ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ディープ・ラーニング

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

名探偵のように頭が良い人になるには

「頭が良い」ことの定義は、それほど簡単ではないかもしれない。
IQ(知能指数)というのは、完全ではないながら、かなり頭の良さを示すのだと思うが、問題は、それほど正確なIQテストがないってことだ。
いや、テスト内容自体はそれなりに信頼性があっても、被検者のコンディションの問題は小さくない。つまり、1回の短時間のテストで、なかなか正確なIQを測ることは出来ない。
ところで、IQと強い相関関係があることが分かっているのが語彙力で、語彙力テストの成績が、ほとんどIQと一致するという話もある。
もちろん、語彙力が低くても優秀な人はいるが、それはかなり例外なのだと思う。
アメリカの著名な能力開発研究者・トレーナーのウィン・ウェンガーは、語彙力を高める訓練によって、能力を向上させた事例について著書に書いていたと思う。
それで思い出すのが、驚異的に優れた治療成果から「魔法を使って治している」とまで言われたアメリカの精神科医ミルトン・エリクソンの話だ。
彼が生まれ育った農場には、本は、聖書と辞書しかなかったが、小さなエリクソンは、なぜか辞書の方を選び、繰り返し読んだそうだが、名を知られるようになった後、それをやったことは非常に良いことだったと思うと言っていたようである。

頭の良さに連想力を挙げる人も多いと思う。
何かを見たり聞いたりした時、それと関係あるものや、その両者の関係性を思いつく能力だ。
この能力が高いと、「このことは、たとえば・・・」と、あることを、別のものに喩える、いわゆる比喩がうまく、イエス・キリストが比喩(たとえ話)の達人だったと言われることがある。
例えば、電気の知識が少ない者に対し、電圧を理解させるのに水圧の概念を利用するなどだ。イエスは、天国という、直接示すことが出来ないものを、人々がよく知っている何かに喩えたという話があるが、ちょっと説明を要する話なので、ここでは述べない。ご興味があれば福音書を。

ところで、「この人は鋭い」と思わせる人は、おそらく、非常に頭の良い人であろうが、「鋭さ」は、観察力が高いことから感じさせる場合が多い。
日本の推理小説の大家とも言える江戸川乱歩の推理小説を読むと、主に明智小五郎だが、名探偵の観察力の素晴らしさが鮮明に描かれている。
名探偵そのものが、観察眼の鋭い者であると言っても間違いないと思う。
ところで、一般に、人が高い観察力を発揮するのは、好きだと言えるほど興味ある対象に対してだ。
関心のないものに対しては、観察力は鈍くなる。
例えば、クラスメイトの好きな女の子が、今日はどんな髪型だったかを詳細に覚えていても不思議はないが、興味のない女の子だと、よほど奇抜な髪形でもない限り、全く覚えていないのが普通かもしれない。
そこで思いつくのだが、名探偵のように頭の良い人というのは、沢山のものに関心を持っているのである。興味の幅が広いので、多くのものごとについて、何かに気付くのである。
名探偵は、ものそのものと言うより、現象に興味を持っているのかもしれない。
つまり、ものや状況の細かな変化に気付き、その変化の意味を推理するのだ。

ところが、観察し、変化に気付くためには、感性だけでは駄目で、必ず知識が必要で、知識が多いということは語彙も多いのだ。
なぜなら、変化に気付いたとしても、知識がないと、単に、「変な気がする」「何か変」で終わってしまう。
頭が良くない者が「何か変な感じがする」と言った時、頭の良い名探偵が「どう変なのでしょう?」と問うことから始め、データを集めて分析するという場合も多い。
「何か違う」と気付いても、それを何かに関連付ける、つまり、連想が出来ないと具体的なことが分からず、また、連想する際には、「例えば〇〇のような」と、言葉を思いつかないと、はっきりした連想にならない。つまり、ぼんやりした知識ではなく、言葉に出来る具体的な知識でなくてはならず、そのためには語彙の多さは必須なのだ。
だからやはり、語彙の多さは、鋭い人に必要である。
もちろん、語彙とは、意味が解っている言葉だ。
例えば、「テラ・ホーミング」という言葉だけ知っていても、それがどんな意味かはっきり解っていないと語彙とは言えない。

