ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

スマートフォン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

スマートフォンでIQが下がることはほぼ確実

2013年のTEDで行われた、道徳哲学者ジェームス・フリンの『なぜ祖父母世代よりもIQが高いのか』という講演が面白かった。
要は、人類のIQ(知能指数)は上がり続けているということについての研究報告である。
人類のIQが上がり続けるのは、科学の発達、教育の発達、書籍の流通や質の発達、メディアの発達、栄養学の発達により、当然、そうなると思われるが、フリンは、講演の中で、抽象思考の発達に注目していた。
抽象思考が出来ないと、自分の経験の範囲でしかものを考えられない。
たとえば、昔の人に、「魚とカラスの違いは?」と尋ねると、「魚は食えるがカラスは食えない」と答えるのは普通だ。
科学や情報の発達により、人々の知識が増え、論理思考が出来るようになったことで、魚は魚類でカラスは鳥類だという抽象的分類が出来るようになったのだ。
経験したことしか分からないことの例として、やはり昔の人に、こんな質問をしたらどうだろう。
「寒い場所に棲むクマは白い。では、北極に棲むクマの色は?」
すると、北極のことなどほとんど分からない昔の人は、
「さあ、それは分からないが、俺が見たクマは全部茶色だよ」
と答えるしかない。

ところが、フリンが調査を止めた後だが、1990年代半ばから、人類のIQが上がらず、むしろ低下するようになった。
この理由は、いろいろ推測されているが、1つの説として、ラジオ、テレビ、オーディオ機器の普及、そして、近年のスマートフォンの普及で人類のIQが低下したというものがある。
つまり、これらが普及することで、「ラジオを聴きながら」「音楽を聴きながら」ものごとを行うようになり、特に、スマートフォンの普及によって、多くの人は、常に注意をスマートフォンに引き付けられるようになった。
人間というのは、集中せずに、他所事に気を取られることでIQが低下し、注意が分散されることが常態化すれば、根本的にIQが下がる。
これは、周囲の人々を見ていても、納得出来るような気がする。
常に携帯電話やスマートフォンを見ているような者は馬鹿ばかりである・・・いや、あくまで独断であるが、疑いようがないほど確かに思える。
そして、あるYouTube動画で見たが、こんな形でIQテストをやる実験が行われたそうだ。
スマートフォンを机の上に置いたグループ、スマートフォンを鞄の中にしまったグループ、スマートフォンを試験会場の外に置いたグループに分けてテストを行った。
スマートフォンの電源は全て切られていた。
すると、スマートフォンを試験会場の外に置いたグループ以外は有意にテストの成績が下がったそうだ。
電源を切ったスマートフォンを、鞄の中に入れておくだけでも駄目なのである。

IQが下がる状態を続ければ、つまり、いつもスマートフォンを持っていればIQが下がり続けるのは当然であると思う。
よって、IQを上げたければスマートフォンを持たないことである。
私も、しっかりとしたIQテストの本でIQ検査をしたら、スマートフォンを持たなかった頃より、明らかにIQの低下が見られ、かなりゾッとしている。

尚、IQが低い者に出来る引き寄せは、おそらく、願望を紙に書くことか、言霊の力を活用する以外は難しいと思うようになった。
IQが高いというのは、思考力が優れているというよりは、余計なことを考えないことであると思う。
そして、余計なことを考えることは、魂というか、潜在意識へのアクセスを阻害する。
願望を紙に書いたり、願望を言葉にして唱えることは、多少、余計な思考があっても、潜在意識への通路が開かれる。
スマートな引き寄せ法は、余計な思考を消すメソッドであるが、これはIQが低い者には難しい。
頭が悪いというのは、考えないことではなく、馬鹿なことを考えることなのだ。
このブログで、最近よく、願望を紙に書くことや、言霊として唱えることを書いているのは、人類のIQの低下を感じていたからであると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)なぜ人類のIQは上がり続けているのか?(ジェームス・フリン)
(2)スマホ脳(アンデシュ・ハンセン)
(3)斎藤一人の絶対成功する千回の法則(斎藤一人インタビュー)
(4)成功の掟(マーク・フィッシャー)

煉瓦の建物の前で
AIアート1451
「煉瓦の建物の前で」
Kay

スマートフォンが諸悪の根源

スマートフォンの起源は、1996年のノキア社のPDA(パーソナル・デジタル・アシスタント)端末らしいが、実際は、2007年6月のアップルのアイフォンからスマートフォンの普及が始まったと言って良いだろう。
古いとは思えない映画やアニメでも、スマートフォン以前の携帯電話(ガラケー、フィーチャーフォン)が普通に使われているのを見ても、スマートフォンの発展が急激なものであることを感じる。

