ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、作家、詩人として成功してからは、ずっと旅をしていた。
それは、日本でいえば、江戸幕府の11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり)や、12代将軍徳川家慶(とくがわいえよし)あたりの時代で、日本では考えられない、一般庶民の鉄道や客船での旅で、そして、これはもう日本では夢にも考えられない他の国への旅だった。
しかし、いかに物質文明では日本とは比較にならないほどだったとはいえ、当時のことだ。列車や船、あるいは、ホテルの予約などはできず(ホテルも少なかったろう)、自分が行ったところ、居るところでの、出たところ勝負で、全く予測も見当もつかないことであっても、自分で何事にも対処していかねばならなかった。
アンデルセンは、作家としての成功により、国家から生涯に渡る年金を与えられていて、働く必要はなかったが、大した額の年金ではなく、また、その他の収入はほぼなかったと思われる。作品は書き続けたが、印税があった訳ではなく、作品での収入は、出版社に作品を渡した時に得られる、これも大したことのない原稿料だけだったはずだ。
また、作家としてそれなりに名が売れていたとはいえ、顔など全く知られておらず、名声が旅の便宜をもたらしたということはなかっただろう。
旅には、今では想像もできないような、見込み違い、トラブル、場合によっては盗難、窃盗の被害もあったかもしれず、それなりの年齢だったアンデルセンは、体調の悪い日もあったに違いない。
ところが、アンデルセンの自伝を読むと、旅をするようになってからのあたりを見ても、そんな旅の苦労は全く書かれておらず、旅の途中で見た風景の美しさ、イタリアの神殿で出会った盲目の貧しい少女の女神のような美しさといったことを夢のように語り、また、特筆すべきこと、例えば、グリム兄弟に会い、最初は、「君の名前は知らない」と言われ、相手にされなかったが、後に歓談できたこと等が書かれている。つまり、読者にとってどうでもいい、個人のすったもんだには触れず、有意義なこと、明るいことばかりが綴られているのだ。
アンデルセンは神の加護を信じていたはずだ。
14歳のか弱い、世間知らずの少年の時、単身、オーデンセの田舎から、大都市コペンハーゲンに出てきて、右も左も分からない中、苦難もあったが、なんとかやってこれたのは、間違いなく、神のおかげと思っていたようである。
そして、文学者として認められるようになった、円熟してきた頃には、アンデルセンの、あらゆることに対する受容性は、とても高くなっていたのだろう。
アンデルセンの自伝を読んでいると、人間というものは親切さを持っているのだと信じられる。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者ベアード.T.スポールディングは、アメリカ中を講演旅行をしていた時、どの町のどの家でもずけずけ入っていき、腰を降ろせば、そこで食事ができなかった家は一軒もなかったという。
『レ・ミゼラブル』で、ジャンバルジャンは刑務所を出たが、どこでも野良犬のように扱われ、1日中歩き続けて、寒さと空腹に疲れ、たまたまたどり着いたミリエル司教の家で、自暴自棄になって、自分が刑務所を出てきたばかりであることや、世間への恨みつらみを吐き出したが、ミリエルは平然として、召使いに、ただ、食事を1人分追加し、客人用の寝室の用意をするよう命じ、召使いも、何事もないように指示に従った。
太古の、人間にまだ徳が満ち、知恵があった時代は、ミリエルがしたようなことがごく自然なことだったに違いないと私は思う。
鍵なんてものは存在せず、家の戸口はいつも開かれ、誰でも、どの家でも自由に入れ、やって来る者は誰でも、いつでも、間違いなく歓迎された。
本当は、内に神が住み、あるいは、仏といつも一緒である人間が、本当は、そうでないはずがない。
もし、アダムスキーの宇宙人の話が本当であれば、進歩した他の惑星ではそうなっているのである。あの話がアダムスキーの想像であったとしても、それは、神がアダムスキーに与えたインスピレーションによるものなのだろう。
私もまた、ミリエルのようにあることが絶対に不可能だとは限らない。
つまり、一切の憎しみや嫌悪を捨て、何も心配や不安を持たないことが、必ずしも不可能とは言えないのである。
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それは、日本でいえば、江戸幕府の11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり)や、12代将軍徳川家慶(とくがわいえよし)あたりの時代で、日本では考えられない、一般庶民の鉄道や客船での旅で、そして、これはもう日本では夢にも考えられない他の国への旅だった。
しかし、いかに物質文明では日本とは比較にならないほどだったとはいえ、当時のことだ。列車や船、あるいは、ホテルの予約などはできず(ホテルも少なかったろう)、自分が行ったところ、居るところでの、出たところ勝負で、全く予測も見当もつかないことであっても、自分で何事にも対処していかねばならなかった。
アンデルセンは、作家としての成功により、国家から生涯に渡る年金を与えられていて、働く必要はなかったが、大した額の年金ではなく、また、その他の収入はほぼなかったと思われる。作品は書き続けたが、印税があった訳ではなく、作品での収入は、出版社に作品を渡した時に得られる、これも大したことのない原稿料だけだったはずだ。
また、作家としてそれなりに名が売れていたとはいえ、顔など全く知られておらず、名声が旅の便宜をもたらしたということはなかっただろう。
旅には、今では想像もできないような、見込み違い、トラブル、場合によっては盗難、窃盗の被害もあったかもしれず、それなりの年齢だったアンデルセンは、体調の悪い日もあったに違いない。
ところが、アンデルセンの自伝を読むと、旅をするようになってからのあたりを見ても、そんな旅の苦労は全く書かれておらず、旅の途中で見た風景の美しさ、イタリアの神殿で出会った盲目の貧しい少女の女神のような美しさといったことを夢のように語り、また、特筆すべきこと、例えば、グリム兄弟に会い、最初は、「君の名前は知らない」と言われ、相手にされなかったが、後に歓談できたこと等が書かれている。つまり、読者にとってどうでもいい、個人のすったもんだには触れず、有意義なこと、明るいことばかりが綴られているのだ。
アンデルセンは神の加護を信じていたはずだ。
14歳のか弱い、世間知らずの少年の時、単身、オーデンセの田舎から、大都市コペンハーゲンに出てきて、右も左も分からない中、苦難もあったが、なんとかやってこれたのは、間違いなく、神のおかげと思っていたようである。
そして、文学者として認められるようになった、円熟してきた頃には、アンデルセンの、あらゆることに対する受容性は、とても高くなっていたのだろう。
アンデルセンの自伝を読んでいると、人間というものは親切さを持っているのだと信じられる。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者ベアード.T.スポールディングは、アメリカ中を講演旅行をしていた時、どの町のどの家でもずけずけ入っていき、腰を降ろせば、そこで食事ができなかった家は一軒もなかったという。
『レ・ミゼラブル』で、ジャンバルジャンは刑務所を出たが、どこでも野良犬のように扱われ、1日中歩き続けて、寒さと空腹に疲れ、たまたまたどり着いたミリエル司教の家で、自暴自棄になって、自分が刑務所を出てきたばかりであることや、世間への恨みつらみを吐き出したが、ミリエルは平然として、召使いに、ただ、食事を1人分追加し、客人用の寝室の用意をするよう命じ、召使いも、何事もないように指示に従った。
太古の、人間にまだ徳が満ち、知恵があった時代は、ミリエルがしたようなことがごく自然なことだったに違いないと私は思う。
鍵なんてものは存在せず、家の戸口はいつも開かれ、誰でも、どの家でも自由に入れ、やって来る者は誰でも、いつでも、間違いなく歓迎された。
本当は、内に神が住み、あるいは、仏といつも一緒である人間が、本当は、そうでないはずがない。
もし、アダムスキーの宇宙人の話が本当であれば、進歩した他の惑星ではそうなっているのである。あの話がアダムスキーの想像であったとしても、それは、神がアダムスキーに与えたインスピレーションによるものなのだろう。
私もまた、ミリエルのようにあることが絶対に不可能だとは限らない。
つまり、一切の憎しみや嫌悪を捨て、何も心配や不安を持たないことが、必ずしも不可能とは言えないのである。
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