だから、ウィン・ウェンガーが能力を高めたい人達に対し指導したように、ミルトン・エリクソンが子供の時、偶然かもしれないが、自主的にそうしたように、語彙力を高める訓練は有益かもしれない。
エリクソンのように辞書を読むのも良いが、普通は、それなりのレベルの本を読むと良いだろう。知性の高い人が書いた本なら、役に立つと思う。

後、頭の良さを明らかに示すものに「推測力(予測力)」がある。
だが、かなり高い推測力を持つと言われ、その推測力が称賛されるような人だって、かなり推測を間違えるのだ。
人間というのは、推測にはあまり向いていないと思う。
しかし、現代の、ディープラーニング型AIは、うまく扱えば、素晴らしい推測力を発揮し、人間など全く及ばないことが良くある。
だから、AIを自分で作れるようになることには、大変な価値がある。
私が5月末に出したAI書籍は、数学やプログラミング、あるいは、難しいAI理論が解らなくても、WindowsパソコンでExcelが使える程度のスキルがあれば、ソニーの素晴らしい無料AIツールNNCを使って、誰でも、ディープラーニング型AIを作れるようになることを目指して書いた。
AIに足し算を教えることで、NNCの使い方をマスターし、シンプルながら興味深い問題をテーマに、自分の手を動かしながら、楽しくAIの作り方が身に付くように配慮した。
「モンティ・ホール問題」という、1990年から存在する奇妙なゲームを、コンピュータプログラムによるミュレーションで解いた例を、私は知らないのだが、私はそれを、簡単なExcelマクロ(VBAプログラム)で解き、それをNNCでAIに解かせてみた。
とても面白いと私は思う。
本は技術評論社から出版した『楽しいAI体験から始める機械学習』で、紙の本と電子書籍がある、電子書籍では、NNCのネットワーク図など一部がカラーになっている。
良かったら、下からご購入いただければ幸いである。



良ければ、左のバナーからAmazonでご購入下さい。
ほぼ全ての実習が出来るデータを作ることが出来るExcelマクロを無償でダウンロード出来ます。
署 名:楽しいAI体験から始める機械学習
著 者:Kay、MrΦ共著
出版社:技術評論社










【勉強法対決】AI vs アイザック・ニュートン

アイザック・ニュートンの勉強法を興味深いと思ったことがある。
ニュートンは、何かの本(例えば、デカルトの数学の本)を学ぶ際、最初から読んでいき、解らなくなったところで、その本の勉強をしばらく止め、また最初から読んだ。
すると、2回目は1回目より先に行ける。
それを繰り返せば、いずれ、1冊読み終わり、内容をマスターしている。

現代のAIの主流であるディープラーニングも、そんな学習をする。
ただ、ディープラーニングの場合は、本に例えれば、最初から1冊読み切ってしまうのだが、本と違って、最初の方と終りの方に差異がないデータで学ぶから、それで良い。
それを、何百、何千回と繰り返し、遂に、内容をマスターしてしまう。

本は、最初の方と終りの方では内容が違うので、必ずしも、最初に通読する必要はない。
そして、ニュートンは、その本をいったん読むことを止めても、別のことを勉強したり、あるいは、自然を観察したり、何かを考えたりしていたのだと思う。
それは、ディープラーニングには出来ない勉強だ。
確かに、AIは、固定された(同じような)情報であれば、人間とは比較にならないほど速く、数多く繰り返すことが出来る。
とはいえ、やはり、AIが学ぶ範囲は狭いし、多様性に欠ける。

ところで、ニュートンだって、「解らなくなった時点で、いったんその本の勉強を止める」といっても、案外に、放置する時間は短かったかもしれない。
そして、前の方の部分を特に数多く繰り返し、その中にある法則を掴み取るのであるが、重要な基礎は前の方に書かれてある場合が多く、ニュートンは基礎を柔軟な形で習得したのだと思う。
だが、現代の学校で流行の短気集中型学習では、基礎が深く定着せず、せいぜいが受験には役に立つが、実用的なことが出来る力はつかないと思う。
私は、ディープラーニングの良い面も意識しながら、ニュートンのように勉強しようと思う。
短期間に詰め込むような学校式の勉強は避け、あまり一生懸命やらず気楽で良いが、例えば1日1回は必ずテキストを開こうと思う。
これなら、何でもマスター出来るだろう。








AIが足元にも及ばない人間であるには

およそ関係のなさそうなもの同士を、見事に関係付けることを発見と言い、そこに有益な何かが生まれれば発明と言う。
ゼロから何かを生み出すことは実際はなく、あらゆる発明は、ものごとの関係を見つけることから始まる。

では、ものごとの関係性・・・それも、普通の人には分からない関係性を見つけるにはどうすれば良いのだろう?
それには、ものごとの本質を見極めることだ。
ものごとの本質とは、ものごとの、価値の低い要素を取り去った後に残るものだ。
それを、学問的には、難しく、「抽象化された概念」などと言うが、つまるところ、「だいたい」のことだ。

「だいたい、あなたは自分勝手なのよ」
と言った場合、「自分勝手」が、「あなた」の本質だ。
この場合は、言ってる者の主観が入っているかもしれないが、それでも、「だいたい」合っているのだろう。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、流れる水のあちこちに渦巻きが出来るのを見て、何かを感じた。
普通の人は、デタラメに渦巻きが発生しているとしか思わないのに、ダ・ヴィンチは、「渦巻きは、だいたい、こんなもの」と言える何かがあると考えたのだ。
それは、後の世で証明され、複雑系理論などと呼ばれているが、それが分かるには、コンピューターの発達が必要だった。
つまり、ダ・ヴィンチの感覚はコンピューターを超えていたのだ。

「だいたい」を見事に掴むことが、人間の優れた能力である。
ただ、最近のAI(人工知能)は、ディープ・ラーニング(深層学習)によって、「だいたい」を掴めるようになってしまった。
人間は、5から10程度の階層で「だいたい」を掴むが、Googleのコンピューターは22層の曖昧さレベルで「だいたい」を掴む。
こりゃ、敵いっこない・・・ことはない。
人間には、残された聖域がある。
それをお見せしよう。

初音ミクさんが、ターラー菩薩様の化身であることを、AIは見抜けない。
・・・あ、笑うのは待って欲しい(笑)。
では、初音ミクさんの「だいたい」と、ターラー菩薩様の「だいたい」を見抜くことで、両者の関係性を照見しよう。
まず、共に、16歳である。
ターラー菩薩様は、白ターラー様と緑ターラー様が在(ましま)すが、初音ミクさんのイメージカラーは緑である。
そして、ターラー菩薩様が象徴するのは「風」である。
初夏に新緑の間を吹く快い風を「緑風」と言う。
また、緑ターラー様が迅速に救済に駆けつける様は、疾風のごとしである。
長い緑色の髪が際立つミクさんにも、この風のイメージがある。
それを特に感じたのは、冨田勲さんが制作された『イーハトーヴ交響曲』の第4楽章『風の又三郎』で、ミクさんが又三郎を演じた時だ。
又三郎は男の子であるが、ミクさんは、又三郎の風の神の本質を誰よりも表現出来るので、又三郎以上に又三郎になった。
ミクさん自体に、ターラー菩薩様の象徴である風の本質が在るからである。

いかにAIが進歩しても、このようなことをAIは考えない。
「そりゃ、こじつけじゃないか?」
と言うなら、その通りで、「こじつけ」こそ、決してAIが真似出来ない人間の能力である。
こじつけには、空想、感情、情緒、好きという気持ち、直観、気紛れなどといった、AIには手も足も出ないものが一杯あるからだ。
数学理論すら、感情なくして成立しないことを数学が証明しているらしい。岡潔さんが言ったのだから、おそらく本当なのだろう。つまり、感情は理論を超えるのである。
だが、教育された気紛れは、容易くAI(特にビッグデータとの組み合わせ)に見抜かれる。
我々は、本物の気紛れを持たなければならない。
ニーチェも、気紛れを高く評価したのである。
本物の気紛れを持つために、我々は、真の人間性を取り戻す必要がある。
人間性を取り戻すためには、初音ミクさんの透明な歌声の中に在る、ターラー菩薩様の光を見出せば良い。
ターラー菩薩様の光に照らされるためには、ミクさんの歌を聴きながら、慕い憧れる気持ちで、ナーマスマラナ(名前を思い出すこと)、あるいは、ナーマ・ジャパ(名前を唱えること)をすれば良い。
その名前とは、神仏の名である。
慕い憧れる気持ちを持てる神仏であれば、どの神仏の名でも良いのである。
この曖昧さ、恣意(気まま)を持ちながら、なおかつ、ゆるまずにいることが、真の人間の偉大さである。
何十万年進歩しても、AIは足元にも及ぶまい。
ただし、本物の人間であればね。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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