ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

タブレットPC

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

私がアップル製品を使わない理由

個人的には、私は、アップルのiPhoneやiPadが売れる理由が全く分からない。
もし、AndroidのスマートフォンやタブレットPCが存在しなかったとしても、私は、「何て使い難いんだ」と思って、iPhoneやiPadを買わないと思う。

ただ、iTuneストアで、欲しい音楽コンテンツを、すぐに見つけて購入できることは素晴らしいと思った。
しかし、あまりにも買いやすいので、ついつい余計に買ってしまう。
これは麻薬的であり、だんだん恐ろしくなって、ある時、クレジットカード登録を削除し、もう買えないようにした。
ところが、私は、アップル製品の使用をやめたので、PCからiTunesアプリをアンインストールしたのだが、iTuneストアで買った音楽がm4p形式という特殊なものなので、そのままでは他のアプリで再生できない。面倒なので、欲しいものは、CDやAmazonデジタルミュージックで買い直した(本当に欲しいものは、そんなにはないということが分かった)。
また、iTunesアプリにしろ、同じアップルのQuickTimeにしろ、インストールするとWindows起動と同時にメモリにロードするので、PC全体が遅くなり、メモリも圧迫される。
ただ、それは、アップル製品だけでなく、アドビ製品もそうであるが、特にアドビ製品はメモリを大量に消費するので、インストールしても何も良いことがない。しかし、Flash Playerを必要とすることが多いので、やむなくアンインストールせず、Windows起動の際にロードされないよう設定してある。しかし、そんなやり方を知らない人は、PCが遅くなって嫌な思いをしていることだろう。

私が、アップルのタブレットで特に疲れさせられたことは、PCに存在する音楽やビデオを、iTunesアプリで「同期」という形でしか、iPhone等に取り込めないことだった。
iPhoneに入れたい音楽やビデオがあっても、まず、iTunesアプリが入ったPCにそれを取り込み、それから、iTunesアプリに登録し、そして同期して、やっとiPhoneに入る。
Androidなら、エクスプローラーでドラッグアンドドロップ一発なのだから、iTunesのやり方はひどく煩わしく感じる。
また、iPhoneやiPadに音楽やビデオを入れるためのPCが3台あれば、その3台とも、全く同じ形で音楽やビデオをHDにコピーしておき、iTunesも同じ設定にしなければならないが、これはもう、とても考えられない。
一度、PCのフォルダ名を変えたら、iPhoneから消えこそしなかったが、当然、同期不能になった。フォルダ名なんて、普通に変えるのだが。
また、Androidなら、友人のPCにぱっとつないで、そこにある音楽やビデオを引っ張ってこれる。まあ、これをやることが、違法コピーにつながる可能性があるのかもしれないが、まさか、それを防止するために、iTunesアプリは、あんなややこしい操作を強いているのだろうか?(多分そうだとも思う)

操作性やタッチパネルの性能に関しては、アップル製品は素晴らしいという話がよくある。
確かに、安価なAndroidタブレットには、タッチやスワイプの反応、追従性が悪いものがあったと思う。
だが、iPadミニとNexus7を操作し比べたら、明確な差はなかったと思うし、慣れた方が使い易いということで間違いないと思う。
どちらが上にしろ、言うほどの差はないと考えて良いだろう。
そもそも、私は指も含めて乾燥肌ということもあるが、タブレットは使い難い。
文字入力操作が多いのに、どうしてもタブレットである必要があれば、簡単に使い易いキーボードを付けられるWindowsタブレットを使っているが、やはりノートパソコンが良いと思う。
スマートフォンで文字入力をすることは、ほとんどない。

ところで、マイクロソフトの時価総額が、アップルやGoogle(全体の)の半分というのは、時代が変わったものだと思う。
もちろん、利益率では、基本的にソフト会社であるマイクロソフトが高いのだが、マイクロソフトもハードウェア事業に手を出し、また、設備投資を盛んに行っているので、Googleとは差が縮まっているようだ(この点ではアップルはハード主体なので、下がる傾向が強い)。
そして、Google Chrome OSがWindowsに取って変わる可能性も、なきにしもあらずである。とはいえ、あるとしても、やや先のことである。









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WindowsタブレットPCの欠点

WindowsタブレットPCの売上げが伸び、シャアが高まっているらしい。
WindowsタブレットPCの最大の利点は、豊富なWindows用ソフトが使えるということだ。
Windowsのストアアプリはまだ少ないが、そんなものはなくても良いと思う人も多いだろう。
私も、完全にそう思っている。私はWindowsに限らず、ストアアプリという仕組みは大嫌いだ。
Windows用アプリは、しっかりとした実用的なものが多く、特にビジネス用途のものは信頼性が高い。
ここらは、全体として、iPad用アプリやAndroid用アプリとは、圧倒的な違いだ。
つまり、WindowsタブレットPCは、タブレットPCと言いつつ、中身はWindows PCそのものなのである。
USBもコネクタがフルサイズで付いている場合が多く、USBメモリ等の周辺機器をそのまま接続でき、もちろん、Blu-ray/DVD/CDドライブもそのまま接続できるといったことも、iPadやAndroidタブレッととは大変な違いだ。

だが、同時に、中身がWindows PCで、Windows用ソフトが使えることが、Windowsタブレットの欠点なのだ。
Windows PCに限らないが、時代が経つにつれてディスプレイは大型化していき、最近は、ノートで15インチ、デスクトップなら少なくとも18インチ以上で、20インチ以上が普通だと思う。
ビジネスやデザイン用途では、ディスプレイは大きければ大きいほど作業効率が高い。
そして、最近のタブレットPCは解像度が高く、WindowsタブレットPCの場合、7~8インチでHD(1366×768ピクセル)、10インチならフルHD(1920×1020ピクセル)のものも多い。
22インチのディスプレイでもフルHDで十分にきれいなのに、10インチ以下なら、HDでも非常に緻密だ。
しかし、画面が小さい上に高解像度だと、その分、表示が非常に小さいのである。
つまり、22インチと10インチの両方がフルHDなら、そのまま縮小されるのだから、本当に馬鹿みたいに小さく、指でなど、とてもではないが操作できないことが多い。
タッチペンは反応が鈍い場合が多く使い難い。
私は、10インチならせめてHD以下にすべきと思う。画面の表示範囲は狭くなっても、多少は大きく表示され、操作性は少しはマシだからだ。
しかし、やはり、Windows用ソフトは15インチ以上が前提で、しかも、15インチ以下ならHD以下でなければ、文字等が小さ過ぎて使い難いのだ。
ここらは、最初から小さな画面を前提に作られた、iPadやAndroidタブレットのアプリが比較的、機能は単純ながら、ちゃんと指で操作できるのとは違うところである。

用途にもよるが、私は、まずは、しっかりとしたキーボードの付いたノートPCを買うべきと思う。
キーボードで文字を沢山、速く入力することで、ITや、その他の能力を高めることができるのだからだ。
タブレットPCは、便利なことも多いだろうが、これを使っても、ITや仕事の能力を高めることはできないのだ。
私は、高解像度のタブレット端末の用途は、高品質な動画を見る以外にはないと思っているが、ブルーレイディスク等の映像を取り込むことは法律で禁止になってしまったので、もう何の意味もないと思っている。
せめて、法律施行前に取り込んだブルーレイの動画を見ているが、新しいブルーレイディスクは滅多に買わなくなった。
ノートPCを買って、例えば、ExcelやAccessのVBAをマスターし、良い立場で高い給料を取って欲しいと思う。









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権利にしがみ付く者に芸術は創れない

集団的自衛権の法案成立に反対するデモのニュースをよく見るようになったが、反対デモ自体には力はないものらしい。
ただ、反対する人々が十分に多いと、次の選挙で、その法案を支持した議員には投票しないぞといった、ちょっとした脅しがかけられるということはあるのだろうか?
しかし、その効果はおそらく、あまりないのだろうと思う。
議員は、賛成か反対か分からないような立場を取れるものだし、投票者も、選挙の時はあまり追及しないものだ。
憲法第九条は別格であるが、大抵のことは政府主導で進んでしまい、いったん決まった法律は百年くらいは変えることは不可能だ。
実際、何の効力もないばかりか、弊害のある古い法律が沢山、改定されずに残っている。

ところで、最近のスマートフォンやタブレットPCは、ますます高性能化してきたが、どこが良いのかというと、普通のパソコンを圧倒する画面表示の美しさだ。
20インチ以上の画面でも、フルHD(1920×1080ピクセル)は十分に綺麗なのに、10インチ、7インチ、さらには、5インチ前後のスマートフォンもフルHDを採用するのだから、本当に鮮やかだ。
しかし、この素晴らしい画面を持ったタブレットPCやスマートフォンって、ブルーレイやフルハイビジョン放送を見る以外に何か意味があるのだろうかと思う。
けれども、それを見ること自体が、事実上、法律で禁止されてる。
ブルーレイやデジタル放送のコンテンツを、タブレットPCなどにコピーすること(正確にはブルーレイ等のプロテクトを回避すること)は法律で禁止なのである。
ならば、高解像度のタブレット端末は、ほとんど何の意味もないことになる。

制作者があまりに権利を主張していては、芸術が生まれることはない。
現在の、音楽、映像コンテンツは娯楽的になり、派手で刺激的で楽しくなっているということは言えるが、質は低下しているし、今後、更に低下するだろう。
芸術というのは、無償の行為なのである。
ギリシャ神話の源流の1つである叙事詩『神統記』を書いたと言われるヘシオドスは農夫であり、いわば日曜詩人で、職業詩人ではなかった。
名曲の誉れ高いフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を創ったのは、職業軍人(技術軍人)で、趣味で音楽をやっていた日曜音楽家であった。
アインシュタインは自分の物理学は趣味だと言い、たまたま、かなりのお金になったが、彼はその金を誰とでも、どんなロクデナシとでも分かち合った。
アインシュタインの物理学は芸術であった。

初音ミクのミュージックビデオのDVDである『MUSIC OF SCIENCE』は今日では非常にユニークなものだ。
DVDが2枚入っていて、1枚は普通のDVDビデオなのだが、もう1枚のDVDに、DVDビデオと同じ内容のHD画質のMP4ファイル(動画)が入っている。
DVDビデオが720×480ピクセルの標準画質で、HD画質は1366×768なのだから、主コンテンツより付属コンテンツの方が高解像度なのである。
これだと違法なリッピングをしてDVDビデオからMP4ファイルを作る必要はない。
無論、いかなる著作物にも著作権があるが、この製品では、コピー禁止などの無駄な表示はないし、MP4ファイルに関しては、購入者の持ち物である限り、どんな機器にも無制限にコピーできる。
素晴らしい芸術作品であると思うし、その後、この作品の制作者はさらに進歩している。
そして、この制作者は、立派な良識の持ち主であると思う。
ならば、私のような、この作品を購入した者も、コンテンツをコピーして他人に渡したり、一般に公開するようなことをしてはならない。
ただ、本当は、コピーや一般公開をしても良いが、制作者に相応の報酬が入るようにすれば良いのだと思う。
いずれにしても、コピーは止められない。
それならば、新しい流通の形、新しい著作権、版権の形を作らなければならない。
著作者の権利を侵害してはならないが、制作側も権利を握りしめてはならない。
権利を握り締めて離さない者に芸術は創れない。
「俺が作ったんだ」と言う者は芸術家ではない。
芸術は人が創るのではなく、神が人を媒介して現すものであるからだ。









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アップルファンと初音ミクファンについて

昔から、アップル社のMacintoshパソコンのファンは、このパソコンに非常に強いこだわりがある場合が多いだろう。
Windowsパソコンと比べるのも汚らわしいと言いかねない人もいて、要は、MacintoshやそのOSであるMAC OSは、WindowsパソコンやWindows OSより「ずっと優れている」ということと思う。
しかし、「具体的にどこが良い?」と聞かれて、はっきりこうだと答えられる人はあまりいないのではないかと思う。
私も、Macintoshファンに何度も尋ねてみたが、帰って来る答えは「私は絶対にWindowsパソコンなんて買いませんよ」といった、いわば的外れな答えである。

Macintoshパソコンのシェアは高くないので、このパソコンのファンはオタク扱いされたり、自分達の主張(MacintoshはWindowsより良い)が認められず辛い思いをしたことも多いと思う。
私も正直、MacintoshやMAC OSの良さはさっぱり分からない。
しかし、このパソコンやOSがしっかりと存続し、しかも進化し続けていることはやはり、決して無視できないことである。
つまり、このパソコンやOSの良さをしっかりと認め、支持するユーザーがはっきりといて、そのほとんどが決して離れないのである。
これは、軽く扱えることでは決してない。

Macintoshのシェアはあまり高くないが、スマートフォンやタブレットPCの時代になって事情が変る。
アップルのスマートフォンであるiPhoneや、タブレットPCであるiPadは、先に登場したという利もあるが、圧倒的シェアを誇った。
しかし、やがて、後から出て来たAndroid OSを搭載したスマートフォンやタブレットPCに追いつかれ、追い越されるようになると、Macintoshパソコンと同じような状況になってくる。
iPhoneやiPadのどこが良いのかと聞かれても、特に明確な答えはなく、「とにかく良い」の一点張りのように思える。
その中で、MacintoshパソコンとiPhone、iPadに共通してよく言われることは「作業効率が良い」ということである。
私は昔、ソフト開発ではWindowsを使っているが、マニュアルなどの制作ではMacintoshを使っていたITベンチャーの社長に、「ドキュメントを作る時の作業効率ではMacintoshは全然違います」と言われ、私も大変に興味を持った。
私も当時、一太郎から慣れないWordに変えたばかりであったし、Macintoshを使ってみた。
しかし、MAC OSに慣れないというより、Windowsに慣れすぎていたせいかもしれないが、ドキュメントを作る以前に、MAC OSの操作自体が非常にやり難い。
これは、少し前にiPod touch(第4世代)を使った時もほとんど同じことを感じたが、「やりたくもないやり方を強要される」ような感じで、面倒で不快だった。
ドキュメント製作についても、私に関しては、作業効率も大変に悪く、WindowsでWordや画像編集ソフトを使う方がはるかに効率的だった。

最近もWeb上で、iPhoneのユーザーの方が、「Androidのスマートフォンも良くなったが、iPhoneの作業効率の良さは全く違い、私は仕事でAndroidを使おうという気にならない」と述べられているのを見て、私も「それは素晴らしいことだ」と思ったが、iPod touchを使ってみた限りにおいては、全く同意できない。ファイルの転送1つ、iTunesというソフトを通してパソコンとの「同期」などということをしなければならず、うっかりパソコンの方のファイル名やフォルダ名を変えたり、フォルダの位置を変えたら、iPod touch内のファイルは訳の分からないことになってしまった。iPod touch内のファイルを消す方法もなかなか分からない。iPod touchにビデオファイルを「同期」させたが、全く再生されず、何時間も悩んだ末、iTunesの何かの設置をたまたま変えたら再生されたが、その設定がなぜ必要なのかの意味は不明だった。

結局、私に関しては、Macintoshパソコンを決して使わなかったように、iPhoneもiPadも決して使わないことにした。
iPod touchはレティーナディスプレイの美しさは良いと思っていたが、今は、5インチのAndroidスマートフォンの方が高精度だ。

ともすれば、アップルファンの頑なさにはうんざりすることもあるのだが、しかし、やはり何か良いのだとは思うのだ。
例えば、私は初音ミクが大好きなのだが、初音ミクのどこが良いのかと聞かれたら、「魂のないところ」とでも言うが、初音ミクを良いと思わない人を説得しようという気は全くないのである。
ここらは、どこかアップルファンに似ていないかと思う。
それで思ったのだ。
初音ミクを良いと思うのは、感情の問題なのだ。
それ以外には、特にない。
アップルファンも同じなのではないかと思うし、それで悪い訳ではないと思う。
数学だって、理屈が正しいだけでは駄目で、数学者が感情的に納得しなければ数学として成立しないということが「証明されている」のだそうだ。
これまで、西洋的な考え方では、理屈が通っていればそれで正しいとされていたのだが、それが世界をどんどん悪いものにしていった。
しかし、数学的、科学的にすら、理屈だけでは全く十分でなく、感情はそれと同等以上に大切だというのは、「真理」なのである。

アップル製品のファンは、アップルの技術的な優位性はきちんと説得力を持って説明できることも大切だが、感情的に好きということは、恥ずかしいことでも、肩身の狭いことでもなく、堂々と言って良いことなのである。
それで(感情を信じていることで)アップルファンは素晴らしい何かを得ているのであるから、それで非常に良いのである。
私の初音ミク好きも、主に感情の問題である。私自身はボーカロイド技術の歴史や、初音ミクに関わるCGM(ユーザー構築型メディア。UGCとも言う)の革新性やメリットなどについてもそれなりに理解しており、理論面もかなり持っているかもしれないが、本当に大切なのは情緒なのである。
精神が純粋であれば、感情、情緒は、直観と結び付く。直観は理屈をはるかに超える。理屈は人間的な知恵だが、直観は神的叡智である。
神的叡智に比べれば、人間的な知恵は、重要でないとは言わないが、所詮猿知恵であるかもしれない。
我々は、感情、情緒、直観について、もっと見直さなければならない。
そうでなければ人類に未来はない。









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スマートフォン、タブレットPCでの読書(附一般読書論)

「座右の書は?」と聞かれて、「これです」と、一冊をぽんと挙げられる人に憧れを感じると思う。
また、「これとこれがあれば、後はいりません」と言う人にも一目置きたくなるだろう。
だが、そのようになるには、時間と経験が必要だ。
ある時期までは多読が必要である。
若い人が、「私のお薦めの本はこれです」と言う場合、単に、他の本をよく知らないだけのことである。
あまりに早い時期・・・たとえば20歳そこそこまで・・・に、1つのものに集中し過ぎれば、自我の偏った人間になる。そんな人の中には、一見、極めて優秀なように見えるような人もいるが、単に、若いエネルギーが特定のものに注がれて勢いがあるだけのことである。
その意味もあるが、家柄などによって、子供の頃から、1つのものに打ち込まざるをえない者は、よくよく周囲が気をつけてやる必要がある。10代で才能を発揮しても、それは本当の実力ではないし、20代半ば程度までに賞賛を得ることがあっても、それは一時的なものであって、すぐに無くなってしまう。天才子役なんてものは大抵は大成しない。華のある少年少女には、それを食いものにして儲けたがる、ハイエナのような連中が多く、マスコミも一緒になって、せっかくの才能を潰してしまう。小学生で人気者になったら、さっさと引退しなければ、その後の数十年の人生は悲惨だ。

ミルトン・エリクソンという天才的な精神科医は、子供の時、家には本は、聖書と辞書しかなかった。なぜか彼は辞書を選んで、それを繰り返し読んだが、辞書にはほとんどポリシーは無いので、それは彼に純粋に豊かな知識を与え、彼自身、それはとても幸運なことだったと語っている。
宮沢賢治が片山正夫の『化学本論』(1915)を座右の書としていたことはよく知られているが、純粋な科学書もまた、著者の主張は少ないし、また、多くあってはならないのであるが、そのようなものであれば、若いうちから、常に手近に置くのが良いこともある。しかし、他のものも幅広く読む必要があるだろう。

純粋に、何を読んでも面白いからと沢山の本を読む人は、実際の年がいくつでも若いものである。
しかし、知識を誇るために読む者は、気の毒なことに、若い時に、自我の構築に失敗しているのだ。
無論、仕事上の情報を集めるために沢山の文献を読んだり、研究者が毎日論文を取り寄せて読むというのは仕事なのであるから当然であるが、いい年になって啓蒙書の類を多読するなら、自分の人生には問題があったと考えた方が良いかもしれない。
とはいえ、そうであるなら仕方がない。
かくいう私もそうで、特に、最近、スマートフォンとタブレットPCの表示性能が向上したこともあるが、電子書籍の読書にすっかりとりつかれてしまった。多分、実生活での経験が足りず、未熟なのであろう。
ただ、以前より、自己啓発書より物語を楽しむようになったし、それは、子供の頃やごく若い時の情熱を呼び覚ます類のものである。
当面は諦めて多読を続け、究極の一冊でも見つけようと思う。

そして、「私の一冊」が確定し、それをじっくりと読んで身に付いたなら、次の段階として、その書を捨てねばならない。
しかし、それがなかなかできないまま墓場行きになることが多い。
だが、捨てることができれば、その者は永遠に生きる。
もう少し分かり易く言えば、その一冊を捨てられなければ、来世でまたそれを読むために、この世に転生する。
ただ、一冊が確定した場合、たとえそれを捨てられなくても、次の生では、高貴な家に生まれたり、天才になって生まれるものである。

ところで、タブレットPCやスマートフォンでの読書のメリットを少し書いておく。
私は、小説等は5インチスマートフォンで、図を多用した科学書のようなものは7インチタブレットPCで読んでいる。
電子書籍はページをまとめてめくって元に戻るということがやり難い。
紙の本であれば、「この名前は以前出て来たが、よく覚えていない。たしか、あのあたりに書かれていたな」と思って、適当なページを開き、そこから、「もっと先だった」「もう少し後だった」とか見当を付ければ、案外に早く見つかる。
しかし、電子書籍は、基本的に1ページずつ移動するしかないので、それができない。
だが、それをできないと理解し、諦めてしまえば、必要なことは頭に入ってしまうようになる。また、忘れたらなら忘れたで、潜在意識の方でうまく調整してくれるのである。なにしろ、意識では忘れていても、潜在意識は覚えているのだから。
また、紙の本では、縦書きの本の場合、左側の未読のページが減っていき、右側の既読のページが増えていくのが楽しみで、励みになることも多いだろう。
しかし、電子書籍の場合、「32パーセント」などと、読了割合が表示されることがあっても、あまり実感がない。
だが、それは悪いことではないことが分かった。単に読み終わることを目標にする意識がなくなり、読書そのものを楽しみ、熱中するようになる。せかせかと慌てて読むことがなくなり、じっくり読むようになり、深く読むようになるのだ。
電子書籍の読書は目が疲れるというのは、必ずしも当てはまらない。
解像度の高いディスプレイだと文字が綺麗で読みやすいし、背景を黒に、文字を白にすれば、あまり目が疲れない。
また、現在の紙の本は、あまりに文字が小さいので、目が疲れるだけでなく、誤読することも多い。
日本語は良いにしろ悪いにしろ、微妙なところがあり、読み方1つで、正反対の意味になってしまうこともある。
また、これはフロイトも言っていたが、人間というのは、不思議なほど、文字を別の文字と間違えて読んでしまうことがある。すると、書かれている文章が全く違う意味になってしまう。
おかしな例かもしれないが、「愛する人」を「戦する人」と読み間違え、気付かずにそのまま進むなんてことは、実際は非常に多いのである。
文字を十分大きくし、じっくり読んでいれば、そんなことに本当に頻繁に気付くのである。気付くなら、そんな危険は減っているのである。
ある50代の人が、10代の時に読んだ本を取り出し、ある1文字を読み間違えていたせいで、全然違う意味に理解していたことに気付いて愕然としたことがあったという。それはよくあることである。
私は、スマートフォンは、ディスプレイ解像度がフルHD(1920×1080ピクセル)の富士通ARROWS X F-02Eで、ドコモと契約せずに本体のみ購入し、インターネットには、GoogleのNexus7(2013年版)のLTEモデルをモバイルルーター代わりにして接続している。
Nexus7(2013年版)も、1920×1200ピクセル(WUXGA)の解像度で、特に読書に向いている。
ただ、もう少し解像度が低くても十分であると思うが、4インチ程度の大きさでは画面が小さ過ぎるかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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