ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

デルポイ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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人類最高の言葉

昨年の9月、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」に行った時以来の大感動を、昨日感じた。
人類最高の言葉が何か分かったのだから当然だ。

その言葉は、ギリシャの首都アテネから西北に122kmの距離のデルポイにあるアポロン神殿の入り口に書かれている。
「グノーティ・セアウトン」
一般には、「汝自身を知れ」と訳されるが、「身の程を知れ」と言って間違いない。
そうだ、「身の程を知れ」こそが、人類最高の言葉であり、もし、アダムスキーの話が本当であれば、宇宙人達は、この言葉が宇宙最高であることを認めてくれるはずだ。

この言葉は、古代ギリシャの7賢人の言葉であるとか、天からの教訓であるとか言われているが、全くそれに相応しい。
そして、徳川家康が最も大切にしていた言葉でもある。
私は、以前から、この言葉の重要性を何となく感じてはいたが、その恐るべき重要性に気付いたのは、ビートたけし(北野武)さんが『全思考』という本に、その意味を分かり易く書いてくれていたからだ。

たけしさんのその本に書かれているが、昔の日本の下町では、子供が「医者になりたい」と言ったら、親は、「お前には無理だ」と決め付けた。
その理由は、「お前は馬鹿だから」「うちは貧乏だから」で、大抵何でも、この2つの言葉でカタがついた。
今でも全く通用するはずだが、そうでないのは、我々が身の程を知らないからだ。
「やれば出来る」「叶わない夢はない」「子供は無限の可能性を持つ」なんていう大嘘がまかり通っているから、誰も身の程を知らなくなったのだ。
「オリンピックで金メダルを取りたい」
「サッカー選手になってセリエAのチームに入りたい」
「ノーベル賞を取りたい」
子供が、こんな大馬鹿を言っても肯定される世の中だから、みんな不幸なのだ。
そんな子供には、「お前には無理だ」と言ってやり、その理由は、「お前は馬鹿だから」「うちは貧乏だから」と言えば良いのである。
99%以上の人間はそうなのだから。

あなたは、金持ちでも成功者でも偉人でもないだろう。
将来も、そうはならない。
なぜなら、馬鹿だからだ。
私は、ITを仕事にしていても、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグのようには絶対にならない。
その理由は、やる気がないからでも、運がないからでもない。
単に馬鹿だからだ。
なんて分かり易いのだろう!

まるで駄目男(私の職場にいる、30歳過ぎの派遣社員で人生の落伍者)が、なぜ駄目なのかもはっきり分かったので、私は昨日、喜んで、駄目男に教えてやった。
「おい、駄目男!お前がなぜ駄目なのかやっと分かった。お前は、どうして駄目なのか分かるか?」
「それは・・・いろいろありますけどね」
「違う!そうではない!お前が駄目な理由はたった1つだ」
私がこう言うと、駄目男は少し驚いていた。
私は自身たっぷりに言った。
「お前は身の程知らずだからだ。お前は『将来、高尚な仕事がしたい』と言ってただろ?それが恐ろしい身の程知らずなのだ。お前が高尚な仕事をするより、クジラが空を飛ぶ方がはるかに簡単なんだ」
駄目男は激しく落ち込んだ。
こんな当たり前のことで落ち込む駄目男の身の程知らず振りは救い難い。
「駄目男、お前の親は優しいだろう?」
と尋ねたら、駄目男は肯定した。
そうだ。駄目男が駄目な元凶は、彼の身の程知らずのおめでたいオツムを作った親なのだろう。

ドクター=ファンクビート 夢を見た
誰もが幸せになるコドモ騙しの妄想SHOW
誰もが不幸なのだ その巫山戯たディストピアの中では
~『ドクター=ファンクビート』(作詞・作曲・編曲:yanyannya。歌:KAITO)より~

ドクター=ファンクビートって、まさにビートたけしさんだ。
彼は事故に遭って、顔を作り変えないといけないくらいぐちゃぐちゃに破壊されたことで悟ったのかもしれない。
ただ、ビートたけしさんは、若い時、鮨(すし)屋のカウンターで鮨を食うことは、自分には一生無理だと思っていたらしい。
彼の母親は偉かった。
そんなふうに、彼に身の程を教えたのだ。
基礎はあったのである。彼は幸福だ。
彼は、事故で入院している時、腹が減ったので鮨の出前を頼んだのだが、食べようとしたら、激痛で失神したらしい。顔は全部固定されていたのだ。
それで、改めて、自分は鮨を食えるような人間でないことを思い出したのだ・・・と私は勝手に思った。

真理を悟ることは本当に愉快だ。
私は馬鹿だ。
それだけ分かれば良い。それで全て解決するのだから。
そして、これは念仏とぴったり合う。それはまた話そう。









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神がいると分かる時とは

イギリスの物理学者スティーブン・ホーキングは、神は存在しないと言ったらしい。
ただ、言葉で言ったことというものは、どんな状況で、どんな意味で述べたのかに配慮しないと、発言した本人の意図とずれていたり、正反対に理解しかねない。
まして、日本のマスコミのように、発言の一部を切り出して、発言者の意図が全く分からないようにすれば、聞く者は、曲解や誤解をするのは当たり前である。
ただ、今回は、マスコミによる大衆思想の操作がテーマではない。

よって、ホーキングが、神はいないと述べた意図を知った上でなければ、それについて検討、考察、批判は出来ないのだが、私はホーキングではないので、それは不可能だ。
あえて一言述べると、ホーキングは余計なことを言うべきでなかった。彼には何らかの意図や信念はあったのだろうが、それは誤解を生むだけで何の役にも立たないのだ。

