ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

タルムード

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

あらゆる成果は自分が持っている「判断基準」で決まる

小学生にも、勉強の出来る子と出来ない子がいる。
その違いは何かというと、頭の良し悪しはそれほど関係がない。
問題は、「判断基準」の違いだけである。
つまり、勉強が出来るための判断基準を持っている子は勉強が出来るし、勉強が出来ないようになる判断基準を持っている子は勉強が出来ない。
そして、その判断基準は、100パーセント、親から教わっているので、勉強が出来る出来ないは、全て親の責任である。

モテるかモテないかも同じである。
容姿は決め手ではない。
美男美女でなくてもモテる者はいくらでもいるし、美男美女でもモテない者もいくらでもいる。
これも、モテる判断基準を持っているか、モテない判断基準を持っているかの違いである。
この判断基準もまた親譲りの部分が大きい。

プログラミングを習得出来るかどうかもそうだ。
心の奥深くに、プログラミングを習得するのに有利な判断基準を持っていればマスター出来るし、そうなければ、いくら頑張ろうとしても上手くいかない。
儲かる経営をするかどうかも全く同じだ。
経営をやっているうちに判断基準の修正を多少は行うようになるが、根本的な判断基準は、親が教えたものだ。
まさに、「三つ子の魂百まで」である。

キリスト教国では、親は、子供に刷り込む判断基準の中に、聖書の教えを含ませる。
聖書というのは、契約という言葉が沢山出てくる通り、ビジネス向きの部分があり、キリスト教国は契約社会になり、彼らのビジネスはドライで上手い。
ユダヤ教の教えでは、商売はもっと上手いので、ユダヤ人は非常に商売が上手いし、ユダヤ教の判断基準は全てにおいて合理的なので、何をやっても上手くいく。
しかし、では、大人になってからタルムード(ユダヤ教の聖典)を勉強したって、大人の理屈や理性を持っていては、全く上手くいかないだろう。
ただ、何もかも失敗し、自分の判断基準を全く信用しない・・・という状態になっていれば、宗教で判断基準を変えることもあるが、歪(いびつ)になってしまう危険が大きいのである。

あなたが、儲かるか、モテるか、健康でいられるか、偉くなれるか、賢くなれるかは、全て、心の中にある判断基準次第である。
最近では、それほどの歳でもない(あるいは若い)人が、かなりの啓蒙書を電子書籍などで出しているが、それは、彼らがうまくいった判断基準を書いているのである。
だが、それをあなたが取り入れられるかどうかは解らないのだ・・・というか、おそらく、大抵はうまくいかない。
とはいえ、聖者じゃあるまいし、「私はいかなる判断もしない」なんて澄ましていられる訳ではない。
そして、多分、あなたが(と言うより私も)欲しいのは、儲かる判断基準、モテる判断基準、健康でいられる判断基準である。

その意味で、意外と良いのがイスラム教の聖典『コーラン』である。
だが、普通の日本人が、大人になってから読んでも、抵抗があり過ぎて駄目だと思う。
それに、やはり、マイナス面も大きいのは、想像がつくと思う。
だから、何が良いのかではなく、書物とは、判断基準を得るためのものと心得、その視点で自分で選べば良いのである。
尚、IT界の大物は、SFの傑作から判断基準を拝借したと考えられるフシがあることを言っておく。













当ブログオーナー、KayのAI書。
この本で、最初に作るAIは、足し算をするAIです。言い換えれば、AIに足し算を教えます。
AIに足し算を教えることは、AIにその他のあらゆることを教えるのと基本的に同じです。
AIに足し算を教えたのと同じやり方で、モンティ・ホール問題や囚人のジレンマ、その他の、数学や経済学で有名な問題を解く、驚くべきAIが作れることが解ります。そのために、数学もプログラミングもAIの基礎理論も必要ありません。
ほぼ全ての実習のためのデータが作れ、それ自体が面白いシミュレーションプログラム(Excel VBAプログラム)が出版社サイトから無償でダウンロード出来ます。

ユダヤ人が世界を支配する知恵が収められた書

ユダヤ人やケルト人は、ユダヤ国とかケルト国という場所がある訳ではないのだが、自分はユダヤ人だとかケルト人であるという強い意識を持っているようだ(特にユダヤ人はそうなのだと思う)。
DNAとして、ユダヤ人とかケルト人であるという訳ではない。
ユダヤ人について言えば、ユダヤ教徒であればユダヤ人であり、従って、誰でもユダヤ教徒になればユダヤ人なのである。
とはいえ、正式なユダヤ教徒になる手続きが必要であるらしいし、また、ユダヤ教の厳しい戒律を守る必要があるようだ。
ケルト人の方は、ケルト人はケルト教会と呼ばれるケルト系キリスト教を信仰するということもあるだろうが、信仰よりも、言語の問題と思われ、ケルト語派と呼ばれる言葉(アイルランド語、スコットランド・ゲール語その他)を話す人々のことをケルト人と言うようだ。
ただ、言語というのは、ひょっとしたら、宗教以上に思想を作るものなので、ケルト語を話す人達がケルト人だというのは、分かるように思えるのである。

