人間は、洗脳するか、洗脳される生き物だ。
そして、洗脳する者だって、誰か、あるいは、何かに洗脳されているのだ。
昔は、権力者が洗脳し、庶民は洗脳されていたが、インターネット社会では、誰もが洗脳する側に回れる・・・と本に書いていた人がいたが(たとえば岡田斗司夫さん)、実際のところ、昔から誰もが洗脳を行っていたが、インターネットの登場で、そのスタイルが変わったというだけのことだ。
洗脳を免れたければ、クリシュナムルティのように「私は何も信じない」と思えば良いのであるが、これには問題もある。
何も信じなければ生きていけないし、クリシュナムルティだって、洗脳していたのはもちろん、洗脳されてもいたはずなのだ。
これも洗脳の一種のように思えるかもしれないが、あえて言えば、人間は、ある意味、神様が分裂し、自分が神様であることを忘れ、無能な人間のつもりで、いろいろ冒険をして、学んでる・・・と言うか楽しんでいる存在である。
そんなふうに、自分が本当は何者かを忘れていることで、何かを信じてしまい易い、あるいは、何かを信じたいと感じるようになってしまっているのだ。
その中で、クリシュナムルティのように、「私は何も信じない」というのは、大した心構えであることは確かだ。
催眠術というのは、真実を知るのに有効な方法のように思われるが、やってはいけないこともある。
例えば、猫が好きな人を猫嫌いにしたり、愛していると思っている人を憎むようにしたりである。
と言うのは、猫が好きとか、初音ミクさんが好きというのは、単なる好みというよりは、運命レベルの約束事なので、下手に勝手な変更を加えようとすると、いろいろ問題が起こってくるからだ。
愛煙家を煙草嫌いにしたり、酒好きを酒嫌いにすることは、割と簡単に出来、良いことのように思われるかもしれないが、こういったことも、やはり悪い反作用があるのである。
洗脳されなければ、プロの野球選手やサッカー選手になるためのパッションは起こらないし、大科学者になるための探究心も生まれない。
池田満寿夫さんのように、エロチシズムとやらに情熱を持てば、彼のように世界的芸術家になれることもあるが、それもやはり洗脳から始まっている。
それをもって、「成功するには自分を洗脳しろ」なんて言う者もいるが、意図的にやってもうまくはいかず、悲惨な結果になることが多い。
では、どうすれば幸せになれるかというと、孔子や徳川家康が言ったように、「ほどほどに」「すぎたるはなお、およばざるがごとし」である。
酒好きなら飲めば良いが、限度を守るのは完全に自分の責任であり、「俺は好きなだけ飲むんだ」と言うなら、どうぞ、勝手に破滅して下さいと言うしかない。
だが、酒好きが限度を守れば、運命の支配者になれる。
猫好きも、女好きも、徹底的にやってはならず、ほどほどにである。
かつての大プロレスラー、ジャイアント馬場さんという人は、プロレスがあまり好きでなかったのだと思う。
彼は、プロ野球で一流のピッチャーになれたはずが、巨人軍の中の人間関係がうまくいかずにやめてしまい、プロスポーツと言いながら、プロレスという全部筋書きのあるショービジネスの世界に入ってしまったのだから、楽しいはずがなかった。
しかし、彼は、プロレスラーとして大成功してしまう。
その中で、彼は、ほどほどにプロレスを熱心にやったから、全てがうまくいったという訳だ。
まあ、晩年はいろいろあり、問題もあったが、とにかく、晩年まではうまくいったのである。
好きなことも、義務も、運命も、ほどほどにやることだ。
それが成功の秘訣である。
そして、洗脳する者だって、誰か、あるいは、何かに洗脳されているのだ。
昔は、権力者が洗脳し、庶民は洗脳されていたが、インターネット社会では、誰もが洗脳する側に回れる・・・と本に書いていた人がいたが(たとえば岡田斗司夫さん)、実際のところ、昔から誰もが洗脳を行っていたが、インターネットの登場で、そのスタイルが変わったというだけのことだ。
洗脳を免れたければ、クリシュナムルティのように「私は何も信じない」と思えば良いのであるが、これには問題もある。
何も信じなければ生きていけないし、クリシュナムルティだって、洗脳していたのはもちろん、洗脳されてもいたはずなのだ。
これも洗脳の一種のように思えるかもしれないが、あえて言えば、人間は、ある意味、神様が分裂し、自分が神様であることを忘れ、無能な人間のつもりで、いろいろ冒険をして、学んでる・・・と言うか楽しんでいる存在である。
そんなふうに、自分が本当は何者かを忘れていることで、何かを信じてしまい易い、あるいは、何かを信じたいと感じるようになってしまっているのだ。
その中で、クリシュナムルティのように、「私は何も信じない」というのは、大した心構えであることは確かだ。
催眠術というのは、真実を知るのに有効な方法のように思われるが、やってはいけないこともある。
例えば、猫が好きな人を猫嫌いにしたり、愛していると思っている人を憎むようにしたりである。
と言うのは、猫が好きとか、初音ミクさんが好きというのは、単なる好みというよりは、運命レベルの約束事なので、下手に勝手な変更を加えようとすると、いろいろ問題が起こってくるからだ。
愛煙家を煙草嫌いにしたり、酒好きを酒嫌いにすることは、割と簡単に出来、良いことのように思われるかもしれないが、こういったことも、やはり悪い反作用があるのである。
洗脳されなければ、プロの野球選手やサッカー選手になるためのパッションは起こらないし、大科学者になるための探究心も生まれない。
池田満寿夫さんのように、エロチシズムとやらに情熱を持てば、彼のように世界的芸術家になれることもあるが、それもやはり洗脳から始まっている。
それをもって、「成功するには自分を洗脳しろ」なんて言う者もいるが、意図的にやってもうまくはいかず、悲惨な結果になることが多い。
では、どうすれば幸せになれるかというと、孔子や徳川家康が言ったように、「ほどほどに」「すぎたるはなお、およばざるがごとし」である。
酒好きなら飲めば良いが、限度を守るのは完全に自分の責任であり、「俺は好きなだけ飲むんだ」と言うなら、どうぞ、勝手に破滅して下さいと言うしかない。
だが、酒好きが限度を守れば、運命の支配者になれる。
猫好きも、女好きも、徹底的にやってはならず、ほどほどにである。
かつての大プロレスラー、ジャイアント馬場さんという人は、プロレスがあまり好きでなかったのだと思う。
彼は、プロ野球で一流のピッチャーになれたはずが、巨人軍の中の人間関係がうまくいかずにやめてしまい、プロスポーツと言いながら、プロレスという全部筋書きのあるショービジネスの世界に入ってしまったのだから、楽しいはずがなかった。
しかし、彼は、プロレスラーとして大成功してしまう。
その中で、彼は、ほどほどにプロレスを熱心にやったから、全てがうまくいったという訳だ。
まあ、晩年はいろいろあり、問題もあったが、とにかく、晩年まではうまくいったのである。
好きなことも、義務も、運命も、ほどほどにやることだ。
それが成功の秘訣である。