ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

セクハラ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

抵抗するものははびこる

一頃から、パワハラ、セクハラ行為が厳しく批判されるようになった。
立場が圧倒的に強い者が、弱くて抵抗出来ない者に、あらゆる意味で危害を加え、尊厳を奪っていることを糾弾する流れは強まっているように思われる。
正義を訴える人達は、そういったパワハラ、セクハラ等が行われているのを見つけ出し、それを世の中に告発し、そして、こう言うのである。
「これは氷山の一角だ」
つまり、隠され、外に分からないような非道な行為は、いくらでもあるのだから、それらをさらに探して暴き、罪ある者を断罪し、弱い者を救わないといけないということであろう。
レディー・ガガらの、MeToo運動は、世界的なムーブメントを起こしているように思う。

ところが、何十年も、世の中で、苦労しながらも、前向きに生きてきた多くの人達が、こう言うのを聞くこともある。
「最近の、パワハラ、セクハラ防止の動きは、良いことだとは思うが、それが行き過ぎてコメディーかギャグのように思うこともよくある。昔は、職場の隅で、男が女の子を口説くことはよくあり、確かに、迷惑そうな女の子もいたが、深刻にはならなかった。深刻になりそうだったら、同僚らがその男に『いい加減にしろよ』と諫めていた。男性の上司が若い男性の部下を怒鳴りまくり、稀だが、実際、殴ることもあり、それは『愛あって』という感じでもなかったが、それでも、大抵、良い方向に行った。」

何十年も前のアニメで、主人公の少年が自分を殴った年長の青年に、「殴ったね。僕は親に殴られたこともないのに」と言うと、その青年は「殴られずに一人前になったやつはいない」と返したらしいが、昔は、それに反感を持つ者は稀だったのだと思う。
アニメらしい単純さがあるにせよ、原則、それで正しいことは分かっているのだと思う。

もちろん、児童虐待という痛ましい事件が起こっていることは分かっている。
しかし、なぜ、そのようなことが起こるのだろう?
しかも、そのようなことを重大視する風潮がありながら、実際に児童虐待があると、学校も行政組織も、がん首揃えて何も出来ないのである。
昔であれば、児童虐待の疑いがあれば、刑事がすっ飛んできて、「親が子供に暴力を振るっているという通報があったが本当かね?」とストレートに言い、結果、親か子供か、あるいは、誤報をした者に説教して問題は平和に解決したものであるし、それ以前に、近所の人達が黙っていなかった。

世の中の悪に対し、スイスの著名な精神科医であり心理学者であるカール・グルタフ・ユングはこう言っている。
「抵抗するほど、はびこる(横行する)」
パワハラ、セクハラで言えば、そういったことに意識を向け、感情的に糾弾するほど、パワハラ、セクハラは、より多く、そして、より深刻なものが多くなるというのであると思う。

もちろん、このように、世の中の風潮に反する話をすると、有名人ならタダで済まず、地位や仕事を失ってしまうだろうから、決して言わないだろう。
誰も、パワハラ、セクハラ、児童虐待、その他の、弱い者いじめが善いなどと言っていない。
だが、「そんなことをするやつはぶっ殺してしまえ」と言うような者が、ひょっとしたら、一番の問題ではないかと疑った方が良いかもしれないのだ。
昔のことだが、新聞に、ある中学校で男性教師が女子生徒達の身体検査を行ったことが問題として取り上げられたことがあった。
今なら、あり得ないことであるが、実のところ、当時はそんなに珍しいことでもなかったらしい。
私が、その話をしたところ、1人の男は「羨まし!」とあっけらかんと言ったが、別の男が、その教師らのことを激しく罵りだした。
これは、正直、正義感と言うよりは、「よほど羨ましいのだね」ということだと思う。
つまりね、これもあまり主張すると、有名人なら身が危ういが、他人のことを、口汚く糾弾する者って、同じ穴のムジナなのである。
はい、私も出来たらやりたいと思うが、昔、実際にやった人が、本音で全然楽しくないことを、少し分かるように言ってくれたが、それを聞いたら、なるほど、全然やりたくないって思ったのだ(女子生徒達に失礼な面があるので、内容は言わないが)。
そういえば、レディー・ガガらも、下種な男を叩くよりは、女の子を賢くすることに力を注いだ方が良いと思うのである。

悪いものの存在は認め、必要な対策は行いつつ、それにあまり意識を向けないことだ。
意識を向けるべきは、その反対のものである。
児童虐待ではなく、子供を立派に育てる家庭や教育に関心を向けるべきで、そうであってこそ、悪い問題への実際的な対応が可能になる。
総理大臣が嫌いなら、それに対抗出来る、優れた政治家を応援すれば良い。
口汚く糾弾するだけの者は無能であるように思える。
学校教育や受験制度に反対なら、真の教育に関心を持ち、それを広める活動に参加すれば良いのである。
「抵抗するものははびこる」なら、抵抗せず、冷静に賢いことをすれば良い。
デモというのは、あまり良い結果にならない。効果はあっても一時的だ。
そうではなく、自分がもっと正しいものに目を向ければ、もっと良い道が見つかるのであると思う。
私も、最近、この方向に向かい始めたばかりだが、抵抗の道は行かないことにしたのである。








地球人類は不合格か

「今は、何でもかでもセクハラ、パワハラと言われてやり難い」と言い、労働者保護が過剰なのではないかという声もあるのだと思う。
しかし、それは単に、
「これまではセクハラ、パワハラが横行していた。立場が強い者のエゴが無制限に通っていた」
というだけのことなのだ。
「え、これがセクハラ?(パワハラ?)」
と言うのを見ると、ほとんどが、
「もちろんセクハラ(パワハラ)だ。当たり前だ」
なのである。

もう何十年も前の本だが、竹村健一さんの著書の中で、
「社員旅行は行きたくないなら行かなければよい。ただし、ちゃんと『行かない』と言っておかないといけない」
と書かれていたのは、当時としては非常に進歩的なことだった。
しかし、実際は、ほとんどの場合、「行かない」なんて言えるわけがなかった。
今でもそんな会社が多いかもしれないが、何とか状況は変わりつつある。
社員旅行に行かないなどと言うと、上司に脅され、怖い目に遭わされるか、「従業員の誰もが尊重される良い会社」でも、若い社員のところに、普段は会うこともない偉い人がやってきて「穏かに恫喝」したり、あるいは、延々と「説得という名目のいじめ」を行うようなことも、よくあった。
「社員旅行は仕事だ。参加が当たり前だ」
「普段、交流のない人達と知り合う貴重な機会」
「仲間と深く交流する大切な場」
などという「呆れるほど馬鹿らしい」理屈を押し付けることがまかり通ってきた。
だが、これらは全て、完全なパワハラだ。
「社員旅行への参加の強制は立派なパワハラ」という、当たり前のことが、ようやく認識されてきたのである。
実際、自由であるはずのことを強制すれば、責任者(最高責任者は社長だが)にペナルティが与えられることが普通になってきつつある。

ちょっと信じられないが、昔は(最近も?)、女子社員は社員旅行の宴会は水着で参加が強制されたことがあったらしいが、これは完全な犯罪行為であり、首謀者は懲役で当たり前というのが「当たり前」というのが、やっと認められてきたのだと言える。
そんなことが行われた会社の社長は、当然やめさせるのが当たり前と思う。

最近、テレビニュースなどで、上司に暴言を吐かれ続けて精神に異常をきたしたと会社を訴えるも、会社側は「それは単なる指導だった」と主張するというものを見ることが多くなった。
だが、今の時代、スマホで簡単に録音が出来、それ(上司の暴言等)をマスコミで公けにされて会社側が言い逃れが出来ないというものもよく見る。
それらは、完全に会社側に非があることを認めた上で、ちょっと別のことを言うが、私はそんなものを見る度に思うことがある。
「そんなん(上司の暴言等)普通や」
である。
私は昔の人間であるし、礼儀正しい私は、若い頃、むしろ、良い扱いを受けた方だったが、それでも、上司に殴られこそしなかったが、怒鳴られるなどはかなりあったし、それで鍛えられたのも事実である。
上司はさほどではなかったが、セールスマンやシステムエンジニアをやってきた中で、暴力的か狡猾的かの違いはあったが、お客様によるパワハラは割とよくあったと思う。
お客様の社長に、「言う通りに出来ないなら、(収めた商品等を)全部持って帰ってくれ」などと言われると、若い私は凍りつくしかなかったが、今となっては「鍛えてくれてありがとう」と本気で思える。まあ、その社長は、それほど立派な人ではないのかもしれないが、私には利益があったのである。

昔の『機動戦士ガンダム』で、ブライトさんだったと思うが、「殴られずに一人前になったやつがいるか」というセリフが有名なのではないかと思う。
そして、それはそれで1つの真理なのである。
「愛情持って殴ったかどうかが問題なのだ」などという馬鹿なことは言うべきでない。
上司のエゴで殴るから部下は鍛えられるのである。
人間は、大切にされ過ぎると、確かに駄目になる。
本来は、パワハラに負けない精神力を持ちたいところである。
そして、限度はあるが、強い精神力があれば、状況は改善されるものだと思う。
しかし、セクハラは全面的にいけない。
今もセクハラは実は多い。
自然にセクハラがない世界になれば、この星は合格であるが、それは無理なのかなあと思う。









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下々の者の目線

ジャズ・トランペット奏者の日野皓正さんが、指導している男子中学生を平手で叩いたことで大騒ぎしている人達って誰なんだろう?
確かに暴力は良くないが、日野さんは74歳のおじいちゃんらしい。
いかに高名な演奏家で、相手が子供でも、威圧するほどの貫禄がなくなっているので、つい手が出たのではないかと思うし、それほど本気で叩いた訳でもないようだ。

サラリーマンでも職人でも、普通に長く働いている人で、あれを見て騒ぐ人って、まあ、いないと思う。
私だって、確かに、あまり良いものを見たとは思わないが、私の直接的な感想はというと、
「ちっとも大人になれない自分が嫌になることは多いが、あんないい年になっても、やっぱり同じなんだな」
である。
そして、結論はこうだ。
「実社会での理不尽は、あんなもんやない」
つまり、サラリーマンのお父さんは、あの程度ではない理不尽に耐えて、家庭に「お金を運んでいる」のだ。

教師の生徒に対する不適切発言というのが大騒ぎになることも、最近は多い。
しかし、それらのほとんどが、やはり、
「実際の社会の理不尽さは、その程度じゃない」
のであり、子供は、アホな教師に鍛えられた方が、社会で必ず出会うはずの本物のアホに耐えられると思うのだ。

思想家の吉本隆明さんが著書の中で、だいたいの意味で、
「教師を反面教師にして鍛えておかないと、実際の社会でやっていけない」
といったことを書かれていたと思うが、全くそういうことなのである。
そして、吉本さんは書かれていなかったが、教師が外面がいい人であることを強要されるようになってから、ロリコン・変態教師が増えてきたのではないかと思う。
ロリコン・変態教師って、外面(そとづら)は抜群なのである。

私は、ひきこもり明けに初めてやった仕事が家庭向けセールスで、少なくとも私の場合は、下々の者がやる賎しい商売だったと私は思う。
そんな下々の仕事では、「そんなもんやない」ことは、毎日いくらでもある。
ある時、同僚の20歳の若いセールスウーマンの女性が、外回りから帰って来て、ある家での商談のことを話していた。
「そこのお父さんが、『そのスカートめくってくれたら買ってやる』と言うんだけど、本当に買ってくれるんなら、こんなスカート、いくらでもめくるんだけどなあ」
と言って、キャラキャラ笑っている。
そのお父さん、言うだけで買いそうもなかったからめくらなかったけだという訳だ。
彼女も、学歴や容姿で勝負出来ない、下々の道を歩まねばならない人だったが、それを自覚していた分、逞しいのだと思う。
そして、世の中、こんなの当たり前である。
ところで、一流大学の大学院を出て、海外に留学までした、しかも美人の若い女性を見て、あのセールスウーマンとの境遇の違いに深い感慨を持ったが、でも、そんなエリートでも、あの「下々の」女性のような強さがなければ成功なんて出来ないのであると思う。

以上、まあ、下々の者の意見、いや、ひがみ・・・である。









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学歴エリートが馬鹿だというのは極めて論理的なことだ

幼稚園から大学院まで合わせても、学校で学ぶことは、世の中のせいぜい3%だ。
昔、ある凶悪な宗教団体の信者に一流大学の卒業生が沢山いたことがよく話題になったが、別に不思議なことじゃない。
その一流大学卒業者達は、学校で学ぶ3%にエネルギーを注ぎ込み、他のことはほとんどやらなかったので、馬鹿であることは当たり前なのだ。
一流大学卒のニートや、一流大学を出て企業や役所に入ったが仕事が全くできない落ちこぼれはいくらでもいる。そんな者達も同じ(学校でやる3%以外はほとんどやっていない)で、単に馬鹿だからそうなのだ。
どこに不思議なことがあるってんだい?

法律ってのは、学校でやる3%以外はあまりやってない連中が作る。
だから、法律ってのは馬鹿なものなのだ。
売春や買春の禁止法、銃刀等の所持の禁止法、煙草・酒販売に関する禁止条例、淫行禁止条例・・・こんな法律、法令が作られる度に小躍りして喜ぶ者達がいる。
ヤクザ、闇の商人、海外では、ギャングやマフィアだ。
彼らはこう言うのだ。
「よし!これで商品、サービスの強力なラインナップが増えた。儲かるぞ!」
どこかの高学歴の元アイドル歌手が、
「子供の性的被害者が多く、そんな被害をなくすために、児童ポルノ禁止法を強化しないといけないのです。2次元児童ポルノも禁止しなければなりません」
といったようなことを言ったが、その法律で、被害の範囲、そして、深刻さは千倍になるということが、馬鹿には分からないのでる。
2次元ポルノの製作から所持まで法律で禁止になると、それらの商品価値はうなぎ上り!
不況の影響で困っていた闇の業者達は、一気に息を吹き返す。
つまり、被害に遭う子供の数も爆発的に増えるのであるし、被害の悲惨さも、これまでと比較にならない・・・
そんなことに手を貸してどうする?
アメリカでは、禁酒法が制定された時に、ギャング達は連日パーティーを開いて、この歴史的好機を祝福した。
あるギャングの幹部はこう言って、気勢を上げて喜んだ。
「これでワイフに島を買ってやれる!」
それを正確に予測できるギャングやマフィアの方が、国の役人よりずっと頭が良いのだ。
日本でも、闇の業者やヤクザ達は、学校の勉強である3%はあまりしていなくても、その他のことは20%くらいやっているので、トータル10%に全く満たない学歴エリートに比べればずっと賢いのである。
当然ながら、ご存知かもしれないが、禁酒法により、闇酒、闇バーは爆発的に増え、ギャング達の懐は潤い、真面目な酒の製造者達も闇の世界に引っ張り込まれてしまったのだ。

さて、学歴エリートは、単に3%という狭い視野しかないというだけではない。
知恵という点では、さらに0.1%以下なのだ。
この点、ヤクザやギャングは、10%以上である。
その訳を分かり易く説明する。

どこかの学校の校長が、校長室のパソコンで、インターネットのポルノサイトをいつも見ていたことが発覚した。
大方、そんなサイトのある種のだましの手口に引っかかって露呈したのだろう。
では、この校長は、なぜ、そんなことをしたのだろう?
答は、「校長が勤務中にインターネットのポルノサイトを楽しんではならない」という規則がないからなのだ。
これはどういうことだろう?
学校に、子供達がゲーム器を持ってこない理由を子供達に聞くと、
「校則で禁止されているから」
と言う。
彼らは、「なぜ盗みがいけないのか?」「なぜ殺人がいけないのか?」ということに対し、やはり、「法律で禁止されているから」と考えるようになるのだ。

あなたが男性なら、電車の中で、好みのタイプの美女、美少女がいたとして、なぜ、彼女達の胸やお尻に触らないのだろうか?
法律で禁止されているからだろうか?
あるいは、蔑まれたくないからだろうか?
まともな人間なら、そうは考えない。
しかし、そうとしか考えられない、まともでない馬鹿が多くなっているのだ。
学校の優等生の多くは、上に挙げた校長同様、そう思っているのである。
だから、「訴えられなければ」、「バレなければ」、何をやっても良いとしか思わないのである。
雄の教師による女生徒へのセクハラも、今は日常茶飯事であるらしいが、当然と思う。
よく子供を学校に行かせられるものである。

今、スポーツ界で、指導者のパワーハラスメント、セクシャルハラスメントが問題になっているが、表に出るのは氷山の一角だし、スポーツ界以外でも、いくらでもある。
学校の優等性が指導者になるところ、そんなことだらけなのだ。

痴漢も、パワハラ、セクハラ、虐待も、そして、多くの殺人、詐欺など、一切の犯罪も、ひいては、国の侵略、戦争も、子供の時、「ゲーム器を学校に持ってこないのは規則違反だから」式の学校教育が作った、世間の教義や信念が起こさせるものである。

自主的に善いことをし、自主的に悪いことをしないよう導くのが本来の教育だ。
それを、都合が良いからと、強制でやらせるのが学校教育である。
だから、視野が狭いだけでなく、知恵は全く付かない。
知恵は自発性からしか育たないからだ。
確かに、国家にとって知恵ある人間は困るのである。
学校教育は、権威に従うだけの、国家にとって都合の良い、知恵のない人間を作るためのものである。
だから、学歴エリートは視野が狭く、知恵がないのである。
不思議なことでも何でもない。
学歴も高くて知恵のある人間は、自分がエリートだとは思っていないのであるし、彼らは学校で身につけたものは、かえって弊害だと気付いているのである。
アインシュタインは学校教育に徹底して反抗した。
しかし、それであってすら、学校教育は彼の才能の多くを破壊し、さらに、宗教教育は彼に深い偏見を与えた。
彼は言ったらしい。
「私だって、量子力学が正しいことは理解できるのだ。だが、18歳までに持ってしまった偏見により、それをどうしても認めたくないのだ」
賢い人は言う。「アインシュタインは天才であると同時にピエロだった」









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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