ユダヤ人が優秀だとか、ケルト人は芸術的感性が優れていると言われるが、それは、ユダヤ教やケルト語の影響によるのだと思う。
ケルト人に関しては、言語だけではなく、文化、芸術、宗教などを総合的に考える必要があるが、ユダヤ人の優秀さに関していえば、ユダヤ教の影響が特に強いのだろうと思う。
だから、ユダヤ人的に賢くなりたければ、ユダヤ教を学べば、彼らの優れた知性を得ることができるのかもしれない。
ユダヤ教は、旧約聖書を聖典とする。
また、旧約聖書の解説書といえるタルムードがあるが、これはユダヤ教のラビ(教師)が口伝で伝えるもので、それこそ、他民族にその知恵の秘密を漏らさないため、紙には書かれなかったという。
そして、ユダヤ人には、さらに奥深い、隠れた教えであるカバラーがあり、これはタルムード以上に、表に現れることはなかったはずだが、ダイアン・フォーチュンのように、その教えを研究し公開した人達もいる。ただし、本にしたところで、そうやすやすと理解はできないし、まして実践はできないので、公開しても、一般の人々への影響はほぼない。
だが、能力が高い人が見れば、やはり、その力を得るだろう。この能力とは、抽象的に書かれたカバラーのテキストを直観や推論で解読する力である。

ただ、経済・政治の面でのユダヤ人の優秀さ、強さについては、「ユダヤ議定書」という凄いテキストがある。
無論、この中にも、タルムードなどの教えが込められているのだろう。
この書を修得すれば、世界を支配する力を得るのかもしれない。
ユダヤ議定書に関しては、本物かどうかは分からないが、印刷されたものがあるらしく、日本語の翻訳すらある。1985年の神道家の山蔭基央(やまかげもとひさ)氏の著書では、全文が紹介されているが、山蔭氏ほどの人がいい加減なことを書くとは思えず、貴重なものである。山蔭氏も、その内容は大変なものであると述べられている。
私は大富豪になったり、世界征服をする気はないが、手元には置いている。
絶版ではあるが、その価値が分からないのか、古書は流通しており、今すぐは入手できると思うので、下にご紹介しておく。
尚、時々ご紹介している、『ノストラダムスの超法則死活の書』は、カバラーの教えを基にしたものだ。こちらは、あらゆる意味で、逆境を跳ね除け、成功に至るためのバイブル的なものと思い、私は、「何か一冊、物質面での特別な教えの本」と言われたら、これを推す。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

スポーツと古武道

身体は小さいながら、高校時代から天才投手と言われ、プロ野球でも最高の投手になった選手がいた。
その彼が、歳を取って体力が衰え、身体に故障も多くなってきた頃、古武道について話したことを新聞で見たことがある。
実際は、彼は若い頃から古武道に興味を持っていたのかもしれないが、それは分からない。多分、彼自身も古武道を習いに行ったのだろうなあとも思うが、それも分からない。
その記事では、大体の内容として、古武道では、若くて体力のある弟子が、老人である師匠を相手に戦っても、手も足も出ない。そして、80歳の師が60歳の弟子に、「ようやく少し分かってきたな」と言うのも普通といったことだった。
ところで、その野球投手は、それをもって、歳を取っても、古武道の極意で、涼しい顔で若い打者を次々打ち取ったり、あるいは、そこまででなくても、これまでの野球界の常識を超えて長く現役を続けられるとでも思っていたのだろうか?
しかし、早い話が、野球と古武道は全く違う。正反対と言っても、あながち間違いではない。
野球選手の能力は、あくまで肉体の力であり、その肉体の力をなるべく完全に発揮させるのが精神で、その意味でなら、古武道の教えも生きることがある。元々力のある選手が、プレッシャーや心の迷いで実力が発揮できない時、古武道家の指導を受けて劇的に活躍したということはある。
だが、古武道の真の極意は、肉体を超えた霊的なもので、野球や、あるいは、プロ格闘技とはほとんど無縁のものだ。
野球投手なら、10勝を上げればさらに15勝、いつかは20勝と思い、年棒が1億円になれば、いつかは3億円と夢見る。
古武道の精神だって、もし野球に関わればやはり勝つことを目指すだろうが、肉体の力が10勝なら10勝で満足するし、1億円出すと言われたら、いえ、一千万円で十分と言うのである。だが、別の目標であれば、野球の投手の成績への換算は実際はナンセンスだが、例えば、30勝を達成する。しかし、年棒の方は500万円でも多いなと言うのである。

