ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

スーフィー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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夢のコントロールも現実のコントロールも同じで簡単

眠っている時に夢を見ていて怖いと思う理由は2つである。
(1)これが夢であると分からないから。だから、自分が海の上を漂っていたり、ジャングルの中を無防備に歩いているように感じるのである。
(2)これが夢であると薄々は感じていても、この夢の世界をコントロール出来ないと思っているから。
逆に、言えば、こうであれば、夢は恐くない。
即ち、
(1)これが夢だと分かっている。
(2)夢をコントロール出来ると感じている。
なら、夢は怖ろしいものではないのだ。

なんで夢の話をするかというと、現実も夢と同じだからだ。
つまり、現実も夢と同じで、いい加減と言うか、曖昧と言うか・・・もっと適切な言い方をするなら、自由だ。
だが、「現実がのしかかる」と言うように、現実は、重く、確固たるものだと思っている人が多いと思う。
けれども、現実も夢と同じなので、気楽に生きるためのポイントは、夢と同じと考えると良い。
即ち、
(1)現実も夢のようなものであると感じている。
(2)現実をコントロール出来ると感じている。
であれば良い。
普通の人は、両方難しい、
いや、両方難しいと言うより、この2つはセットである。
そして、夢とほんの少し違うのは、夢は自分でコントロール出来るが、現実をコントロールするには神だということだ。
だから、神との一体感がなければ、現実が怖いのである。
だが、本来は、神と人間は一体なのであり、特に、昔の日本人はそう感じていた。少なくとも、神を身近に感じていたのだ。

神との一体感があれば、自分が現実を動かしているのだから、何も怖くはない。
じゃあ、どうやって神との一体感を持てば良いかというと、それは、スーフィー(イスラム教神秘主義)の格言に、見事にまとめられている。
それは、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
だ。
ラクダというのは、心の象徴でる。
つないでおかないと、ふらふらとさ迷ってしまう。
ラクダをつないでおくことの意味である、心をつないでおくにはそうすれば良いか?
宗教的に言うなら、神の姿や名前に意識を集中すること。
つまり、神の姿をイメージしたり、神の名を唱えることだ。後者の方が簡単だ。念仏も、これと同じである。
宗教ではなく一般的な方法では、例えば、心からの願いのことを考えることだ。弁護士になるとか、一億円を作るとかだ。ただし、あくまで心からの、それなりに志のある願いであることが必要だ。
それを、いつでも考えることだ。
別の方法は、呼吸を制御するか、呼吸に意識を集中するかだ。好きな方でやれば良いが、呼吸を制御する場合は、「少し大きく吸い、いったん止め、細く長く吐く」のがベストであるが、憶え難いなら、とにかく、静かで、少ない数の呼吸をすることだ。1分に1回なら非常に良いが、無理をしてはならず、徐々に少なくしていけば良い。
これらのようにして、ラクダのようなものである心を静かにすれば、夢は楽々コントロール出来るようになり、現実の方も、支配力を増し、やがては、やはり簡単にコントロール出来るようになる。








アメリカの公式標語と念仏に共通する全てを得る鍵

アメリカの公式な標語は、「IN GOD WE TRUST(イン・ゴッド・ウィー・トラスト)」で、意味は「我々は神を信じる」だ。
だが、この標語は、日本の学校英語では「?」ではないだろうか?
調べれば、trust(信じる)という動詞の使い方として、「人や神を信頼する」という場合には、このように、inという前置詞を使うようだ。
学校英語では、We trust in god一辺倒だが、多少の英語の原文をいろいろ見ていたら、強調したいものを前に持ってくることがあるらしいことが分かる。

私は、ビートルズの『And I love her』を聴いた時、「Dark is the sky」という歌詞で、「うわ!かっこいい」と思ったことがある。
もちろん、普通には「The sky is dark」だろうが、ひっくり返す(倒置法と言うのだろうか)ことで、とても印象深くなるのである。ここらは、イギリス人も日本人も同じなのだろう。

