ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジョセフ・マーフィー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

氣(気)が出る言葉

昨日書いた、シンプルな引き寄せ法である、ジョセフ・マーフィーの「心の会話法」は、うまくいく時といかない時がある。
「心の会話法」とは、願望が既に実現しているように心で言うことだ。
たとえば、
「私は美しい家を持っています。それはすばらしい家です。私は世界中を旅行して回っています」
といった感じで、これはマーフィーの本に載っていたものだが、こういうのは叶い易い。
では、こんなのはどうだろう?
「私は不労所得が月に百万円あります」
こんなことを言うと、エゴが、
「そんなことあるわけがない」
「それは善くないことだ」
といった感じで反発してくる場合が多い。
それを、エゴが屈服して黙るまで粘り強く唱えるとうまくいくが、時間も精神力も使うし、結局失敗する場合が多い。
合氣道家の藤平光一氏式に言えば、このような言葉は「氣が出ない」のである。
一般的には、「氣」は「気」と同じである(藤平氏は承服しないだろうが)。
氣(気)さえ出れば、願わなくてもうまくいく。
たとえば、藤平氏の本によれば、算数が大嫌いな小学生の男の子に、藤平氏は、
「勉強しなくていいから、1日1回、算数の教科書を開き、『算数が好きだ』と言いなさい」
と指示した。
男の子がそれを行ったら、やがて、算数で一番になった。
これを、ジョセフ・マーフィー式に、
「僕は算数が一番です」
とか言うと、子供とはいえ、エゴが「そんなはずないだろ」と反発し、うまくいかない。
つまり、それでは氣(気)が出ないのだ。
しかし、「好き」という言葉を言えば氣が出るので、望まなくてもうまくいくのである。
だが、お金に対する感覚は微妙なものである。
「お金が好きだ」
で気が出る人がいれば、お金に対するイメージが悪くて気が出ない人もいる。
流行のアファーメーションである、
「なぜか分からないが、お金がどんどん入ってくる」
も、真面目な人は抵抗を感じて、やはり気が出ないので、お金が入ってこない。
政木和三さんに直接聞いたが(本には書かれていない)、政木さんは、
「私はお金なんてちっとも欲しくないんです。でも入ってくるものは仕方がないんです。おかげで1憶円も納税することになってしまいました」
と言われていたが、これは気を出し易い言い方だ。
欲望が強いと気が出ないという面があるので、欲望をいったん捨てることで気を出す方法である。
これも政木さんに聞いたが、
「私は女なんてちっとも欲しくないんです。でも私に身をまかせる女が百人いると思ってるからそうなっちゃうんです」
というように、欲望をいったん捨てる・・・つまり、エゴの反発を起こさせないうまい言い方をするのである。
尚、これらがなぜ本に書かれていないのかというと、多分、政木さんは私用にアファーメーションを作ってくれたのだろう。
しかし、これでうまくいく人も多いと思うので、ピンときたら利用して欲しい。

まあ、お金や恋愛に関し、一番気が出る言葉は、
「お金がある」
「もてるからね」
といったシンプルな言葉で、こんな欲望に関わることで、事細かなことを唱えると、やはり、欲望に飲まれて気が出ないものである。
それに、確かに、金がない者、もてない者は、いつも心の中で、「金がない」「もてない」と言っているものである。
尚、もてる秘法は、理想的な自分を思い描き、まるで他人事のように「こいつはもてるからね」と言うことである。
身長が160cmもないのに、いつも違う可愛い女の子を連れている男がいたが、この男の口ぐせが「もてるんだなあ」であった。これでも良いだろう。気が出そうな言葉である。
要は、自分が気が出る言葉を見つければ良いのである。








シンプルで懐かしい引き寄せ法

私の昔からの愛読書であるジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』。原題は『コズミック・エナージャイザー』)に、マーフィーが銀行の窓口係の若い男性に教えた実にシンプルな引き寄せのテクニックが書かれている。
高度な引き寄せ法に食傷気味の私にはかえって新鮮だった。
それは「心の会話法」で、彼は、願望を次のような言葉にし、いつでも心の中で唱えるようにした。
「私は美しい家を持っています。それはすばらしい家です。私は世界中を旅行してまわっています。私は美しいキャデラックの新車を持っています。私はラトガース大学で経済学を勉強しています」
彼は、これら全てを実現し、彼が勤めていた銀行の頭取より、はるかに多くの収入を得るようになる。
もちろん、最初は、エゴがイチャモンをつけてくるだろうが、数多く、この言葉を繰り返すことで、エゴを屈服させるのだと思う。
これは、どちらかというと、若くて健康的な人に向く。
何と言っても、若い希望というのは素晴らしいもので、力があり、容易にエゴに打ち勝てるからだ。
「人生、こんなもん」「世の中、こんなもん」という考えが心の中に強く巣食ってしまった中年以降の人の場合、成果が出るのに時間がかかるし、希望をあまり持っていない分、続けるエネルギーが湧かないかもしれない。
それに、そんな人は、自分が何が欲しいのか分からない・・・と言うか、思いもしないのだ。
そして、今は、若い人でさえ、そんな傾向が強いと思われる。
そこで誰かが、「お金がある」という単純な言葉を使えば成果が出易いことを発見したようだ。

上の心の対話法に似ているが、当たり前の言葉を敢えて言うことで、藤平光一氏が言うところの「氣を出す」、つまるところ、「生命エネルギーを湧かせる」という方法がある。
生命エネルギーが高ければ、望まなくても幸運に恵まれる。
これも、藤平光一式としては、「重みは下にある」という言葉がある。
ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る」が最上とし、私は「生きている」が最も優れていると思う。
しかし、結局は自分が気に入った言葉が最高である。
イエスは「神に出来ないことはない」と言った。
信仰がある者の特権である強力な言葉だ。
だが、一般的には、こう言い換えれば良く、これが私のお気に入りの言葉だ。
「万能の潜在意識が私の味方である」
「万能の潜在意識」のところは、もちろん「神」とか「宇宙の意識」「宇宙の心」でも良いし、上に挙げたマーフィーの『あなたも幸せになれる』の原題である『コズミック・エナージャイザー』の桑名一央氏の訳語である「宇宙の活力」でも良い。
私も、「宇宙の活力」という言い方が好きで、よく、
「宇宙の活力が私の味方である」
「万能の宇宙の活力が私の味方である」
と唱えている。
まあ、気が付いた時、たまに心で唱える程度だが、こういった言葉は、忘れないことが肝心なので、忘れないように唱えるのである。
それと同じことで言えば、ニサルガダッタ・マハラジは、「私は至高の実在だ」という師から教わった言葉を忘れなかっただけで悟りを開いたと言う。








どんな愚か者でも救う方法

釈迦(仏陀)やイエス(キリスト)は、最も愚かな人間はどうすれば良いと言ったのだろうか?
「最も愚か」とは、能力が低かったり、根気がなかったり、性格が悪いヤツ・・・みたいなことである。
イエスが、人々にやれと言ったのは、つまるところ、モーセの十戒を守れということである。
ただ、「十戒のうち、一番大事なものは」と聞かれた時、「神を愛せよ」だと即答している。
これなら、難しくないと思えるので、愚か者は、とにかく神を愛すれば良いのだということになる。

釈迦の場合はどうかというと、釈迦の教えを純粋に示していると思われる『法句経』は、つまるところ、自己に打ち勝て・・・つまり、エゴに従うなということだろうが、これは非常に困難だ。
そこで、『華厳経』『法華経』『浄土三部経』の中の、誰でも出来そうなことを探せば、仏の名を唱えるという念仏ということになると思う。
ただ、日本人が念仏と言われてすぐに思い浮かぶ「南無阿弥陀仏」だけではなく、「南無観世音菩薩」や、仏の名だけである「阿弥陀仏」や「観世音菩薩」、あるいは、その他の仏の名を唱えても良いのだと思う。

これらから考え、釈迦にしろ、イエスにしろ、「これだけは」という教えとなると、やはり、「神や仏を信じろ」ということになるのだと思う。
アメリカ合衆国の公式標語「イン・ゴッド・ウィ・トラスト(我々は神を信頼する)」も、そんなところからきているのだと思う。
そして、神を信じる、神を愛する最も簡単な方法が、その名を呼ぶことである。
ただ、キリスト教やユダヤ教では、神の名がよく分らない。
それでいながら、詩編を見ると、神の名は書かれていないが、神の名の重要性が書かれていたりして、どうも難しい。

ただ、今日において、我々は、神を昔の人のように考えることは難しい場合もあろう。
一神教と多神教の違いに関しては、多神教であっても、好きな神を選ぶことで、神の名を呼ぶことが出来るが、現代の我々の神の概念は多様化しており、その名を呼ぶ(あるいは唱える)意味も明晰ではない。

ラマナ・マハルシが、生涯、ただ1冊、大切にしていた本(本と言うより小冊子だが)である『聖なる名前の哲学』では、神の本当の名は「私」であると書かれていると思われる(微妙な書き方なのだが)。
実際、マハルシ自身、無知な人間に、「いつも『私』と唱えよ」と教えたことがあるようだ。

また、信用して良いかどうか意見もあろうが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』という書の中で、イエスが、唱えよ・・・というのではないが、使えと言い、「他の教えは不要」とまで言ったのが、「神」という言葉を使うことである。

サイ・ババは、ナーマスマラナという「どれでも良いから神の名を唱える」ことが誰にでも可能な唯一の行であると述べたらしい。

結局のところ、何らかの「神の名」を唱えることが最終最後の手であることは、おぼろげながら分かるが、そこはやはり宗教観が関係して複雑で微妙だ。
ただし、科学ということから考えても、神のようなものの存在を前提としなければ、世界が成り立たないことは確実である。
神の存在を前提にしなければ、全ては偶然に出来たことになるが(人間が作ったものなど、全宇宙からすれば無いに等しい)、それはあり得ないことであることは、科学的にも断言出来ると言って良いだろう。

ジョセフ・マーフィーは『THE COSMIKU ENERGIZER(コズミック・エナージャイザー)』で、マーフィーが無限の力のことを、この本のタイトルである「コズミック・エナージャイザー」と呼び、桑名一央氏は、これを「宇宙の活力」と訳した。
(この本の翻訳は、『あなたも幸せになれる』で、文庫版では『努力嫌いの成功法』になっている)
宇宙の活力は、万能の潜在意識そのものと思っても良いが、マーフィーは、潜在意識の中の力であると言う。だが、これはどちらでも良いと思う。
また、その名も、「宇宙の活力」でも「宇宙の意思」でも良い。
何かとてつもない力が存在することは、どう考えようが確実である。
そして、その力は、自分の味方であると考える限り、そうなのである。
それは、はっきりとは説明出来ないが、生命活動という奇跡的な働きは、宇宙の活力なくしてあり得ず、生きているということで、宇宙の活力が味方してくれていると感じるのである。
よって、最終的にはこうである。
宗教的に信じられるなら、神の名や「神」という言葉を思ったり、口にすれば良い。
あるいは、マハルシが本当の神の名であるという「私」と唱えても良い。
現代人に向くのは、無限の力のことを宇宙の活力とでも、宇宙の意思とでも、あるいは、自分の好きな言葉で呼べば良いが、それが存在することを、その名と共に覚えておくのである。
だが、全ては偶然だという無神論者を救う方法はない。しかし、本来、そんな人間はいないと思う。

暗い青春だった人が明るく生きるには

予備校に通う夢を見た。
予備校に在籍している設定で、自分でもそう思い込んでいた。
予備校では、ウェブサイトや、予備校の壁や、チラシに、講座の紹介が書かれていて(例えば、「東大理系数学ハイレベル講座。講師:〇〇先生」みたいに)、現代でも、申し込み書を予備校の窓口で渡すことが多いのだと思うが、ウェブで出来ることも多いと思う。
で、私は(夢の中で)ある大きな予備校に行くと、顔見知りの受験生(実は初めて会うのだが、知っているような気がした)がいて、言葉を交わす。
私は、もう半年、ここに来ていないことに気付いた(捏造の記憶)。
リアル世界でもそうだったが、一応は進学校の高校生だったが、受験に全く興味がなかった・・・いや、受験を嫌悪していた。
私は、顔見知りの受験生(本当は初めて見る)に、「講座は申し込んでいるのか?」と尋ねると、彼は「当たり前だ」と言い、講座の教室に向かう集団の中に飲まれていった。
どうも、私も、半年以上前に申し込んだ講座が継続しているはずだが(これも捏造の記憶)、今行っても、授業が分かるはずもないので、予備校から出たかったが、あちこちで教員が立ってにらみをきかせている。
そして、実際、予備校の外に出ようとしている生徒を捕まえ、「どこに行く気だ?」と問い詰めている。
こりゃ駄目だと思ったが、とにかく、ここに居ても仕方ないので、予備校から出ようとしたら、なぜか簡単に出られた。
しかし、出られたところで、行くところもなく、この寒いのに、外でうろうろ歩くしかない。
実は、私は今でもそうで、時間つぶしが下手・・・というか、全くできない。
「スターバックスにでも行けばいいだろ?」と言われても、スタバがどこにあるか、さらに、どれがスタバかも分からない。
それに、スタバの利用の仕方も分からない。
人に連れられて喫茶店に入ることはあるが、利用の仕方を全く憶えられない。これはリアルでもだ。
私には、喫茶店は非常に敷居の高い場所で、出来れば一生入りたくない(笑)。

夢とはいえ、私の実人生そのものだ。
なんと暗い青春を送って来たのだろう(笑)。
これでは、変な人間になるのは当たり前だ(笑)。
ネットで人気者の成田悠輔氏(経済学者。イエール大助教授)は、学校に全く適応出来なかったが、試験などはゲーム感覚でクリアすればいいだけなので都合が良かった・・・ようなことを言っていたと思うが、そんなことが出来るのは、極端にIQが高いやつである。
私は頭がお馬鹿な上、試験をゲーム化するにも、ゲームが好きでないし、学校の試験はあらゆる意味で嫌悪していたのだから、うまくいくはずがない。

これじゃ、私は、落ちこぼれどころか、社会の最下層に一直線のはずだったが(そうなりかけたが)、まあ、なんとかうまいことやっているのは、19歳の時に、ジョセフ・マーフィーの本に出会ったからで、潜在意識の力を最低限でも、意図的に使えたからである。
それと、やはり、何か特技を持とうと意図していたことが良かった。
例えば、プロレスラーになろうと(笑)、腕立て伏せやスクワットをやったり、次が占いで、いろんな占いを熱心に勉強したものだ。
その次は、霊界や霊能力で、かなり熱心だったが、職業にならなかった。
それで、転職を繰り返していた中で、ある零細だが技術系の会社で、私は事務員だったが(仕事は全然しなかった)、前の席の技術課長に、「君、これからはプログラミングだよ。プログラミングをやりなさい」と言われ、何となく始めたのがきっかけでプログラマーになった。
とはいえ、世間一般で言うプログラマーとは全然違い、普通の仕事を朝から晩までやるなんてことはなく、ほとんど働かなかったが、私には、マーフィー法則(今で言う引き寄せと同じ)があるので、良い想いばかりしていた。
今は、佐川幸義流四股とAIと協力するイラスト制作にハマっているが(笑)。

それで思うが、やはり、特技は必要である。
その特技は、世間で言われる特技である必要はない。
私の占いや、霊能力は、職業にならなかったとはいえ、個性は作ったし、それは生きるために非常に役に立つことだった。
それ以前にも、ナイフ投げ(我流)、空手(我流)、プロレス(我流)、秘法格闘技(我流)など、いろいろやったが、どんなことでも、自主的に、つまり、人に言われてやったことでないことは、どれも有益であった。
現代人は、人に言われてやることばかりだが、自主的にやることが大事で、自主的でありさえすれば、何でも良いのである。
ゲーテは、「最低の事でも、何もしないよりはずっと良い」と言ったが、それは、あくまで自主的にやることであるはずだ。ゲーテは肝心なことを言い忘れたのだ。
イタリア映画『愛のほほえみ』で、8歳の可愛い少女オルガは、「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」と言ったが、素晴らしい心構えだ。きっといい女になる(笑)。
もちろん、これは、彼女がやりたいことを、周囲から、「やってはいけない」と言われた経験から、そうなったのだと思うが、凡人がやるなということはやるべきことに決まっている。まあ、そのくらいの気構えで良いのだと思う。
















世界に虚無が迫る

現在、世界に危機が迫っているという話があり、その内容が、強力な影の支配者が登場するものである場合は「陰謀論」と呼ばれる。
ただ、大昔から(少なくともキリストの時代には)世界に危機はあるし、強力な影の支配者も存在する。
確かに、現在の陰謀論には怪しいものが多いのだが、それも、世界の危機を感じてのものであることは、少しは認めても良いかもしれない。
ただ、頭の悪い者が、おかしな陰謀論を唱えるから迷惑なのだが。

直接、陰謀論と言うのではないが、ミヒャエル・エンデの世界的ベストセラー『はてしない物語』(1979)の映画化作品である『ネバーエンディング・ストーリー』を見たことがあるが、あの中で、世界の危機について、かなり適切に語っていた。
(ちなみに、エンデは、『はてしない物語』の翻訳者である佐藤真理子氏と結婚している)
世界の危機とは、世界が「虚無」に飲み込まれることだ。
しかし、映画の中で、虚無の正体は語られていなかった。おそらく、原作の方もそうだと思う(一応、児童小説なので)。
しかし、私は、ジョセフ・マーフィーの『あなたは不安なく生きられる』(1959)を読んで、ピンときた。
虚無とは、世間の教義・信念に染まった大衆の集合意識だ。
簡単に言えば、虚無とは、世俗意識の集合体で、確かに、それに飲み込まれて、人類は滅びそうになっているのである。
世俗意識とは、個性を持たない人間の意識の総体である。
テレビや新聞を毎日見ている者の意識の集合体と言えば、大体当たっている。
だが、私やあなたも、確固とした個性を持たなければ(たとえテレビを見なくても)、そんな虚無に飲み込まれ、ファントムゾーンとも言える暗黒郷で亡者のようになるしかない。

だが、光るダイヤモンドのような個性を持つ者の魂を虚無は飲み込むことは出来ない。
我々は、世間の教義や信念、つまり、世俗の権威や価値観に従うことをやめ、自分の道を行かなければならない。
それには、いつも言う通り、個性を磨くことである。
『はてしない物語』で、バスチアン少年は、個性がない弱い存在だったが、世俗の価値観に背を向け、ファルコンを駆る者となった。
現在、虚無は力を増している。

今回も1つ、個性について言っておくと、例えば、毎朝必ず5時以前に起きる者で個性のない者はいない。
毎日、必ず腕振り運動を2千回やる者も、それだけで個性的である。
個性がある者には、引き寄せは容易い。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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