ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジョージ・マイケル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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個性に関する大発見をした

個性的であれと言われたら、大抵の人は困惑するのではないかと思う。
なぜなら、皆、自分が個性的だと思っているからだ。
口では、「私は平凡な人間だ」と言っても、内心では、「俺だって、そこらにはいない特別な人間だ」と思っている。
また、昔のヒット曲の影響ではないと思うが、「自分は元々特別なオンリーワン」だと思っていることも意外と多い。
一番困るのが、「私は特別だ」という「御印」みたいなものを持っている場合だ。
たとえば、一流大学・大学院卒とか、博士号を持っているとか、プログラミングが出来るとか、柔道三段とか。
しかし、そんな人間、世の中にゴマンと居る。少しも特別ではない。
つまり、学校やテレビに洗脳された一般人というのは、個性的であるとはどういうことか知らないのである。

ところで、面白い話がある。
世界的ミュージシャンのジョージ・マイケルは「スーパースターは何か特別なものを持っているのではなく、何かが欠けている者だ」みたいなことを言っていた。
この言葉を引用した宗教人類学者の植島啓司氏は、初音ミクも同じ・・・つまり、初音ミクには何かが欠けているからスーパースターなんだと述べていた(週刊文春2012年3月22日号)。
そして、初音ミクに欠けているものは「成熟」だと言う。
それだと、単なるロリキャラということだが、少女として理想的な容姿(特にプロポーションと思う)を持ち、音程を外さずに完璧に歌い、ダンスは抜群でありながら成熟に欠けているから良いのである。

つまり、個性とは、何かを持っているというよりは、何かが欠けていることが、まず重要だ。
これは大発見だ。
だが、それだけでは駄目だ。

有名な童話作家のアンデルセンは、とても個性的な人間だったが、どこが個性的だったか?
彼も、何かが欠けていたのだ。
彼は、幼い頃から、神話やおとぎ話が大好きだった。
しかし、そんな人は、当時でも沢山いただろう。
だが、彼は何かが欠けていたのだ。
彼に欠けていたのは「男っぽさ」である。
彼は、子供の時から、ある程度の野蛮さや強引さといった、他の男の子達が持っている男っぽさに圧倒的に欠けていた。
だから、普通の男の子は、10歳にもなれば工場で働くが、アンデルセンは、野蛮な男の子達に馴染めず、一緒に工場で働けなかったし、当時は、どこかの親方に弟子入りして職人になるしか庶民が生きる道がなかったが、それにはやっぱり、男っぽさがないと駄目で、アンデルセンは、自分がそれをやることを考えると、心底ぞっとした。
アンデルセンは、17歳くらいになっても、趣味は人形の洋服を縫うことであった・・・と言えば、彼が男っぽさに欠けていることを納得いただけると思う。
ただし、彼が、その欠けているものを個性にするには、知識を得、表現力を磨くことが必要であり、そのために大変な苦労をした。
彼の学生生活は苦痛なことだらけだった。
だが、彼は、ラテン語学校や大学をやめることはなく、また、不思議な援助でそれを続けることが出来た。
個性を磨くことをしたから幸運にも恵まれたのだ。
そして、報われた。
彼は、すぐにヨーロッパ中でヒットした作品から富を得ることはなかったが(当時は著作権法などなかった)、実績に対し、国王から年金が支給され(大した額ではなかったが)、一生働く必要がなく、作品から収入は得られなくても、知名度があったことで、優れた人物達との交流が出来た。

ジョージ・マイケルは「スーパースターは特別な何かを持っているのではなく、むしろ、何かが欠けている」と言ったが、欠けているだけでは駄目で、欠けているものを補う何かを磨き、そこを美点に変えないといけないのだ。
彼は、そこまで言ってくれなかったし、植島啓司氏も、気付かなかったのか、書いていなかった。
言うまでもなく、ジョージ・マイケルは音楽の実力を磨いたし、初音ミクは美点だらけだ。

個性が欲しかったら(ないと引き寄せは出来ない)、自分に欠けているものに気付くことだ。
ジョージ・マイケルのようなスーパースターでなくても、誰にでも欠けているものはある。
そして、それを補う何かを磨くのである。
例えば、どうしても仕事が続かないとしたら、それは大いに欠けていることであるから喜んで良い。
しかし、その欠点を生かすために、何かをしなくてはならない。そうすれば、天も味方してくれるだろう。
岡本太郎も、三島由紀夫も、おそろしく欠けていたはずだ。
彼らが、それを補うために何かをしたことは確実である。でなければ、ただの変人で終わっていた。








これであなたも天才だ

何度も何度も引用したが、植島啓司氏のサイトで見た『幼児化するヒト』の引用である、ポップスターのジョージ・マイケルの言葉が、いよいよ明晰になってきた。
その言葉とは、
「スーパースターをつくる何か特別なものがあるわけじゃない。むしろ、何かが失われているんだ」
である。
その「失われているもの」が分かれば、ミュージシャンを目指して東京に行き、30歳くらいで諦めて戻ってきても、やり直しが効かず、人生を棒に振るなんてことはなくなる。
ミュージシャンは天才の仕事であり、天才でもないのに、そんなことをするものじゃない。

スーパースターというか、天才というものは、別に、大したものじゃない。
ジョージ・マイケルが言う通り、誰もが持っているものを持っていないだけなのだ。
それは何かと言うと、「キョロキョロすると気持ち良くなる機能」だ。
誰だって、集中して仕事や勉強をしなければならない時ほど、別のことに気を取られたり、関係ないことをやりたくなる。しかも、やりたくなるのは、大抵、つまらないことだ。
それを「集中力がない」と言うのだが、それが当たり前なのだ。
ほとんどの人が、すぐにスマホを見たくなるのも、そのせいだ。
これは、狩猟時代、自分の獲物のうさぎに集中して、自分が虎の獲物になることを避けるため、うさぎに集中せず、キョロキョロ周囲を見るようになった時に脳に組み込まれた機能だ。
もっと正確に、どんな機能かというと、キョロキョロすると、脳内に快感物質が出て、気持ち良くなる機能だ。
だから、我々は、集中をしないと気持ちが良いのであり、集中して歩かないといけないのに、歩きながらスマホを見ると気持ち良いのだ。
キョロキョロすると、脳内に快感物質が出るDNAが出来てしまっているのだから、それは避けられない。

そして、スーパースターというか、天才は、「キョロキョロすると脳内に快感物質が出るDNA」が壊れているのだ。
だから、限りなく集中してしまう。
天才はスマホなんか全然見ない。
天才は、集中に努力を要さず、逆に、努力しないとキョロキョロ出来ないのだ。
天才技術者の二コラ・テスラは、学生時代、1日13時間勉強したというが、別に頑張ったわけではなく、集中したら止められないだけだったのだ。

さて、あなたは、「キョロキョロしたら脳内に快感物質が出るDNA」は壊れておらず、すぐによそ事を考え、どうでもいいことをしたがり、スマホをすぐに見る人・・・つまり、天才ではないことが分かるだろう。
腕振り運動を、自分で数を数えながら2000回、すんなりやれるなら天才だ。
関英男博士は、それを簡単に出来たのだ。
集中を深めれば、超能力めいたものも出てくる。
だから、関博士は超能力研究に転身したのだ。
粘り強く、腕振り運動を、自分で数を数えながらやれば、「キョロキョロしたら脳内に快感物質が出るDNA」を、壊しはしないが、抑制出来るようになる。
その易しい方法が、7つのチャクラを1つずつ意識しながら、100ずつカウントすることだ。
7つのチャクラは、ヨハネ黙示録では7つの教会と書かれ、トルストイは「7つの星」の童話を書き、人類の天才エマーソンは「私は7つの星の所有者」と宣言した。
さあ、これであなたも天才である。








困難があった方が絶対良い

私が好きな宗教人類学者の植島啓司氏のWebサイト「宗教学講義 Cours des Religions」の中の、
2012 週刊文春 3/22号:「世界の全ての記憶」 植島啓司 14
は、植島氏が、初音ミクさんのことと共に、非常に重要なことを語っている。
植島氏も引用しているクライブ・ブロムホール著の『幼児化するヒト』を再引用すると、

 ゲイであることを公表しているポップスターのジョージ・マイケルは、自分の持つ特殊な才能について聞かれたときに、こう答えた。「君にはわからないよ。スーパースターをつくる何か特別なものがあるわけじゃない。むしろ、何かが失われているんだ。」(クライブ・ブロムホール『幼児化するヒト』)

というが、ジョージ・マイケルのようなスーパースターに限らず、天才というものは、「何かが欠けている」、つまり、「普通の人が持っているものを持っていない」人間であるということは、よく言われる。
私がぼんやり覚えている例で言えば、こんなものがある。
ある7歳の少女が、レオナルド・ダ・ヴィンチを思わせるような精密な馬のデッサン・・・筋肉や骨格も正確に描くという天才的な絵の才能を示した。
けれども、彼女は言語中枢の発達が遅れており、同じ歳の他の子供に比べ、話す能力はかなり劣っていたようだ。
ところが、やがて、彼女の言語中枢が発達し、うまく話すことが出来るようになったら、素晴らしい絵を描く能力がなくなってしまった。
つまり、会話能力が欠けていることで、その補償であるかのように、絵画能力が異常発達したと考えられるのである。

アメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』で、主人公で10歳くらいの少女ローラが、同じ歳くらいの、生まれつき脚に障害のある少女オルガと仲良くなったが、オルガがその脚の障害のために辛い思いをするのに同情し、ローラも悲しく思っていた。
すると、ローラの父親のチャールズは、
「何かに欠けている人は、その分、別のことで優れているところがあるものだ」
と言ってローラを慰めるが、それはただの慰めではなく、真実である場合も多いということだろう。

ただ、1つ注意すべきは、欠陥、即、能力ではなく、ジョージ・マイケルが言ったことから推測されるのは、「何かが失われていることが、スーパースターをつくる」ということだ。
つまり、欠陥があることによって、それを補うために、別の能力が発達してくるということだ。

そして、これは、身体的障害だけではなく、貧困であるとか、容姿が醜いとか、その他のことで恵まれないといった外部の問題も含むのだ。
そういえば、TEDでも「不都合がある方が、良い成果を出せる可能性がある」というテーマで講演した人もいた。
その講演で話されていたが、ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが、「不眠と疲労」「腰痛」「壊れた小さ過ぎるピアノ」といった最悪の条件の中で即興のソロ演奏をした『ザ・ケルン・コンサート』が、400万枚以上のセールスを記録し、「最も売れたジャズのソロ・アルバム、最も売れたピアノ・ソロ・アルバム」と言われている。

だから、天才になりたければ、あるいは、超人的な成果を上げたければ、不利な条件を喜ぶことだ。
「苦難よ来たれ」と宣言し、条件が良過ぎれば、むしろ引く位の心構えがあっても良いかもしれない。

ちなみに、上の植島啓司氏の記事で、初音ミクさんに欠けているものは「成熟」であると、植島氏は指摘しておられた。
これも、なかなか深い洞察であると思う。
ところで、上に出て来た、クライブ・ブロムホールの『幼児化するヒト』によれば、「ロリコン」「負け犬」「同性愛」は、必然だったということになるかもしれない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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