そのような訳で、ホーキング個人については考えず、一般論として述べよう。
優れた科学者や技術者、あるいは、芸術家やビジネスマンであっても、自分の仕事が大きく発展する時には、素晴らしいアイディアがあることが分かるはずだ。
それがたとえ、他人のアイディアであっても、それを聞いた時に、あなたは、はっとしたとか、ゾクっとしたとか、「それだ!」と言って手を叩いたりしたのだ。
そして、こんなことを言うかもしれない。
「こんな素晴らしいアイディアを思いつくなんて、俺は何て頭が良いんだ」
しかし、もしそれが本当に良いアイディアであれば、それは考えた末に論理的に出てきたものではなく、不意に浮かんだ直感であることが分かるはずだ。
その直感を、神から来たものであると思うか、いや、あくまで、自分の頭の中で起こった個人的なものであると考えるかによって、神を信じるかどうかは決まるのだろう。

ただ、その時は素晴らしいアイディアだと思っても、後で、それが下らない思いつきであったことが分かることもある。
だが、本当の直感は、それを得た時に、思考が根こそぎ奪われ、心は深い静寂と敬虔さに満たされるものだ。そして、失望させられることは決してない。
偉大な科学者や哲学者や芸術家は、人類にとっても重要な仕事をした際、必ずそんな本物の直感を感じていたはずであり、それは、しばしば、啓示とか天啓と言われる。
しかし、彼らほどの人間でも、その、霊感に満たされた至福の時のことを忘れてしまうのだ。
そして言うのだ。「神はいない」と。

大きな悩み事があったり、人生の道に迷った時、大きな自然に触れたくなるものだろう。
山に登ったり、大きな滝を見ていると、迷いが消え、道が見えて来る。
その時に得る答は常に正しく、後で後悔することはない。
それが果たして、自分の頭の中の計算であったりするのだろうか?
「その通りだ。雄大な自然に接して、頭がすっきりし、本来の計算能力を取り戻したから、良い答が出たのだ」
と言う人もいるだろう。
だが、そんな人は、やがて大きく行き詰るのだ。
それを何度も繰り返し、幾たびも繰り返し頭を打つ経験をするうちに、ようやく、自然を支配するある力に対して謙虚になる。
しかし、その時はもはや、不幸のどん底であるかもしれない。
たとえそうであっても、最後に神に出逢えれば幸福であろう。
けれども、そんなに苦労をしなくても、最初から身の程をわきまえていれば良かったのではないか?
だから慈悲深き神は、デルポイの巫女に直感という形で神託を与え、それを神殿の入り口に刻ませて誰でも見れるようにし、人々に無用な苦悩を与えまいとしたのだ。
その第一が、「身の程を知れ」である。
デルポイを知るはずもない徳川家康も、天下を取る秘訣は、「身の程を知る」ことであると言ったのだ。
ただ、天下を取るとは、大統領や総理大臣になったり、国家間、あるいは企業間の戦争に勝利することではない。
ただ、魂が解放されることである。









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「身の程を知れ」という言葉の本当の意味

一説によれば、徳川家康に、天下取りの秘訣を尋ねると、家康は、
「長い方と短い方、どっちが良いか?」
と尋ね、
「両方、お願いします」
と乞うと、
「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』である」
と答えたと言う。

ギリシャのデルポイにある、アポロン神殿の入り口に「汝自身を知れ」という格言が書かれているそうだ。
この言葉の意味は、人によって様々に言うが、それは、「身の程を知れ」ということである。
なぜなら、ギリシャ神話に親しんでいれば、それが最も自然だと感じるからだ。

ギリシャ神話では、いかなる場合でも、人間が神を貶めるようなことを言うと、必ずや重い罰が下る。
また、神の意図を知ろうとすることも、不遜であるとして、強く戒められるる。それは、英雄オデュッセウスすら例外ではなかった。
プシューケーという名の人間の美少女は、美の女神アプロディーテーより美しいと噂を立てられただけで、自分でそう言った訳でもないのに、アプロディーテーの厳しい罰を受けたのである。ただ、プシューケーはそれを恨まず、後に女神となっているのである。
「身の程を知る」ことが、人間にとって、いかに重要かを、色々なお話で説いているのである。

しかし、「身の程を知る」ということの正しい意味を知る者は少ない。
せいぜいが、社会的に分不相応なことをしたり、求めることを、「身の程を知らない」と言う。それは未熟で愚かではあるが、罪ではない。
「身の程を知れ」とは、まさに、ギリシャ神話に秘められた教えであると思う。
その元の言葉である「汝自身を知れ」とは、「お前は神ではなく、人間であるということを知れ」と言う意味である。
だが、そう言われたら、ほとんどの者が、「俺は自分が人間だと思っているし、自分が神だなどと思っていない」と言うかもしれない。
だが、彼は、自分ではそう言っているが、実際には、神のような態度で生きているのだ。
なぜなら、彼は、自分は特別であると思っている。
自分が万物の一部ではなく、自分以外を万物を見なしているのである。
万物の一部でしかない彼が、万物の一部または全部を思い通りにしようとしているのではないか?
つまり、出来事を自分の意思でコントロールし、人生を自分が支配できると思っている。
そういったことが、自分を知らないことであり、身の程を知らないことなのだ。

身の程を知らない者は、決して苦難から逃れることはできない。
だが、自分を知る者には、いかなる危険も及ばない。
身の程を知る者は、いかなることも、起こるがままにまかせ、心静かである。
彼は、自分が、人生や世界に対し、何の影響を及ぼすこともできないということを知っているのだ。
それを無条件に受け入れたのである。
それが、身の程を知るという、優れた知恵を得たということであり、自分自身を知ったことになるのである。
そうである者には、鬼神も道を譲り、神々すら地に付して敬うのであると、荘子や親鸞は言ったのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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