ところで、「我々は神を信じる」は、とても重要な言葉なのだが、よく考えると、そんなに分かり易い言葉でもない。
特に日本人の場合、「神を信じる」と言ったら、「神の存在を信じる」というふうに思ってしまうと思う。
そこで、「In God we trust」の場合は、「神を信頼する」と訳した方が良いと思う。
そこには、「神の恵みを信頼する」といった意味合いがあるのだと思う。

仏教の念仏である「南無阿弥陀仏」の意味は「阿弥陀如来に帰依します」らしいが、「帰依」などという、普段、絶対使わない言葉を出すことは、私は好きではない。
普段、絶対使わないどころか、将来も絶対使わないだろう。
こんな言葉を使う限り、仏教は発展しないし、実際、衰退している。
「南無阿弥陀仏」はやはり「阿弥陀如来を信頼する」と訳すべきなのだ。
すると、「In God we trust」と同じで、「阿弥陀如来の恵みを信頼する」という意味を込められる。
アメリカの硬貨には、「In God we trust」と必ず刻印されているが、アメリカ人が、この言葉を意識していた頃は、アメリカは経済的に強大だっただけでなく、精神的、そして、道徳的に偉大だった。
今のように、トップの政治家が自分の利益のために、平然と国を裏切ることはなかった。

さて、何度か述べたことがあるが、スーフィー(イスラム教神秘主義)の、非常に重要な格言がある。
これを知っていれば、引き寄せが自在に出来る。
それは、
「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
である。
私は、この意味をずっと、
「神の恵みを信じろ。だが、人間が出来ることはちゃんとやれ」
という意味だと思っていたし、それで別に間違いではない。
神を信頼して全てまかせるというのは、偉大な神道家、黒住宗忠の教えでもあるが、だからといって、ラクダをつなぐくらいのことは人間がしなければならない。
言い換えれば、人間に出来ることは、その程度のことだが、それはそれで真面目にやらないといけないのだ。
だが、「ラクダをつなぐ」には、もっと深い意味がある。
ラクダは放っておいたらさ迷うものである。
このラクダは、心の象徴なのだ。
つまり、心はふらふらとさ迷う性質がある。
さ迷う心には、引き寄せは出来ない。
いや、正しくは、さ迷う心を持った者には、神は恵みを与え難いのだと思う。
つまり、自分は何が欲しいか分からず、呆然と、「いい暮らしがしたい」程度のことを思っているような者に、神はあまり恵みを与えないのかもしれない。
そこで、さ迷う心を静め、また、目標を明確にしなければならない。

「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
は、本当に重要な言葉だと思う。
念仏の場合は、阿弥陀如来という宇宙最強の存在を信頼すると共に、念仏を唱えることで、さ迷う心をつなぎとめておくことが出来る。
非常に合理的な行である。
だが、目標が明確でない。
いや、目標は「死後、極楽浄土に生まれる」であると言われていたが、一休は、「今、この場を極楽にすること」といったことを教えた。
だが、阿弥陀如来は万能で、しかも、限りなく慈悲深いので、どんな願いも叶えてくれるはずだ。

スーフィーの格言と念仏は、本当に深い。
理解すれば、全てを得るだろう。








やるべきことは何かを見極める

人間自体には、世界、人生、あるいは、運命を変える力はない。
つまり、全く無力だ。

無理矢理、自分の力でどうにかしようとすると、状況は悪くなるかもしれない。
いわゆる、「あがけばあがくほどに深みにはまる」である。
しかし、それがもし本当なら、人間には「状況を悪くする力」があり、世界や人生や運命に影響を与えることが出来ることになってしまう。
そして、状況を悪くする力があるなら、良くする力もあると考えるのが合理的だ。
なぜなら、良いとか悪いと言っても、それは見方の問題に過ぎないのだからだ。

アメリカの作家で啓蒙家のフローレンス・スコーヴェル・シンは、「神があなたの代わりに戦ってくれる。あなたは努力をする必要は無いし、してはいけない」と言う。
必要なことは、神を信用することだけで、これは、ジョセフ・マーフィーの教えも同じである。

しかし、フローレンス・スコーヴェル・シンや、ジョセフ・マーフィーの教えで、なかなかうまくいかないと感じる人が多いのだと思う。
そもそも、神を信じることが難しいかもしれない。
それに、「俺は神を信じてる」と口では言う、薄汚い、幼稚で、利己的な連中の仲間入りをする気もないし、そうしたからといって、うまくいくとも思えない。

そんなことを、なんとなく思っていた時に、必殺の一言を得たことがある。
スーフィー(イスラム教神秘主義)の間で伝えられる言葉であるらしい。
それは、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
だ。
アメリカの公式モットーが「我々は神を信じる(In God,We Trust)」らしいが、これでは完璧でない。
「ラクダはつないでおけ」の意味は分からないが、私は、「あたりまえのことはちゃんとやれ」だと理解している。
『バガヴァッド・ギーター』にあるように、
「食べ過ぎてはいけない。だが、少食過ぎてもいけない」
「眠り過ぎてはいけない。だが、あまりに睡眠が少なくてもいけない」
である。
過度な利他主義になる必要はないが、あまりに利己的でもいけないのだ。
人を過度に称賛する必要はないかもしれないが、陰口はいけない。
過激な運動をしなくていいが、適度な運動は必要である。
また、好きな女の子がいて、なんとか仲良くなりたくても、過激にアプローチしてはいけないが、ちゃんと親切にし、それなりに身だしなみを整え、そして、ヒーローを演じる必要はないが、堂々と振舞うべきなのだ。
これらは、小善人になることとは全く違う。
小善人は、神ではなく、強い人間に従う。
小善人は陰口をよくきくし、運動せず、食べ過ぎて腹が出ている。
小善人は権威に弱く、すぐにへつらう。
きっと、ラクダをつなぐことは、そんなに難しくないにしても、そんなに楽でもないのだろう。
神が代わりに戦ってくれるなら、代わりに戦ってもらえるだけの人間でなければならない。
そして、その判断は自分でしなければならない。
その判断を、きちんと出来るようになれば成功するのだろう。

ヒントを言えば、こうかもしれない。
自分に子供がいれば、子供に良いものを与えたいと思うだろう。
しかし、自分の子供でさえ、そうしたくなくなることもあるはずだ。
賢い親なら、子供が表面的に自分の機嫌をとっていても、そう感じることがあるはずだ。
神も、我々に対して、似たところがあるのだと思う。
そして、神は本当に賢く、騙すことは出来ない。
だが、神の要求は高い訳ではなく、どちからというと甘いのだ。
けれども、甘いながらも期待はある。
その期待が「ラクダをつなぐこと」だ。
単に、やるべきことをやれば良いのだろう。
だが、アルジュナは戦わなければならなかったし、修行時代の村上春樹さんは、1日に原稿用紙10枚を書くことが「ラクダをつなぐ」ことだったのだろう。
釈迦は、本当に、最低限やるべきこと、やってはならないことを教えていた(涅槃経)。









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駱駝をつなぐということ

宇宙全体を覆う意思というものは、おそらくあるのだろう。
それに気付いた人が、それを神と呼び、論理意的にそんなものが存在すると考えることが出来た人の中には、それを万能の宇宙コンピューターのように喩えた人もいる。
古来からの風習に従って神と呼ぶと、神の力は計り知れないながら、神は我々と離れたものではない。
むしろ、賢い人達は、神は手足よりも近い存在だと言った。
つまり、神と人間は一体である。
それは物理的関係で解釈することは出来ない。その理由は、人間の脳は、それを理解するには能力が足りないのだろう。

神と一体である我々に不可能はないが、単に神にまかせれば良い訳ではない。
いかにレベルの差があるとはいえ、人間は神のパートナーであり、パートナーである限りは、恩恵も与えられるが、責任もある。

仏教に、竹林の火事を消そうとした一羽のオウムの話がある。
竹林が火事になった時、長年棲家を与えてくれた竹林への恩と、竹林に棲む他の生き物達のため、オウムは池に飛び込み、身体を濡らして大火の上で羽ばたいて水をかけて、火を消そうとする。
オウムは来世までかかるとしても、やり抜く決意だった。
それを見て、神は手を貸すが、あくまで、オウムがパートナーに相応しいことをしたので、神は、年長の力あるパートナーとしての役割を果たしたのである。

このようなことを、スーフィー(イスラム教神秘主義)では、
「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
と、とても分かり易く言っている。

ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版は『努力嫌いの成功法』)には、こんな話がある。
戦争中、部隊からはぐれた兵士は、部隊に戻る術がなかったが、彼は子供の時、森で迷ったことを思い出した。
少年だった彼は、森の中を歩いていたら、釣りをしている男に出会い、森から出る道を教えてもらうと、安心してそれに従い、森から出ることが出来た。
彼は、森から出られるのは当然という態度でいたのだ。
彼は、その時のことを思い出し、舞台に戻れて当然という態度で歩いていると、やがて部隊に出会い、親切に迎えられた。
彼がいかに神に祈っても、絶望してしゃがみ込んでいたら、野垂れ死にしていたかもしれない。
彼は、神を信用したが、駱駝はつないでおいた・・・つまり、顔を上げて歩くくらいのことはしたのだ。


恐れずに求めれば それは未来を変えるRevolution
こころKnock Knock Knock
不思議Trick Trick Trick
奇跡は起きる(Wow Wow)
Freely Tomorrow
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M。歌:初音ミク)より~


村上春樹さんは、作家になる前の若い時、1日原稿用紙10枚をノルマに必ず文章を書いたそうだ。
村上さんにとって、それが「駱駝をつなぐ」ことだったが、何かを信じていなければ出来ないことだったはずだ。









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神から安定した良い仕事をもらうには何をすれば良いか?

スーフィー(イスラム教神秘主義)では、「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」と言うらしい。
彼等が、どんな意味で言っているのか正確には知らないが、
「自分で出来ることは自分でやれ」
「怠惰になるな」
ということと思う。

水野南北の教えは、
「神を信用しろ。だが、食は慎め」
と言えるかもしれない。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、天使に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と言われたらしいが、これも、
「神を信用しろ。だが、満腹するまで食べるな」
と言って良いのだと思う。
親鸞の教えだって、
「阿弥陀如来を信じろ。だが、念仏は称えておけ」
と言って良いと私は思う。

ニートが、安定した良い仕事が欲しい場合は、どうすれば良いだろうか?
もちろん、それぞれが良いと思うことをやれば良いのだが、的外れをやっているうちは上手くいかないだろう。
私が思うに、一番相応しいのは、規則正しい生活をすることだ。
安定した仕事というのは、毎日、同じ時間に始業するのだからだ。

賢者になりたければ?
神は自分の内部におられるのだから、神を信用すれば、心の奥から叡智が湧き出てくる。
だが、『バガヴァッド・ギーター』は読め・・・といった感じになると思う。

逆に言えば、駱駝を自分でつなぐ、食を自分の意志で慎む、誰にも強制されずに念仏を称える、自主的に規則正しい生活をする、進んで『バガヴァッド・ギーター』を読む・・・といったことをすれば、神を信用出来るようになるだろう。
しかし、あまりに無理な努力をする者は、自分だけを信じ、神を信じていないのだ。
そんな者は、自分1人分の力は発揮出来るかもしれないが、それはかなりちっぽけなものに違いない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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