ところで、多くの人が、常に携帯電話の画面を見るようになったのは、ガラケーにメール機能がついてからだと思われる。
スマートフォンが登場する以前だが、当時会社員だった私は、珍しく昼間に電車に乗った時、若い奥さん風の人達が全員、ガラケーを手に持ち、じっと画面を見つめているのを見て、ぞっとした。
なぜ、ぞっとしたかというと、それらの人達に知性が全くないことを、直観的にだが強烈に感じたからだ。
こんな人達が普通なのだ。
つまり、知性が全くない人間が大量に溢れる時代になる・・・いや、もうなっている。これがぞっとせずにいられるだろうか。

そして、恐ろしいことに、ガラケーの時代から、自分も携帯電話を出して見ていないと、人間として仲間外れにされている・・・逆に言えば、自分も携帯電話を出してずっと見ていると、周囲の人間との同胞意識を感じてほっとする感じがするのである。

シンプルに言うが、おそらく断言出来ることは、
「携帯電話(今ではスマートフォン)を見る時間が長いほど頭が悪くなる」
である。
単なる私見であるとはいえ、かなり自信があるが、スマートフォンを常に見ているような人でIQ110以上の者は絶対にいない。
元々、IQ120とか130以上でも、スマートフォンを度々見るようになったら、IQは110以下に落ちるし、もっと落ちることもありうる。
岡田斗司夫さんの動画で見たが(元ネタは有名なベストセラーである)、スマートフォンを持っているだけで(身近に置いてあるだけで)、即座に知性が低下することが確認された実験もあるらしいが、私はそれは間違いなく本当だと思う。

知性を低下させないためには、スマートフォンを所有しないことが一番だが、スマートフォンも、マップ、ナビ、タクシーアプリなどは必要だし、この情報社会では、インターネットの情報が必要なことも多い。
そこで最善の手を考えるなら、家の中など、パソコンが使える状況では、スマートフォンではなく、パソコンを使うことだ。
というのは、スマートフォンの方が、軽い・・・つまり、それほど重要でない情報を扱うことが圧倒的に多いからだし、パソコンの場合は、長い文章を書けるからということもある。
ガラケー時代から、携帯電話が知性を低下させる大きな要因が、長い文章を書かないことだ。
私は、家に居る日は、朝、スマートフォンの充電率が100%から始めたら、寝るまで90%近くは残っている。

堀江貴文さんという人は、パソコンは使わず、全てスマートフォンで行うと言いつつ、SNSには馬鹿が圧倒的に多いと言う。
ところが、そんなSNSの中の馬鹿の特徴を堀江さんは「長い文章を読めないこと」と言う。
長い文章を読めない原因は、長い文章を書かないからだと言えると思う。
堀江さんは地頭が極端に良いので、本当にパソコンを使わなくても知性を保てるのかもしれないが、スマートフォンしか使わないと、普通の人は皆、馬鹿になるのであり、堀江さんすら知性の低下が見られると思う。

尚、スマートフォンを使うと引き寄せの力も確実に落ちると断言出来る。
なぜかと言うと、軽薄な情報というのは、自我が好むものであり、スマートフォンを使うと自我が活性化するが、引き寄せの邪魔をする最大のものが自我であるからだ。
長い文章というのは、一見、自我(=心=思考=左脳)が作っているように見えるが、実際は、向こう側(=潜在意識=高次元=直観=右脳)からのメッセージが来ないと書けるものではないことは、あまり知られていないと思う。

馬鹿になりたくなければ、また、引き寄せが出来ないようになりたくなければ、なるべくスマートフォンを使わないことであると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)スマホ脳(新潮新書)
(2)頭には、この刺激がズバリ効く! (ウィン ウェンガー)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール)

平安
AIアート1131
「平安」
Kay

低価格スマートフォンUMIDIGI A7 Proについて

ちょっとスマートフォンの話を。
通信料が安いSIMフリー機に興味のある方の参考になればと思う。

私は、スマートフォンを、ドコモ、au、ソフトバンクのお店で買ったことがない。
AmazonでSIMフリー機を買い、それに、格安SIMカードを入れて使っている。
私は、スマートフォンはインターネット専用で、通話はいまだガラケーを使っていて、月額料金は合わせて2000円ほど。
やり方は、別に難しいことはないのだが、やや戸惑う人も多いかもしれない。
(このスマートフォンをこのまま通話用にも簡単に出来るが、これで通話やショートメールを受け付けたくないのでやらない。)

私は常にAndroid機を使う。個人的にiPhoneは使う気にならない。
ところで、国内スマートフォンメーカーは、スマートフォンをSIMフリーで売ることが滅多になく、正規販売では、SIMフリー機は中国製が圧倒的に多い。
中国製SIMフリースマートフォンの特徴は、価格が安いことと、表面上のスペックが高いことだ。
だが、安心して買えるのは、GoogleのPixcelや、ソニーのXperiaだが、欲しいスペックのものは10万円以上する。
来月発売のソニーXperia 1 IIは、5G対応で、その他も素晴らしいスペックだが124,000円。

中国製SIMフリー機は、先程も述べたがスペック上は良い。
だが、私には、あまり良いイメージがない。
私は2016年8月に、初めて中国製SIMフリー機ZenFone 2 Laser を購入した(37,600円)。
メーカーのASUSは、GoogleのタブレットNexus7を作っていたメーカーで、このNexus7(2013年版)が大変に良かったこともあり、期待して購入した。
このスマートフォンは、画面は、6インチ、FHD(1920 x 1080ピクセル)、内蔵ストレージ32GBで、スペック自体は十分だが、余計なアプリが沢山プリインストールされていて、その多くが、アンインストールできない。それらのアプリは、しつこく有償アプリ購入に勧誘してくるし、中にはスパイウェアであると感じられるものもあった(実際は分からないが)。
ちなみに、画面解像度FHDの1920 x 1080ピクセルは、テレビのフルハイビジョンやblu-rayと同じで、スマホの小さな画面ではかなり緻密である。最近はFHDのスマホも増えたが、まだHD(1280 x 720ピクセル)以下が主流と思う。
このZenFoneは、2年ほど使っていたら、突然に再起動することが起こり始め、連続再起動まで起こるようになった。
それで、2018年6月、香港に本社があるLenovo(レノボ)のSIMフリー機「Lenovo PHAB2 Pro」を購入した。

Lenovoは、携帯電話事業を米国モトローラと統合し、本店をアメリカに置く等、偏見かもしれないが、普通の中国メーカーとは信頼感が違う(ような気がする)。
実際、Lenovo PHAB2 Proは素晴らしいスマートフォンで、私は気に入っている。
6.4インチQHD (1440 x 2560)のディスプレイは美しく、標準64GBの内蔵ストレージに、その頃には安くなっていた128GBのマイクロSDカードを追加すれば、使い切れないほどの容量だった。
当時としては大きい4050mAhのバッテリーも有難かった(標準的なスマホで3000mAh程度か)。
欠点としては、誰が見ても「え?それスマホ?」というくらいデカいことで、片手での操作は無理で、重くもあった。しかし、それはさほどのことはなかった。
私は、スマホは画面の大きさ、美しさを重視する。
ところが、このLenovo PHAB2 Proは、2年使うと、バッテリーの消耗が早くなってきた。
また、このスマホは、Android6以上に対応せず、若干の不都合もあった。
しかし、バッテリー交換さえ出来れば、もうしばらくは使い続けると思う。バッテリー交換は、やろうと思えば出来るだろうが、面倒そうなのでやめた。

そこで、SIMフリー機のメリットの1つである、「とりあえず買って使う」という軽い気持ちで、最近、中国メーカーの、UMIDIGI A7 Pro を購入した。
決め手は、「余計なアプリは入っていません」だった(笑)。それは、ほぼ本当だった。
OSはAndroid10。
ディスプレイは、6.3インチFHD+(2340 x 1080)。
内蔵ストレージは128GBで(64GBモデルもある)、バッテリーはLenovo PHAB2 Proの4050mAhを超える4150mAh。
尚、Lenovo PHAB2 Proが6.4インチと言っても、UMIDOGI A7 Proは、最近主流の縦長ディスプレイであることと、画面以外の面積が少ないことで、Lenovoよりはるかに小さく、実は、その前に使っていた、6インチのZenFoneより小さいのである。
ダメ元のつもりだったが、反応速度といい、全く問題ない(私はゲームをしないので、ゲームでの性能は分からないが)。
背面の4眼カメラは目立つが、私は写真性能は、これまでのスマホでも十分と思っているので、多分、凄いのだろうが、良さが実感出来ない。
バッテリーの持ちは実感として良い。
そして、価格は、何と、17,969円(税込)であった。
また、最初から画面保護フィルムが貼ってあり、保護カバーも付属していたのは驚いた。
それと、ちょっと良かったのが、USBコネクタが、ZemFoneやLenovo PHAB2 ProのMicro USBではなく、Type-Cであることで、これは、他のタイプのUSBコネクタと違い、表裏がないので、楽である。
とりあえず、当面、これでいこうと思う。
これで、中国製スマートフォンのイメージが変わるだろうか?

ところで、Lenovo PHAB2 ProもUMIDIGI A7 Proも、ケースに入れても、そのケースのカバーの開閉で電源ON/OFFをしない。
Lenovoの方はまだ、電源OFF時に、画面をダブルタップすれば電源ONになったが、UMIDIGIはそれもない。
私は心配性なのか、いちいち電源スイッチでON/OFFをすると、スイッチが壊れてしまうような気がする(まず、その心配はないと思うが)。
だが、カバーの開閉などで、電源ON/OFFをすることはアプリで出来る。
そのアプリも多数あるが、いろいろ試したら、Gravity Screenが最も良いと思った。








私がアップル製品を使わない理由

個人的には、私は、アップルのiPhoneやiPadが売れる理由が全く分からない。
もし、AndroidのスマートフォンやタブレットPCが存在しなかったとしても、私は、「何て使い難いんだ」と思って、iPhoneやiPadを買わないと思う。

ただ、iTuneストアで、欲しい音楽コンテンツを、すぐに見つけて購入できることは素晴らしいと思った。
しかし、あまりにも買いやすいので、ついつい余計に買ってしまう。
これは麻薬的であり、だんだん恐ろしくなって、ある時、クレジットカード登録を削除し、もう買えないようにした。
ところが、私は、アップル製品の使用をやめたので、PCからiTunesアプリをアンインストールしたのだが、iTuneストアで買った音楽がm4p形式という特殊なものなので、そのままでは他のアプリで再生できない。面倒なので、欲しいものは、CDやAmazonデジタルミュージックで買い直した(本当に欲しいものは、そんなにはないということが分かった)。
また、iTunesアプリにしろ、同じアップルのQuickTimeにしろ、インストールするとWindows起動と同時にメモリにロードするので、PC全体が遅くなり、メモリも圧迫される。
ただ、それは、アップル製品だけでなく、アドビ製品もそうであるが、特にアドビ製品はメモリを大量に消費するので、インストールしても何も良いことがない。しかし、Flash Playerを必要とすることが多いので、やむなくアンインストールせず、Windows起動の際にロードされないよう設定してある。しかし、そんなやり方を知らない人は、PCが遅くなって嫌な思いをしていることだろう。

私が、アップルのタブレットで特に疲れさせられたことは、PCに存在する音楽やビデオを、iTunesアプリで「同期」という形でしか、iPhone等に取り込めないことだった。
iPhoneに入れたい音楽やビデオがあっても、まず、iTunesアプリが入ったPCにそれを取り込み、それから、iTunesアプリに登録し、そして同期して、やっとiPhoneに入る。
Androidなら、エクスプローラーでドラッグアンドドロップ一発なのだから、iTunesのやり方はひどく煩わしく感じる。
また、iPhoneやiPadに音楽やビデオを入れるためのPCが3台あれば、その3台とも、全く同じ形で音楽やビデオをHDにコピーしておき、iTunesも同じ設定にしなければならないが、これはもう、とても考えられない。
一度、PCのフォルダ名を変えたら、iPhoneから消えこそしなかったが、当然、同期不能になった。フォルダ名なんて、普通に変えるのだが。
また、Androidなら、友人のPCにぱっとつないで、そこにある音楽やビデオを引っ張ってこれる。まあ、これをやることが、違法コピーにつながる可能性があるのかもしれないが、まさか、それを防止するために、iTunesアプリは、あんなややこしい操作を強いているのだろうか?(多分そうだとも思う)

操作性やタッチパネルの性能に関しては、アップル製品は素晴らしいという話がよくある。
確かに、安価なAndroidタブレットには、タッチやスワイプの反応、追従性が悪いものがあったと思う。
だが、iPadミニとNexus7を操作し比べたら、明確な差はなかったと思うし、慣れた方が使い易いということで間違いないと思う。
どちらが上にしろ、言うほどの差はないと考えて良いだろう。
そもそも、私は指も含めて乾燥肌ということもあるが、タブレットは使い難い。
文字入力操作が多いのに、どうしてもタブレットである必要があれば、簡単に使い易いキーボードを付けられるWindowsタブレットを使っているが、やはりノートパソコンが良いと思う。
スマートフォンで文字入力をすることは、ほとんどない。

ところで、マイクロソフトの時価総額が、アップルやGoogle(全体の)の半分というのは、時代が変わったものだと思う。
もちろん、利益率では、基本的にソフト会社であるマイクロソフトが高いのだが、マイクロソフトもハードウェア事業に手を出し、また、設備投資を盛んに行っているので、Googleとは差が縮まっているようだ(この点ではアップルはハード主体なので、下がる傾向が強い)。
そして、Google Chrome OSがWindowsに取って変わる可能性も、なきにしもあらずである。とはいえ、あるとしても、やや先のことである。









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権利にしがみ付く者に芸術は創れない

集団的自衛権の法案成立に反対するデモのニュースをよく見るようになったが、反対デモ自体には力はないものらしい。
ただ、反対する人々が十分に多いと、次の選挙で、その法案を支持した議員には投票しないぞといった、ちょっとした脅しがかけられるということはあるのだろうか?
しかし、その効果はおそらく、あまりないのだろうと思う。
議員は、賛成か反対か分からないような立場を取れるものだし、投票者も、選挙の時はあまり追及しないものだ。
憲法第九条は別格であるが、大抵のことは政府主導で進んでしまい、いったん決まった法律は百年くらいは変えることは不可能だ。
実際、何の効力もないばかりか、弊害のある古い法律が沢山、改定されずに残っている。

ところで、最近のスマートフォンやタブレットPCは、ますます高性能化してきたが、どこが良いのかというと、普通のパソコンを圧倒する画面表示の美しさだ。
20インチ以上の画面でも、フルHD(1920×1080ピクセル)は十分に綺麗なのに、10インチ、7インチ、さらには、5インチ前後のスマートフォンもフルHDを採用するのだから、本当に鮮やかだ。
しかし、この素晴らしい画面を持ったタブレットPCやスマートフォンって、ブルーレイやフルハイビジョン放送を見る以外に何か意味があるのだろうかと思う。
けれども、それを見ること自体が、事実上、法律で禁止されてる。
ブルーレイやデジタル放送のコンテンツを、タブレットPCなどにコピーすること(正確にはブルーレイ等のプロテクトを回避すること)は法律で禁止なのである。
ならば、高解像度のタブレット端末は、ほとんど何の意味もないことになる。

制作者があまりに権利を主張していては、芸術が生まれることはない。
現在の、音楽、映像コンテンツは娯楽的になり、派手で刺激的で楽しくなっているということは言えるが、質は低下しているし、今後、更に低下するだろう。
芸術というのは、無償の行為なのである。
ギリシャ神話の源流の1つである叙事詩『神統記』を書いたと言われるヘシオドスは農夫であり、いわば日曜詩人で、職業詩人ではなかった。
名曲の誉れ高いフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を創ったのは、職業軍人(技術軍人)で、趣味で音楽をやっていた日曜音楽家であった。
アインシュタインは自分の物理学は趣味だと言い、たまたま、かなりのお金になったが、彼はその金を誰とでも、どんなロクデナシとでも分かち合った。
アインシュタインの物理学は芸術であった。

初音ミクのミュージックビデオのDVDである『MUSIC OF SCIENCE』は今日では非常にユニークなものだ。
DVDが2枚入っていて、1枚は普通のDVDビデオなのだが、もう1枚のDVDに、DVDビデオと同じ内容のHD画質のMP4ファイル(動画)が入っている。
DVDビデオが720×480ピクセルの標準画質で、HD画質は1366×768なのだから、主コンテンツより付属コンテンツの方が高解像度なのである。
これだと違法なリッピングをしてDVDビデオからMP4ファイルを作る必要はない。
無論、いかなる著作物にも著作権があるが、この製品では、コピー禁止などの無駄な表示はないし、MP4ファイルに関しては、購入者の持ち物である限り、どんな機器にも無制限にコピーできる。
素晴らしい芸術作品であると思うし、その後、この作品の制作者はさらに進歩している。
そして、この制作者は、立派な良識の持ち主であると思う。
ならば、私のような、この作品を購入した者も、コンテンツをコピーして他人に渡したり、一般に公開するようなことをしてはならない。
ただ、本当は、コピーや一般公開をしても良いが、制作者に相応の報酬が入るようにすれば良いのだと思う。
いずれにしても、コピーは止められない。
それならば、新しい流通の形、新しい著作権、版権の形を作らなければならない。
著作者の権利を侵害してはならないが、制作側も権利を握りしめてはならない。
権利を握り締めて離さない者に芸術は創れない。
「俺が作ったんだ」と言う者は芸術家ではない。
芸術は人が創るのではなく、神が人を媒介して現すものであるからだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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