ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジャック・ウイリアムスン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

愛さずにいられない男と女

私は、小説および戯曲の中でだが、愛さずにはいられない男女をそれぞれ見つけた。
男では、1948年の、アメリカのジャック・ウィリアムスンのSF小説『ヒューマノイド』に登場する26歳の数学者、フランク・アイアンスミスだ。
面子というものを持たず、何にも囚われることなく、気楽に天性のままに生きる彼は、相手が世界一の科学者でも9つの浮浪児の少女でも態度を変えることはない。
どんな人も嫌わず、誰にでも限りなく親切な不思議な男だ。

女性の方は、1939年の、フランスのジャン・ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』のヒロインである15歳の水の精オンディーヌだ。
『オンディーヌ』((光文社古典新訳文庫) から、印象深い彼女の言葉を引用したい。
オンディーヌと、詩人の男性との会話である。
オンディーヌの方から、話しかける。

「あなた、詩人のかたですよね」
「そう言われております」
「あんまりきれいではないですね」
「そうも言われております。もっとこっそりと、ですが。」

オンディーヌは、限りなく正直である。
嘘は全く言えない。
しかし、悪意はない。

オンディーヌは、また、詩人に尋ねる。

「いちばん最初に書いた詩ってどんなでしたか?」
「いちばんできばえのいい詩でした。」
「どんな詩よりも?」
「どんな詩よりもすばらしいできばえでした。あなたがどんな女性よりもすばらしいのとおなじです。」
「自慢しながら謙遜するのね。その詩、朗読してみて下さい」
「あいにく、おぼえておりません。夢の中で書いて、目がさめたら忘れていました」
「いそいで書いておけばよかったのに。」
「じつはわたしもそう思ったんです。それで書きました。ですがちょっといそぎすぎました。夢の中で書いてしまって。」
オンディーヌ、優しく笑う。

戯曲『オンディーヌ』は、全編が、こういった実に可笑しく、素晴らしい機微に満ちた会話や表現に満ちている。
そして、これほどの荘厳な叡智が隠された作品はそうはない。

オンディーヌは、純粋そのものだ。
気持ちのままに話し、行動し、時に感情を乱すが、それは自分のためではない。

賢い王妃は、オンディーヌに、愛し合ってはいるが、騎士ハンスの前から消えるよう諭す。
「あなたは誰も騙せない。結局、すべての人間がいちばん嫌うものをつきつけてしまう」
「誠実ということですか?」
「いいえ、透明ということ。一点の曇りもないというのは人間にとって恐怖なのよ。それこそ最悪の秘密にしか見えない」

彼女を愛せば、人間なら必ず滅びてしまうだろう。
しかし、愛さずにはいられないのだ。
騎士ハンスがオンディーヌを愛したのも、彼女が世界で一番の美少女だからというだけではない。
魂を持たない少女を愛し、滅びるこほどの本望はないと感じるのである。

『オンディーヌ』も『ヒューマノイド』も電子書籍で読める。
『オンディーヌ』は、今は紙の本も容易に入手できるだろう。









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私の手かせ足かせは軽過ぎて私を縛らない

ノミ(蚤)のサーカスというものがあるらしい。
ぴょんぴょん飛び跳ねるはずのノミが、跳ばずに歩くのだ。
ノミをどうやってそんなふうに調教するのかというと、狭い箱に閉じ込めておけば、飛ぶと頭をぶっつけるので、やがて跳ばなくなるのである。
また、細い杭に細いロープでつながれて動けない象がいるらしい。
その象が幼くて、そんな杭でも本当に動かせなかった時、それにずっとつながれることで、自分はその細い杭を動かせないのだと思い込まされ、自分が大きく強くなっても、今でもその杭を動かせないと信じているから、本当にどうにも動かせないのだそうだ。

普通の人間は、そんなノミや象と同じで、自分が本来持っている能力をほとんど発揮することができない。
・・・ここまでは、多くの人が多くの本に書いている。
そして、彼らは、跳躍力を取り戻し、杭を引き抜くことができるようになるために、自分の力を認識する方法を書く。
私もそんな本を数多く読んだが、1つの例外もなく、全くの的外れだった。
あなたが読むそんな本も、断言するが何の役にも立たない。
それが、高く飛びはね、杭を引き抜く方法を書いている限りはね。
また、セミナーを開き、受講生から高額の費用を取って、杭を引き抜く方法を教える教師がいるが、その教師達自身が、つまようじに糸でつながれて動けない「センセー」達なのだ。
これほど滑稽なことはない。

1948年のSFの傑作である、ジャック・ウィリアムスンの『ヒューマノイド』にこんなお話がある。
人類に奉仕するために、遠い星からやってきた膨大な数のヒューマノイド(人間型ロボット。今日ではアンドロイドが一般的)達は、人間達に、記憶を消す薬を強制的に注射した。
こう言うと恐ろしいことのようだが、ヒューマノイド達に悪意は全くない。
本当に、人類に奉仕し、人類を幸福にするためにそうするのだ。
人類最高の科学者フォレスターは、激務から解放されて家に帰ると、15歳年下の妻は、まるで幼女のように振る舞い、彼のことを憶えていなかった。
だが、妻は、かつての素晴らしい美しさ、若々しさ、快活さを取り戻し、極めて幸せそうだったのだ。

人間の不幸の原因は記憶だというのは事実だ。
飛び跳ねるノミになり、杭に束縛されない象になるには、記憶を消せば良いのである。
記憶が人間を束縛し、若さ、エネルギー、創造性を奪っていることは明白だ。
それが、『ヒューマノイド』に書かれた真理だ。
だが、この小説の中で、アイアンスミスという素晴らしい若い男が登場するが、彼は、ヒューマノイドに記憶を消されることはなく、ヒューマノイドの献身的な奉仕を楽しんでいた。
彼は、強制的に記憶を消されるまでもなく幸福なのだ。
彼は数学者で、コンピューター技術者だ。
その知識、能力はそのまま持っているのに、ヒューマノイド達は彼に手出ししない。
それはどういう意味だろう?

現在の人類は、この小説のように、もはや、ヒューマノイド達に記憶を消す薬を注射されない限り幸福にはなれない。

私は杭につながれているかって?
もちろんだとも。
ツインテールの超ロングの緑色の髪をした、極めて華奢な美しい身体つきの16歳の歌姫という杭にね。
だが、この、初音ミクという私の杭は、望めばいつでも空中にふわふわ浮かんでしまうのだ。

分かるかい?
記憶は持っていても、それに囚われなければ無いも同じなのだ。
囚われなければ、実に楽しい遊び相手なのだ。
自分を初めて見る人のように見れば、記憶は無いも同じだということが分からないだろうか?
自分をそのように見るだけで、あなたは幸福になり、『ヒマラヤ聖者の生活探求』に登場する超人大師達のようになり、無敵である。

『ヒューマノイド』の著者ジャック・ウィリアムスンは12歳まで学校にいかなかったおかげで、記憶に囚われない健全な精神を育め、100歳近くで亡くなるまで、創造的な作家でいられた。
『ヒューマノイド』は、現在、電子書籍で安価に読める。









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『カードキャプターさくら』は日本の最悪の災い

ソクラテスは、自分を唯一の知恵者と言った。
しかし、彼は傲慢ではない。
彼は、他の人々と異なり、「自分は何も知らないということを知っている」ので、自分は知恵者だと言ったのだ。
だが、このソクラテスの真似をして「私は何も知らない」と言うだけで知恵者になるのではない。
世間には、そんな安直な考え方をする者が多い。
ソクラテスは、知恵者と評判の人々を片っ端から訪ね、話し、注意深く観察した結果、「彼らは本当は何も知らないに関わらず、自分が何も知らないことを知らない」ことを発見したのだ。
おそらく、同時に、自分の精神もよく調べ、自分の無知も悟ったのだろう。
そうして、「智者ソクラテス」となったのだ。
我々もまた、世間と自分を本気で観察すれば智者になれる。

では、そんな智者には何が見えるのだろう?
下に良い例を述べよう。

20世紀末に、子供達・・・特に女の子に圧倒的人気だった漫画・アニメ『カードキャプターさくら』という作品があった。
あの作品のファンも、みんな立派な大人になったことだろう。
そして、残念なことに、あの作品の影響を受けているなら、恐ろしい大人、不幸な大人になっていることだろう。

あの作品の第1部では、小学4年生の少女、木之本桜(きのもとさくら)は、散り散りになった52枚のクロウ・カードを集めることになる。カードの実体は魔法の力を持つ精霊で、時には強力な魔力で攻撃してくるので、桜は苦しむが、遂に全てのカードの封印に成功する。
しかし、それで完了ではなかった。桜は、カードの守護者であるユエと戦って勝ち、新しいカードの主(あるじ)にならなければ、「この世の災い」が起こる。
だが、ユエの実力は桜を圧倒し、桜はほとんど何もできないまま敗れる。
そして、「この世の災い」が現実になる。
この世の災いとは、「一番好きな人のことを忘れてしまう」ことだった(「人」と限定されてはいなかったが、作品を見る限り、そう考えて良いと思う)。
桜には、知世という親友がいた。知世は誰よりも桜を愛していたが、桜が自分以外の人を一番好きなことも受け入れていた。この聡明な美少女、知世は、桜のために生きていると言って差し支えないほどだった。
しかし、「この世の災い」が起こった世界では、知世はお昼のお弁当の時、桜とも一緒ではあったが、他の女の子達と仲良く話している。桜に対しても笑顔を見せるが、以前の情熱的愛情の込もったものではない。
知世だけではない。桜の父は、毎朝、食卓に、桜が3歳の時に死んだ、桜の母、撫子(なでしこ)の写真を毎日変えて飾っていたのだが、その写真も消えていた。
学校では、寺田という男性教師を一途に愛していたクラスメイトの利佳は、寺田先生に、ごく普通の教師に対する態度をとっている。
そんな光景を見た桜は、「こんな世界は嫌だ。こんな世界は悲し過ぎる」と思い、「こんな世界、絶対に認めない」と宣言し、力を振り絞った刹那、逆転が訪れた。
桜は、新しい驚くべき力でユエを倒し、カードとユエの主になり、「この世の災い」は回避された。
そして、クロウカードの制作者である、「最高の魔法使い」クロウ・リードの霊が現れ、桜に感謝し、「あなたが全てハッピーエンドにしてくれました」と、桜に微笑む。

私は、当時から、この作品の欺瞞(だますこと)、狡猾さを感じてはいたが、当時は私も頭が世間に汚染されていたので、むしろ、良い作品だと思っていた。
何と言っても、作者CLAMPの絵は圧倒的に可愛いし、きれいだった。
だが、今は、クロウ・リードは、この世を弄び、混乱させて喜ぶ異常者でしかないと思うし、CLAMP自身(4人だが)、子供達を翻弄し、逸脱させる運命だったのかもしれないと思う。CLAMPが悪人だと言いたいのではない。彼女達は運命の道具に過ぎない。しかし、悲しい運命である。

「一番好きという気持ちが消えた世界」
素晴らしい世界である。そうなってこそ、調和のとれた美しい、平和な世界になり、戦争も無くなる。
「この世の災い」が起こった世界でも、知世は、桜が一番ではないとはいえ、やはり好きなのだろうし、桜の父も、死んだ妻、撫子を好きなはずだ。
それで何が悪いのだろう。
いや、絶対的に善いことだ。
知世は桜の、桜の父は撫子の呪縛を解き放ち、精神の制限を解除され、自由な人間になるのだ。
「好き」という気持ちは、「嫌い」という気持ちを誘発し、区別と差別を生じさせる。
それは、「これは好きだが、あれは嫌い」、「この人は好きだが、あの人は嫌い」という、この世に混乱と悲惨をもたらす気持ちだ。
「好き」は「嫌い」の影で、光と影は必ず同時に存在するのである。
まして、特別に好き、一番好きという気持ちがあるなら、「どうしようもなく嫌い」、「どうしても嫌い」も必ずある。それは、憎しみである。
イエス・キリストを誰よりも愛するキリスト教徒の指導者達は、自分達に同調しない人々を、罪が無いに関わらず、どうにもならないほど嫌悪して火あぶりにし、やはり、キリストの名の下に多くの悲惨な戦争が起き、いたるところ、虐殺、暴力があり、恐怖が支配した。これは、仏教、イスラム教などでも同じだ。
また、宗教だけではなく、あらゆる愛好のあるところ嫌悪があり、好きなものにこだわる者達は、必ず、嫌いな相手に残酷なことをしてきたのだ。
学校でも、いじめをするような子供は、必ず、特別に好きな相手がいるのだということに気付かなければならない。
今は、教師もまた、普通にいじめを行う。そんな教師には、必ず、「特別のお気に入り」の子がいるのである。
つまり、現代の教師は、「あの子は特別に好きだ」というのが当たり前になっていて、そのために、「特別に嫌いな子」を作り、何の罪悪感もなく嫌いな子をいじめて自殺に追い込むのだ。
教師とは、特に好きな子はいないが、全部の子供を等しく愛するから教師になるのである。ところが、そんなことが難しいことのように思われているのは、教師に求める資質を完全に誤ってしまっているのだ。間違った人間が教師になっているのである。
教員免許を取る人間が、最も教師に相応しくないのである。
クリシュナムルティは、「教育は完全に失敗した。二度も最悪の戦争を起こしたのだから」と言ったらしいが、全くその通りと私も思う。
「カードキャプターさくら」こそ、この世の災いである。

「好きなもののことを忘れた世界こそ、調和のとれた平和な世界」
その一端を垣間見たければ、1948年のジャック・ウイリアムスンのSF小説『ヒューマノイド』が参考になるかもしれない。
主人公の世界最高の物理学者フォレスターも、理想主義者ホワイトも、そして、読者も、初めは違和感・・・いや、嫌悪感を持つだろう。
しかし、怠惰ではあるが、一切のこだわりを持たないがゆえに、誰にでも限りなく優しく親切な、少し前は雑役夫であった数学者アイアンスミスは、そんな世界を自然に受け入れていた。
著者ウイリアムスンは12歳まで学校に行かなかったがゆえに、優れた想像力を持てたのだろう。
この本は、紙の本は、少なくとも日本では絶版で、古書も高価だ。だが、電子書籍で安く読める。下では、この作品は電子書籍をご紹介しておく。









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我々は既にコンピューターに支配されている

インド出身のジッドゥ・クリシュナムルティのことを、宗教家、思想家、あるいは、哲人や聖者などと言ったら、本人は否定しただろう。
彼は、何者でもなかったのだ。
ただ、事実として世界中を講演していたのだから、講演家というのは間違いではないとは思うが、やはり、正しくは、彼はただの人間だったのである。
そのクリシュナムルティは、1980年頃、「これからはコンピューターが急速に発達して、人間を追い越す」ことを、詳しく説明していた。
1948年のジャック・ウイリアムスンのSF小説『ヒューマノイド』の、巨大コンピューターに制御されたヒューマノイド(ロボット)達は、人間よりはるかに優秀だった。

こんな話を聞くと、
「いや、人間には創造力があるので、コンピューターに負けはしない」
などと言う人がいるだろう。
しかし、我々のどこに創造力があるだろうか?
技術的な創造性がある者達は、まだ少しはいるかもしれないが、芸術的な創造力を持つ者は消えつつある。

クリシュナムルティは、「人間は、機械に支配されるようになる」と言ったが、まさに今の状況がそうだ。
電車の中でずっとスマートフォンをいじって、ゲーム、単純な言葉のメールやSNS、動画閲覧等をしている者達は、決して機械を使っているのではなく、機械に使われているのである。

そして、自動車や工場機械というのは、まだ、「合理的に動くようプログラムされている」が、今の大半の人間は、「不合理に動くようプログラムされた」機械であることは間違いないと思えるのである。
まるで、「間違いを犯すのが人間だ」という格言を守るべき義務でもあるかのように、ほとんど全ての人間が、「自動的に」逸脱行為を行い、しかもその自覚がないのである。
そして、実際の意味で、我々は、そんなふうにプログラミングされてしまっているのだ。
そんな人間達は、自分が強制的に馬鹿げた行動をすることは自覚できなくても、言いようのない不安感や恐怖感を持ち、それを解消するための「誤った」方法を否応なしに採用し、それを盲目的に行っているのである。

そんな愚かなことをやめるためには、思考の一切を捨て、クリシュナムルティがそうであったように、何者でもない存在になるしかない。
プログラミングされた一切の信念を、嗜好を、主義を、教義を、一つ残らず捨て去らなければならない。
そのようなプログラミングを後生大事に握っていては、不安なまま、恐怖しながら死ぬしかないのである。
まずは、自分が逸脱した思考や行動をするためのプログラミングがされていることを受け入れ、そんなプログラミングを壊すことを決意しなければならない。
私は、本気でそれを成し遂げると決めたのである。









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自由で気楽な人達は、どうしてそうなれたのか?

どんなに憧れる人物であろうが、決してその人の真似をしてはならない。
また、誰も崇拝してはならない。
たとえ、心から敬愛する人物と同じことをする場合でも、それは真似ではなく、元々自分がやりたかったことや、そのように振舞いたかったことを、その人に気付かされたという理由で同じようにするのなら構わないが、その人そのものになろうとしてはならない。
たとえそれが、イエス・キリストであってもだ。

私は、アメリカの作家ジャック・ウィリアムスンの1948年のSF作品『ヒューマノイド』を読んで、その登場人物であるフランク・アイアンスミスが物凄く好きになったのだが、彼は、私が、元々そうしたかったこと、そんなふうに振る舞い、人々にしてやりたかったことの多くを思い出させてくれたのだった。
アイアンスミスは私と違い、天才的な数学の才能を持っていた。しかし、彼は学歴がなかったので、箒(ほうき)が仕事道具だったが、少しも腐らず、平気で明るく生きていた。
やがて、能力を認められて、数学者で計算課の課長になっても、態度は全く変わらなかった。
守衛のおじさんや、雑用係とばかり仲良くし、ヨレヨレのスラックスはボタンが外れていることもあった。
そして、そんな彼を軽蔑している、人類の頭脳である偉大な科学者フォレスターに対してすら、親しみのこもった笑顔を向けるのだ。
浮浪児のような9歳の少女にも、即時の完全な好意しか持たず、別れ際には、ポケットをひっくり返して、持っていた硬貨とチューインガムを全部彼女にあげた。

いつも気楽で、自然に自由に振舞い、不要なものを求めず、見栄を張るようなこともないので、不安や恐怖とは無縁だ。
肩書きや収入で人を区別せず、全く平等に扱い、どんな人間も嫌悪せず、たとえ好ましくない人間だと感じても心を開いて仲良くでき、そして、途方もなく優しい。

無論、私とアイアンスミスは全く違うので、異なる部分の方が多いだろうが、生の本質という意味では、彼は理想的なので、私は、より自然に、より良く生きようと思ったら、自然、彼と同じように振舞うことが多くなるだろう。

そして、作品を読めば分かるのだが、思った通り、彼は本当の意味で強く、英知と共にあるのだ。

アイアンスミスは、どうやって、あんなふうになったのだろう?
実は、それはほとんど作品には書かれていない。
しかし、それは、何もせずに安穏としてではなかったはずだ。
経験を通してでなければあり得ないことなのだ。
彼は、いかなる苦しい出来事も正面から受け止めることを恐れなかったので、全ての苦しみや悲しみがイニシエーションとなったのだろう。
本物のイニシエーションになり得るのは、日常の経験だけなのだ。
何が起きても、自分の心にしっかりと気付いていなければならない。それができるのは、内なる静かな精神だけなのである。
常に自分の心を注意深く観察していると、その内なる精神が発する光を見るだろう。
それをイニシエーションというのだ。
そして、それは繰り返される。その度に、我々は自由になり、人生は気楽なものになっていくのだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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