ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

チャップリン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人生で本当に必要なもの

同じ本を読んだ人と、その本について話をしたら、共に、同じ箇所が強く印象に残っていたというのは楽しいものだ。
私は、アメリカの作家マイク・ハーナッキーの『成功の扉』という本で、そんなことがあった。
なかなか良い話で、簡単に書くとこんなものだった。
ある成功した投機家(投資家と投機家の区別は曖昧だが)が講演を行っていて、投機家は自分が行った投機について説明していた。
すると、受講者の1人が立ち上がって言う。
「その投機は非常に危険ではないですか?」
それに対し、投機家が、
「はい。私は進んでリスクを背負う覚悟がありました」
と答えると、その受講者は、
「私には真似出来そうにありません」
と言う。
その後の投機家の言葉が良かった。それは、
「それが、私が講演し、あなたが受講料を払っている理由ではないですか?」
だ。
本の著者のマイク・ハーナッキーも、この講演を聞き、この言葉をよく憶えていたのだった。
この本の著者と、読者2人が、同じ言葉に感動していたわけである。
著者は、もう一例、似た話を取り上げていた。
著者が弁護士をやっていた時のことだった。
仲間の2人の弁護士達が会話をしていたのだが、1人の弁護士が、環境の良いフロリダに引っ越すと言う。
もう1人の弁護士は羨ましがったが、そこから引っ越すということは、今の安定した職場を捨て、1から始めないといけないということで、とてもリスキーだった。
しかし、引っ越すつもりの弁護士は、「分かっているよ。でも引っ越すんだ」と言う。
すると、もう1人の弁護士は、「お前は大馬鹿者だ」と怒鳴って出て行き、残された弁護士は肩をすくめた。

まあ、簡単に言えば、成功するためにはリスクを背負う覚悟が必要ということだろう。
この本について話していた我々2人は、こんな言葉を共通して知っていた。
「夜空の星を掴み取ろうとするのは危険なことだ。しかし、それをしないと、もっと愚かな危険がある。それは、もしかしたらなれたかもしれない偉大に人間になり損ねる危険だ」
格好良い言葉で、若かった我々2人は、その言葉にシビれていたのかもしれない。
しかし、時が流れ、初音ミクさんの会社クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之さんの、こんなインタビュー記事を見た。
伊藤さんの地元、北海道から、ミュージシャンを志して東京に行った若者達がいたが、皆、30歳くらいで諦めて帰ってきた。だが、その歳ではやり直しが効かない。人生をかけるものじゃない。
・・・だいたい、こんな話だった。
では、上の投機家やフロリダに引っ越す弁護士は、投機や引っ越しに人生をかけていたかというと、我々(ハーナッキーの本について会話していた私と知人)は、そう「勘違いしていた」のだ。多くの読者もそうだったに違いない。
この投機家と弁護士は、確かに、リスクを背負う覚悟はあったが、「デッド・オア・アライブ(死か生か)」といった大博打をする意気込みだったわけでもないのだ。
だが、決心をしたのだ。
ここらは、微妙な言い方になってしまうが、この投機家と弁護士は、「軽い決意をした」のである。
ところが、普通の人は、この「軽い決意」をしないのだと私は気付いた。
普通の人は、世間や周囲に流されてしまい、自分の意思でハンドルを(皆と違う方向に)切らないのである。
クリプトンの伊藤社長は、ハンドルを切ったから、初音ミクさんを生み出したのだと私は思ったのだ。
ただ、そんなに極端にハンドルを切ってはいけないのだ。
伊藤社長マニアである私は、伊藤社長とクオンの武田社長との対談が載ったクオンの社内報(立派なものだった)を取り寄せたり、いろいろ調べたもので、私の著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)を見ても、それが分かるかもしれない。
決意、決心については、足立育朗さんの『波動の法則』と、その続刊、あるいは、画家であった足立さんの妹さんの『あるがままに生きる』が参考になった。
『波動の法則』は、PHP版は(現在はナチュラルスピリット刊)20年以上も前に出たが、最近もベストセラーになっているようだ。ついに、この本の時代なのだと思う。

マイク・ハーナッキーのその本はベストセラーになったらしいが、あの本のおかげで破産した人もいるかもしれない。
しかし、それは、おそらく多くはない。
だが、あの本で成功した人も少ないに違いないし、それは、ハーナッキーのその後の本によって知ることが出来た。
結局、普通の人は決意しないのである。
チャップリンは、人生に必要なものは、「勇気、想像力、少しのお金」と言ったらしいが、こう言い直すべきだ。
「少しの勇気、そこそこの想像力、必要なお金」








心の鍛え方

願いを叶える方法は、イエスが言ったように、「既に叶ったと思え」につきる。
だが、叶ったと本当に思うことが難しい。
「叶ったと思う」というのは、「叶ったと信じる」ということで、信じることが難しいのだ。
つまり、信念を持つことが難しい。
では、どうやれば信念を持てるかだが、テクニックなんてない。
ただ、「心を鍛える」以外にない。

アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、最も心を鍛えてくれるのは孤独だと言ったらしい。
これは、孤独に耐えることで心が鍛えられるということだ。
孤独に負けているようではいけない。
長期に渡って孤独に気高く耐えることによって、心は強くなる。

ただし、ひきこもることが孤独なのではない。
ひきこもっても心は鍛えられない。むしろ弱くなる。
本当の孤独とは、

ひそかに清く自己を保持せよ。
自分の周りは荒れるにまかせよ。
~『ゲーテ格言集』(高橋健二訳。新潮文庫)より~

ということである。


Hey lonely girl リアルの孤独は 君を強くするから
~『愛Dee』(作詞:Mitchie M・Cotori、作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク・巡音ルカ)より~


だけど、最も心を鍛えるトレーニングになるのは、冒険的な仕事だけだろう。
結果の見えない、リスクを背負った仕事である。
それをやるには勇気が要る。
『荒野の七人』という映画で、盗賊達と戦おうとしない父親達は意気地なしだと言う子供達に、ガンマンのベルナルドは、
「俺には、子供を育てたり、収穫を待つ勇気はない」
と言って、子供達を叱責する。
子供を育てることも、収穫も、結果が保証されないリスクのあることである。
一方、ガンマンは、テクニックがあれば、結果は大抵見えるし、かなり無責任な生き方である。
ガンマンでさえそうなのだから、受験みたいな、テクニックでやれるもので心が強くなることはない。

とはいえ、イエスは、願わずとも、必要なものは与えられると言った。
その通りである。
なりゆきにまかせれば良いのであるが、それだって勇気が要る。
チャップリンは、人生に必要なものは、勇気と想像力と少しのお金と言ったそうだが、ロリコンの変態のくせによく分かっている。
ただ彼は、勇気と想像力と少しのお金で映画制作を始め、それを続けたが、自分の本当の幸福のためには使わなかった・・・と言うより、使えなかった。
やはり、ロリコンの変態だからかなあ。









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「これだけあればいい」というもの

太古の昔から、老人達は「今の若者はだらしがない」と言う。
やや文明が発達した中世あたりになると、老人達は「時を経るごとに人間の品格が落ちていく」と言う。
これらは、老人のもうろくではなく、実際そうなのだ。
これがどういう意味か分かるだろうか?
老人がこんなセリフを吐けるということは、豊かになったということなのだ。
豊かになれば、若者がだらしくなり、人々の品格が落ちるのは、いわば、当然なのだ。

豊かになれば、なぜ、「若者がだらしくなり」「人々の品格が落ちる」のだろう?
豊かさとは何だろう?
これらのこと(若者がだらしなく、人々の品格が低下する)をもたらす豊かさとは、物質的な豊かさであり、物質的な豊かさの第一は、食べ物が豊富にあるということだ。
つまり、食べるものが沢山あり、必要以上に余計に食べると、特に若者に限らず、だらしくなくなり、品格を落とすのである。
ただ、活動量の多い若者ほど、だらしなさが目立つだけである。

では、食べるものがなければ、それだけで、人々が、だらしなくない、つまり、しっかりとし、品格を持てるのかというと、そうではない。
食べるものが十分にない時には、自分の食べる分を減らして、自分より弱い人達に、それ(食べ物)を回していた人が、ある程度いたのである。
また、自分が食べられなかった時のことを思い出したり、貧しい人達に同情し、今、自分は食べられるけど、あえて自分の食事の量を制限したり、美食を避ける貴族なども少数いたのだろう。
そういった、自主的に食を慎む者が、気概があり、品格に満ちているのである。

つまり、老人に馬鹿にされない、立派な人になりたければ、食を慎めば良いのである。
2つ食べられるところを1つにし、美味しいものを望まず、そこそこのもので満足する。
そうであれば、老人の評価などに関係なく、冒険に満ちた、充実した人生を生きていけるだろう。

もう1つ、老人達というか、大人達の顔をしかめさせることがある。
初音ミクさんの『積乱雲グラフィティ』という、今の時期にぴったりの曲の中の、「愛とmusicそれだけでいいんだ」というところだ。
「愛とmusic?それでどうやって食っていくんだ?」
という訳である。
しかし、愛とmusicだけで良いのである。
それだけあれば、後のものは創造できる。
ただし、本物の愛とmusicならね。
しかし、お腹いっぱいに食べていると、とてもではないが、本当の愛とmusicは生まれない。
この「愛とmusicそれだけでいいんだ」という詩には、「食べるものなんて、そんなになくていい」という意味が見えるのである。
食べるものだけじゃなくて、エアコン、自動車、服、社会的ステータス・・・そんな物質的なものは、不要とは言わないが、全く執着していないということが、この「愛とmusicそれだけでいいんだ」というところに表れている。
チャップリンは、人生に必要なものは「勇気と想像力、そして少々のお金」と言ったらしいが、当時の時代としては正しかったかもしれない。つまり、「少々のお金」が中々得られなかった時代なのだ。しかし、それでも、「勇気と想像力」があれば、チャップリンのようにやりたいことを存分にやって、結果、お金持ちにだって、なってしまうかもしれない。
この「勇気と想像力」を楽しい言葉で言えば、「愛とmusic」になるってことかもしれない。

愛とmusicそれだけでいいんだ
大事なものは全てあるのさ 最初から
君の中に
~『積乱雲グラフィティ』(作詞:Dixie Flatline、作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~

ただ、「勇気と想像力」「愛とmusic」を持ち難い世の中だ。
国家は、国民が本物のそんなものを持つと困ると思っているので、偽者を与えて、本物の方を壊滅させようとしているのである。
その中で、「勇気と想像力」「愛とmusic」を持つことが出来る、具体的な行いが、「早起きと食の慎み」である。
全然詩的でないが、「早起きと食の慎み」それだけで良いのである。
これがあれば、後のことは心配しなくていい。
ただし、『バガヴァッド・ギーター』にもあるように、睡眠が少な過ぎてもいけないし、少食過ぎてもいけない。
また、チャップリンは止む無く、「少しのお金」と破廉恥なことを言ってしまったが、今なら、「腕振り運動」と言っておきたい。
もちろん、他のものでも良いが、何か1つ、自分の修行を持っておくということである。
さらに発展的なものが、心の微かな声の呪文で、こちらは魔術的である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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