ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ディケンズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

クリスマスだということに気付かなかった

今朝、起きてしばらく経ってから、今日がクリスマスだということに気付いて驚いた。
それまで、全く思い出さなかったからだ。
昨日は、イブだということも全然知らずに過ごしたのだが、こんなことは小学生以来では、初めてではないかと思う。
別に、クリスマスに何かする訳でもないが、イブに気付かなかったことは軽いショックだったし、そもそも、今年は、クリスマスが近付いているという想いを一度も持たなかったと思う。
昨日か一昨日、夜にテレビを付けた時、SMAPが出ていた番組が、何かクリスマスっぽい感じがしたような気もしたが、なぜか、クリスマスなんてずっと先のことのような気がしたのだ。

そういえば、街の風景にも、クリスマスらしさなんて、まるで感じられなかったと思う。
通勤の際、ショッピングモールみたいな場所も少しは歩くのだが、クリスマスらしい飾りつけなんて見なかったと思う。
飲食街や百貨店にでも入っていたら、少しは気付いたのかもしれないが、私は昼食も食べないので、そんな場所がどうだったかは分からない。

私でも、ごく小さい頃はクリスマスは楽しみだったし、それなりに楽しかったと思う。
ただ、小学5年生くらいの時から、地域のクリスマスパーティーに参加させられるようになってから、クリスマスが憂鬱になった。
引きこもりが何で、家に帰ってまで学校の連中と一緒に過ごさないといけないのかと恨みもあったものだ。
17歳のクリスマスは、一切の暖房のない部屋で、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んだが、それが一番良いクリスマスだったように思う。

今日は、帰りの電車の中で、初音ミクさんのクリスマス・メドレーを聴いて、少し気分を持ち直した。
それは、Youtubeの下のリンクのものだ。
Mikus初音ミクたちに「クリスマス・メドレー」を歌ってもらった
以前、ニコサウンドで、この音楽のMP3ファイルをダウンロードしたが、ニコサウンドが、著作権のある音源をダウンロードできるようになっていたとかで運営停止されていたのが、今月17日にサービス終了になっていた。
私がダウンロードしたのは、多分、違法のものではないと思うが・・・
やはり、クリスマスを25日の朝まで全く気付かなかったことは、少し残念に思っている。
世間も不況なのかもしれないが、私も、心に余裕がないのかもしれない。
これを機会に、少し自分を振り返ってみようと思う。









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『クリスマス・キャロル』のようにはいかない哀しい人達

ディケンズの『クリスマス・キャロル』のお話は、何らかの形で見たか聞いたことがあると思う。
簡単に言えば、守銭奴で人間らしい暖かみを全く持たないスクルージという名の男がいたが、クリスマス・イブの夜に、数年前に死んだ友人の霊が現れ、彼により、タイムトラベルで未来に運ばれて、今の生き方を続けた場合に訪れる悲惨な最後を見せ付けられる。それにより、スクルージは心を入れ替え、優しく気前の良い男になってしまうというものだ。

これはあくまでストーリーの概要であり、実際には複雑で微妙な経緯や状況があるのだろうと思うが、いずれにしろ、人はそんなに簡単に変われない。

例えば、この私が、今の生き様を続ければ、将来、やはり、悲惨な結末となることを教えられるとしよう。そんなことをしてくれそうな故人の知り合いに心当たりはなくもない。
だが、私だけではなく、こう言う人が多いのではないだろうか?
「分かっている。だけど、仕方がないのだ」

スクルージだって、今のままだと、ろくな死に様にならないことくらいは分かっていたはずだ。
そして、ディケンズは書かなかったが、スクルージは、本当はそんな自分が嫌だったはずなのだ。
だけど、だからといって、急に他人に優しくしたり、親しみやすい態度になれるだろうか?そんなことはあり得ない。仮に無理にそんなことをしようとしたら、その態度は不自然で、他人にとって気味が悪く、間違いなく拒否され、彼はさらに深い孤独に陥るだろう。そして、下手をすれば、やけになって、以前以上に冷酷な人間になってしまうのだ。
それが現実ではないだろうか?

貧しく育ち、少年時代から辛苦を味わったディケンズは、金銭への執着が強く、その心の歪みをスクルージに投影したのかもしれない。
そして、自分に変わって、スクルージを生まれ変わらせたのだろうか?
そうであるなら、哀しい話ではないだろうか?

平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、高校2年生の女子、三日月夜空は、空想上の友達と話をしているところを、同じクラスの男子、羽瀬川小鷹に見つかってしまい、「私はエア友達と話をしていた」と開き直るが、小鷹と言葉を交わしているうちに、所詮、友達のいない者の自己逃避であると認める。
そして、「仕方がないのだ」とつぶやく。「友達の作り方なんて分からないのだから」と。
夜空ほどの美少女、愛想よくすれば、さぞ人気者になれるはずだが、そんなことができないことが宿命なのだ。それは、求めようが、努力しようが、死のうが、どうにもならないことだ。

ビートルズの『エリナー・リグビー』という歌に、すっかり年を取っても王子様を待ち続ける哀れな老婆エリナー・リグビーが登場する。エリナー・リグビーは、結局、惨めなまま死んでしまう。
この歌には、誰も説教を聞きになど来ない寂しい神父であるマッケンジー神父も登場する。
しかし、歌を作ったポールは、ただ、彼らを見ろと言うだけだ。
それで、自分の哀れな末路を見たスクルージのように、ショックでも受けて自己変革をして欲しいとでも思ったのだろうか?
エリナー・リグビーや、マッケンジー神父だって、そんな生き方が人として良くないことくらい分かっているのだ。そして、そんな自分が本当は嫌に違いない。でも、仕方がないのだ。

夜空も、エリナー・リグビーになるのが宿命だったかもしれない。
しかし、彼女は小鷹と出会ってしまった。そして、運命が回りだした。
きっと、エリナー・リグビーやマッケンジー神父にだって、何かがあったはずなのだ。しかし、彼女達は、一歩を踏み出せなかったのだろうか?

誰にだって、生きている限り、チャンスは何度でも訪れる。
失敗は墓の中にしかない。生きている限り、失敗はしていないのだ。
気楽になり、状況をあるがままに受け入れ、無になってなりゆきに任せれば、きっかけは掴めるものだ。
後は、マントラ(呪文)があなたを助けるだろう。
ケルト・ハープと至高のエンジェル・ボイスによるマントラの詠唱『クリムゾン・コレクション』を下にご紹介しよう。私は、これを聴くと、あまりの美しさに忘我に至るのである。
『エメラルド・タブレット』には、力あるマントラが明かされているが、通読してから使うべきと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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