ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジェームズ・フリン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

馬鹿への対処法

IQ(知能指数)が20以上違う者どうしでは会話が成立しないという話がある。
正確にこの通りであるかどうかは分からないが、だいたい事実と考えて良いだろう。
とはいえ、現実世界では、そのくらい、自分よりずっと知性が劣る・・・遠慮のない言い方をすれば「馬鹿」と付き合わざるを得ないことは少なくない。
そして、親がそうである場合が多いのである。
TEDでも評判の良い、若い世代の方が頭が良いという、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンの主張を持ち出さなくても、日本も全くそうだが、普通の人間は歳を取るほど、極端に頭が悪くなる環境にある。
つまり、テレビや新聞を見ていたら、確実にどんどん頭が悪くなるので、テレビばかり見ている親と、意識的にテレビを避ける子供では、生まれつきの頭脳が似通っているとしても、あっという間にIQが20や30は違ってくることがある。
だから、子供はさっさと親元を離れるべきだし、親も、せめて子供のためを思うなら、子供が楽に家を出ていけるよう手を尽くしてあげるべきなのだ。

蝶々
AIアート112
「蝶々」
Kay


だが、そう言っておいて何だが、本来、どんな人間も素晴らしい知性を持っており、会話が成立しない相手など、本当は存在するはずがないのである。
実を言えば、犬や猫、その他の動物だって、会話手段を持てれば、その素晴らしい知性に驚かされのであるが、この件は今回は省こう。
しかし、動物でもそうであるなら、人間が高い知性を持たないなど、あり得ないのである。

結論を言えば、人間は思考を消せば・・・これは心を消すことと同意であるが、無限とも言える知性を持てるのであり、完全にそこまでいかなくても、思考を消していけば、どんどん知性が高まるのである。
そして、思考を消すのに、最も簡単で、しかも効果が高い方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。
しかし、馬鹿な人間に「私は誰か?」と自分に問えと言っても無駄なことであろう。
そこで、呼吸の観察とか、マントラやアファーメーションを唱えるなどの方法を勧めるのだが、馬鹿は頭を良くする方法は何もやりたがらないものなのでる、
馬鹿がやりたがるのは、より馬鹿になることだけである。

だが、あなたが「私は誰か?」と問い、知性を上げていけば、馬鹿は近寄ってこなくなる。
馬鹿がちょっかいを出して来たり、馬鹿とまともに付き合わざるを得ないとしたら、まだ、あなたの知性が不十分なのである。
また、やや稀であるが、あなたの知性の向上に伴い、周囲の馬鹿が知性を向上させることもある。

「私は誰か?」と問うほどには知性が進歩していない場合は、マントラやアファーメーションを唱えたり、呼吸を意識したりするのが良い場合もある。
言い方を変えれば「私は誰か?」とずっと問うているなら、かなり知性が発達したのである。
私も、まだ事務的な仕事をしている時は、頭の中で阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」をよく再生している。
YouTubeで聞いたお坊様らが唱和したものである。
別に、このマントラに霊力があるとは思っていないが、別に思っていたって悪くはない。
この言葉の響きやリズムには長年の工夫が込められており、それを霊力と言っても差し支えないと思う。








進歩した宇宙人が我々より頭が良いわけではない

高度に進歩した宇宙人が登場するSF小説やSF映画を見ると、そんな宇宙人の頭は我々地球人の頭よりずっと優秀だと思ってしまうものだ。
例えば、地球人の平均IQ(知能指数)は100位だが、宇宙人は3000とか10万とかではないかとかね。
しかし、私は、仮に地球人よりずっと進歩した宇宙人がいたとしても、基本的な知的能力は地球人と変わらないんじゃないかと思う。
我々地球人だって、20万年前には現在の人間と同じ脳を持っていたが、チンパンジーと同じような生活をしていた。だが、3万年くらい前から、理由は不明だが、急に賢くなったらしい。
これは、3万年くらい前に、生き延びるために頭を使う必要が生じただけで、基本能力自体は20万年の間、変わっていないのかもしれない。
そして、人間はどんどん新しいものを発明するので、頭を使う機会が増えていき、結果、時代が進むほど人類の思考力が高まる加速度も大きくなるが、それでも、基本能力は変わってはおらず、3万年、あるいは、20万年前の赤ん坊を連れて来て現代人と同じように育てたら、知的にも現代人と同じになるのではないか?

哲学者ジェームズ・フリン(1934~2020)は、人類は時代が経過するほどIQが高くなり、我々と祖父母の世代ですら、明確に差があるという説は有名で、概ね世界で受け入れられているのだと思うが、我々は騙されているのではないか?
彼が示す論拠に、こういうものがある。
フリンは少年時代、人種問題について考えたそうだ(フリンの一家は白人)。
そこで、父親に、
「父さんが明日の朝、目が覚めたら黒人になっていたらどうする?」
と尋ねた。父親の答は、
「肌の色が変わった人間なんていない」
だった。
つまり、フリンは、上の世代の人間は、こんなふうに頭が悪いのだと言いたいわけで、当然、他にも、いくつかの例を示した。
ざっくり言えば、フリンは、上の世代は経験的にしか考えられないが、後の世代では、知らないことも抽象的に考えることが出来るから賢いと言っているのだが、言うまでもなく、それは、学校も含むが、生活する中での、思考能力の育て方の差でしかない。
つまり、別に、フリンはフリンの父親より、基本的能力で優るわけではない。
もし、フリンが「教育は大事だ」と主張するなら賛成するが、世代が進むと頭が良くなるというのは間違いである。
後の世代の方が前の世代より悪い教育(学校だけでなく、あらゆる意味で)を受ければ、後の世代の方が馬鹿になるのは明白だ。

では、頭の良し悪しを決めるのは何かというと、簡単に言えば、偏見とか固定観念がないことである。
そして、本当のことを言えば、偏見がなくなると頭が良くなるのではなく、偏見がないほど、潜在意識の高度な知性にアクセス出来るというだけのことなのである。
逆に言えば、偏見、固定観念・・・これらには、好き嫌い、主義、趣味、信仰、考え方の癖等といったものを含むが、それらが、潜在意識の高度な知性との間に壁を作るのである。
そして、さらに重要なことは、偏見がないと、潜在意識の知性だけでなく、潜在意識の巨大な力にも通じるということだ。
それにより、引き寄せの力も高くなる。
そもそもが、頭なんて、大したものではなく、優秀かどうかと言ったところで、ドングリの背比べ、五十歩百歩だ。
だから、偏見を無くし、潜在意識の巨大な知性や力に助けられることが大切なのである。
偏見を消し、宇宙人のようになるヒントを得られると思う書籍を下にご紹介するが、古典が多いのが、いろんな意味で面白い。








腕振り運動で頭が良くなる

腕振り運動を行うと、確実に頭が良くなる。
統計的なデータみたいなものがあるわけではないが、脳の仕組み的に、そうであると確信している。

今朝の記事で述べたが、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンは、2014年のTEDの講演『なぜ我々は祖父母世代よりもIQが高いのか』で、後の世代の人間の方が前の世代の人間よりIQ(知能指数)が高いという調査結果と、その理由の考察を示した。
興味があれば、このブログの、今朝の記事『目が覚めたら王様だったら?』に詳しく書いたので、ご参照願う。

ところが、フリンの研究の後も、人々のIQに関して統計が行われているのだが、何と、IQの伸びは1990年あたりに頭打ちとなり、2010年頃から明確に下がり続けているらしい。
これに関し、岡田斗司夫さんが動画でうまく説明してくれているが、私が見たのは非正規動画(いわゆる「切り抜き」)だったので、岡田さんの話を参考にしつつ新たに(多分もっと良くw)述べる。

頭が良いことを含め、能力が高いというのは「集中力がある」ことだ。
集中するほど、持っている実力を発揮出来るだけでなく、集中する訓練により集中力が高まると、実力も高くなることは、だいたい同意いただけると思う。
つまり、スポーツ、音楽演奏、武道、勉強などで、集中して行う訓練をすればするほど(限度はあるが)、訓練している分野はもちろん、人間として全体的に優秀になっていくのである。
ところが、よく、「この子は集中力がない」などと言われる生徒等がおり、そんな者は、確かに優秀になれない。
だが、学校等で集中力のない生徒や選手がいるのは、指導者の問題なのである。
なぜか?
人間は(特に子供は)、集中力がないのが当たり前であり、有能な指導者のみが、指導している相手に集中をさせることが出来るからである。

人間というのは集中力がない・・・元々、集中するように出来ていない。これは本当だ。
文明なんてものが出来たのは、人類の長い歴史の中で、ごく最近のことである。
だから、今の人類だって、原始時代の名残を色濃く残している。
原始時代、人間は、猛獣の襲撃に備え、常に周囲に意識を向ける必要があり、自分がやっていることに集中することなど出来なかったのだ。
農耕社会の歴史も狩猟時代に比べると短いし、農耕地帯にも野獣はいただろうから、やはり、人間は「集中してはいけなかった」のである。

そんなわけで、人間は本来、集中力がなく、うまく訓練しないと、能力は低いままだ。
だが、集中した方が仕事や戦いのパフォーマンスが上がることが自然に理解され、徐々にだが、人類は集中することを覚え、だんだん能力が高くなってきた。
だが、やはり、その進歩は一般には鈍い。
ところが、特殊なグループの中で、優れた集中の訓練が開発され、そんなところでは、異常に優秀な人間が育ったし、また、生徒をうまく集中に導くことが出来る学校では、多くの生徒を優秀にしてきたのである。
仏教では、特に真言密教では、真言を長時間唱えることで、集中力を磨き、集中力が高度になれば超能力を発揮することも分かっているのだと思う。

だが、テレビやラジオ、あるいは、音楽レコードのプレーヤーが普及することで、それらを見たり聞いたりしながら、勉強や仕事をすることで、人々は集中力を失い、それで、1960年代から、人間のIQの向上が鈍り、1990年くらいには完全に頭打ちとなり、スマートフォンが普及した2010年頃からは、人々のIQは坂を転げ落ちるように低下したのである。
スティーブ・ジョブズが、自分の子供に決してスマートフォンを与えなかったのは、ジョブズには、直観的にそれが分かっていたからだろう。

そんなわけで、集中力を失くし、頭を悪くしたくなければ、スマートフォンをなるべく、見ない、触らないことである。
スマートフォンを見る時間が長い人ほど頭が悪いことは、なんとなく分かると思う。

そして、例えば、一部の密教の教団が行ったように、真言を長時間唱えて、集中力を上げることは、頭を良くする良い方法なのである。
真言でなくても、中村天風が教えたように、常に肛門を引き締めることに意識を向けることで、余計なことに意識が向かず、集中力を高めることが出来る。
超一流数学者の岡潔が毎朝、念仏を1時間唱えていたのは、あくまで信仰のためではあったが、これもまた集中力を磨くのに役立ち、岡潔は数学のみならず、あらゆることで高度な能力を発揮したのだと思う。
しかし、岡潔のように念仏に集中するには、強い信仰が必要で、岡潔の場合は、弁栄という素晴らしい僧に会ったから、そんな信仰を持てたのである。
念仏以外の、真言、お経、祝詞、神仏の名・・・なども、毎日、それなりの時間唱えることは難しく、私も苦労した。
しかし、身体を動かす腕振り運動であれば、私は、多少の根気は要るとしても、かなり気持ち良くやれるのである。

集中力が高まれば、知性などの能力が高まるだけでなく、直観が冴えたり、アイデアが閃くようになる。さらには、特殊な密教的集団では知られていると思うが、神秘的な力が現れ、シンクロニシティ(共時性)が起こったり、超能力が備わったり、世界を支配する力にまでいたる可能性がある。
腕振り運動は、努力、忍耐、克己等の資質を持ち合わせていなくても、集中力を獲得出来る秘法であると思う。
やらなければもったいないと思う。








目が覚めたら王様だったら?

質問「明日の朝、目が覚めたら美少女になっていたらどうするか?」。
若い人ほど楽しい答をすると思うが、こういった問題を考えるのは楽しいものである。
現役の美少女だって、「もっと美少女だったら」と解釈して興味深い返答をしてくれることが期待出来る。
もちろん、質問としては「大金持ちだったら」とか「ライオンだったら」などいろいろ考えられ、楽しい会話の話題としても良いと思う。

ところが、「フリン効果」で知られる世界的哲学者ジェームズ・フリンは、少年時代、父親にそんな質問をして失望させられた。
ジェームズは人種差別問題について考えていて、父親に、
「明日の朝、目が覚めたら黒人になっていたらどうする?」
と尋ねた。
確かに、それは1940年代のことで、人種差別が露骨な時代であり、白人の彼らには、あまり楽しくない話題かもしれない。
だが、ジェームズは、父親が人種差別的な返答をするのとは全く違う失望をさせられたのだと思う。
父親の返答は、
「肌の色が変わった人間なんていないよ」
だった。

私がそうなのだが、ジェームズ・フリンの父親の返答に、ゾッとした人も多いのではないか?
最初の「明日の朝、目が覚めたら美少女になっていたらどうする?」の質問に対し、
「それはありえないことだ」
と答える人は、やはりいるのである。しかも、増えていると思えるのだ。
そんな答しか出来ない人はどういう人かというと馬鹿である。
実際の美少女だって、その質問に対し「もう美少女だし」としか答えられない人は、やはり馬鹿なのである(「私が美少女じゃないと言いたいの」と怒るのも同じ思考パターン)。
世の中に、そんな馬鹿が現実として数多く存在することを思い出すと、ゾッとするのではないかと思う。

だが、ジェームズ・フリンの父親の世代は、そんな答が普通だったのだ。
しかし、フリンの子や孫の世代である我々が、そんな答をすると馬鹿である。
そして、フリンは「フリン効果」といって、新しい世代ほどIQ(知能指数)が高い・・・つまり、頭が良いことを、長い研究の末、解明する。

では、「美少女になっていたら」「黒人になっていたら」といった質問に「ありえない」としか答えられない人間はなぜ馬鹿なのか簡単に説明する。
つまり、古い世代は、「仮定でものを考えられない」、つまり、「もしも〇〇だったら」という思考が出来ないのだ。
「もし〇〇だったら」という仮定を立てて考えることこそ、高度な知性であり、創造性に結び付く。
だから、知性が高い人間ほど、ユニークな「もし〇〇だったら」という発想をする。
アインシュタインは「もし、光と一緒に飛んだら、どんなだろう?」と考え、それを基に、後に、特殊相対性理論を発見したのである。
当然、ジェームズ・フリンの父親なら、アインシュタインに対し、「光と一緒に飛んだ人間はいないよ」と言うだろう。

では、なぜ、頭が悪い人は、仮定でものを考えられないのだろうか?
これははっきりしている。
自分の経験でしかものを考えられないからだ。
これについて、フロンは分かり易い事例を示している。
古い時代のハンターに、こんな質問をすると、どう答えるだろうか?
「雪のあるところに住むクマは白い。北極は雪が多い。では、北極にいるクマは何色か?」
この質問に対し、旧世代のクマを狩るハンターは、こう答える。
「俺が見たクマは全部茶色だ」
つまり、彼は、自分の経験以外のことは考えられないのだ。
そして、そんな人間が今でも沢山いるし、実は増えているからゾッとするのだ。

科学技術の進歩と共に、我々の世界は広がり、自分が知らないことが沢山あることが理解出来るようになった。
そこで、自分の経験になくても、「もしも〇〇だったら」と考えられるようになった。
そして、正しく「もしも〇〇だったら」と考えるためには、基礎的な理論を知り、論理的に考えることが出来ないといけない。
論理思考が出来てこそ、自分の経験を基にダイナミックな類推をすることが出来る(ただし、経験に縛られては発想が狭くなる)。
そして、経験がないことに関し、高度な仮定を考える人を天才と言うのだ。

経験にないことには具体性がないが、具体性のないことを「抽象的」と言い、「抽象的」は曖昧なものである。
だが、抽象的に考える能力こそが、高い知的能力であることはよく知られている。
そして、新しい世代ほど抽象的思考能力が高いのは、経験を超えてものごとを理解し考えることを必要とする科学的思考方法の普及による。

ところがところが!!(笑)。
人類のIQは、1980年代に頭打ちになり、2010年から明確に下がっていることが研究により分かっているが、考えてみれば当然なのだ。
夕方の記事でそれを説明し、腕振り運動で頭が良くなる明確な原理を示す。
この原理を体系的に理解し、私は昨夜、驚嘆したのである。
ちなみに、私の昨日の腕振り運動の回数は7000回だ。このくらいを3年続ければ、悪い頭も少しは良くなるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード