ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

スウェーデンボルグ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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最後の最後に失敗する人達

昔、エマニュエル・スウェーデンボルグの本で読んだ覚えがあるが、聖書(特に旧約聖書のことだと思う)は象徴的に書かれているので、言葉通りに読むだけでは分からないようだ。
たとえば、「星が地に落ちた」と書かれているのを見て、「ああ、星が下方に移動したんだな」と思っては、書かれている本意が分からない。
この「星」が何を意味するのか、そして、それが地に落ちるとはどういうことかを悟らないと、書かれている意味が分からない。

これは聖書に限らず、神話や、あるいは、おとぎ話のような伝承にも言えることだと思う。
たとえば、『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり姫)』で、シンデレラはガラスの靴を残していくが、ガラスの靴には特別な意味があり、そのことが分かれば、シンデレラのお話の本意が分かるようにだ。
ちなみに、ガラスの靴はペロー童話でのことで、グリム童話では舞踏会初日は銀の靴、2日目は金の靴で、シンデレラが残したのは金の靴だ。
また、ペローやグリムより古い伝承からのものを採用した、ジャンバティスタ・バジーレによって書かれた逸話集『五日物語』の一日目のお話によれば、シンデレラの靴は木靴である。
個人的には、おとぎ話を読み解く鍵は、お姫様とは軽くて敏感だということだ。ただ、軽いと言っても、必ずしも痩せているということではない。また、敏感の意味も幅広い。
あるいは、お姫様は小さくて若い。そして、これも、必ずしも物理的な意味ではない。

このような注意を述べてから、宇宙人から聞いた、人類にかけられている暗示、あるいは、呪いを言うと、それは、
「最後の最後で失敗する」
だ。
この意味も非常に複雑で、短絡的に考えてはならない。
たとえば、大学受験に順調に準備していたのに、本番のテストで失敗するということもあるが、それは「最後の最後」とは程遠く、むしろ、第一志望に落ちた方が後でうまくいくという、大規模な調査結果が本当にあるらしい。
それで言えば、まぐれで合格する方が失敗である可能性が高いかもしれない。
また、必ずしも長いスパン(時間の幅)で考えなければならないということでもなく、その都度その都度のことにおいて、最後に何かが入り込み、それが失敗だというのが、割と正しい意味だ。
その何かが入ってこないようにすれば良いのである。
その鍵は、やはり思考を消すことで、最後までそれを続けることだ。
ものごとがうまくいっている時というのは思考が消えているのに、最後の最後に、余計な思考が入り込んで失敗する。
最後まで油断なく思考を消すことが大事である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)スウェーデンボルグの霊界日記(エマヌエル・スウェーデンボルグ)
(2)ペロー童話集(シャルル・ペロー。江口清訳)
(3)初版グリム童話集1 (吉原高志・吉原素子訳) ※恐ろしい初版
(4)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(5)この星の守り手たち(ドロレス・キャノン)

春先
AIアート1510
「春先」
Kay

真言の謎

昔、スウェーデンに、エマニュエル・スウェーデンボルグ(スウェーデンボリ。1688~1772)という万能の天才がいた。
彼は、科学技術、政治、芸術、霊界研究などと共に、聖書の解釈にも力を入れたが、聖書に関する、彼の、ある指摘が興味深い。
それは、アダムとイヴが楽園を追放された後、カインとアベルという兄弟が生まれるが、カインはアベルを殺し、アダム達のところからも追放される。
ところが、カインは、自分が他所の土地の者に殺されることを恐れた。
もし、アダムとイヴが唯一、神に作られた人間なら、他に人間がいるのはおかしなことになる。
つまり、全ての人間がアダムとイブの子孫ではないということだ。
このことを、特に、スウェーデンボルグは指摘したのである。

では、日本ではどうかというと、同じなのだ。
天皇家に関しては、一番元の先祖は、イザナギ、イザナミであり、イザナギが最後に生んだアマテラスオホミカミ(天照大神)の子孫が天皇である。
ところが、アマテラスオホミカミの弟スサノウが高天原を追放されて地上に降りた時、地上には、地上の神である国津神(くにつかみ)がいた。
ただ、国津神は、イザナギ、イザナギが生んだ、沢山の神々や、その子孫であると思われるので、いたとしても不思議はない。
ところが、『古事記』では、人間の起源が分からないのである。
ギリシャ神話では、プロメテウスが土から作ったものにゼウスが息で命を吹き込んで人間が出来たことになっていて、これが一番分かり易い。

だが、聖書でも、古事記でも、記述されていないが、神は、いろいろな場所で人間を作ったのだと思われる。
すると、我々一般人は、神の直系の子孫ではないということになる。
ただ、神の生命は込められて持っているのだ。
聖書でもギリシャ神話でも、人間の生命は、神が息とともに吹き込んだものである。
『古事記』では、そのような記述はないが、息によってかどうかはともかく、神の生命を人間に与えたことは間違いない。

仏教は、神は登場するが、神は、ただ、ずっと昔から存在している貴いものとして扱われている。
そして、人間が仏(仏陀、如来)になることが仏教の主題である。
仏、神、人間の起源ははっきり述べられていないが、やはり、最初に神がいて、神が人間を作ったのだろう。その人間には、やはり、神の生命が入っている。
その人間が、神のような存在になれば、それが仏なのであるが、いったん人間になってから神に戻った者を仏というのだと思われる。
そして、そんな、人間の経験を持つ神である仏が特別扱いされている。
神にとって、いったん、人間になること、あるいは、神の生命が人間に入って生きることに意味があるのだ。
ただ、人間に入った神は、力を大きく失うので、自由自在ではなく、苦労をする。
そこで、人間が、神の力を取り戻す手段が設定されているのである。
それが真言であるが、真言の基本は念仏なのである。
念仏とは、本来、阿弥陀如来(阿弥陀仏。阿弥陀。アミターバ)の名を唱えることだ。
そして、他の仏の名を唱えたり、阿弥陀や他の仏を讃える言葉(これが、各仏・菩薩の真言だ)にも、それに近い力があり、それらは全て真言である。
なぜ真言に力があるのかというと、簡単に言えば(簡単に言うしかないが)、真言の中に、人間が神の力を回復させるプログラムが組み込まれているからだ。
そんなわけで、念仏や、真言や、様々な仏・菩薩の名(この名自体が真言であるが)を唱えるほど、神の力を取り戻せるのである。
仏教は、人間が神の力を取り戻す直接的な方法が述べられている点が特殊で、本来、分かり易く、有り難いものである。

ところで、経緯は分からないが、般若心経の呪文という特別なものが人間に与えられている。
般若心経の呪文は、念仏のような真言とは、やや機能が異なるが、ダイレクトに神の力が発動する特殊な呪文、あるいは、真言である。
よって、これを唱えると、特に、保護の力が強く、安全である。
その呪文は、サンスクリット語では、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
で、中国語に音写されたものが、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジ、ソワカ」
であるが、どちらも威力は同じだし、正直、少々言葉が違っても調整されて、間違いなく力が発揮される仕組みはある。それは、多くの聖者や研究者が確認していることである。
人間が、神の力を取り戻す、実践可能な簡単な方法は、真言だけである。
他にも方法はあるが、有効ではあっても、効果は少ないのである。
よって、真言を大いに唱えるべきで、その中で、般若心経の呪文は、この世において直接的な効果が高いので、唱えることをお勧めする。








明るい霊界通信活用法

霊界通信という、霊能者が、あの世に行った死者と対話するというものは、どのくらい昔からあるのか想像も出来ない。
日本では、恐山(おそれざん)のイタコという女性霊媒師(長年の修行が必要なので、おばあさんばかりらしい)が昔から有名だが、アニメの『かぐや様は告らせたい?』の中で、このイタコについて、ごく普通に語られるなど、一般にも知られているのだと思う。
世界的に有名な霊界通信には、あのエマーソンが「人類の5人」に選んだほどの偉大な人物である、スウェーデンのエマニュエル・スウェーデンボルグ(1688~1772。科学者、政治家、思想家)によるものがある。

