家が、
「著者の春山先生は肯定的でいろと言うが、私のような否定的な人間はどうすればいいのだろう?」
と言っていたが、これも同じで、どうしようもない。

分かり易く言うなら、この世には、悪霊のような力が満ち、その力が、全ての人間の心が貧弱で否定的になるよう働きかけているのである。
ほとんどの人間は悪霊に打ち勝てない。
もし、あなたが心に得体の知れない不安があると感じるなら、それが悪霊の影響であるが、そうでない人間はまずおらず、一見、自信満々で逞しそうな人だって、そうなのである。

ミクさん気をつけて
AIアート47
「ミクさん気をつけて」
Kay


ところで、あまり好きな人ではなかったが、最近、堀江貴文氏の動画を見た。
その中で、堀江氏がドワンゴ創業者の川上量生氏と対談していたのが面白かった。
頭の良い者どうしが意気投合していた感があったが、その中で、堀江氏が、いつものことと思うが、頭が悪い人に対する不快感を述べた。
堀江氏が小学生の時、誰かがオナラをしたら、ポーズを取りながら「オナラプー!」と声を上げる者がいたそうだが、そいつは、いつまでもそう言い続けるのだと言う。
堀江氏は、こういった類の人間はどこにでもいるだろうと川上氏に言い、川上氏も同意した。
つまり、馬鹿はどこにでもいる。
堀江氏は、馬鹿が大嫌いで、そんな者は問答無用で殴っていたと言う。
まあ、それで言えば、堀江氏の本の読者のかなり多くが馬鹿だろう。
とはいえ、ひろゆき氏の本の読者で言えば、ほぼ全員が馬鹿だと私は(あくまで個人的に)思っている(よって、私も何冊か読んだが)。

しかし、馬鹿は、やはりどこにでもいるし、程度の差こそあれ、ほとんどの人間が馬鹿だ。
それもまた、「悪霊」の力の影響である。

その悪霊とは、いつも言うが、太古の昔に、高度なテクノロジーを持つ宇宙人が地球に仕掛けたマインドコントロール装置の効果のことである。
それは極めて強力だ。
だが、堀江氏や川上氏は、普通の人より、その影響が小さいのだろう。
彼らは相当な変わり者であるが、彼らのような変わり方をしている者は、マインドコントロール装置の影響を受け難いのかもしれない。
彼らがどう変わっているかは、特に川上氏に関しては少しは説明出来ると思うが、そんなことをするのは面倒だし、あまりメリットもない。
それよりも私は、「私は誰か?」と自分に問うことが、確実にマインドコントロール装置の影響を逃れる方法だと思っているので、そのようにしようと思う。
ただ、残念なことに、「オナラプー」といつまでも言うようなレベルの馬鹿だと、決して、そうはしないと思う。
そして、そんな馬鹿も、今はかなり多く、また、増え続けていて、何もしなければ、必ず迷惑をかけられるだろう。
しかし、「私は誰か?」と問うことで、そんな馬鹿と関わることもなくなると思う。








どんどん若返ってしまった女性に起こったこと

ラルフ・ウォルドー・トラインの本の中に、80歳を過ぎているが25歳以上に見えないという女性の話がある。
なぜ、そうなるのだろうか?
歳を取って老いぼれることは、嬉しくはないながら、それほど悪いことではない。
それに、だんだんと老いを嘆く元気もなくなってくる。
老いるのが嫌で、若返ろうと努力する人は、嘆く間もないほど奮闘している間は、多少、老化は遅くなるが、いよいよ嘆きが大きくなると、むしろ、普通の人より老ける。

その、歳を取らない女性は、60代くらいまでは普通に老いていったのだが、ちょっと変わったのだ。
現実を無視するというのではないが、まあ、気にしなくなったのだ。
しかし、それだけでは、多少、老化が遅くなる程度で、単に、上品なお婆さんになるだろう。そして、彼女は、それでも、別に、不幸とは思わないだろう。
だが、彼女は、現実のあらゆることを気にしなくなった・・・つまり、どんな意味でも、優劣の比較をしなくなった。
それにより、是非好悪による反応をしなくなったのだ。
なぜ、そうなったのかというと、「正しい」「間違っている」「好きだ」「嫌いだ」・・・などと、いくら自分が思ったところで、世界は全く変わらないことに気付いたのだ。
自分には、何の力もない。
自分には、世界をコントロールする権限はない。
かといって、世の中を変えようと、選挙に行く人を馬鹿にすることはない。

絵が好きだった彼女は、ある日、マリー・ローランサンの少女の絵を見た時、自分が絵の中に入ってしまい、自分が絵の少女になった(ような気がした)。
これは、ローランサンの絵の天国的な美しさと共に、絵の独特の遠近感の影響があったのではと思う。
ローランサンの絵の遠近感というのは、現実世界の遠近感ではなく、高次元の世界を投影したものだ。
彼女は、ローランサンの絵の少女になることが気分が良かったので、それに馴染んでしまったのだろう。
それから若返っていったのだ。そのうち、二十歳にも17歳にも26歳にも見えるようになった。全く、ローランサンの絵の女性のようだ。
彼女は、現実に興味がないわけではない。ただ、気にしないだけだ。
現実を気にしないことが、若さを保つ秘訣だと聞くと、現実を否定したり、無視しようとする人がいるが、それは、現実を気にしているということなのだ。
自分には現実への支配力がないことを悟ることで、現実を気にしなくなるのである。
それに、ローランサンやシャガールのシュール(超現実的)な絵は、意識を内側に向かわせる。
すると、自分には現実を変える力がなかったはずが、実は、自分が現実を創っていることが分かるのである。








自分は既に憧れる人物と等しいと知る

ある精神病院に、キリストの愛人を自称する女性が入院していた。
私は、ちょっと抵抗は感じつつも、彼女の態度自体は、悪いものではないと思っていた。
もし、自分がキリストの愛人であると信じるなら、キリストの加護があってもおかしくない。
しかし、彼女に関しては、そういうわけではないようだ。
このことは、長く疑問だった。

一方、アメリカ最大の賢者とも言える哲学者で詩人のラルフ・ウォルドー・エマーソンは、エッセイ『歴史』の中で、こんなことを書いている。
「英雄の物語を読む時、それは自分について書かれていると思え」
たとえば、『アーサー王物語』のアーサー王とは自分なのである。
これは、上の「自分はキリストの愛人」という女と何が違うのだろう。
それが分かれば、我々が今すぐ、英雄、超人、偉人になることが出来るのであると思う。

1つは、NLP(神経言語プログラミング)開発者のリチャード・バンドラーが指摘している。
それは、自分はキリストの愛人だという女は、それを言わない限り、精神病院には入れられないということだ。
それはつまり、自分がキリストの愛人だと思うこと自体は、全く構わないのだ。ただ、言ってはいけないのである。
それはそうであろう。
有能な会社員や、優れたスポーツ選手や音楽家の中にだって、自分がキリストの愛人であるとか、宇宙の帝王だと思っている人がいるかもしれない。
しかし、そんなことは、何の問題もないのである。
だが、彼らは、そういう大抵の人に受け入れてもらえないようなこと(あるいは正気を疑われるようなこと)は言わないのだ。
「初音ミクは俺の嫁」と言う人だって、まともな人なら、話が通じる相手にしか言わないだろう。

同じように、エマーソンは、「あなたは英雄そのものだ」とは言ったが、それを人に言えとは言っていないのである。
自分で分かっていれば、それで良いのだ。

それと、もう1つある。
先程、「自分がキリストの愛人」という態度は良いと述べたが、それはあくまで、基本的姿勢という意味で、「愛人」が必ずしも悪いとは言えないが、この表現を敢えて選ぶその女は、モラルに欠けるように思う。
モラルに欠ける者には、天は味方しないのである。
こう言うと、「斎藤一人さんは度々、自分は分別がないとか、節操のないことをやれと言ってるじゃないか」と言いたい人もいるかもしれない。
実際、斎藤さんの話を聞いて、「モラルはいらないんだ」という馬鹿げた解釈をする者はいると思う。
しかし、斎藤さんは、モラルが高い話しかしていないのである。

偉大な人物だってモラルに欠ける場合があるかもしれないが、そうであれば、その偉人は最後は落ちぶれたか、そうは見えなくても、凡人より惨めだったはずである。
そんな偉人と同一化するのはやめた方が良い。
そして、モラルがなければ、どんな小さなことも成し遂げられないだろう。
晩節を汚した偉人だって、元々は高いモラルを持っていたのである。

フォード自動車創業者であるヘンリー・フォードは、自分の成功は、ラルフ・ウォルドー・トラインの『In Tune With The Infinite』(翻訳には『人生の扉をひらく「万能の鍵」』等がある)を読んだおかげだと言い、この本を自宅に多量に用意し、訪問者にプレゼントしたという。
ラルフ・ウォルドー・トラインという名は、彼がこよなく尊敬するラルフ・ウォルドー・エマーソンから取ったものだ。
トラインは、自分をエマーソンと見なしたのである。
ジョセフ・マーフィーも述べている。
「『ヨブ記』の意味を知りたければ、自分がこれを書いた時のことを思い出せば良い」
あなたは、事実として、あなたが憧れ、崇拝する人物なのである。








年齢は何で決まるか

斎藤一人さんが、講演で、「年齢は自分が決めて良い」と言っている動画を見たが、年齢とは、本当は何で決まるのだろうか?
実は、年齢とは、脳が決めるものなのだ。
斎藤さんは、年齢を聞かれても答えてはいけないと言うが、それはなぜか私が答えると、「私は30歳です」と答えた時に、脳がそれを覚えてしまって、30歳になるからだ。
斎藤さんのように、マインドの強い人なら、自分で簡単に年齢を決められるかもしれない。
斎藤さんは、27歳が一番好きなのだそうだ。斎藤さんは、実際は70歳を越えているが、白髪がほとんどないらしい。
斎藤さんのお弟子さんの女性(多分50歳過ぎ)は、「私は18歳です」と言うようだ。
事故に遭って頭を打ったり、催眠術で精神操作をされたりなどで、自分の年齢が分からなくなると、実年齢よりずっと若くなったり、逆に、ずっと老けることがあるらしい。それが、脳が決めた年齢なのである。
「俺は二十歳だ」と繰り返し自己暗示を行い、それをうまく脳に信じさせれば二十歳になることもあると思う。
ところで、アメリカ的発想では、自己暗示は、大きな声で言うと効果があると言われるが、日本人の場合は、心の中で微かな声で唱えると最も効果がある。
心の中で、微かな声をイメージし「私は二十歳だ」と言えば、脳は容易く信じる。だが、特に初めのうちは、何度もやらないと、脳はすぐ、元の年齢を思い出す。

また、楽天的であるほど若くなる。なぜなら、楽天的とは若い人の特徴であるのだからだ。
ラルフ・ウォルドー・トラインの本には、80歳を過ぎているが25歳以上には見えないという女性の話があるが、この女性が、やはり、非常に楽天的であるそうだ。
いや、それはまだまだで、『ヒマラヤ聖者の生活探求』には、800歳で18歳の外見の女性が登場する。また、この本の中で、アメリカの探検隊を援助するインド人男性は、50歳の外見だが、実際は100歳をかなり超えている。そして、その彼の母親は十代前半の超絶美少女の姿であるようだ。

私は、年齢にあまり興味がないのだが、好きな年齢は25歳なので、25歳にしようかなと思う(笑)。
なぜ25歳が好きかというと、子供の時に読んだ、エミール・ガボリオの探偵小説『ルコック探偵』(1869)の主人公の25歳の探偵ルコックが非常に格好良く、理想の男と思ったので、25歳のイメージが良いのである。
まあ、私が最も格好良いと思う男は、西部劇映画『南から来た用心棒(原題:Arizona Colt)』で主演したジュリアーノ・ジェンマで、彼は当時27歳であったから、27歳でも良いのだが、斎藤さんと被るのは嫌だしなあ(笑)。
それはともかく、皆さんも、好きな年齢を脳に教えてあげると良い。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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