POPミュージックの歌詞も、積極思考、プラス思考の前向きなものが多く、「叶わない夢はない」といった意味の歌は、おそらく相当な数があると思う。
叶わない夢はない・・・というのは、確かにその通りなのだが、誰も言わないのが、人は思うように願えないということだ。
私は、ひきこもりでニートを長くやっていた時、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の活用による成功法則の本を読み、なるほど、どんな願いも実現させることができると分かったが、金持ちになろうと願うことが全くできなかった。そりゃ、大金が持てればいいなあとは思うが、真剣に金持ちになりたいと思ったことはない。
そして、『エメラルド・タブレット』の中に、「富は目的を果たす手段に過ぎない」とあるが、富が必要な目的がなければ、そんなものは必要ない。せいぜいが、豊かで不足のない生活が送れれば十分だろうし、不要なものを求めれば問題が起こるだろう。

ソロモン王は、神様に、なんでもやると言われて知恵を望んだらしい。
また、題名は忘れたが、本宮ひろ志さんの漫画で、ある少年が、最も得たいものを、肝・・・つまり、雄大な心であると言い、それを得る話があったと思う。
ところで、雄大な心が本当の知恵なのである。
ペーパー試験でいい点を取ったり、議論に勝つようなものは、小智の中でも低劣なものだ。それ自体は別に悪いものではないが、そんなものを持つと、虚栄心や欲望に囚われて卑しい人間になる危険が大きい。
本物の知恵のことは、『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスが明かしているが、これが学校で教えられることは決してない。それと学校教育とは根本的に相容れないものだし、そもそも、学校教師に教えられることではない。つまり、学校というのは、ソクラテスの知恵に敵対する立場にあるのである。それは断言しておく。
雄大な心とは、動じない心、無欲な心だ。また、無欲であれば動じない。そして、無欲が知恵なのだ。
知恵ある者に崇高な目的が与えられ、手段としての富も得るだろうが、いつか知恵を失くして道を誤るのが人の常であるようだ。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
~平家物語の第一章『祇園精舎』の冒頭部分~

本当は、こうである必要は全くないのだ。結果としてそうなるのは、人の自我の問題である。
平清盛も、天から使命を与えられたのだが、自我が前面に戻った時に、愚かさに包まれてしまったのは当たり前のことだった。
イエスが、「退けサタン!汝、敗れたり」と言った時のサタン(悪魔)とは自我のことである。
このあたりの詳細な教えも『エメラルド・タブレット』に記されている。イエスも、タブレットの知恵に学んだという話もあるが、本当ではないかと思う。









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