引き寄せメソッドの中で本当に良いのは、「思考を止める以外の思考を止める」という「元祖一式」と、「今に意識をフォーカスする」という「今今メソッド」だと思うが、いずれも、うまくいく人はほとんどいないと思う。
良いところをついているとは思うが、結局、分かり難いのだ。
「今今メソッド」は、元々は、2ちゃんねる掲示板で108と呼ばれた人が電子書籍(Amazonでは売られていない)で「今、今、今」と唱えよと書いていたもので、これならやり方だけは分かるが、退屈だし、効果がなかなか出ないので、やっぱり続かないと思う。
いずれも、目的は「思考を止める」で一致しており、どっちが良いということもない。
そして、いずれも、分かり難い、ピンとこない、効果が出難いといったところも同じだ。
これらに優るのが、ラマナ・マハルシ教えた、心で「私、私、私」と言い続けることだ。
これは最終メソッドで、これで駄目ならもう後はない。これより簡単なものはないのだ。
これは、考える唯一の者である「私」に言葉で意識を向けることで、「私」が「私」という言葉以外を考えることが出来なくするというものだ。
これは、いつもやらないといけないのだが、やはり、我々はいろんなことを考えてしまう。
そこで、思い出した時にやるしかないのだが、1日の中で、トータルで10分もやってなかったりする。
だが、これをやろうと思うだけで楽しくなってくる。これで救われることが分かるからだ。
なかなか続かないと思ったら、瞑想のように、10分とか20分座って、目を閉じて落ち着いてやってみると、心が落ち着くのが分かる。
しかし、これは、元々は、瞑想のために座る時間がないという者のために教えられたものであったらしい。
とはいえ、やはり瞑想として行うと効果が出易い。
ところで、日本語は「私」という主語を省くことが多く、話し言葉ではさらにそうだ。
話す時、自分を指す時には、俺とか僕とか自分といった独特の言い方をする。
本来は、「私、私、私」と言うのも、普通に自分を指す時の言葉を使うのが良いのだが、俺とか僕という言葉は想念にまみれてしまっていることが多い。
実際は、おそらく、「われ(我、吾)」という言葉が最も良いのだが、あまりこだわるのは良くなく、無難に「私」が良いと思う。
だが、誰が訳したのか分からないが、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」が「われ」で定着し、おそらくそのために一般にも普及したところから、「われ」は、意外と、自分をダイレクトに捉えやすいのである。
ベドルジフ・スメタナの交響詩(交響詩という言葉に馴染のない人も多いと思うが、交響曲との違いはちょっと難しいので興味があれば調べて欲しい)『わが祖国』も『私の祖国』と言わないように、実際のところ、日本人は「われ」に馴染が深いのである。
それで言えば、「われ、われ、われ」と心で言うのも十分にありである。
デカルトの『方法序説』は、自分の探求のために一度は読んでおくと良いと思う。短いし、デカルト自身は「12歳でも読める」と述べている。
ルドルフ・シュタイナーが、デカルトからの引用だろうが「われ思う、ゆえにわれなし。われ思わず、ゆえにわれあり」は、特上の真理であるが、面白いながら分かり難いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)方法序説(デカルト。岩波文庫)
(3)悪の秘儀: アーリマンとルシファー(ルドルフ・シュタイナー)

AIアート2379
「祖国の花」
Kay
良いところをついているとは思うが、結局、分かり難いのだ。
「今今メソッド」は、元々は、2ちゃんねる掲示板で108と呼ばれた人が電子書籍(Amazonでは売られていない)で「今、今、今」と唱えよと書いていたもので、これならやり方だけは分かるが、退屈だし、効果がなかなか出ないので、やっぱり続かないと思う。
いずれも、目的は「思考を止める」で一致しており、どっちが良いということもない。
そして、いずれも、分かり難い、ピンとこない、効果が出難いといったところも同じだ。
これらに優るのが、ラマナ・マハルシ教えた、心で「私、私、私」と言い続けることだ。
これは最終メソッドで、これで駄目ならもう後はない。これより簡単なものはないのだ。
これは、考える唯一の者である「私」に言葉で意識を向けることで、「私」が「私」という言葉以外を考えることが出来なくするというものだ。
これは、いつもやらないといけないのだが、やはり、我々はいろんなことを考えてしまう。
そこで、思い出した時にやるしかないのだが、1日の中で、トータルで10分もやってなかったりする。
だが、これをやろうと思うだけで楽しくなってくる。これで救われることが分かるからだ。
なかなか続かないと思ったら、瞑想のように、10分とか20分座って、目を閉じて落ち着いてやってみると、心が落ち着くのが分かる。
しかし、これは、元々は、瞑想のために座る時間がないという者のために教えられたものであったらしい。
とはいえ、やはり瞑想として行うと効果が出易い。
ところで、日本語は「私」という主語を省くことが多く、話し言葉ではさらにそうだ。
話す時、自分を指す時には、俺とか僕とか自分といった独特の言い方をする。
本来は、「私、私、私」と言うのも、普通に自分を指す時の言葉を使うのが良いのだが、俺とか僕という言葉は想念にまみれてしまっていることが多い。
実際は、おそらく、「われ(我、吾)」という言葉が最も良いのだが、あまりこだわるのは良くなく、無難に「私」が良いと思う。
だが、誰が訳したのか分からないが、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」が「われ」で定着し、おそらくそのために一般にも普及したところから、「われ」は、意外と、自分をダイレクトに捉えやすいのである。
ベドルジフ・スメタナの交響詩(交響詩という言葉に馴染のない人も多いと思うが、交響曲との違いはちょっと難しいので興味があれば調べて欲しい)『わが祖国』も『私の祖国』と言わないように、実際のところ、日本人は「われ」に馴染が深いのである。
それで言えば、「われ、われ、われ」と心で言うのも十分にありである。
デカルトの『方法序説』は、自分の探求のために一度は読んでおくと良いと思う。短いし、デカルト自身は「12歳でも読める」と述べている。
ルドルフ・シュタイナーが、デカルトからの引用だろうが「われ思う、ゆえにわれなし。われ思わず、ゆえにわれあり」は、特上の真理であるが、面白いながら分かり難いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)方法序説(デカルト。岩波文庫)
(3)悪の秘儀: アーリマンとルシファー(ルドルフ・シュタイナー)

AIアート2379
「祖国の花」
Kay




