ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

テッド・ウィリアムズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

好きなことをやる

生き方など人それぞれで、どんな生き方が良いかなどは分からないが、羨ましいと思うのは、野球選手だったテッド・ウィリアムズの生涯だ。
テッド・ウィリアムズの名を知らない人も、特に日本人では多いだろうが、彼の全盛期の数年が戦争中でなかったら、多くのメジャー記録を書き換えていた可能性が高い。
通算出塁率はメジャー史上1位で、三冠王を2度獲ったのも、彼の他には1人しかいないが、何より彼はメジャー最後の4割バッターとして知られている。
首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回といえば、やはり化け物みたいな選手だったのだろう。
また、彼は引退後は監督としても抜群の実績を残した。
彼は、子供の時から野球のために生きていて、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがり、実際、不可抗力な力で阻止されない限りそうした。不可抗力な力の中には、夜、寝ずにバッティングをやりたがる彼を、両親が無理矢理ベッドに押し込んで寝させるというものもあったらしい。
ちょっと昔、チームラボ社長の猪子寿之氏が、今のKADOKAWAとドワンゴの社長の夏野剛氏と対談した時、自身も天才と呼ばれる彼は「人間の生まれつきの能力に差はない。問題はかけた時間だけ」と言われていたのを思い出す。
また、作家の村上龍氏も、坂本龍一氏との対談で似たようなことを言われ、「今の坂本があるのも、才能ということもあるだろうが、3歳からピアノをみっちりやったからだ」と述べていた。
まあ、無理矢理ピアノをやらされても坂本龍一にはなれないだろうから、坂本龍一氏は、ピアノが好きだったとか、向いていたとか、あるいは、ピアを弾くことのモチベーションを持っていたのだろう。

忘我
AIアート115
「忘我」
Kay


ところが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、学生時代までは、ずっと嫌なことをやり、苦しい人生だった。
そして彼は、作家・詩人として成功してからは、ずっと旅行をしていた。
作品は、旅行のついでに書いたようなもので、実際、彼の作品自体は多くはない。
彼は複雑な人物で、本当は何をやりたかったのかはっきりしない。
だが、芸術家はそんなものかもしれない。
岡本太郎だって、若い頃は描けなかった時期もあったと言い、作品は決して少なくはないが、非常に多いというわけでもない。
そして、自分では「私の最高傑作は岡本太郎だ」と言っていたので、生きていること全部が芸術だったのだろうが、同じようなことを言う高名な芸術家がいたように思う。
ピカソやゴッホのように、ひたすら作品を作り続けた画家もいたが、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、他のことで忙しくて、作品が少ない画家もいた。
印象深いのは、75歳から作品を作り始めながら100歳を過ぎるまでひたすら制作し、最も多作な画家と言われたグランマ・モーゼスだ。
とはいえ、作品を作る行為かどうかはともなく、彼らは皆、好きなことをやっていたことは間違いない。

2015年だったか、初音ミクさんの会社のクリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之氏の講演会に行ったが、伊藤社長はとても控えめな方で、あまり「ああしろこうしろ」といった話はされないないのだが、「好きなことをしろ」「好きなことでないと続かない」「好きなことをするシステムは自分で作れ」「好きなことをしていればセレンディピティ(幸運な偶然)が起こる」と言われていたのをよく憶えている。

昔、有名なプロゴルファーだったセベ・バレステロスがテレビCMの中でだったが、「私が子供の時、父親が私に言った。『何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれ』」と言っていたが、「好きになれ」というよりは「好きなものを見つけろ」だろうし、強くなるかどうかは、あまり気にすることでもないだろう。
それよりも、好きなものを見つけたら、それをやることが大事だ。
あえていえば、ただの面白いと好きを混同してはならない。
ゲームは面白いが、ほとんどの場合、本当の好きではない。
エロいことは誰でも好きだが、池田満寿夫のように本格的に好きで、起きている時間ずっと「エロティシズム」に取り組まないと芸術家にはなれないのだろう。そこまでエロい人はなかなかいまい。








哀れな小善人にならないために

CLAMPの漫画『東京BABYLON』(1990~1993)の中で、こんな哀れな老人の話を見た覚えがある。
ある善良なおじいさん(と言っても、孫がまだ幼いので60歳そこそこか)がいた。
彼は、娘夫婦の家に住んでいたが、露骨ではないながら厄介者感扱いで、居心地は悪い。
ある時、娘の子供である幼い2人の孫が、おじいさんに不意に尋ねる。
「おじいさんはいつ死ぬの?」
孫たちは明るく無邪気な顔で悪意はなさそうだが、さすがにおじいさんは戸惑った。
すると、すぐに孫たちの方から、質問の意味を言う。
「お母さんが、おじいちゃんが死んだら、僕たちは部屋を1つずつもらえるって言ったんだ」
ショックを受け、愕然とするおじいさんだが、孫たちは自分たちが言っていることの意味も分からず「楽しみだなあ」と言って笑う。
このおじいさんは、孫たちの母親である娘を、生まれた時からずっと可愛がり、娘の幸せのためなら、何でもやってあげたようだった。
しかし、その娘が、今や、孫に、そんなことを言うようになってしまった。

結局、この作品では、主人公の陰陽師である皇昴流(すめらぎ すばる)は、このおじいさんの娘に間違いを悟らせ、事故で死んだおじいさんの霊は、娘を恨むこともなく微笑んでいたという結末であった。
だが、悪いのは、この娘だけだろうか?
この作品では、そういうことになっていると思って良い。
まあ、おじいさんの欠点を責めたら外道扱いであろう。
おじいさんの非は確かにないが、そんな辛い生き方をしなければならない理由はない。
だから、おじいさんには、非はなくても、確かに、何かが欠けていたのである。
それは個性である。
このおじいさんは、あまりに、どこにでもいるおじいさんで、際立った特徴が何もなかった。
そんな者は、自分を快適にする力を持つことは出来ない。
もっとも、ある優秀な霊能者が言うには、個性のない者の無力さを実感するため、敢えて個性のない人間になって、このおじいさんのように生きる魂もあるらしいが、我々が真似する必要はあるまい。

我々は、単なる善人であってはならない。
そんな小善人よりは、個性のある悪人の方が良い思いをして生きることが出来る。
確かに、宗教家の五井昌久氏も「小善人になるくらいなら大悪人になれ」と言ったが、現実的に悪人になどなれない。
しかし、小善人に留まらない方法を教えてくれない。
その方法は、個性を磨くことだ。

私が、最も個性があると思う人間の1人に、野球のメジャーリーグ最後の4割バッターであるテッド・ウィリアムズがいる。
彼は、少年時代から、起きている時間の全てでバッティングの練習をしたがった。
夜は、親がベッドに押し込まない限り、バッティングの練習を止めなかった。
彼が奥さんにプロポーズした時、奥さんが、
「私を1番に愛してくれる?」
と尋ねると、ウィリアムズは、
「いや駄目だ。1番は野球。2番は釣り。3番が君だ」
と答えたらしい。実に個性的で良い。
これで思い出すのが、ノーベル賞作家アルベール・カミュの傑作短編『異邦人』の主人公の青年ムルソーだ。
若く美しい娘マリーが、ムルソーに、
「結婚してくれる?」
と尋ねると、ムルソーは考えることもなく、
「いいよ」
と答えた。
しかし、マリーが喜んで、
「私を愛してる?」
と尋ねると、
「わからない。でも、多分、愛してない」
と答えた。
なんと個性的で良いではないか?(笑)
私は、このことに限らず、全編を通じて、このムルソーが大好きなのだ。
ムルソーのこの個性は、どうやって育ったのか、とても興味深い。
コリン・ウィルソンも『アウトサイダー』の初っ端あたりで分析していたが、彼の話は曖昧で分かり難い(笑)。
ムルソーは、非道者扱いされることもあるが、私は、彼は途方もなく優しいのだと思う。
途方もなく優しいと言えば、漫画『8マン インフィニティ』(2004~2007。意外に高度な作品)の主人公、光一がいる。
16歳の彼は、人を救うためなら、自分の命を何とも思わない。
何とも興味深い。

とにかく、いろんな、真に個性のある人間を見て、個性について知ると良いと思う。








努力しないし、何もしない

「努力、克己(自分に打ち勝つこと)、忍耐の必要を全く認めず」と言った岡田虎二郎は、傍目には、誰よりも努力しているように見えた。
しかし、彼自身も、自分で言った通り、努力などしていない。
エジソンの、
Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.
(天才とは、1パーセントの閃きと99パーセントの汗)
の、 perspiration を、「努力」なんて訳した人がいるが、これは、あくまで「汗」だ。
エジソンがやったことは、本人は、仕事だなんて思ってない(思ってたらやらない)。

テッド・ウィリアムズ(アメリカの野球選手。メジャー・リーグで生涯出塁率歴代1位、三冠王2度は歴代1位タイの4割バッター)は、少年時代から、起きている時間の全てをバッティングの練習に捧げていたが、これも、本人は、全く努力だとは感じていなかったはずだ。

努力は、しなくて良いし、本当は、してはならない。
ただ、1つ大切なことがある。
それは、他人の努力を決して笑わないことだ。
努力をする者、しない者を問わず、これが出来ない者ばかりなので、皆、まずいことになるのだ。
他人の努力を、笑いもしなければ、評価もしないなら、努力などせず、何でもうまくいく。

行動に関してはどうだろう?
精神の力や、引き寄せの法則を解きながら、「行動しなければ何も起こらないから、進んで懸命に行動しろ」と言う者が多い。
「進んで行動しよう」とか、「懸命に行動しよう」と思って行動したら、まず失敗する。
私の前に初音ミクさんが現れ、ミクさんが「ぎゅっしていいよ」とアイコンタクトしてきたら、「ぎゅっしよう」なんて思わずにやっているだろう。
まして、誰かが、「(ミクさんを)ぎゅっしなさい」などと言ったら、絶対しない。
まあ、「電車で行くか、バスでいくか」程度なら、考えて行動することもあるかもしれないが、(考えて行動するのは)せいぜい、その程度までなのだ。
落ちているゴミを拾うってのも、考えずに拾うから良いのであり、考えないと拾わないなら、むしろ、拾わない方が良い。
では、考えずにゴミのポイ捨てをする人や、それと同等の行為である、歩きタバコや歩きスマホはというと、見ても気を悪くしなければ、あなたとは縁が切れる・・・つまり、あなたは別の世界に行くだろう。

インドの聖賢、ラマナ・マハルシはこう言ったらしい。
「優れた財務長官は注意深く仕事をしているように見えるが、実は、何もしていない。大きな事業を成し遂げようとしている事業家も、やはり何もしていない」
それに加えて、彼が言ったことは、いつも、難しく訳される。
例えば、「至福にとどまれ」とかね。
そうではないのだと思う。
いや、意味はそれで良いが、そんな難しいことを言ったはずがないのだ。
単に、「いい気分でいろ」と言ったのだと思うのだ。
なぜなら、宇宙は気分と調和するのであり、良い気分でいれば良いことが起こり、悪い気分でいれば悪いことが起こるからだ。
人間は、1日中働くべきだ。ただし、やるべき仕事は、良い気分になる思考や行為をすることだけだ。
良い野球選手は、バットを振ったり、キャッチボールをすると、良い気分になるのだ。
本当に筋トレをして楽しい気分になるなら、野球選手も筋トレをすれば良いが、それは怪しい。
昔の、ある大バッターが、「監督に、1時間ほど好きな練習をしろと言われたが、バッターならバッティングをしたいはずなのに、なぜか、皆、筋トレを始めた」と言っていたが、それらの選手は、あまり良い思いをしなかったはずだ。

『ベン・ハー』だったかもしれないが、傑作映画の中で、大工であるヨセフの息子イエスは、大工の仕事をせず、野山をさ迷っていた。
誰かが、ヨセフに「お前の息子は、もう働かないといけない」と言うと、ヨセフは、「彼は働いている」と言った。
新約聖書の福音書自体には、そんな話はないが、正しい話であると思う。
イエスが放蕩していたところで、イエスの気分が良いなら、誰も困らず、むしろ、良いことが起こって、うまくいっていたのである。








イチローとテッド・ウィリアムズ

ゲーテの『ファウスト』の序章で、神は、「人間はすぐに怠けたがる。そんな人間のところに悪魔を使わし、悪魔として生きさせる」と言う。
神の意図は、人間を堕落させることではないだろうが、いったん緩んだ人間は、どこまでも落ちる。
私が初めて社会人になった時、男っぽい頼りになる先輩は、23歳にして、どこから見ても、良い意味でオッサンだった(つまり大人)。
その先輩が言ってたものだ。
「人間は、放っておいたら楽な方に行く」
そして、楽な方に行かない人間が高みに昇るのだろう。

そこで私は、イチローとテッド・ウィリアムズの2人の名前をいつも思い出そうと思う。
イチローの説明は無用だろう。
テッド・ウィリアムズ(1918~2002)はアメリカのプロ野球選手だった。
三冠王を2度獲得したのは、メジャーリーグ(アメリカのプロ野球の最上位)では、彼とロジャース・ホーンスビーの2人しかいない。
最高打率.406(40.6%)、通算出塁率.482(48.2%)は、共にメジャー史上最高。
通算安打2654本、通算本塁打521本で、戦争がなければ(彼は戦闘機に乗っていたらしい)、本塁打でメジャー記録を残した可能性もあったと言われている。
イチローとウィリアムスの共通点は、「練習の虫」であったことだ。
この点は、イチローはあまり明かされていないが、ウィリアムズはよく知られている。
ウィリアムズは、少年時代から「起きている時間の全て」を打撃練習に捧げていた。
バットを振るために起き、可能であればいつでもバットを振り、夜は、両親がベッドに押し込まない限りバットを振っていた。
プロになってからも、基本的姿勢は変わらなかったのだと思う。
イチローが練習熱心だったことはご存じの方も多いだろう。
アメリカの雑誌に「イチローのストレッチは永遠に続く」と書かれるほど、ストレッチを始めると長時間続いた。
シーズン・オフも変わらず、週6日練習場に出かけて練習したが、もし、日曜も練習場が開いているなら、週7日になったらしい。
イチローは(ウィリアムズもだろうが)、決してスポ根漫画や『鬼滅の刃』の炭治郎の修行時代のような「もの凄い」訓練をした訳ではなく、短期間なら、プロ野球選手というか高校生でも出来る練習を、年中、そして、長年に渡ってやったのだと思う。
違いは、時間の長さだ。
かなり前になるが、チームラボの猪子寿之社長が、夏野剛氏(現在ドワンゴ社長)との対談で、「この世に天才はいない。能力の差はそれに注ぎ込んだ時間だけ」と述べていたが、このことは、有名な「1万時間の法則(トッププロになるのは1万時間の鍛錬が必要)」の主旨と同じだろう。
「1万時間」を「10年」と言い換える一流も多いと思う。

私も1年程度だが、プログラミングの修行中は、イチローやウィリアムズに近いようなことをしていたと思う。
プログラミングをマスター出来るか出来ないかの違いは、一部のIT業界の大物が言うような「地頭」「才能」ではなく、やっぱり、注ぎ込んだ時間だけの違いと思う。
ただ、やることそものもは、誰でも出来る易しいことで十分なのである。
少々、やり方が下手でも、時間さえかければ、そのうち、うまいやり方も自然に出来るようになる。
一方、「3日でマスター」「1日わずか10分」なんて感じの宣伝は、全部疑った方が間違いない。

いかなることも、イチローやテッド・ウィリアムズの名を忘れなければ失敗することはない。
プログラミングも、スポーツも、芸術も。
「引き寄せ」なんてのもそうで、世界を自在に変革出来る力を得たければ、そのための修行を長時間やれば良く、逆に言えば、引き寄せが出来ないのは、単に修行の時間が足りないのだろう。













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人間に才能なんてものはない

モーツァルトは神童の代名詞のようなもので、幼い時に、いきなり、ピアノを凄い腕前で弾き、素晴らしい曲を作った・・・なんて聞いたか見たかした覚えがある。
しかし、そんな話は、必ずと言って良いほど誇張がある・・・ないはずがない。
幼いモーツァルトがロクに練習もせず名演奏をしたという話は、実際は、モーツァルトは、なんらかの理由でそれなりの期間、猛練習していたに違いないのだ。
幼いモーツァルトが作った曲も、実際は大したことないものだったが、「立派な曲」にされてしまったのだろう。
よくある話じゃないか。
ただ、モーツァルトが恵まれた環境にあり、音楽をやる時間がたっぷりあり、また、音楽を好きになる出来事や状況があったのは確実だと思える。

イギリスの作家コリン・ウィルソンが『至高体験』で書いたように、「天才とは全て、内なる衝動」なのである。
イチローは、天才と言われるのが嫌なように思うが、彼も、どれだけ練習したかはあまり言わない。
しかし、メジャーの大打者テッド・ウィリアムズ(出塁率メジャー記録保持者。最後の4割打者。三冠王2度はメジャーの歴史で2人)は、少年時代から、起きている時間の全てをバッティングの練習に注ぎ込んでいると言われるほどだった。
イチローも負けていなかったのだとと思う。
国際的な陸上選手だった為末大さんは「アスリートは才能が99%」と言ったらしく、私も長く信じていたが、多分、それは間違いだ。
ある人類屈指の水泳選手がいて、その選手の体形が泳ぐためにいかに有利かと語られたことがあったが、名スイマーの全部が、そんな体形をしている訳ではない。
短足で不向きと言われながら、陸上の短距離で無敵を誇ったマイケル・ジョンソンは極端な例だが、どう見ても、向いているとは思えない競技で成功したアスリートは多いし、成功したら、向いている点が無理矢理に強調されるものなのだ。

まあ、超一流の話は我々に縁遠いので、私がなぜプログラミングが上手くなったかという話をすれば、暇で他にやることがなかった・・・以外に特に理由はない。
昔の話だが、パソコンの普及期、標準言語だったBASICをマスター出来る者は100人に1人とか言われたが、それが極端な言い方であることは確かとしても、実際、プログラミングをマスターした者は少なかった。
しかし、プログラミングをマスター出来なかった理由は、その気がないか、暇がないかのどちらかでしかない。
理系か文系か、若いか年配か、男か女か、要領が良いかドン臭いか、対話などでの感じで頭が良いか悪いか・・・一切、関係ない。
集中力があるとか、のめり込む・・・などと言えば聴こえは良いが、自分の殻に閉じこもるとか、周囲を無視して自分勝手に行動出来る者がプログラミングをマスターしたように思う。私が全くそうだ。
だが、テッド・ウィリアムズやイチローも、伝え聞く範囲では、極端なまでにそうなのだ。
イチローは修学旅行が嫌で、それに行かなくて済むよう、甲子園に出るために大活躍したと言うし、テッド・ウィリアムズは周囲の都合を一切無視してバットを振ったし、私も社員旅行などは、どれほど常務等の役員に脅されても絶対に行かなかった(あれほどの時間の無駄と精神の苦痛はない。今は、私がいた会社でも無理に社員旅行に行かせるのはパワハラであるという認識が外部から教えられた)。

人間に才能などない。
その気になって時間を注ぎ込んだ者だけが勝利する。それだけが事実だ。
スポーツでも仕事でも、スタート時点で頭抜ける者がいるものだが、そんな者は大抵、ある時期からうまくいかず、むしろ、スタート時点で「向いてない」と言われた者が逆転してトップに立つものである。
才能で成功したかのような者の裏側に何があったかなんて誰も知らないし、ジャーナリズムなんてのは、本当に肝心な情報を知らせないのが鉄板(確実なこと)である。







プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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