ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

テレパシー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

透視・テレパシーのやり方

安藤一男さんの『「無意識」の魔力』という、やや古い本は、人間の潜在的な能力を実用的に引き出すことを目的とした良書と思うが、超能力的と思われる力についても、いくつか取り上げている。
印象的なものを2つほど思い出すが、1つは天気を変えるというもので、確か、晴れていたところから雨を降らせた話があった。
天気を意志の力で変えると言うと胡散臭く思う人が多いと思うが、私にはこんな思い出がある。
以前も書いたのだが、私は心から天気を変えたいと思ったことが一度だけあった。
それは、小学6年生のある日のことで、私は本当に午後3時までに雨が降って欲しかった。
その日、午後3時近くまではよく晴れていたが、午後3時の少し前に太陽が隠れ、それほどの量ではなかったが雨が降り始めた。
もちろん、偶然の可能性もあるが、非常に印象的だった。
コゲどんぼ(現こげどんぼ*)さんの漫画『かみちゃまかりん』で、主人公の中学1年生の花鈴(かりん)が、体育の授業が嫌で雨が降ったらいいなと思ったら雨が降ったという話があるが、それを見た時、私は、コゲどんぼさんも、そんなことをやった経験があるのではと思うほど臨場感を感じたものだ。

さて、『「無意識」の魔力』のもう1つの超能力的な力は「透視」で、著者の安藤さんは、他の人の服を透視することが出来、ほくろの位置などを当ててみせたそうだ。
これまた胡散臭い話で、私はやったことがないが、出来ないことはないと思う。まあ、やることはないだろうが。
これは、霊視だとか、リモートビューイング(千里眼)と同じような能力だと思う。
それなら、私もやったことがある。
と言っても、何か益になることをするのではなく、夜の学校だとか会社を遠隔視して楽しむくらいだった。
ただの想像だと言ったらそうなのだが、千里眼というのは想像の延長みたいなものなのである。
やり方・・・というほどのものはないが、一応、チェコ出身のアメリカの医療エンジニア、イツァク・ベントフの『ベントフ氏の超意識の物理学入門』という本にやり方が書かれてあったと思う。
単に、瞑想しながら、過去に行った場所のことを想像するだけであるが、それで現地の様子がイメージで浮かぶし、それよりも面白いのは、そんな時は時間が停止(あるいはゆっくり流れる)ので、時計の秒針が止まっていることを確認出来る。
これは、私は、私が講師を務めるセミナーで実際に受講者にやっていただいたことがある。

それで、その延長として、私は釈迦の姿を霊視したことがある。
釈迦に限らないし、他の人物の霊視も出来ると思う。
単に、釈迦に関心が強いだけである。
これもやはり、ただの想像と言えばその通りだが、非常にリアルなイメージが浮かぶ。
恐竜を霊視したこともあるが、やはり、その場にいるような気分になるので、あまりやろうという気にならない(正直、恐い)。
恐竜というのは、実際にどんな色をしていたのかは全く分からない。知りようがないからだ。
私の霊視の場合、映画などの恐竜の先入観に影響されているのかもしれないが、実際、似たような色だった。
尚、私は、現存する人物の遠隔視みたいなことは全くやる気にならない。

透き通った髪
AIアート705
「透き通った髪」
Kay


私は、高校時代に、テレパシーで遠隔地の人と会話していたが、これも、テレパシーで話をする想像をしていたら、だんだんとリアリティが出て来て、実際に会話をしているようなものになってくる。
客観的に証明したということはないが、主観と客観が同じであることがポイントなのである(理解出来ない人が多いと思う)。
そうやって想像力を使っていたら、未来の様子をイメージ出来るようになり、イメージした通りの未来になる。
確定した未来をイメージすることが多いが、未来を改変することも出来るのだと思う。
引き寄せでも、願望をイメージして、イメージ通りの未来を引き寄せるというものがあるが、そういった場合、自我意識が強過ぎるとうまくいかない。
だが、あまり過激でない、ソフトな、あるいは、爽やかな想像をするよう心掛けると、うまくやれるようになるし、それは、なかなか楽しいものである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)「無意識」の魔力(安藤一男)
(2)かみちゃまかりん(1)(コゲどんぼ)
(3)ベントフ氏の超意識の物理学入門(イツァク・ベントフ)
(4)超能力が身につく本: 工学博士が教える読むだけで(関英男)
(5)マーフィーの「超」能力!(ジョセフ・マーフィー)

