ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジャパ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

本当に幸運な人

男子プロテニスで、ツアー109勝、シングルス1243勝の世界歴代1位の記録を持つアメリカのジミー・コナーズは、
「テニスプレーヤーには2種類しかいない。ウインブルドン(全英オープン)のタイトルを持っている者と持っていない者だ」
と言ったことがある。
それで言えば、4大大会(全米、全英、全仏、全豪)でコナーズと同じ8勝で、通算世界ランキング1位では、歴代4位(268週)のコナーズを超える270週(歴代3位)のイワン・レンドルは、ウインブルドンのタイトルだけは取れず、このコナーズの論では「2種類目」の選手になるが、確かに、レンドル自身も、ウインブルドンのタイトルは一番欲しかったようである。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、
「偉大な人間と平凡な人間の違いは1つだけだ。それは至高体験があるかないかだ」
と言った。
だが、彼と交流のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、
「至高体験は誰にでもある、ありふれたもの」
と述べ、後にマズローもそれを認めた。
要は、至高体験に気付いているかどうかだろう。
至高体験とは、およそ文豪の作品で現れないものはない精神状態で、世界と自分が一体になった忘我・没我・無我の状態だ。
マズローは、大学で、学生達に「自分が幸運だと思った体験」を語らせていったら、学生達が至高体験に達することを発見したという。

コナーズの方のは、そもそもがプロテニスプレーヤーに限定され、しかも、その中でも、ごくわずかな、実力と運に恵まれたプレーヤーを指すのであるが、確かに、彼が言った「分類」に意味があるほど。ウインブルドンのタイトルには権威があるのだろう。
一方、マズローの至高体験は誰でもあるので、それを自覚すると良いのであるが、ほとんどの人はそれをしない。

ところで、別の、そして、もっと重大な人間の分類法がある。
それは、ジャパ(真言や神の名を唱えること)を毎日行っているか、そうでないかだ。
それを行っている者は魔法使いであり、全てを、特に、永遠を手に入れる。
だが、人類を覆う運命が、ほとんどの人間には、それが出来ないように働きかけている。
ジャパは、口に出して唱えても良いが、心で唱える方が良い。なぜなら、継続し易く、長時間行えるからだ。
だが、多くの(ほとんどと思われる)場合、声に出して唱えるよう指示されることで、大半の者がやらないことになる。
声に出して唱えるのは僧侶だけで良いのであるし、また、必ずしも、僧侶が、毎日ジャパを行う運命にはない。
真言(あるいは神の名)は、良いもの(自分が良いと思うもの)であれば、およそ何でも良い。
「アウム」でも「南無阿弥陀仏」でも「オン、アビラウンケン」でも「トホカミエミタメ」でも、自分が良いと思えるものなら良いのである。
唱える回数が多ければ多いほど、本質的な能力が高くなり、この幻影の世界を自在に操れる。
その明確な根拠の1つは、脳は放置すると、無駄な活動で多大なエネルギーを消費してしまうということが分かっていることだ。
また、マントラは脳全体を統合的に共鳴させ、あるイメージ領域の配列を整え重要な機能を顕現させることが、ある程度分かっている。
しかし、マントラの重要な秘密の大半はまだベールに覆われている。
だが、実践すれば、その効果は誰でも分かることであり、至高体験も頻繁に起こると思われる。
とはいえ、今のところ、多くの者は、それをする運命にないようである。








ひたすら素振り

新宿湘南美容外科クリニックのテレビCMを覚えておられる方がいるだろうか?
イケメン、美人のドクター達が、
「好きな言葉は思いやりです」
「好きな言葉は向上心です」
「 好きな言葉は感謝です」
「 好きな言葉は情熱です」
と真面目な顔で言う。
これを見て、反感みたいなものを感じる人もいるかもしれないが、私は嫌いじゃなかった。
たとえ嘘だとしても、「好きな言葉は思いやりです」って言うのは良いことだ。

私なら、「好きな言葉は素振りです」になる。何のこっちゃいである(笑)。
私は、野球のバッターの実力は素振りの数で決まると決めつけているし、いかなる分野でも、野球の素振りに相当する何かの数で実力は決まる。

明治・大正の教育者で「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、
「念仏をするなら、生活しながら念仏するようではいけない。念仏しながら生活するようでなくてはならない。静坐をするなら、生活しながら静坐するようではいけない。静坐しながら生活するようでなければならない」
と言ったが、この言葉が究極であろう。
尚、念仏は分かるが、「1日中静坐する」の静坐とは、腹に力を込めることである。丁度、中村天風が、「常に肛門を引き締めよ」と言ったのと同じだ。
まあ、本当に1日中は無理でも、その心構えでやらなければならない。
野球のバッターなら、素振りしながら生活しなければならず、「メジャー最後の4割バッター」テッド・ウィリアムズは、少年の時からそうしていた。

史上唯一、3度の三冠王を達成した落合博満氏が中日ドラゴンズのGM(ゼネラルマネージャー)だった時、落合氏に憧れるルーキーが、練習が終わった夕刻に落合氏に指導を求めた。いい度胸である。
すると、落合氏は、彼をGM室に連れて行き、「素振りをしろ」と言う。
彼は熱心に素振りを始めたが、なぜか、落合氏は、いつまでも「よし(止めろ)」と言わない。
2時間くらい経った時、落合氏は「止めるなよ」とだけ言ってトイレに行き、すぐ帰ってきた。
これで、落合氏が止めろと言うまで絶対止めてはいけないことが、いっそう確定となった。
そして、さらに3時間経った時、落合氏は、
「最後のが良かった。それを忘れるな」
と言い、それが終わりの合図になった。
延々5時間、沈黙の中で素振りをやらされたのだ。
だが、落合氏はずっと見ててくれたのだ。とっくに帰宅していなければいけない時間なのに。
私は、この話を知って、確定的に「素振り」という言葉が好きになった。

小説家になりたかったら、文豪の作品をひたすら筆記、あるいは、タイプするのだ。
ヘミングウェイらの作品をひたすらタイプして大作家になった作家が実際いる。
良いプログラマーになりたければ、ひたすら、優れたプログラムコードをタイプするのだ。
超能力を得て、この世界を自在に動かしたいなら、ひたすらジャパ(神仏の名やマントラを唱える)をするのだ。
例えば、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えるなら、落合博満氏のように観世音菩薩が見てくれていると思って5時間。心構えだけは・・・
慈愛に満ちた阿弥陀如来様が見てくれていると思いながら、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を唱えるのは楽しそうだ。
では、がんばってくれたまえ。








真に優秀な人は表に出ない

本当に優秀な凄い人は、表に出てくることはないので、我々は、彼らを知らない。
普通の人は、学問やスポーツで良い成績を上げるような者を優秀と思っているが、それは、民衆を愚昧な状態に留めるために権力者が仕組んだことだ。
本当に優れた者は、世界を動かす。
普通の人が知っている凄い人の1人はイーロン・マスクだが、彼は、今でこそ、多少ポピュラーになったが、少し前は、彼の名すら知っている人は少なかったし、今でも、誰でも知っているとまでは言えない。
しかし、後から自動車業界に入ってテスラ(電気自動車会社)を時価総額第1位の自動車会社にし、アメリカ、中国、ロシアなどの国家をライバルに宇宙船を開発するスペースX社は、2030年代の人類の火星移住を目指し、その他にも人類を大きく動かし、世界を変える事業を次々に起こしている。
ドナルド・トランプは、現実としてアメリカ大統領職を退き、真に優れているかどうか、一般には分からないが、今後、分かると思う(実際は既に分かっているが)。

真に優れた人間の優秀さは、普通の人の観念による優秀さとは全く違う。
普通の人は、イーロン・マスクのことは、実際には全く理解出来ない。
そして、世の中には、マスク級、あるいは、さらに優れた人間が存在する。
本当に優れた人間と比べれば、一流大学を首席で出たり、博士号を沢山取ったり、スポーツで数十億円の年収があったり金メダルを取るような者達は、我々と大して変わらない。
そういった普通の成功は、たまたま運命付けられていただけのことだ。
その運命にあれば、あなただってそうなった。
ところが、ある意味では、本当に優れた人間も、我々と変わらない。
彼らは、真の力を発揮すべくして発揮している。
どうやってかというと、自分では何もしないことによってだ。
トーシャ・シルバーの『とんでもなく全開になればすべてはうまくいく』に、それが分かり易く表現されている。

人々が作家としての私をちやほやするのは、さっぱり理解できない。
私は単に、水を流して撒く庭のホースに過ぎないのに。
~ジョイス・キャロル・オーツ~

自分自身をゼロにすれば、あなたのパワーは無敵になる。
~マハトマ・ガンジー~

ガンジーのやり方は、『バガヴァッド・ギーター』に懇切丁寧に書いてある。
ただし、それを語るクリシュナ神が、何度も「人類で最も優れた男よ」と呼びかけつつ直接教えたアルジュナ王子は最後まで理解出来なかったと、ラメッシ・バルセカールは述べているようだ。
ただし、アルジュナは格段に進歩はしたのだと思う。

真に優れた人間は、自己を忘れ、無になっているのである。
あるいは、自在に無になれるのだ。
そのための誰でも出来る手段が、神の名やマントラを唱える修行であるジャパである。
神の名とは、クリシュナやラーマでも良いし、それは、インドでは一般的にジャパで使われる。
だが、凄い人がそれほど多くないのは、唱える数が少ないのである。
神の名やマントラに優劣はない。
例えば、「アジマリカン」が最高だと言う人がいて、別にそれが間違いとは言わないが、「アジマリカン」を十万回唱えた者より、別の言葉を3千万回唱えた人が劣るはずがないことは、常識で分かるだろう。
ここらは、この幻想のような世界だって公平に出来ている。
別のやり方がなくもないが、それをやるかどうかは運命による。
例えば、多分だが、イーロン・マスクは、人類を救う義務が自分にあると信じている。
だが、誰もがそういった信念を持てるわけではない。
彼は、少年の時、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んだことがきっかけだったと言われているが、他の条件もあったし、やはり、宿命だったのだろう。

PS
コメントに返事がないという文句(?)を少しいただくことがある。
コメントは必ず読んではいるが、基本、返事はしない。
ただ、質問には大抵答えているし、答える。大抵だが・・・
尚、滅多にはないが、あまりにレベルが低いコメントは公開しない。
尚、いい加減で良ければ(笑)、ツイッターの方が返信率が少し高い。
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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