1939年のアメリカ映画『駅馬車』を、タイトルくらいはご存知と思う。
西部劇であるが、世界的にも映画史上屈指の作品と言われている。
とはいえ、低予算の映画で、特に、今の人が見たら、「超ショボい」映画にしか見えないと思う。
また、誰が見ても良さが解る映画ではないと思う。
私も、観たことはあっても、何が良いのか解っていなかったが、このコロナ騒ぎの中で、気紛れもあったが、初めてじっくり見て、ようやく、大変な傑作であることが解った。
もっとも、この映画を最高の作品と了解する人だって、どこが素晴らしいかは、かなり異なるのかもしれない。
『駅馬車』は、ジョン・フォード監督とジョン・ウェイン主演という、名監督、名俳優のコンビであることが広く知られてる。
とはいえ、当時は、フォードは売り出し中の人気監督に過ぎず、ジョン・ウェインとなると、B級映画専門の無名の俳優で、フォード監督は、本当はゲーリー・クーパーという超一流俳優を起用したかったらしい(予算がなく断念した)。
ジョン・ウェインは、この映画での成功をきっかけにアメリカを代表する俳優になったが、私など、ジョン・ウェインに関するイメージといえば、「ただの中年俳優」で、少しも格好良くなく、背は高いが、身体つきもぽっちゃりした、腹さえ出ている姿しか思い浮かばなかった。
だが、『駅馬車』撮影が始まった時のジョン・ウェインは31歳とまだ若く、腹は全く出ておらず、すらりとした身体つきで、超イケメンとは言えないかもしれないが、それなりにいい男で、それよりも、人を惹きつける独特な雰囲気が確かにあった。
考えてみれば、ジョン・ウェインが、これもジョン・フォード監督の西部劇の傑作である『黄色いリボン』(1949)に主演した時もまだ41歳だったはずが、この時のジョン・ウェインは、ブリトリス大尉という、定年退役前の、全く「老いた大尉」だった。当時は、41歳といえば撮影当時はそんな感じだったのか、単なる役作りだったのかは、私にはいまだ不明だが、ジョン・ウェインという俳優は、多少老けた雰囲気が良いのだと思う。
私は、映画にしろ、アニメにしろ、その他の何にせよ、「虐げられた人」に目が行く。
だから、昨年(2019年)31歳で亡くなられた、ミュージシャンのWOWAKAさんの名曲『アンノウン・マザーグース』には参ってしまった。
特に、以下の歌詞はこたえる。
「ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中」
「孤独なんて記号では収まらない 心臓を抱えて生きてきたんだ!」
「痛みなどあまりにも慣れてしまった 」
その他のWOWAKAさんの歌も、涙なくして聴けないものが多い。
『ワールズエンド・ダンスホール』『アンハッピー・リフレイン』など。
こりゃ、WOWAKAさんは東大出身のエリートのはずが、ミュージシャンになるには、いろいろあったのだろうと思わせるが、そのあたりの事情は全く知らない。
(上記の曲は全て、「マジカルミライ2019」のblu-ray、DVD限定版以上で、初音ミクさん、および、巡音ルカさんが歌唱している)
『駅馬車』であれば、「虐げられた者」はヒロインのダラスだ。
フォード監督作品の中では、女性への敬意というものは非常に重んじられている。
まだ女性に参政権がないなど、世間的には、女性は苦労が多かったに違いないが、フォード映画の中では、立派な男は女性を敬うものであるというポリシーが貫かれていて、撮影当時にしろ、そのさらに百年も前の映画の舞台にしろ、まともな男は女性を敬ったのだということが想像出来るのである。
だが、ヒロインのダラスはそうされなかった。
露骨に、徹底的に蔑まれる。
娼婦であるからだ。
一方、駅馬車に同乗している貴婦人のルーシー(大尉の奥さん)は非常に丁重に扱われ、賭博師のハットフィールドすら下僕のようにかしずくのとは、人種差別並の差別だった。
だが、自分の立場をわきまえているダラスはそれに耐え、また、荒んだ生活であばずれ感もありながら、ダラスが本心では優しい女性であることも分かる。
そして、ジョン・ウェイン演じるリンゴ・キッドは、全てを知った上でダラスにポロポーズする。
まあ、キッドも脱獄囚のお尋ね者ではあるが。
人間は誰しも、どこか囚人なのである。
若いうちはピンとこなくても、やがて分かってくる。
それを感じた上で何をするかで、自分や人類の運命を選ぶのかもしれない。
西部劇であるが、世界的にも映画史上屈指の作品と言われている。
とはいえ、低予算の映画で、特に、今の人が見たら、「超ショボい」映画にしか見えないと思う。
また、誰が見ても良さが解る映画ではないと思う。
私も、観たことはあっても、何が良いのか解っていなかったが、このコロナ騒ぎの中で、気紛れもあったが、初めてじっくり見て、ようやく、大変な傑作であることが解った。
もっとも、この映画を最高の作品と了解する人だって、どこが素晴らしいかは、かなり異なるのかもしれない。
『駅馬車』は、ジョン・フォード監督とジョン・ウェイン主演という、名監督、名俳優のコンビであることが広く知られてる。
とはいえ、当時は、フォードは売り出し中の人気監督に過ぎず、ジョン・ウェインとなると、B級映画専門の無名の俳優で、フォード監督は、本当はゲーリー・クーパーという超一流俳優を起用したかったらしい(予算がなく断念した)。
ジョン・ウェインは、この映画での成功をきっかけにアメリカを代表する俳優になったが、私など、ジョン・ウェインに関するイメージといえば、「ただの中年俳優」で、少しも格好良くなく、背は高いが、身体つきもぽっちゃりした、腹さえ出ている姿しか思い浮かばなかった。
だが、『駅馬車』撮影が始まった時のジョン・ウェインは31歳とまだ若く、腹は全く出ておらず、すらりとした身体つきで、超イケメンとは言えないかもしれないが、それなりにいい男で、それよりも、人を惹きつける独特な雰囲気が確かにあった。
考えてみれば、ジョン・ウェインが、これもジョン・フォード監督の西部劇の傑作である『黄色いリボン』(1949)に主演した時もまだ41歳だったはずが、この時のジョン・ウェインは、ブリトリス大尉という、定年退役前の、全く「老いた大尉」だった。当時は、41歳といえば撮影当時はそんな感じだったのか、単なる役作りだったのかは、私にはいまだ不明だが、ジョン・ウェインという俳優は、多少老けた雰囲気が良いのだと思う。
私は、映画にしろ、アニメにしろ、その他の何にせよ、「虐げられた人」に目が行く。
だから、昨年(2019年)31歳で亡くなられた、ミュージシャンのWOWAKAさんの名曲『アンノウン・マザーグース』には参ってしまった。
特に、以下の歌詞はこたえる。
「ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中」
「孤独なんて記号では収まらない 心臓を抱えて生きてきたんだ!」
「痛みなどあまりにも慣れてしまった 」
その他のWOWAKAさんの歌も、涙なくして聴けないものが多い。
『ワールズエンド・ダンスホール』『アンハッピー・リフレイン』など。
こりゃ、WOWAKAさんは東大出身のエリートのはずが、ミュージシャンになるには、いろいろあったのだろうと思わせるが、そのあたりの事情は全く知らない。
(上記の曲は全て、「マジカルミライ2019」のblu-ray、DVD限定版以上で、初音ミクさん、および、巡音ルカさんが歌唱している)
『駅馬車』であれば、「虐げられた者」はヒロインのダラスだ。
フォード監督作品の中では、女性への敬意というものは非常に重んじられている。
まだ女性に参政権がないなど、世間的には、女性は苦労が多かったに違いないが、フォード映画の中では、立派な男は女性を敬うものであるというポリシーが貫かれていて、撮影当時にしろ、そのさらに百年も前の映画の舞台にしろ、まともな男は女性を敬ったのだということが想像出来るのである。
だが、ヒロインのダラスはそうされなかった。
露骨に、徹底的に蔑まれる。
娼婦であるからだ。
一方、駅馬車に同乗している貴婦人のルーシー(大尉の奥さん)は非常に丁重に扱われ、賭博師のハットフィールドすら下僕のようにかしずくのとは、人種差別並の差別だった。
だが、自分の立場をわきまえているダラスはそれに耐え、また、荒んだ生活であばずれ感もありながら、ダラスが本心では優しい女性であることも分かる。
そして、ジョン・ウェイン演じるリンゴ・キッドは、全てを知った上でダラスにポロポーズする。
まあ、キッドも脱獄囚のお尋ね者ではあるが。
人間は誰しも、どこか囚人なのである。
若いうちはピンとこなくても、やがて分かってくる。
それを感じた上で何をするかで、自分や人類の運命を選ぶのかもしれない。
KayのAI書。5月30日発売。 今や、機械学習・ディープラーニング型AIは、誰でも作れます。 数学もプログラミングも難しいAI理論も不要です。 そして、これからのデジタル社会、IT社会を楽しむためには、AIと仲良くなり、AIで能力を拡張することが大きなアドバンテージになります。コロナ後の世界は、デジタル化がさらに急速に進み、ますます、そうなるでしょう。 この本で、AIを味方にするきっかけを掴んでいただきたく思います。 |