霊界通信には胡散臭いものもあるのかもしれないし、そもそも、本当にそんなものがあるとは信じない人もいるだろう。
「この霊媒師は本物だ」と言われる人だって、その人が、単に調査能力があり、話も上手い「プロの職業霊媒師」であるだけで、本当に霊界通信が出来る訳ではないのかもしれない。
まあ、今は、故人についての情報は、有名人であればネットで簡単にかなりの調査が出来るので、有名人専門であれば、昔に比べ、職業霊媒師になるためのハードルは下がっているかもしれない。
そして、霊界通信を行うことで金銭を受け取ることが、詐欺かファンタジーかは、やり方によるだろうが、微妙な場合もあるだろう。

ところで、YouTubeの人気チャンネル「『真相を霊視』してゆっくり解説」の動画をいくつか見たが、これが本物の霊界通信かどうかは私には不明ながら、これによってもたらされるものが霊界通信の効用なのだと思った。
どういうことかというと、あの世からの視点を持つことで、この世とか自分の人生を違った目で見ることが出来るということだ。
その「あの世からの視点」は、仮想的なものであっても構わない。
例えば、自分が「もし凄い貧乏だったら」「もし重度の障害者であったら」「もし既に老人であったら」と仮定することで、今の自分の状況は、それほど悪いものではないと思い直すことが出来る。
だが、「もし自分が死んだら」というのは、なかなか考え難い。
しかし、直接は知らなくても、自分が好感を持っていたスターが死後の様子を語ってくれ、その言葉に共感を覚えたら、自分も、あの世からの視点を持てるように感じるのである。
そして、 「『真相を霊視』してゆっくり解説」の良いところは、死んだスター達が皆、非常にポジティブで明るく、誰に対しても、何に対しても、全く、恨み言や否定的なことは言わず、爽やかで、そして、心打たれることを言うので、こちらも気分が良くなるし、死後の世界が楽しいものであると思うことが出来る。
また、本当に霊視しているのか、単に調査と語り方が優れているのかは分からないが、亡くなったスター達が、少なくとも、あまり不自然なことを言わないことも、すんなりと入って行きやすい要因である。
もし、これが、本物の霊視でないとしても、ファンタジーとして許容出来る範囲かもしれない(このあたりは人によっては見解が異なるかもしれないが)。
私も、霊界通信に関しては、スウェーデンボルグも含め、重厚なものや、やや軽薄なものまで沢山見たが、いくら格調高くてもスウェーデンボルグでは時代が違うので思想的に違和感があるし、現代的なものであっても、やはりかなり引っかかるところがあるものが多かった。
イタリア文学の最高傑作と言われるダンテの『神曲』は、おそらくフィクションだと思うが、これも壮大な霊界通信である。
しかし、これも、ダンテが見た霊界の人々が古過ぎることと共に、明らかに、ダンテの、そして、キリスト教の思想の影響が大きく、現代の、特に日本人が、これから人生の指針を得ることは難しいだろう。
そこにいくと、 「『真相を霊視』してゆっくり解説」は、悪影響は比較的少なく、それでいて、ポジティブに人生を客観視することで希望が持てるかもしれない。
坂井泉水さんのファンであった私にも、この坂井さんの霊界通信に不快感はなく、あくまでファンタジーとして楽しむことは出来た。
【YouTube】『ゆっくり解説』全てが謎に包まれた、"ZARD"坂井泉水最後の瞬間を、霊視して解説
他にも、竹内結子さん、尾崎豊さん、志村けんさん、西城秀樹さん、織田無道さん、その他、多くの有名人との霊界通信を行っている。








死後の世界を恐れないために

健康な子供や若い人には、死というものが理解出来ない。
私が、小学3年生の時、「死ぬとはどういうことか?」と考えた時に出した自分の回答は、「それは夢のない眠りと同じ」だった。
それであれば、日頃、経験しているので、恐くはないように思えるが、よく考えると、それがずっと続くのだとしたら、「嫌だ」を通り越して、やはり、「恐い」になる。

私が死を恐ろしいものと思うようになったのは、平凡だが、映画や小説等で、少年や少女が、病気で余命1か月などと宣告され、残りの短い命を生きる姿を見た時だった。
例えば、『クリスマス・ツリー』という映画では、事故で白血病になった10歳位の少年が、余命数ヵ月となる。
少年の父親は、息子の短い生涯を楽しいものにしてあげようと、あらゆることをする。
例えば、狼が欲しいという息子のために動物園から狼を盗み出すことすらやった。
しかし、病気のことは息子には決して教えなかった。
だが、少年は、自分の死について、敏感に感じ取っていた。
そして、少年は、クリスマスの夜、命が尽き、すっかりなついていた狼が遠吠えを上げる。

人間が、善良でいようとする動機の1つとして、善良に生きて死ねば、死後の世界で幸福になれるからというものがある。
そして、案外に多くの人が、それなりに死後の世界のことを信じていて、それが確かに、悪事を思い止まらせる理由になっている。
しかし、当然ながら、今は、死後の世界を信じていない人が多いだろう。
さらに、神も天使も信じていないとなると、法に触れない限り・・・もっと言えば、バレない限り、何をしても良いと思うかもしれない。
ところで、神や天使というのは、死後の世界である天国とセットのようなものだから、神や天使を信じていないなら、死後の世界も信じていないし、その逆も高確率で成り立つと思う。
死後の世界や、神、天使、あるいは、仏、菩薩の存在を信じさせるのは宗教である場合が圧倒的なので、無宗教というのは悪い面もあるかもしれない。

世界では、いまだ、権力者が、自分の権益のために、庶民を不幸にしたり、さらには、虐殺するようなことすら、いくらでも行われている。
アメリカでは、アメリカ国外のそんな権力者達に金をもらって、言いなりになっている政治家やマスコミが、アメリカの自由と民主主義を滅ぼそうとしているのを、トランプ大統領が食い止めるべく戦っているが、多くの人はその事実すら知らない。
巨大な悪事を働く者たちは、神も天使も、死後の世界も全く信じておらず、死ねば全て終わりと思っているはずだ。
いくらなんでも、死後の世界の役人は金で買収出来ないだろうからね。

では、死後の世界が本当に存在するのかというと、実を言うと、それなりのエビデンス(証拠)もあるが、証拠ってのは、それを見ることなく「証拠はない」と言えば、無いことになってしまうのだ。
「え?そんなことはないだろう?」と言ったって、そんなことはある。
裁判においても、勝敗を決するのは、決して証拠の明確さではなく、原告と被告の力関係・・・もっとはっきり言えば、権力の大きさである。
そんなこと、世の中をちょっと見れば解ると思う。
どれほど明確な証拠があっても、権力がある者が「その証拠は不十分だ」と言えば、そうなるのである。
同じように、いかに死後の世界の十分な証拠があると言っても、その証拠を示す者に権力がない限り、「それは十分な証拠ではない」と言われれば反論出来ないのである。

だが、それでも、死が近くなると、人間は死後の世界があることが分かってしまうのだ。
だから、権力があって、自分の利益のためにだけ生きていた者は、死はあまりに恐ろしいものになる。
今は解らなくても、あなたも、死ぬ時には、死後の世界があることが分かるのである。
だから、神や天使に見られて恥ずかしいことは、なるべくしない方が良い。
だが、どうしても、人間の弱さから、神や天使に、目をつぶってもらいたいことをしてしまうことはある。
しかし、神や天使は、決して見逃してはくれない。
だが、そんな時のために、イエスは「人を許せ。そうすれば、神もあなたを許す」と言ってくれたのだ。
我々は、イエスを信用するしかないだろう。








自らの正義を失うと起こること

私は、『スターウォーズ』シリーズの映画は、ほとんど、まともに観ていないし、blu-rayやDVDも1枚も買わなかった。
だが、「旧三部作シリーズ」と言われる、マーク・ハミルが主人公ルーク・スカイウォーカーを演じたものは、1本か2本、観ているのだと思う。
その中で、ルークの父であるアナキン・スカイウォーカーがなぜ悪の権化になったかや、ルークも悪に陥りそうになったことは興味深く思った。
新シリーズでは、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーになる過程は、「ちょっと違うな」と思ったが、いかんせん、真面目に見ていないのだから分からない。

人は、なぜ邪悪になるのだろう?
1つは欲望のためで、もう1つは恐怖のためだ。
そして、『スターウォーズ』で言うフォースという銀河を支配する強い力には、邪悪に陥る危険性が高く、その危険を回避出来る精神力がない者にフォースを授ける訳にはいかないのだろう。
フォースとは、単に「力」という意味だが、別にジェダイの騎士でなくても、誰の中にも無限の力であるフォースがある。
そして、確かに、邪悪な者がフォースを持てば危険である。
少しの間なら、その力で欲望を叶え、恐怖から免れるが、邪悪であれば、やがて自ら滅ぶのは避けられない。
悪が栄えたためしがない訳ではないが、悪が悲惨な最後を迎えなかったためしもないのである。

時々、引き寄せの法則の本で、「悪の力として使わないで欲しい」とか「この本が悪人の手に渡らないことを願う」と書かれていることがあるが、引き寄せを使う悪というのは、最初は善であったか、あるいは、悪を為しつつも、どこかに善があるのである。
キリスト教で、1割の献納(収入の1割を寄付すること)を薦めるのは、邪悪に陥り、悲惨な最後を迎えないためもあるのだ。
ただし、その1割献納は、全く純粋な寄付でなければならないのである。
そして、別に、金銭やボランティア等の寄付や奉仕ばかりが1割献納ではないだろう。
江戸時代の観相家(一種の占い師)で、独特の引き寄せの達人であった水野南北は、食での献納を薦め、それは、例えばであるが、3つ食べられるところを1つ食べないでおくだけで良いとした。
食べなかった1つは、心で神に捧げればよく、特に、神棚、仏壇に捧げる必要はない。
この「3つのうちの1つ」は例えであり、別に厳密に1/3と決まっている訳ではない。
もう少し食べたいところを我慢して食べなければ良いのだと思う。
エマニュエル・スウェーデンボルグも、天使に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と教わったそうだが、これも同じような意味と捉えて良いと思う。

私の従兄は刑事だったが、まだ駆け出しの頃、下着泥棒を逮捕した時、押収した女性用下着を見て、「まあ、気持ちは解る」と言っていた(笑)。
しかし、やりたい気持ちがあっても、自分の正義を優先して悪いことをやらない者と、欲望を抑えられずやってしまう者がいるのである。
そして、巨大な悪になる者というのは、元々は、大きな正義を持っていたものなのだ。
だから、強い引き寄せを行えたが、フォースの暗黒面に巻き込まれ、ダース・ベイダーになった訳である。

まずは、自らの正義を持たない者に引き寄せは行えない。
細かくは言わないが、そんなシステムになっていることは解るのである。
1割献納しても良いし、満腹するまで食べないことでも良いし、その他、何か自分なりの正義を持たなけれなならない。
引き寄せの手順そのものは、ちゃんとなぞっているのに、なぜかうまくいかない者には、正義の信念がないのだと思う。
それがないと、強くならないのだろう。
私も、「これだけはすまい」と強く決めていると、大抵のことは引き寄せられた。
そして、大きな存在になった時こそ、よくよく自分の正義に背いてはならない。そうでないと、大きな悲劇がある。
この度のアメリカ大統領選挙を見ていると、それらのことがはっきり解るし、もうすぐ、邪悪になった大きな力が悲惨な最後を迎えるのを見ることになるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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