私は、昔から、呪文やタリズマン(お守り)、アミュレット(魔除け、お守り)に興味があって、実際に使ったこともある。
そして、効果がない呪文やお守りはなかったばかりか、どれも恐るべき効果があった。
世界的版画家であった池田満寿夫さんが、ピカソの絵は魔除けだと述べておられたのを印象深く覚えている。また、岡本太郎さんも古代の人々が作ったアミュレットのようなものに関心が深く、それらを芸術作品としても高く評価していたが、太郎さんには、それらに宿る霊力のようなものも感じていたのだと思う。彼は、芸術とは呪術だと言っていたのである。
現代人は、「知的だから」呪文やタリズマンを信じないというが、その知性は無論、良い部分もあるが、ごく一面的で卑小なものであることも忘れてはならない。

「アブラカタブラ」(あるいは「アブラカダブラ」)という呪文を子供騙しのようなものに感じている人が多いと思うが、これは西洋最強の呪文の1つである。
昨年11月23日に東京のオペラシティ・コンサートホールで公演された冨田勲さん制作の『イーハトーヴ交響曲』で、初音ミクが「アブラカタブラ」の呪文を繰り返すのを聴いていると、この呪文の効果のことを、いまさらながら思い出すのである。
願いがある時に、この呪文を唱えて報われなかったこと、がっかりさせられたことはただの一度もなかった。
ただ、あるサイドビジネスを始め、その成功を祈った時は、本業である会社でトラブルに見舞われて辞めざるを得なくなったが、そのおかげでもっと良い仕事に就くという形になったのだが、その経緯がまさに、魔術的であり、奇跡的であったのだ。
ペンタグラム(五芒星)とか、ヘキサグラム(六芒星。いわゆるダビデの星)のペンダントは、ただの工業製品でもやはり効果があるし、神社の護符も、印刷されたものであっても立派に力を持っているのである。
若い社員が、出勤時間も守らず、仕事中に堂々と遊んでいたり、まして、遊びに行ってしまって無事で済むはずがないし、実際、僅かでもそんなところがある者は、かなりひどい目に遭うはずである。しかし、私は、丹波哲郎さんには負けるが、やはり全面的にそんなことをしても良いことばかりだった。私とその他の者達との違いは、私は、常にペンタグラムのネックレスを身につけていたことである。もちろん、ペンタグラムは、精神的にも導いてくれるので、いかに私でも、そんなことをしていた期間は長くはない(と言っても数年はそうやって楽しんだものだ)。

我が国でもよく聞く、「アジマリカン」とか「阿吽(あうん)」の呪文の効果も凄まじい。
誰でも、これらをただの一度でも唱えれば、たちまち効果が発揮されるのに、誰もそれに気付かないのは、あまりに自我の殻に覆われてしまっているからだ。
自我は、自分の気に入るような、つまり、自分がこうあるべきと思うものしか受け入れないので、せっかく、その百倍良いことがあっても、それが分からないのだ。人間にとって大切な性質とは、まさに受容性であり、そのためには、あらゆることに寛容でなければならない。

あらゆる神の名には神秘的な力があるが、特に信仰する神がなければ、そもそも、「神」という言葉自体に力がある。それどころか、実を言えば、「神」という言葉には最大の力が秘められている。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、イエスがそう語ったことや、著者のベアード.T.スポールディングが、その効果を実験で確かめたことが書かれているが、ここでの神という言葉は、やはりGodであろう。しかし、我が国の「神」という言葉も、古来から伝わる霊妙な数霊の法で調べると、やはり大変な言葉であることが解るのである。

だが、おそらく、他を圧倒する最大の呪文とも言えるのは、やはり「南無阿弥陀仏」の念仏なのだと思う。
これについては、良ければ、親鸞聖人の『現世利益和讃』を解説したもので、昭和11年に出版され、昭和28年に改訂出版された、藤秀すい(ふじ しゅうすい)さんの著書である『現世利益和讃講和』が、実に今でも入手できるので、これを読んでいただければと思うが、その力の大きさや及ぶ範囲は、全く桁外れである。藤秀すいさんは、今ではあまり知られていないが、浄土真宗の僧侶であると共に、知る人は知る、最大の仏教研究者の1人である。
『現世利益和讃講和』の出版がずっと続けば良いと思うが、『歎異抄』や『選択本願念仏集』という、仏教の超ロングセラーが同じ内容を扱っている。

















↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