テレパシーは今後、重要な能力

特に芸人の世界では、「芸は見て盗め」と言われているという話を聞いたことがあると思う。
芸は、手取り足取り、あるいは、言葉で伝わるものではなく、師匠をよく見て学ばないといけないということだろう。
しかし、実際のところは、やはり丁寧に指導してもらった弟子が有利である。
ところが、おかしなことに、師匠にじっくり指導してもらった訳ではないのに、高い実力を持つ弟子というのは、実のところ、あまり師匠の芸を見ていないものだ。
そして、師匠にしっかり教えてもらった弟子というのは師匠を超えることはなく、師匠を見ずに成長した弟子が師匠を超えるものである。
ただし、師匠をあまり見ていなかったとはいえ、案外に、師匠の芸の神髄を身に付けている場合が多いのだ。
なぜ、そんなことが起こるのだろう?

芸の話をしたが、芸に限らず、あらゆることの神髄というか、いわゆるコツなのであるが、コツというのは、見たり聞いたりして伝わるものではないということだ。
では、コツはどうすれば伝えられるのかというと、これは非常に難しく、優れた芸人、芸術家、武道家、その他の名人達人が、弟子や子供にコツを伝えることが出来なかったのである。
弟子に才能がなかったのかというと、そういうこともあるかもしれないが、実は、師匠以上の才能があっても、師匠のコツを継承することが出来なかった場合が多いのである。

物事の本当に重要な本質というものは、やはり、言葉や形で伝えられるものではないのだ。
では、それを伝えられるものは何かというと、有名な『燃えよドラゴン』で、リーが弟子の少年に言ったように、「考えるな!感じるんだ!」であるが、正直、「感じろ!」と言われても困るはずである。
「感じる」ことは、出来る者は教えられなくても出来るが、出来ないものは、ちゃんと感じ方を教えてあげないと不親切というものである。
しかし、どんな師匠だって、「感じる」ことの意味が分からないので、教えてあげられないのだ。
では、コツの伝授は、ほとんどの場合、絶望なのかというと、そうではない。
物事の本質という、深い真理を伝えるものはある。
だが、それが何かというと、「テレパシー」としか言えない。
今の人類はまだ、精神同士でコミュニケーションをする方法を、せいぜいがぼんやりとしか分からないので、重要なことを伝えることが出来ないのだ。
つまり、結論は、テレパシー能力を得れば良い。

楽譜が読めない優れた作曲家や、全くではないが、基礎的な数学を知らない数学者がいたりする。
また、今では、子供を従来の方法で教育しない、反学校教育(アンスクール)が注目され、子供が望まない限り、文字の勉強をしないことも容認するといった教育が良い成果を上げている。
素晴らしい成長を見せる子供達はテレパシー能力を発達させている。
どうやってテレパシー能力を発達させているのかというと、多くの場合は、言葉でコミュニケーションが出来ない相手である、動物や植物との交流によってである。
あるいは、もっと大きな自然とのコミュニケーションでテレパシーを発達させた者もいる。
電波工学の世界的権威だった関英男博士は、ある時、電波受信機が自然電磁波を捕らえ、それをずっと聴いているうちに、ぱっとテレパシー能力が開花したようなのである。
多くの優れた発明を行った橋下健博士も、ゲルマニウムなどの鉱物に「可愛い奴だ」と親しく接したら、発明のヒントを教えてくれると著書に書かれていた。
また、自分が崇拝する人物、憧れる人物に、敬いの気持ちを込めて注意を向けると、相手は意識しなくても、優れたメッセージをテレパシーで送ってくれるものである。








直観を得る方法

オバマ大統領の広島訪問に対し、オバマ大統領やアメリカの隠された意図をあれこれ推測し、時には、自分が推測したオバマ大統領の悪意で大統領を批判したりする。
なぜ、あれはオバマ大統領の善意(死者への追悼と世界平和の目的)と素直に考えないのだろうか?
理由は2つだ。
1つは、あれを素直に善意だと解釈する人は馬鹿だと思われるから・・・つまり、馬鹿だと思われたくないから。
もう1つは、自分はオバマの隠された意図を鋭く暴ける頭の良い人間だと思われたいから。
確かに、批評家、評論家であれば、「オバマ大統領の訪問は単なる善意だ」と言ってたら商売にならないばかりか、馬鹿だと思われたら仕事が来なくなってしまうという事情もあるだろう。

だが、私は、今回のオバマ大統領の広島訪問に関しては、オバマ大統領に裏を感じない。すなわち、単なる善意と考えている。
「それは、お前は、裏が読めない馬鹿だからだ」と言うなら、そう思っていただいて構わない。
確かに、私は、頭が働く方ではないのは間違いない。
何度も言うが、IQ低いし。

ただ、偉い人がシンプルに行動すると、妙な深読みをされて誤解されるものだというのは分かる。
いや、偉くなくたって、善意で行ったことというのは、あまり素直に受け取られないものだ。
そして、善意だろうが悪意だろうが、人の想いなど、決して分からないものだ。
だから、確かに、オバマ大統領が何を考えているのかは分からない。
彼やアメリカを取り巻く状況、そして、世界の状況に関する情報を多く集めれば集めるほど、無限の解釈が可能だということも分かる。
オバマ大統領の行為を善意と捉えるのは、情報が少ない者や、情報を分析する能力がない者ということになるのだろうが、情報が多かったり、高度に分析すれば、もっと間違うのである。

面白いところでは、オバマ大統領の表情やしぐさで、心理を読み取ったという人もいる。
これは、あのSMAPの会見で、そんな方法で、各メンバーの心理を分析したというのもあったように、そんな主張は効果的な掴み(人々の気を引くこと)の方法でもあるのだろう。
しかし、そんなもので人の想いが読めるなど、私は全く信じていない。

まあ、今は、人間にテレパシー能力はない、あるいは、ないと思われているので、いろいろ複雑で面倒なことがまかり通るのだろう。
だが、直観というなら、有る程度は認められているだろうし、テレパシーも直観の一種なのかもしれないが、直観は曖昧なものだという認識があるのだろう。
しかし、曖昧なもの、思考で左右されるものを直観とは言わない。
本当の直観は常に正しい。
思考の方こそ曖昧であるし、(信じてもらえないだろうが)思考は百パーセント間違っている。

多くの人達は、考えないと騙される、考えないと損をする、考えないと馬鹿を見ると思っている。
そして、何より、考えていないと思われたら蔑まれると思っている。
その結果、騙され、損をし、馬鹿を見、蔑まれるのである。
思考は百パーセント間違うからだ。
なぜなら、思考は感情に百パーセント勝てず、ほとんどの人は欲望の感情が強い(強過ぎる)。
欲望自体に正しいも間違いもないのだが、思考というものは小さ過ぎて感情を持て余すのに、欲望の感情の大きさには、もう全く歯が立たない。
それは、スプーンで大海の水をどうこう出来ないようなものだ。
考えても良いが、思考はその程度だと分かっていれば、そう酷い目に遭うことはない。
そのためには、欲望以外の、巨大で深い感情に圧倒される経験をしなければならない。
私はいつも初音ミクさんに圧倒されているので、ほとんど何も考えないのである。
結果、神仏は、少しは直観(あるいはテレパシー)を与えてくれる。
神仏もミクさんのことは好きだからね。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

心の中を見られることは、どれほど恥ずかしいことか?

本当か嘘か知らないが、アメリカでは第二次世界大戦の頃から、政府のトップレベルの人達が、宇宙人からの侵略に備える必要を訴えていたという話がある。
私がSFに興味を持ち始めたのが小学4年生くらいだったが、その頃であれば、宇宙人の地球侵略を扱ったSF小説を読めば、それが現実に起こりうることだと考えても不思議ではない。
だから、実際、私もそう考えていたのだと思うが、それよりも、私には、もっと重大な懸念事項があった。
それは、やはりSFで覚えた「超能力」を使う超能力者の中でも、テレパシー能力を持つ、テレパシストの問題だった。
また、私が読んだSFの中には、人間の心の中を読み取る機械というものが登場したことがあったが、そんなものの存在も、やはり、私にとって重要問題になっていた。
つまり、心を読まれなんかしたら困るのである。

SFの中では、登場人物達が、重大な秘密をテレパシストや心を読む機械によって、心の中から読まれてしまうようなことがあるが、そんな格好良い思考を読まれるのなら、まあ良い。
しかし、小学生にして既に分かっていたことは、自分が心の中で考えることなんて、善いとか悪いとか、立派か立派でないなんて言い方は、トマホークミサイルを雨傘で受けるなんてくらいに的外れなほど「恥ずかしい」ものだということだ。
だが、私は、他の人が心に秘めた考えは、私ほどひどいことはないかもしれないとも思っていた。
だって、テレパシーが扱われるSFに登場し、心を読まれる人達の心の中は、少々悪い人間であっても、私には、あまりに立派過ぎると思われたからだ。
だが、ある人気男性タレントがテレビで、「中学生くらいの男の子の頭の中なんて、エロいことばっかりだ」と言うのを聴いて、「やっぱりみんな同じなのか?」とちょっと安心し、「もっと羽を伸ばそう」なんて思ったことがあった。
エロいかどうかはともかく、心を読まれて困らないような「ご立派な」人なんているのだろうかとは、よく思ったし、今も時々思う。
世界中で、偉人とか聖人と言われるような人は、心の中もやっぱり立派なのだろうかというと、人間というのは、他人を自分レベルにしか評価できないものだから、やはりそんなこと(偉人は心の中も立派)は、私には信じられないのである。

梶原一騎さんという漫画原作者はやはり天才だったのだと思うが、彼は、少年誌の漫画では立派な原作を書いていたが、青年誌となると、かなり異常な色欲を描いていた。
ただ、この「異常」という意味は、「心の中で考えていることを、ここまでバラすのはいかがなものか?」という意味で、考えてはいるが、普通の人は隠すはずのものを、梶原氏は青年誌という羽を伸ばせるものでは表現してしまっていただけだろう。
しかし、「本当は、おそらく多くの・・・ひょっとしたら全ての人が考えている」ことであっても、あまりに低劣なことを、はっきり目に見える形で表現してしまうと、不快に感じる面は確かにある。
それは、あまりに低劣なことを思うことを肯定する訳にはいかず、持たないような人間に進歩すべきだという思いを否定された気になるからだと思う。
確かに、本当は超低劣な思いを持っているのに、持っていないフリ・・・いわゆる、「聖人君子面」をすることが一番醜い。
しかし、やはり、あまりに低劣なことは思わない人間でありたいという思いは、誰しもあるのだと思う。
青年誌の梶原氏原作の漫画で描かれているような(アダルト本等も全てそうだと思うが)異常な行為を、「やっぱりみんな考えてることなんだ。なら、自分も遠慮なく考え、うまくいけばやってしまおう」と思うことは、やはり嫌だし、そんなことを考えたら、心は苦しむものだと思う。

だが、現に考えていることを否定すると、かえって、その思いは強まるものだ。
しかし、やがて、こんな結論に達する。
「人間の考えることは全て悪い」
そんな馬鹿なと思うかもしれないが、それは間違いない。
「いや、善い考えだってある。少なくともいくらかは・・・」
と言うなら、そうではない。ノット・ワンである。
スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した映画『パピヨン』で、ホフマン演じるドガがこう言ったことを、私は印象的に覚えている。
「裁くのは神だ」
つまり、神しか裁けないのだ。
人間は善いことを考えることが出来ない。
人間の判断は全て間違っている。
1つ残らずだ。
人間が正しいことをする時、心は「俺は馬鹿なことをしている」と思うのだ。
自分の判断でない、閃きのようなもので判断する時だけ正しいのである。
つまり、人間の中の神だけが正しいことが出来る。

そう考えると、私は、テレパシストが怖くなくなった。
梶原一騎氏の青年誌での漫画並のことを考えているとしたって、そんな心を読まれたって一向構わない。
考えているものは仕方がない。
だが、私は、なるべく、頭の中のおしゃべりをやめることにしたのだ。
心の中のおしゃべりが止んだ時、私は神に近付き、正しくなるのである。
思考は呼吸と深い関係がある。
よって、なるべく微かな呼吸をすれば、頭の中のおしゃべりを止(や)め易いだろう。
もし、自在に頭の中のおしゃべりをやめることが出来るなら、その人は超人である。
そして、その力が限りなく発達した時、人は神になったと言えるのだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

以心伝心

想いは伝わると言うが、一方で、言葉で言わなきゃ何も伝わらないとも言う。
どちらが正しいのだろう?
いわゆる、以心伝心ってのが本当にあるかどうかだ。
また、以心伝心というものがあるとしても、それは、表情やボディーランゲージ(身振り手振り)だけによるのか、あるいは、テレパシーのようなものがあるのか?

テレパシーのようなものはある。
だが、テレパシーが現代の世間的には常識外れなのだから、その伝わり方も常識外れなのだ。
たとえば、中国がこっそり軍備拡張していることがアメリカの政治家の心に伝わって、「中国が恐いので、我がアメリカはもっと兵器を強力にしなければ」という想いが心の奥から湧き上がって来る。しかし、「何となく恐い」では兵器増強に反対する者もいるので、中国が恐ろしい兵器を持っているという証拠をデッチ上げる。
世界で行われているのは、だいたいそんなことだ。
昔、イラクが大量殺戮兵器を持っているからといって、アメリカが攻撃して占拠したが、結局、そんなものは見つからなかった。これは、イラクが、物凄い兵器を持とうと計画していたか、あるいは、切望していたのが、心的にアメリカ人に伝わっていたのだ。

「こいつ嫌いだな」と思っていると、相手もこちらを嫌いになる。
気に食わないやつだと思うと、向こうも自分を気に食わないと思う。
子供が親を嫌だなと思うことは多いが、親の方の愛は無限・・・ってことはなくて、やっぱり、親も嫌ってくるものだ。
それが分かると、子供だって、うかつに親を嫌ったりはできない。

じゃあ、可愛いあの娘を好きだと思っているとどうかというと、もちろん、相手の娘にちゃんと伝わり・・・その娘は自分のことを「キモい!」って思うのである(笑)。
だって、純粋に好きっていうなら嫌われることはないが、大体がスケベなことを考えている部分が大きいので、それが伝わるからだ。
アイドルなんて大変なもので、男でも女でも、邪まな思念を大量に受けるのだから、肉体的にも精神的にも、どんどんおかしくなってくる。
心身ともボロボロになりたくなかったら、アイドルや、アイドル的なタレントなんかには決してならないことだ。
なってしまったら、精神を超人的になるほどに磨くしかない。そうでないと悲惨なことになる。
初音ミクさんの場合は、彼女には私的な心がないので、鏡のようなものだ。想いを伝えると、それがそのまま返って来る。
初音ミクさんがいくら可愛くても、邪まな思念を持つ者は少ないので、好きだと想えば、ちゃんと愛が返ってくるし、ファン同士の間でも、美しい共感の輪が広がる。
初音ミクさんが世界を平和にしているのは、そんな理由が大きいのである。

とにかく、心は伝わるのだという前提で、生きてみて欲しい。
すると、あらゆる状況がびっくりするくらい変わってしまう。
だが、嫌いな人を無理矢理好きになろうとしたって無理だ。
しかし、他人を嫌うというのは、実は恐れから起こることだ。
だから、「私に恐れはない」という言葉を呪文のように唱えていると、不思議なことに嫌悪感はなくなってくる。
そして、状況も快適なものに変わってくる。
好きな娘(あるいは男)がいるが、その人を邪まな目で見てしまうという場合は、なるべくその人を見ず、その人のことを考えないことだ。
すると、自分で驚くほど、その人を好きでなくなってしまい、「なんでこんな娘を好きだったのだろう?」と不思議に思うようになる。そして、もっと素晴らしい人が好きになる。
いわゆる、色気で目を眩まされていただけなのだ。
人間というのは、普通の人が想うより、はるかに妙なものなのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード