ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

シーモア・パパート

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

真言に力があるのは当然という話

真言というのは、宇宙意識への、確実に届くテレパシーである。
確かに、世界各地の信仰や伝承により、テレパシーを送る相手は異なる。
例えば、シヴァ神であったり大日如来であったり天照大神であったりゼウスであったりだ。
だが、『バガヴァッド・ギーター』の中で、神クリシュナが、こう言っている。
「どの神に祈ろうが、結局は最高神である私に祈っているのである」
このことは、江戸末期の神道家、黒住宗忠のことを考えると、よく分る。
黒住宗忠は、天照大神(アマテラスオオミカミ)を信仰し、天照大神に常に呼びかけ頼っていたが、宗忠は、古事記や日本書紀に登場する女神である天照大神を信仰していたのではなく、天照大神を、太陽神、あるいは、宇宙の根本神としていたのである。
しかし、人間の精神の性質や限界から考え、いったんは神話の女神である天照大神のイメージを通す必要があるのである。
(そこから考えると、天照大神は実は男神であったという説もあるが、いずれでも良いことであると思う)

昔から、神や仏を絵に描いたり、彫刻で作ったりはよく行われ、それが偶像であると言って非難されることがあるが、意識を向ける対象があった方が分かり易いので、少しも悪いことではない。
親鸞だって、本当に仏に姿や大きさや色があるわけではないが、それを示さないと仏をイメージし難いので、仏を、仮に絵や仏像のように考えるのだと言ったのである。

人間は、ビジネス、恋愛、その他あらゆるもの(根本的には人生そのもの)に対し、イメージが必要だし、良いイメージのためにはストーリーが必要だ。
また、そのために、個性的なキャラクターを考え、それをうまく使う能力がある。
これらは、一言で「概念」と呼ばれる、人間が持つ高度な能力だ。
数学者、児童心理学者、コンピューター科学者、AI研究家、そして、数学やプログラミングの教師であり、MITメディア・ラボ(世界最高のデジタル研究所)の創始者であったシーモア・パパートは、人間の最大の力は概念であると言った。
彼は、子供の時から、歯車という機械のパーツを概念としてうまく使ったので、平凡な能力しか持たない自分が、数学などの分野で良い仕事が出来たのだと述べている。
概念こそが、人間が使うべき能力なのだ。
それなら、神や仏の概念は、もっと役に立つかもしれない。
だから、神や仏に個別のキャラクターやストーリーを与えるのは自然に行われたのであるが、優れたストーリーやキャラクターは何千年と受け継がれ、今日の我々もそれらを概念として持っている。
神や仏の概念のストーリーは、単に記憶として伝えられているだけでなく、人類共通の意識である集合意識に、力強いエネルギーとして存在し、悪い使い方をすれば問題もあるが、良い使い方をすれば大変な力を与えてくれる。
そして、この力を使う最高の方法が真言である。

宇宙に意識があることは、科学者も認識しつつあるし、未来の科学(現在の我々の予想とは全く異なるものに違いない)では、それを自然に理解しているだろう。
しかし、遠い過去から、真言は、その巨大な宇宙意識に想いを届けてきたのである。
私は、個人的に、宇宙意識と交信する、いわゆるチャネリングを行うチャネラーの知り合いがいて、彼が話す宇宙語と、その翻訳とを聞かせてもらったことがあり、その内容は、とても個人の作り物とは思えない荘厳なものであったが、その中で、宇宙意識は我々に、「宇宙に向かって想いを投げなさい」と言ったが、その最上の形が真言であると、今では理解している。
個別の願い(金や恋人が欲しい等)を投げても構わないし、投げる側の意識の状態によっては、それは簡単に叶うが、そのようなやり方は難しい場合が多い。
しかし、イエスが言ったように、「神は我々が必要なものなど、とっくにご存じで、良いものを与えてくれないはずがない」のである。
ただ、そのために、想いを投げないといけないが、そのためには真言を唱えれば良いのである。
本来、「南無阿弥陀仏」という念仏、あるいは、真言は、宇宙意識にテレパシーを送る最上の言葉であると思う。
何と言っても、阿弥陀如来の原語であるアミターバは「無量・無限の光」という意味であり、まさに、宇宙意識のことである。
「南無観世音菩薩」は、宇宙意識の力の作用の象徴である観世音菩薩に、その力の行使を訴える言葉とも言え、唱えれば、高い効果があることは、まさに、『法華経』の第25章『観音経』にある通りである。
また、般若心経の呪文は、言葉の響きにより、速やかに意識が宇宙意識に達し、自分の意識と宇宙意識が一体化してしまうことは、般若心経の本文中で保証されているのである。だから、般若心経は、我々は呪文の部分だけを唱えれば良いのである。

真言の力は、どんな考え方で見ても、その威力は絶大で、これを使わないことは何とももったいない。
人間が宇宙や自然の全潜在力に守られ、力を与えられる、最高の、そして、事実上、唯一の方法かもしれない。少なくとも、最も簡単で、誰にでも失敗なく出来る方法であると思う。








解答>惚れ込むことの魔力

今朝書いた重要問題の答が出た。

能力的には平凡なシーモア・パパートがなぜ、世界的数学者、コンピューター科学者、心理学者、教育学者、AI研究者になれたのか?
それは、パパートが4歳の時、自動車の機械の中の歯車に惚れ込み、それ以来、あらゆることを歯車で考えるようになったからだ。
しかし、歯車はあくまで、パパートが惚れ込んだものであり、各自、自分が好きなものを見つけないといけない。
そして、パパートの場合は歯車だったが、その好きなものを、どのように使えば良いかの具体的なことを、パパートは言っていない。

では、あなたが何かを好きだとして、それをどのようにすれば、あなたは宇宙人的能力を発揮出来るのだろうか?
それはこうだ。
その好きなものを使おうなんて思ってはならない。
そうではなく、その好きなものが、頭の中で自由に振舞うのを許すのだ。
パパートの頭の中では、歯車はパパートの意思に関係なく、自由に動いたはずなのだ。
それを見てパパートは、何でも分かってしまったし、何でも出来たのだ。
しかし、「人類最高の数学教師」とまで言われたパパートが、このことをちゃんと言わなかったとは意外だ。
いや、言ってはいたが、心理学の微妙な言い回しをしていたため、うまく翻訳出来なかったのかもしれないと思う。
だが、真相は、この通りだ。
好きなものを自由にさせれば良いのである。
これは、こうも言えるのだ。
それは、あなたの好きなものが、あなたが自由を与え、自由に動き出すほど、あなたは好きでなくてはならない。
自由に動くなら、もちろん、初音ミクさんでも良いのである。
きっと、優れたボカロPさんというのは、頭の中で、初音ミクさん(あるいはお気に入りのボーカロイド)が歌ってくれるのである。
化学のベンゼン環は、ケクレが、イメージの中の蛇を自由にさせたら、蛇が動いて、自分の尻尾に噛み付くのを見て、ヒントを得て発見したものなのだ。
湯川秀樹の中間子理論も、夢の中で、子供達がボールを投げ合っているのを見て、そのボールから中間子を着想したのだ。
きっと、ケクレは蛇・・・と言うより、古代からある象徴図形であるウロボロス(尻尾を噛む蛇、あるいは、竜)が好きだったのだろう。
ケクレのウロボロスが、パパートの歯車だったのだ。

さあ、私も、これからは、大好きな○○に、頭の中で自由に振舞っていただこう。













当ブログ著者、KayのAI書。
次のような人は、本書が向いていると思います。
・数学とプログラミングのいずれか、あるいは、両方「得意でない」人。
・AIの概念を知るのではなく、AIを作り、楽しみたい人。
・AIが面白い問題を解決するのを見たい人。
・自分や会社(あるいは学校等)の役に立つAIを自分で作りたい人。
・ExcelやAccessでデータ処理をすることに興味がある人。
本書のほぼ全ての実習を行うために必要なデータを作れるExcelマクロ(VBAプログラム)によるシミュレーション・プログラムを無償ダウンロード出来ます。

惚れ込むことの魔力(自己評価:名文w)

2016年に88歳で亡くなったシーモア・パパートは驚くべき天才だった。
数学、心理学、教育学、コンピューターサイエンス、AIなどの分野で、高い業績を残した。
ところが、ある程度は謙遜と捉えるべきかもしれないが、彼は、自分の能力は平均的であると言う。
教育学や児童心理学の権威でもある彼が、自分の能力の評価を、著しく誤ったとも思えない。
そして、そんな平凡な自分が、なぜ、それらの難しそうな分野で成功出来たのかも述べている。
それは、4歳位の時だと思うが、歯車に惚れ込んだことだった。
機械の歯車である。
幼いパパートは、それを飽きずに、惚れ惚れと眺めていたのだと思う。
そして、パパートは、あらゆることを歯車で考えるようになったのだと言う。
遊びの計画も、スポーツの戦略も、女の子の気の引き方も、算数はもちろん、高等数学も。
だが、パパートは、歯車をどう使ったのか・・・いや、実際に手元に歯車を持っていた訳ではないので、どんなふうに頭の中で歯車で考えたのかは述べていないし、「歯車活用マニュアル」なんてものを作る気などサラサラないとも述べていた。
歯車の使い方が秘密なのではなく、そんなもの、教えても意味はないし、そもそも、教えることなど不可能なのだろう。
ただし、誰もが、自分(パパート)の歯車のようなものを持つことは出来るし、持つべきだとも言っていた。
要は、何かに惚れこめば良いのである。
パパートが歯車に心底惚れ込んだように。

ただ、サッカー選手がサッカーボールに惚れ込むというのとは違うと思う。
もちろん、サッカー選手はサカーボールが好きだろうが、それに惚れこんだりはしない。
パパートは数学も好きだったろうが、数学に惚れ込んだのではないだろうし、ものごとを数学で考えたのでもない。
「俺は何でも数学で考える」なんてやつは、大抵、変なやつで、多分、無能者だ(笑)。

スティーブ・ジョブズなんて、ひょっとしたら、大学を辞めた後で、その大学で無断受講したカリグラフィー(文字装飾技法。日本の書道に通じる)に惚れ込んだから成功したのではないかと思っている。

では、何かに惚れ込むと、なぜ能力が高くなったり、成功したりするのか?
パパートは、それが、強力な概念の力を与えてくれるからと言うが、それでは曖昧で解らない。
結局のところ、パパートもよく解っていなかったのかもしれない。
だが、この世界が、実は、コンピューターが作るVR(仮想現実)世界だと考えると、少しヒントが浮かぶ。
惚れ込むほど好きなものが、このVR世界(シミュレーテッド・リアリティーと呼ばれる)を動かすコマンド、あるいは、プログラムになるのだ。

インドの聖者ラマナ・マハルシだって、アルナチャラの山の写真に魅せられ、それに惚れ込んだ。
何にも執着しない大聖者である彼も、なぜか、アルナチャラの山だけは特別視し、その理由は聞かれても述べなかった。
そして、彼ほど、この世界がVR世界であるといった意味のことを明確に述べた人はいなかったと思う。
(イーロン・マスクも、この世界がシミュレーテッド・リアリティだと断言するが、彼の言は矛盾が多い)

何でもいいから惚れ込みなさい。
初音ミクさんに惚れ込むというより(それも大事だがw)、ボーカロイド技術に、あるいは、その根本のフーリエ変換に、あるいは、その原型の波の形に。
もちろん、もっと別の単純なもので良い。
あのパパートの場合は歯車だったのだから。













当ブログ作者、KayのAI書。
「プリンが美味いか不味いかは、食べてみれば分かる」という言葉があります。
数学、プログラミング、AI理論を勉強してから機械学習型AIを作るというのは、プリンを食べずにプリンを作ろうとするようなものです。
この本では、まず、プリンをぱっくんと食べて(笑)、プリンを楽しむように、まず、AIを楽しみます。
そして、プリンのための卵を鶏に産ませたり、小麦を収穫することは専門家にまかせ、必要な材料を買ってくれば良いのです。
独自のプリンは作るが、非現実的な努力まではしない(普通の人にとって、非現実的な努力が、数学やプログラミングや高度なAI理論です)。
それと同じように、誰でも適度な作業をしながら、自分のために役立つAIを作る。それが、この本のポリシーです。
また、扱うテーマは日常的でピンとくるもの、興味深いものを選んでいます。

脳の映像領域で考える

アメリカの事業家イーロン・マスクの名を知らない人がいまだ多いのは驚くべきことだ。
民間宇宙船開発会社スペースXで、ロシア、中国、そして、アメリカ政府と競い、人類の火星移住計画を推進し、都市の地下に無限層の自動車交通路を本当に作り始め、太陽光発電で電気代を無料にしようとしている。
今月(2019年7月)は、脳機能を拡張するチップを人間の脳に埋め込む臨床試験を2020年から行うことを政府機関に申請している。
だが、イーロンの目下最も大きな事業は、電気自動車製造会社テスラで、この新しく業界に参加した自動車会社が、フォードやGMといった大手自動車会社を時価総額で抜き去るという信じ難いことをやり、AIによる自動運転を推進する。

ところで、イーロン・マスクの興味深い思考法は、「脳の映像領域で考える」ことだ。
彼の自動車会社の名称にもなっている大天才ニコラ・テスラも似たことを言っていた。
要は、イメージで考えるとも言え、そのこと自体は、普通の人でも何となく解ると思うが、普通の人は曖昧にしか知らないのだ。
イメージで考えるちゃんとしたやり方を知れば、天才になると言うより、世界を創造出来る。つまり、ミニ神様になれるのだ。
数学者、心理学者、コンピューター科学者で、いずれの分野でも天才級の実績を残したシーモア・パパートは、幼い時に「歯車」に惚れ込み、何でも歯車で考えると言う。
彼は、自分の能力は平凡だという。彼の平常の愚行を思えば、それはあながち謙遜ではないかもしれない。そして彼は、そんな凡人である自分が、それなりの実績を上げられたのは、歯車で考えたからだと言う。頭の中で、歯車を動かしながら考えるのだ。これも、イーロン・マスクの言う、「脳の映像領域で考える」ということと同じなのだろう。
昨日も書いたが、私が奇跡の力を発揮した時も、いつもイメージがあった。
奇跡の本家本元のイエス・キリストも、そのあたりはもっと具体的に教えても良かったのにと思うが、時代を考えればやむを得ないか・・・

「イメージしろ」と言われた時の、普通の人のやり方は、あまりに冗長で鋭さがない。
イメージには力が必要で、生き生きとしていなければならず、カラーであることが効果的で、そのためには、普通の人では、かなり短時間に集中してイメージしなければならない。
例えば、リンゴが食べたいと思ったら、自分が今、一番食べたい形・・・剥いて8分の1ほどに切ったリンゴが白い皿に乗っている様子を「ぱっと」イメージしたら、ふと振り返れば、ありえない状況で、誰かが「リンゴいらない」と、リンゴを手渡してくれたり、あるいは、本当に剥いたリンゴが出てきたりするのである。
私は子供の時、そうやってリンゴを「空中に注文」していたものだ。
小学生の時の下校時、「今日は、あの道であの(可愛い女の)子に会おう」と勝手に決めて、いつもは通らないその道を行きながら、彼女の印象的な一瞬を強く思い浮かべると、やはり、そこに彼女が現れるのである。
必ずしも、イメージ通りに事が運ぶのではない・・・いや、イメージそのものはかなり外れる。
例えば、私は、天体望遠鏡を初めて手にいれた小学4年生の時、夜空の星の配置に関して知識ゼロながら、「土星を見よう」と思って、図鑑で見た大きな土星の写真をイメージして、適当に星を1つ選んで望遠鏡で見たら、ちゃんと輪はついていて土星だと判ったが、図鑑の土星とは比べ物にならないほど小さかった。
しかし、十分以上に感動的だった。
イメージと違うのは悪いことではない。何とっても、人生とは未知との遭遇を楽しむためのものと言って過言ではないのだから。
昔の魔法も、シンボルを1つ、瞬間的に強くイメージする訓練をしたものであるが、本来、好きなものであれば訓練などする必要はない。
しかし、大人になると、そうやって教えないと、なかなか出来ないものである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ソクラテスが教える、特別な存在になる方法

人間は、自分を高く評価し、他人を低く評価する。
そう言われると、「確かにその通り」と思う。
だが、十代前半くらいまでは、「しかし、自分だけは別。自分だけは確かに特別」と思うことも多いものだ。
しかし、今は、いくつになっても、そう思い続ける者がひどく多いのだ。

「え?私は『世界に一つだけの花』じゃないの?」
って、それは・・・・・まあ、うまい商売って、そんなもんじゃないだろうか?
いや、確かに、他人と自分を比べても仕方がない。
それを、ドングリの背比べと言うのだから。

だが、ご安心を。
特別な存在になれる方法なら、あのソクラテスが明確に教えてくれている。
ソクラテスは言ったのだ。
「私は自分が特別だと解った。私だけが、自分は特別じゃないって知っているからだ」
なんと、中二病(自分を特別な存在と思うこと)ってのは、現代日本特有の病ではなく、ソクラテスの時代からそうだったのだ。
ただ、病状の重さは、やはり我々の方がずっと上だ(自慢にならないが)。
しかし、アンドリュー・カーネギーだったか誰だったか忘れたが、世界で特別視されている人物はこう言った。
「どう間違えても、私がソクラテスより偉いはずがないので、やっぱり私は大したことはないのだ」
自然な、まともな理解である。
ところが、この程度のことが解らない者が多いのだ。
まあ、そのことが解るから、彼も、普通の人よりは偉大だったのだ。

シーモア・パパートは、数学、コンピューター、教育、心理学の分野で、人類を前に進めたが、彼は、自分の能力は平均的だと言う。
ただ彼は、自分は幼い(3つか4つ)時、歯車に惚れ込み、ものごとを歯車で考えたから、うまくいった・・・つまり、「概念の力」を持っていたし、それを持てば、誰でも私程度のことは出来ると言った。
まあ、それがちょっと難しいらしく、パパートも、教育学者、あるいは、現場の教師として、子供達に、何らかの「歯車」を持たせようとしたが、あまり成功しなかったような気がする(少しはうまくいったこともあっただろうが)。
パパートは歯車を好きになったのだが、それは、自然にそうなったのであり、誰も、彼に、歯車を好きになるようそそのかした訳でも、まして、強要した訳でもない。
アインシュタインも、Google創業者のラリー・ペイジも、何かを好きになったのだし、我らが初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之さんは電子音楽を好きになったのだ。
まさに、セベ・バレストロスのお父さんの教えのように、「何でもいいから好きになれ」である。
それは歯車で十分なのだ。
武道家の堀部正史さんは「誰でも三度のメシより好きなものがある。私の場合はケンカだった」と言うが、彼のケンカ好きは半端でなかった。そして、本当のケンカ好きは弱い者いじめは決してしない。それは、極真空手の大山倍達さんも同じだった。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼

最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード