宮本武蔵の有名な言葉「我事において後悔せず」をご存じの方は多いと思う。
私は、この言葉は超単純に捉えるのが良いと思う。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の朝倉涼子(高1。実は裏がある優等生美少女)のセリフに、
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいって言うよね。これはどう思う?」
というものがあるが、やってどんな結果になろうが、やらずにどんな結果になろうが、後悔しないのが良い。
つまり、やる選択をしようが、やらない選択をしようが、その選択を後で後悔すべきでない。
もっと広く言えば、どんな選択をしようが、後で後悔すべきではない。
『BEATLESS』でレイシア(美少女アンドロイド)が、アラト(高2男子)に、
「どのみち時間は巻き戻せません」
と、「こうなってしまったことは仕方ありません」という意味でさらっと言ったのが、私は本当に賢く感じた。
反省なら、した方が良い場合もあるかもしれないが、後悔して良いことなど1つもない。
それで、また古い人の話で恐縮だが、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんが、
「過去を振り返る人に強い人はいないね」
と言ったらしいことが、私には忘れられない。
直観的にも、経験的にも確かだと思う。
新潟の田舎から、高校を中退してプロ野球の巨人軍に投手として入団したところから大人の人生をスタートさせた馬場さんは大変な苦労人で、おおそらく、野球でもプロレスでも、彼ほど多くの失敗をした人はいないのではと思う。
しかし彼は、「馬場正平という男は、プロレス入りして以来、全て順調だった」と言ったらしい。
実際は失敗も沢山あったはずだが、こう言い切るところが素晴らしいと思う。
そして、私は、馬場さんこそ引き寄せの達人中の達人であると思うが、それは彼の哲学のためであると思う。
その哲学の根源は、彼が22歳くらいで脳腫瘍になり、難しい脳手術を受けることになった時に完成したようにも思うのだ。
彼が医者に、
「先生、俺の命を保証してくれますか?」
と聞いたら、その医者は、
「医者はね、指1本切る時でも、命の保証はしないんだ」
と言い、それを聞いた馬場さんは、この医者を「本当に偉い人だと思った」と言ったらしい。
医者ほど後悔が多い仕事はないだろうと思う。
しかし、後悔する医者に偉い医者はいないと思う。
馬場さんの手術をした医者も、後悔しない医者だったと思う。
そして、馬場さんも、後悔しないようになって成功したのではないかと思う。
馬場さんは、アメリカの超大物レスラーのほとんどが親友だった。特に、大プロモーターを兼ねるようなプロレスラーは例外なくそうだったと思えるほどだ。
それは、馬場さんの人付き合いの上手さと言うより、決して後悔しない、過去全て順調だったと見なす彼の哲学のためであったのだと思う。
また、人によってはいろいろ言うが、馬場さんは「心ある」人だったのだと思う。今は「心無い」人があまりに多いので、なおさらそう思う。
こんないい話がある。
馬場さんが、トップレスラーとして日本で試合をしていた時、外人選手の中に、いつもぽつんと1人でいる、まだ無名の若い黒人レスラーがいた。他に黒人選手がおらず、まだ人種差別が激しい時代だった。
馬場さんは、その黒人レスラーに「ビフテキを食いに行こう」と言って誘い、美味いビフテキをご馳走した。
数年後、馬場さんは窮地にあった。経営の経験などない彼が、止む無き事情があって、プロレス団体を起ち上げ社長になったが、ピンチの連続で、拙い状況の中、起死回生を計り、ニューヨークに、アメリカ一の人気レスラーで、超大物プロモーターでもあるブルーノ・サンマルチノに会いに行く。
馬場がサンマルチノに来日を頼むと、スケジュール的に無理なはずのサンマルチノだったが、「馬場が来いと言うなら行く」と二つ返事で快諾すると共に、傍らにいた黒人レスラーに、「君も行くだろ?」と言う。
その黒人レスラーこそ、この時は大スターに成長していた、かつて馬場さんが日本でビフテキを奢った、アブドーラ・ザ・ブッチャーだった。
日本に来ている暇はないブッチャーだったが、即座に「もちろんだ。俺にビフテキを奢ってくれたのは馬場だけだ」と答えた。
まあ、本当の話かどうかは分からないが、作り話としても良い話だ。
くれぐれも、後悔せず、現状肯定、過去オール善でいこう。
AIアート731
「夕焼けのリボン」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ジャイアント馬場の16文が行く
(2)1964年のジャイアント馬場
(3)宮本武蔵「五輪書」
(4)涼宮ハルヒの憂鬱
(5)BEATLESS(上)
(6)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
私は、この言葉は超単純に捉えるのが良いと思う。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の朝倉涼子(高1。実は裏がある優等生美少女)のセリフに、
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいって言うよね。これはどう思う?」
というものがあるが、やってどんな結果になろうが、やらずにどんな結果になろうが、後悔しないのが良い。
つまり、やる選択をしようが、やらない選択をしようが、その選択を後で後悔すべきでない。
もっと広く言えば、どんな選択をしようが、後で後悔すべきではない。
『BEATLESS』でレイシア(美少女アンドロイド)が、アラト(高2男子)に、
「どのみち時間は巻き戻せません」
と、「こうなってしまったことは仕方ありません」という意味でさらっと言ったのが、私は本当に賢く感じた。
反省なら、した方が良い場合もあるかもしれないが、後悔して良いことなど1つもない。
それで、また古い人の話で恐縮だが、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんが、
「過去を振り返る人に強い人はいないね」
と言ったらしいことが、私には忘れられない。
直観的にも、経験的にも確かだと思う。
新潟の田舎から、高校を中退してプロ野球の巨人軍に投手として入団したところから大人の人生をスタートさせた馬場さんは大変な苦労人で、おおそらく、野球でもプロレスでも、彼ほど多くの失敗をした人はいないのではと思う。
しかし彼は、「馬場正平という男は、プロレス入りして以来、全て順調だった」と言ったらしい。
実際は失敗も沢山あったはずだが、こう言い切るところが素晴らしいと思う。
そして、私は、馬場さんこそ引き寄せの達人中の達人であると思うが、それは彼の哲学のためであると思う。
その哲学の根源は、彼が22歳くらいで脳腫瘍になり、難しい脳手術を受けることになった時に完成したようにも思うのだ。
彼が医者に、
「先生、俺の命を保証してくれますか?」
と聞いたら、その医者は、
「医者はね、指1本切る時でも、命の保証はしないんだ」
と言い、それを聞いた馬場さんは、この医者を「本当に偉い人だと思った」と言ったらしい。
医者ほど後悔が多い仕事はないだろうと思う。
しかし、後悔する医者に偉い医者はいないと思う。
馬場さんの手術をした医者も、後悔しない医者だったと思う。
そして、馬場さんも、後悔しないようになって成功したのではないかと思う。
馬場さんは、アメリカの超大物レスラーのほとんどが親友だった。特に、大プロモーターを兼ねるようなプロレスラーは例外なくそうだったと思えるほどだ。
それは、馬場さんの人付き合いの上手さと言うより、決して後悔しない、過去全て順調だったと見なす彼の哲学のためであったのだと思う。
また、人によってはいろいろ言うが、馬場さんは「心ある」人だったのだと思う。今は「心無い」人があまりに多いので、なおさらそう思う。
こんないい話がある。
馬場さんが、トップレスラーとして日本で試合をしていた時、外人選手の中に、いつもぽつんと1人でいる、まだ無名の若い黒人レスラーがいた。他に黒人選手がおらず、まだ人種差別が激しい時代だった。
馬場さんは、その黒人レスラーに「ビフテキを食いに行こう」と言って誘い、美味いビフテキをご馳走した。
数年後、馬場さんは窮地にあった。経営の経験などない彼が、止む無き事情があって、プロレス団体を起ち上げ社長になったが、ピンチの連続で、拙い状況の中、起死回生を計り、ニューヨークに、アメリカ一の人気レスラーで、超大物プロモーターでもあるブルーノ・サンマルチノに会いに行く。
馬場がサンマルチノに来日を頼むと、スケジュール的に無理なはずのサンマルチノだったが、「馬場が来いと言うなら行く」と二つ返事で快諾すると共に、傍らにいた黒人レスラーに、「君も行くだろ?」と言う。
その黒人レスラーこそ、この時は大スターに成長していた、かつて馬場さんが日本でビフテキを奢った、アブドーラ・ザ・ブッチャーだった。
日本に来ている暇はないブッチャーだったが、即座に「もちろんだ。俺にビフテキを奢ってくれたのは馬場だけだ」と答えた。
まあ、本当の話かどうかは分からないが、作り話としても良い話だ。
くれぐれも、後悔せず、現状肯定、過去オール善でいこう。
AIアート731
「夕焼けのリボン」
Kay
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(1)ジャイアント馬場の16文が行く
(2)1964年のジャイアント馬場
(3)宮本武蔵「五輪書」
(4)涼宮ハルヒの憂鬱
(5)BEATLESS(上)
(6)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)