速読ってやつも、少し古武道の精神に近いところがある。
普通は読むのに何日もかかる本を数分で読むなんてことも出来るかもしれない。
しかし、それをやることで、仕事の能力を高めようとか、出世しようとか、儲けようと思ったら、速く読めても、所詮、誤読の山となり、下手したら、その本に書いてある素晴らしいことを大誤解、あるいは、正反対の意味に取ってしまい、読まなかった方がよっぽどマシということになる。
真の古武道の精神で読むなら、本当に優れた書を読む時は、朝、あるページを読み始め、夜、まだ同じページを読んでいて、それで満足することもあるだろう。
ユダヤ教のラビ(指導者)には、ユダヤ教の聖典タルムードを、そんな読み方をする人がいると聞いたことがあるし、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の4巻で、ヒマラヤの超人的な大師達も、『バガヴァッド・ギーター』を、やはり、そういった読み方をするものだと書かれているが、全く納得できる話である。
『エメラルド・タブレット』もそういった読み方をしてこそ、至高の英知を得るのだと思う。

尚、ここでは、たまたま古武道と書いたが、それは、最初にあげた野球の投手の話との関連の都合であり、特に武道でなくても、人知を超えた宇宙的英知、道(タオ)、ヨーガ(統一)を示すものであれば同じであると思う。
実際は、武道家は、いかに極めてはいても、戦う宿命から逃れることは難しく、どこか道から外れてしまうところはあるのではないかなと思うのである。我々一般人が参考にする場合は、そのあたりは、ある程度は考えた方が良いかもしれない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ギリシャ神話、古事記を教養として読むは愚かなり

西洋人の著作の中には、さりげなくギリシャ神話のお話が引用されていることがよくある。
こういったことをもって、「西洋では、ギリシャ神話の知識は常識的な教養だ。これについて知らないと、知的な人間と認められない」というのを見たことがあるが、そんなことを主張したがる人は多いような気がする。
そういった部分もあるのかもしれないが、ギリシャ神話とは、常識でもなければ、教養でもない。ましてや、知的人間であることを宣伝するためのものでもない。
もし、ギリシャ神話が尊ばれるとしたら、その中に真理が隠されているからである。だが、真理が明かされるかどうかは、読者によるのである。教養だの見栄のためにそれを読む者は、真に重要なものを得ることはない。彼らはただ、表面的な奇妙なおとぎ話を知るだけなのだ。

それは日本の古事記も同じである。
古事記は、歴史でも文学でもおとぎ話でもない。あれが文学として優れているなんて言う偉い人がいたが、そんなことを本当に信じているのだろうか?
子供に、ギリシャ神話や古事記の読書感想文なんてものを書かせてはいけない。それは、旧約聖書の読書感想文を書くのも同じだ。大人に分かるような感想文を書くことで、それを読んだ意味を失ってしまうのである。
逆に言えば、子供は、ギリシャ神話や古事記、旧約聖書を読めば、本当の意味が分かってしまうのだ。しかし、それは決して大人に説明できるようなものではない。

キリスト教国でも、大人は旧約聖書を理解できず、権威的だが馬鹿げた解釈を受け入れてきた。それは子供を戸惑わせる。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは子供の時、教会の牧師に、教会の教えが納得できないことを訴えたが、牧師に、「君の考えは悪魔から来ている」と言われた。すると、エマーソンは「それなら僕は悪魔になり切る」と言った。そして、エマーソンはアメリカ最高の賢者になったのだ。

タルムードは旧約聖書の解説書で、それはユダヤ人に大いなる知恵を与えたが、もっと深い旧約聖書の解釈はカバラーである。だが、言葉にできるはずのないことを言葉にしようとしたカバラーは、あまりに抽象的で複雑だ。それは歴史の裏側に隠され、もし正しく用いることができる者がいるとすれば、霊的な魔法使いだけだった。実際、カバラーは魔法の技法である。
しかし、子供の時に、旧約聖書やギリシャ神話、あるいは、古事記に親しめば、楽々と魔法の力を得るのである。ただし、長じてから、教養としてそれらを上書きすることで、魔法の力は失われる。そして、ガラクタに過ぎない教養が残るだけだ。

人が持つべき魔法の力を得るには、7歳の子供になって、それらを読むことだ。
7歳の子供は、高級車や高価な服や宝石を求めたりしない。それらに興味を持つとしたら、単に楽しいからだ。
友達を紹介する時、彼の父親の職業を言ったりしない。彼の好きな遊びを言うものだ。
見た家がどんな家か言うのに、「10万ドルの家」なんて言ったりしない。壁の色や庭の花のことを言うものだ。
7つの子供のようにギリシャ神話や古事記を読めば、世間からすれば不思議な力を得る。
私が昨日以前に書いた私が使ったような力も、ごく普通のことになる。
私も、子供の時にギリシャ神話を読み、とても面白かったことは憶えているが、内容は全く憶えていないのだ。それで良いのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼

最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード