呪文を唱えずとも、うまくいく人がいる。
それは、生まれつき恵まれている人だ。
両親はお金持ちの教養人。
自身も美男美女で、頭が良かったり、運動神経が良い、あるいは、特別な才能があり、早くからそんな天分を生かして称賛され、自信を持ち、さらに飛躍する。
人間は、意識してはいなくても、頭の中で沢山の言葉をつぶやいているのだが、そんな人間は、「私は特別」「誰にも負けない」「偉大なり、私」「私が一番」という言葉が頭の中に定着し、自動的にうまくいく。

そんな人間には、呪文は不要だ。
呪文を必要とするのは、「持たざる者」だ。
放っておいたら、頭の中はマイナスの言葉だらけになって自滅するような者だ。
呪文以外に頼るものがない場合も多い。
しかし、それで良い。
呪文しかなくても、呪文を唱え続けると、「持っている者」をはるかに超える。
「持っている者」というのは、初めから高いところにいて崇められるが、どこか「いけすかない」もので、若い間は良いが、やがて色褪せていく。

人間は、悲壮感があった方が輝く。
ジャズ音楽で最高の売上を上げているライブ演奏『ザ・ケルン・コンサート』は、キース・ジャレットの即興演奏のピアノ・ソロコンサートだ。
ところが、この時、ジャレットは24時間眠っておらず、車を長時間運転して疲れていて、時間は夜の11時半。
用意されたピアノは小さ過ぎる上に壊れていて、ペダルも黒盤も高音域も使い物にならない。
ジャレットは悲壮感を持って挑んだはずだ。
しかし、演奏が開始されると同時に奇跡が起こっていることは誰にも分かった。
まさに、神の演奏だった。
1974年のこの演奏のレコード、CDは今も売れ続けている。

ジャレットは何か言葉をつぶやき続けていたはずだ。
それも、アメリカ人だから、「オールライト(大丈夫)」という単純な言葉だったに違いない。
恵まれた条件なら、そんなことはせず、上手い演奏にはなっても、魂に届くものにはならない。
ウィーンフィルやベルリンフィルも、エリート集団になってからは、恐ろしく上手くても全然良くなくなってしまった。

念仏も、呪文と同じ原理であるが、法然はまさに、何も持たない悲壮な人々を見て、僧としての自分の悲壮を感じた。
その時、まさに仏が入り、「念仏さえあれば良い」「念仏以外にない」と確信したのだろう。

プロレスの話だが、日本のプロレス史には、ジャンボ鶴田という、とんでもない天才レスラーがいた。
素材は、プロレス史上最強のルー・テーズ以上だった。
大学からレスリングを始めてもオリンピックに出てしまう。
2メートル近い長身で、体力、運動神経は生まれつき超人的という、あらゆるものを持った天才だった。
ジャイアント馬場の全日本プロレスでは、若い時から、馬場に次ぐナンバー2が確約され、馬場は超一流の外人レスラーをいくらでも呼べるので、鶴田はそれらの選手と伸び伸び戦っていれば良かった。
だが、その凄まじい才能の半分も生かせなかったと思う。
名著『1964年のジャイアント馬場』に、こんな非常に印象に残ることが書かれていた。
ある、実に鋭い洞察をする人が鶴田に言う。
「アントニオ猪木にあって、お前にないのは悲壮感だ。お前はいくらでも一流の外人レスラーと戦えるが、猪木のところにはタイガー・ジェット・シンしか来ない。しかし、猪木はシンと一生懸命戦っている。そこに悲壮感があるが、お前にはそれがなく、一生懸命戦えない」
猪木さんは、まさに悲壮を絵に描いたような人だが、あの存在感は凄い。
猪木さんも、絶対に何かの言葉を持っているのだと思う。

「持たざる者」である我々は、呪文を唱えなければならない。
努力をしても悪い方にしかいかない。
頭の中で悪いヘビがささやき続けているのだから、努力すればするほど悪くなる。
いわゆる、「がんばったのが裏目に出る」のだ。
ある程度、歳を取っている人なら実感していることだろう。
恵まれた人に言うことはない。
だが、そんな人も、すぐに落ちぶれるので、呪文を必要とする。
万能呪文、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
の中から1つを選び(あるいは、同意の他の言葉でも良い)、常に心の中で、感情を込めずに淡々と唱える必要がある。
それで確実にうまくいくが、ほとんどの人が続かない。
頭の中のヘビに負けてしまうのだ。
だから、思い出す度に呪文を唱えていただきたいものである。









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