ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ストラディバリウス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

無限の力と一体化する原理

ヴァイオリンのストラディバリウスは、純粋に楽器としての価値があるので大変な金額になるのだと思う。
しかし、いかに素晴らしい楽器であっても、それに見合った腕前の演奏者が弾かなければ真価が発揮されないだろう。
また、優れた弾き手が素晴らしい演奏をしたとしても、もっと優れた演奏家が弾けば、より優れた音楽が出現するのであろう。
そして、世界最高の奏者が奏でたとしても、ストラディバリウスの秘めた力はもっと高いかもしれず、もし、さらに高度なヴァイオリニストがいれば、今は奏されることのない、もっと素晴らしい音が現れることになるのだろう。

ヴァイオリンは、まずは弓で弦を振動させるのであるが、演奏会を観賞に来た人が、「おお!弦が良い振動をしているな!」と思うのではない。つまり、弦の振動を見に来るのではない。
弦から発せられ、ヴァイオリンのボディを共鳴させる音を聴きに来るのだ。
つまり、弦の振動が、より精妙な空気の振動になったものを楽しむのである。
だが、空気の振動は、より精妙な何かの振動を引き起こす。
それは電磁波というものなのだろうが、とりあえず、電磁波の一種である光と言っておく。
音を聴く人は多くても、光を感じる人は少ない。
だが、本当に音楽の価値の分かる人は、音から発せられた光を感じているのである。
ベートーヴェンに限らず、耳が悪くなることで本物の音楽に目覚める人もいる。そんな人は、音楽の光を感じている。
ところが、光はさらに精妙な振動を発生する。とりあえず重力波とでも言っておく。
楽器の音から発せられる重力波まで感じる人は、人類全体の中でもそうはいない。
優れた楽器が発する音は、優れた空気の振動、光、そして、重力波、さらにその上の高度な波動として、宇宙の彼方に広がる。

楽器を誰かが弾くと、弾き手によって制限された光や重力波、そして、それを超えた超振動波が生まれ、宇宙を満たす。
そして、それは宇宙から帰って来る。超振動波から重力へ、そして光、音と振動を下げながら。
それは、人間や、その他の動物、植物、微生物に影響を与え、さらに、生物のみならず、無生物と思われているものにも何らかの作用を及ぼす。

だが、楽器は演奏されない時、あらゆる可能性の波を発している。
それは、弦の振動や空気の振動は起こさないが、重力波より高いエーテルの波として現に存在する。
神々や天使達はその波を感じ、共鳴し、何かの原因を創り出す。

人間というのも、楽器のようなものだし、楽器だとすれば、いかなる楽器よりも優れている。
奏でるのは心である。心の奏で方によって、様々な光を発し、それは重力波になり、さらに、エーテル波を生み、それは、宇宙の隅々に広がり、全てに影響を与える。
人間の持つ可能性は限りなく豊かであり、無限である。
思考で認識できるレベルの心が演奏を止めれば、限りない可能性の精妙な光が発せられ、それは精緻を極めたエーテル波となる。
思考を止めてしまえば、人間に分かる程度のあらゆる奇跡が起こせるのは、いわば当然なのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ストラディバリウスという幻想

パリ大学の研究者が、ヴァイオリンの至高の名器と言われるストラディバリウスについて、こんな研究発表をしたらしい。
国際コンテストに集まったバイオリニト達に、自分がどのヴァイオリンを弾いているか分からないように工夫して演奏してもらい、彼らにそれぞれのヴァイオリンの評価を聞いたところ、現代のヴァイオリンの方が、ストラディバリウスより評価が高かったという。

別に驚くほどのニュースではない。
ヴァイオリニストの多くは、自分が名器で演奏しているという高揚感によって良い演奏をする。
昔の日本の武将が、崇敬する主君の刀や弓をもらったら、気力充実して戦場で良い働きをするようなものだ。
また、国際コンテストに集まったヴァイオリニストというのも気になる。コンテストなんて、一種の受験であり、客観的でも何でもなく、審査員の偏見に合わせる必要がある。そういった調整に努力する演奏家の感覚には、現代のヴァイオリンの方が適合したのだろう。

私は、ラヴェルのボレロが好きで、よく聴くが、私が持っているCDは、演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、指揮は、あのカラヤンだ。
ところで、私はクラシックにはさっぱりこだわりが無い。そもそも分からない。だから、ベルリン・フィルでカラヤンなのだ。
もしこだわりがあれば、演奏に、演奏者達や指揮者の意識を感じるだろう。そうなれば、ベルリン・フィルでカラヤンというのは、ひょっとしたら最悪かもしれない。権威と名誉と富といった欲望が渦巻く世界だ。一瞬で気味の悪いものを感じて、聴いていられなくなるかもしれない。

ヴァイオリニストが、全財産はたいてストラディバリウスを買い、それを演奏して満足しているなら、それで良いではないか?世俗の人間が求め得る満足の中では、比較的高貴で崇高な部類に入るものだ。可能ならそんな満足が欲しい人は多いだろう。自分に同じようなことが出来ないからといってひがむこともない。
真の演奏家というものがもしあるなら、楽器にこだわらないだろう。真の演奏家とは、自分が演奏しているという意識を持たない演奏家だ。彼は、自分が演奏しているのではないことを知っており、演奏は自動的に進んでいく。
昔、ホロヴィッツという歴史的な名ピアニストが、相当な高齢になってから初来日し、全国を演奏旅行した。専門家の中には、「もう10年早く来て欲しかった」と、既に腕衰えたホロヴィッツを酷評する人もいたが、あのホロヴィッツということで満足した人もいた。もし、ホロヴィッツが、演奏家の自覚を持たずに演奏できるほど悟りを開いていたなら、生涯最高の演奏をしたに違いない。

カーテンから、1つの手だけが出ていた。手の主の姿は隠されている。
しかし、私には、その手は、あの人(アニメの美少女キャラ)のものだということが、なぜか分かった。
その手を取った時の高揚感に恍惚となる。
昔の夢の中でのことである。今は、そういった幻想を持たないので、同じことはできないが、あの瞬間の感激は覚えている。
ストラディバリウスに限らず、この世の全てはそんなものだ。
そういった全てを拭い去った時、楽器の名器、伝説の名刀、最愛の萌えキャラといったものと比較にならない至福を得る。それは、誰でも、疑いなく得られるものだ。
それが、イエスの言う内なる王国、エデン、ザナドゥ、極楽浄土、桃源郷である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード