ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

タゴール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

新たな目で見る

引き寄せの神髄は、インドの詩聖タゴールがアインシュタインに言ったとされる、
「あなたが見ていない時、月は存在しない」
だ。
言い換えれば、見ている時だけ月は存在するのである。
いや、月どころか、世界そのものが、自分が見ているから存在するのである。

だから、あなたが美少女や美青年の自分を想像の中で見れば、そうである世界が創造されるのである。
ただ、そのためには右脳で想像しなくてはならないが、現代人は左脳偏重になっていて、右脳をうまく使えない。
よって、現実創造・・・つまり、引き寄せが出来ないのである。
だが、右脳活性化状態というのは、脳波がスローアルファー波の状態の時で、逆に、脳波をスローアルファー波にすれば右脳が活性化する。
そして、脳波をスローアルファー波にする最も簡単な方法が、度々ご紹介している「よかった・ありがとう呼吸」である。
これは、「よかった」と思いながら息を吸い、「ありがとう」と思いながら息を吐くだけだ。

次元界の乙女
AIアート417
「次元界の乙女」
Kay


右脳での想像は、大きく、明るく、カラーだ。
逆に、大きく、明るく、カラーで想像すれば、初めは左脳で想像していても、徐々に右脳の想像に変わる。
ただし、欲望が強いと、左脳に止まる。
良いやり方は、脳波をスローアルファー波にしたら、神のようなものである真の自分(魂と思って良い)にまかせ、何も考えないことだ。
あなたが欲しいものなど、真の自分はとっくに知っている。
月はあなたが想像したものではなく、真のあなたが想像したもので、それをあなたが見ることで現実に現れるのである。
同じように、あなたの楽園は、あなたが何も考えなければ真のあなたが想像してくれる。
そして、あなたが見ることで現実化する。
どうやって見るかは荘子が言ってくれた。
ぼーっと見るのだ(笑)。
視線を自然にし、初めて月を見る時のような目で見る。
新たな目で見ると言った人もいた。
まあ、工夫していただきたい。
「新たな目で見れば、ミカンが実に美しい。どこから見ても美しい」








仙人になった青年の話の真意

江戸末期の神道家、黒住宗忠が好んで話したという、仙人になった青年の話は、簡単だが奥深い。
こんな話だ。
仙人になりたい青年がいた。
すると、商人だったか地主だったか忘れたが、ある旦那がその青年に、只働きをしてくれたら、仙人になる方法を教えてやると言った。
青年はそれを信じ、何年も只働きをし、「そろそろ教えてくれ」と旦那に言った。
旦那は、仙人になる方法など知らず、青年を騙しただけだったが、もう青年を始末しないと面倒だと思った。
そこで旦那は、「では教えてやる」と言って、青年に高い木に登るよう命じた。
青年が言われた通り高い木に登ると、旦那は、次は枝にぶら下がれと言う。
青年は枝にぶら下がった。
なかなか恐ろしい光景である。
そして、旦那は青年に、手を離せと言う。
青年が手を離すと、青年は仙人になって飛んで行った。

黒住宗忠は、この話の意味を説明していないかもしれない。
それで、解説者らは、青年の疑うことのない信念が青年を仙人にしたというが、そんな阿呆な話があるはずがない(笑)。
この話の意味はこうである。
青年は、何年も旦那の下で只働きをすることで、思考を消す修行をしたのである。
そして、ぶら下がっていた木の枝から手を離したというのは、最後の思考を消したということである。
このお話で、命を捨てることに象徴された最後の思考とは、私という想いである。
それを消すことで、全知全能になる。
ラマナ・マハルシが言う「私は誰か?」と問うことで、最後の思考である「私」を消滅させるとは、こういう意味である。

神話からの帰還
AIアート229
「神話からの帰還」
Kay


ミヒャエル・エンデが話したことだったかもしれないが、アインシュタインを皮肉ったこんな話がある。
アインシュタインが、崖で木の根っこを掴んでぶら下がり、絶体絶命の状態になった。
アインシュタインが「助けてくれ!」と叫ぶと、天から神の声がした。
「手を離せば助けてやる」
だが、アインシュタインには手を離すことが出来なかった。
アインシュタインは危険な冒険をして思考を消し続けたが、最後の思考を消すことが出来なかったのである。
彼は、インドの詩聖タゴールが言う「見ていない時は月は存在していない」ことを信じることが出来なかった。

我々は、思考を消すことで神のようになるが、ほとんどの者はそれを信じない。
思考を消すには、ラマナ・マハルシが言うように「私は誰か?」と自分に問うか、常に微かな呼吸をすれば良い。
あるいは、昨夜も書いたが、一気に思考を消すのではなく、「お金がある」、「神様の奇跡が起こる」、あるいは、「トホカミエミタメ」などと心で唱えるごとに、呼吸を微かにすることで順を追って進歩するという手もある。








「だるまさんがころんだ」の怪

正確にはどんな話なのか私は知らないが、インドの詩人タゴールがアインシュタインに、「人が見ていない時は月は存在しない」と言い、アインシュタインは同意しなかったという話がある。
人が観測していない時、電子は波動であるが、人が観測すると電子は粒子になるということは知られている。
だが、それは、電子のような小さなものの話だ。
とはいえ、たとえ月だろうと、根本的には原子で出来ているし、体積的に原子はほとんど電子の動きなのだから、電子に言えることは月にも言えると考えられる。

今は、やる子は少ないかもしれないが、「だるまさんがころんだ」という一種の鬼ごっこがある。
鬼の役の子は、他の子達に背を向け、「だるまさんがころんだ」と言うが、そう言っている間は、他の子供達は鬼に近付くことが出来る。
鬼は、「だるまさんがころんだ」と言い終わると振り向き、その時、動いている子がいたら、その子を捕虜に出来る。
タゴールの論では、鬼が後ろを向いて「だるまさんがころんだ」と言っている間、他の子供達は存在せず、鬼が振り返った途端、子供達が「出現する」のである。
普通の人は、「そんなアホな」と思うだろうし、量子力学的に説明出来る者だって、本当のところは分かっていない。せいぜいが、数式が理解出来るだけだ。アインシュタイン並に高名な物理学者のリチャード・フィリップス・ファインマンは、量子力学の初学者に、よくそう言っていたらしい。

タゴールは、人が見ている時、月がどんなふうに存在するか言わなかったのだろうかと思う。
単に「存在する」と言ったのなら、言い方が悪い。
もっと良い言い方をするなら、人が見ると、月(に限らないが)は、上で私が「だるまさんがころんだ」で、鬼が振り返った時の子供達のことを言ったように「出現する」のである。
出現する、生まれる、現れる、立ち現れる・・・そんな言い方が良いと思う。
私は、4歳の時に、そんなことは分かっていた。
なぜなら、出現する瞬間を見ることが出来るからだ。
私が覚えている範囲で言えば、私は4歳の時、それを発見し、夢中になった。
もちろん、私は普通の人なので、誰でも見ることが出来る。
だが、私は、そのやり方を知っているので、自分の器の範囲のものなら、何でも引き寄せることが出来る。
やり方はこうだ。
何でも良いが、良くも悪くも、あまりインパクト(心理的衝撃や印象)がない物を使う。
普通のコップとか、特に思い入れのない靴とか、石ころとかだ。
私が最初に使ったのは、ドアノブだったように思う。
本当は、インパクトがあったって良いのだが、最初はそうでない方が良いと思う。
まず、その物をじっと見るのだが、何も考えずに、ぼーっと見る。
荘子流に言えば、「視線を自然にし、思慮分別を働かせず、あるがままに見る」で、まあ、確かにその通りだが、「ぼーっと見る」と言うのが合っているように思う。
ぼーっとしたら、意識が弱くなる。意識が薄れると言っても良い。
そうすると(意識が弱くなると)、その物の存在が弱くなる・・・希薄になる、ぼんやりしてくる、あるかないか分からなくなる、あやうくなる・・・まあ、いろんな言い方が出来るが、何か変な感じになると思う。
ちなみに、意識がどんどん弱くなり、ついに消えると、物も消えるわけである(まあ、世界が消えるのだが)。

つまり、「人が見るからある」と言うよりは「人が意識するからある」と言う方が正しい。
意識が弱いと、存在も弱くなるのだ。
一度ではうまくいかないかもしれないが、何度もやっているうちに、物が幽霊のように存在を弱め、弱いがゆえに、出現する様子が分かると思う。
つまり、「見たら出現する」と言うよりは、「見ている間、連続して出現し続ける」と言うべきなのだ。
タゴールも詩聖らしく、もっと気合いを入れて表現すべきだったが、彼も、あまり分かっていなかったのかもしれない。
いや、タゴールも、4歳の普通の子供には負けるのだろう。
物質出現の謎を解けば、引き寄せなど朝飯前・・・かもしれない。








愛は時を超える

由紀さおりさんは、70歳を超えても高い実力を保つ歌手で、彼女の1969年の楽曲『夜明けのスキャット』が、2010年頃、世界中で大ヒットとなった。
これは、由紀さんの歌の実力と曲の素晴らしさは当然ながら、日本語の歌詞が良いのであると思う。
「愛し合う その時に この世は とまるの」
というのは、情緒的に美しいが、それだけではない。
世界的な数学者だった岡潔は、 小林秀雄との対談書で、「時間は情緒」とほぼ断言している。
アインシュタインが、相対性理論の一般向けの説明として「美女と一緒の1時間は短いが、熱いストーブに座る10分は長い」と言ったのも、時間が情緒であると言っているのだと思う。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の楽曲『LOTUS LOVE』でも、「Baby!ときをとびこえておいで」と歌うが、天才芸術家(作詞・作曲者の細野晴臣さん)の直観は科学と変わらないと思う。
インドの詩聖と言われたタゴールは、アインシュタインに「人間が見ている時だけ月は存在する」と量子論の真理を指摘したが、アインシュタインは理解出来なかったという話がある。
「人間が見ている時だけ月は存在する」は、量子論の比喩的表現で、人間の意識が作用するのは、あくまで極微の世界の量子に対してと考えるのが普通であるが、タゴールはそんなことは考えていなかっただろうし、湯川秀樹の師でもあった数学者、岸根卓郎さんは、「物質世界も量子で成り立つのだから、意識は物質世界に影響する」といった意味のことを著書に書かれていた。
月が存在する、しないも、意識と時間との関係があるのだと思う。

「愛は時をこえる」「愛は時を止める(消す)」というのであれば、時を消すことが愛なのかもしれない。
湯川秀樹の弟子であった物理学者の保江邦夫さんが著書の中で、ざっくりの引用だが、愛とは、頭の中で祝詞やお経や聖歌、あるいは、教会の鐘の音や『アヴェ・マリア』といった聖なるイメージのある音が鳴り響くことであると書かれていたが、聖なるイメージは、やはり、時を消すのである。
André Rieuの公式チャンネルのYouTube動画で、多少の演出もあったかもしれないが、ソプラノ歌手のMirusiaが、シューベルトの『アヴェ・マリア』を歌うと、いかにも堅苦しい顔をした一般観客達が自然に涙を流す。
◆Ave Maria - André Rieu & Mirusia - YouTube -
そこは、やはり、時が止まった世界になる。
ここはやはり、何でもいいから、保江さんの言われる通り、頭の中で聖なる音を響かせておくと良いと思う。
保江さんの著書によれば、そのようにして手術をする医者は、人間を超えた能力を発揮し、奇跡の手術を行うようだ。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版販売中。紙の本は5月30日発売。
数学やプログラミングが出来なくても、Excelが使えるなら、恐れずAIに挑み、自分でAIを作る体験をしていただきたく思います。
来るべき世界では、AIは人間とは別のものではなく、AIは人間を拡張する道具・・・長谷敏司氏のSF『BEATLESS』風に言うなら、人間とAIは1つのユニットになります。
AIも電子レンジのような道具で、マイクロ波の理論を知らなくても電子レンジを使えるように、数学やプログラミング、AI理論を知らなくてもAIは作れます。そして、早くやった者勝ちという面もあるのだと思います。

世界はこうして造られる

世界は、物質的に何かが存在している訳ではなく、我々が目を向けた時(正確には意識した時)、我々の内部にいる魔術師が、目を向けた先に、一瞬で世界を構築するのだと主張する人は昔からいたが、現代の科学は、それが正しいことを解明している。
有名な、アインシュタインとインドの詩聖タゴールとの対話で、タゴールは、「我々が見ていない限り、月は存在しない」と断言したが、アインシュタインには信じられなかったらしい。

問題は、「我々が好きなような月を作れるか」だが、実際、作っているだろう。
月より、星の方が分かり易く、星空は心の中そのものだ。
詩人、農民、エンジニア、科学者を問わず、心が澄んでいる時は、皆、星は語りかけてくると言う。
アンデルセンの『絵のない絵本』の月は、アンデルセンの魂だし、ライオネル・マリア・リルケの『夢』の第七夜では、あるロシアの若者は、星は神様や天使の目であると信じていたが、彼がそう思っているならその通りだ。

皆、魂は美しく、世界も美しくあるはずだが、魂に近いところにある心が、世界を台なしにしてしまう。
そう、人生をとても残念なものにしてしまうのだ。
『ラーマーヤナ』のヒロイン、シータの父親のジャナカ王は、その心を見つけ、死刑にしてしまった。
もっとも、心が無ければ、世界も存在しないのだが、普通の人の心は、荒れて淀んだ湖だ。
世界は心が見せる幻だとしても、良い詩人や画家が描く世界が美しいように、我々は目の前に美しい世界を作り出すことが出来る。
淀んだ心が邪魔さえしなければ。
そして、心を静かにする方法は、単に、静かな呼吸をすることだということを、誰もが、何度も聞いたはずなのだ。
私も、力強くそう教える声や文字を、何十回も聴き、見た覚えがある。
不安というのは、世界が美しくないか、美しくない世界が現れる予感と共にある。
そんな時、呼吸を静かにすると、世界や世界の因子が変わっていくのを感じて安心するのである。
我々の内にいる、世界を作る魔術師(それは神か仏のようなものかもしれないが)の邪魔をしてはならない。
極めて呼吸が少ない神人は、自在に世界を構築しているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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