ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

シーモア・パパート

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

簡単なイメージを動かして天才になった人達

IT企業の大物の伝記を読むと、引き寄せの実感が得られるのではないかと思う。
イーロン・マスクはイメージを動かして考える人だが、彼は子供の時からそうやっていた。
スティーブ・ジョブズは、「現実歪曲空間」とかいって、現実を思うように変えてしまう能力があるが、どうやってやるかというと、「信じるしかない」で、言い換えれば、人間には信じることくらいしか出来ないということだ。
ジョブズは、スタンフォードの卒業式でも「過去の点と未来の点をつなげる」というふうに、空間的に考える人だったようで、これもまた、イメージを動かして考えることだろう。
イメージを動かして考えるというと、最も印象深いのは、シーモア・パパートだった。
シーモア・パパートは、数学者、心理学者、教育者、コンピューター科学者、AI研究者として、どの分野でも大きな業績を残した偉大な人物だが、彼は、自分の能力は平凡だと言う。そして、そんな自分に大きな仕事が出来たのは、4歳の時から、頭の中で歯車を使って考えているからだと言う。歯車とは、誰でもよく知っている機械部品の歯車だ。彼は、3歳か4歳か忘れたが、自動車エンジンの歯車の動きに感動し、以降は、どんなことも、頭の中で歯車を思い浮かべて考えるようになったと言う。
とはいえ、誰もが歯車で考える必要はなく、好きなもので考えれば良いのである。
パパートは、自分が歯車というものに出会ったことは幸運だったと言い、誰もが、その人にとっての歯車と出逢えれば良いと言っていたと思う。

で、イーロン・マスクにとっての歯車は何かというと、具体的には分からないが、彼は子供の時にSFの『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んで使命感に目覚めたと言うが、そのSFの中に、彼に(パパートの歯車に相当するような)イメージを与えるものがあったのではないかと思う。だいたいが、IT企業の大物達は皆SF好きだ。
スティーブ・ジョブズの場合は、例のアレだろう(笑)。
つまり、カリグラフィーという文字装飾芸術で、芸術の中でもシンプルで直観を刺激し易いものだ。
無論、これらは彼らのものであり、我々は自分の歯車を持てば良いのである。
つまり、世界的芸術家の横尾忠則さんが言うように、それは、「十代の時に好きだった何か」であり、横尾さんの場合は、ターザンだった(他に、南洋一郎の冒険小説)。
ターザンは空間を動き回るので、やはり、イメージを操作するのに役に立つ。
私の知り合いの金持ちは『鉄腕アトム』だった。
『鉄腕アトム』は現在(2023年12月)、初期作品(モノクロ)がAmazon Prime Videoで見ることが出来るが、手塚治虫さんが制作に関わったこの作品の映像センスは現代でも見ることが出来ないほど素晴らしいものだと思う。あの金持ちは、その中で動き回る鉄腕アトムのイメージで考えるのだろう。

なぜイメージが大切かというと、苫米地英人さんが言うように、動くイメージによって臨場感を得るためだ。
臨場感あるイメージは現実と同じで、実際に現実になってしまうのだ。
これが引き寄せの本質だろう。
歯車のことはさておき、臨場感を得るために最も簡単な方法は、苫米地さんが言うように、アファーメーションの中に情感の言葉・・・例えば、嬉しい、爽やか、誇らしい・・・等を入れるのが最も手っ取り早い。
私の知り合いの金持ちのアファーメーションというか口ぐせは「金があるからな」と「儲かってしゃーない」だが、この言葉には、「金があるからな(気分がいい)」とか「儲かってしゃーない(から嬉しい)」といった情感が隠れているのだ。
だから、私がお薦めするシンプルなアファーメーション「お金がある」も、「お金がある。嬉しい」「お金がある。安心だ」といった情感の言葉を入れるか意識するとより効果があるだろう。

天の川
AIアート561
「天の川」
Kay


私は深呼吸でIQが多少上がっているのか、上記のような連想的考察がすらすら出て来て・・・出過ぎてタイプが追い付かない。
深呼吸は相変わらず忘れ勝ちであるが、それでも効果が出ているようである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)イーロン・マスク 未来を創る男
(2)銀河ヒッチハイク・ガイド
(3)ハングリーであれ! 愚かであれ! スティーブ・ジョブズ
(4)マインドストーム: 子供,コンピューター,そして強力なアイデア(シーモア・パパート)
(5)「言葉」があなたの人生を決める(苫米地英人)
(6)鉄腕アトム (1963) ※Amazon Prime Video

真言に力があるのは当然という話

真言というのは、宇宙意識への、確実に届くテレパシーである。
確かに、世界各地の信仰や伝承により、テレパシーを送る相手は異なる。
例えば、シヴァ神であったり大日如来であったり天照大神であったりゼウスであったりだ。
だが、『バガヴァッド・ギーター』の中で、神クリシュナが、こう言っている。
「どの神に祈ろうが、結局は最高神である私に祈っているのである」
このことは、江戸末期の神道家、黒住宗忠のことを考えると、よく分る。
黒住宗忠は、天照大神(アマテラスオオミカミ)を信仰し、天照大神に常に呼びかけ頼っていたが、宗忠は、古事記や日本書紀に登場する女神である天照大神を信仰していたのではなく、天照大神を、太陽神、あるいは、宇宙の根本神としていたのである。
しかし、人間の精神の性質や限界から考え、いったんは神話の女神である天照大神のイメージを通す必要があるのである。
(そこから考えると、天照大神は実は男神であったという説もあるが、いずれでも良いことであると思う)

昔から、神や仏を絵に描いたり、彫刻で作ったりはよく行われ、それが偶像であると言って非難されることがあるが、意識を向ける対象があった方が分かり易いので、少しも悪いことではない。
親鸞だって、本当に仏に姿や大きさや色があるわけではないが、それを示さないと仏をイメージし難いので、仏を、仮に絵や仏像のように考えるのだと言ったのである。

人間は、ビジネス、恋愛、その他あらゆるもの(根本的には人生そのもの)に対し、イメージが必要だし、良いイメージのためにはストーリーが必要だ。
また、そのために、個性的なキャラクターを考え、それをうまく使う能力がある。
これらは、一言で「概念」と呼ばれる、人間が持つ高度な能力だ。
数学者、児童心理学者、コンピューター科学者、AI研究家、そして、数学やプログラミングの教師であり、MITメディア・ラボ(世界最高のデジタル研究所)の創始者であったシーモア・パパートは、人間の最大の力は概念であると言った。
彼は、子供の時から、歯車という機械のパーツを概念としてうまく使ったので、平凡な能力しか持たない自分が、数学などの分野で良い仕事が出来たのだと述べている。
概念こそが、人間が使うべき能力なのだ。
それなら、神や仏の概念は、もっと役に立つかもしれない。
だから、神や仏に個別のキャラクターやストーリーを与えるのは自然に行われたのであるが、優れたストーリーやキャラクターは何千年と受け継がれ、今日の我々もそれらを概念として持っている。
神や仏の概念のストーリーは、単に記憶として伝えられているだけでなく、人類共通の意識である集合意識に、力強いエネルギーとして存在し、悪い使い方をすれば問題もあるが、良い使い方をすれば大変な力を与えてくれる。
そして、この力を使う最高の方法が真言である。

宇宙に意識があることは、科学者も認識しつつあるし、未来の科学(現在の我々の予想とは全く異なるものに違いない)では、それを自然に理解しているだろう。
しかし、遠い過去から、真言は、その巨大な宇宙意識に想いを届けてきたのである。
私は、個人的に、宇宙意識と交信する、いわゆるチャネリングを行うチャネラーの知り合いがいて、彼が話す宇宙語と、その翻訳とを聞かせてもらったことがあり、その内容は、とても個人の作り物とは思えない荘厳なものであったが、その中で、宇宙意識は我々に、「宇宙に向かって想いを投げなさい」と言ったが、その最上の形が真言であると、今では理解している。
個別の願い(金や恋人が欲しい等)を投げても構わないし、投げる側の意識の状態によっては、それは簡単に叶うが、そのようなやり方は難しい場合が多い。
しかし、イエスが言ったように、「神は我々が必要なものなど、とっくにご存じで、良いものを与えてくれないはずがない」のである。
ただ、そのために、想いを投げないといけないが、そのためには真言を唱えれば良いのである。
本来、「南無阿弥陀仏」という念仏、あるいは、真言は、宇宙意識にテレパシーを送る最上の言葉であると思う。
何と言っても、阿弥陀如来の原語であるアミターバは「無量・無限の光」という意味であり、まさに、宇宙意識のことである。
「南無観世音菩薩」は、宇宙意識の力の作用の象徴である観世音菩薩に、その力の行使を訴える言葉とも言え、唱えれば、高い効果があることは、まさに、『法華経』の第25章『観音経』にある通りである。
また、般若心経の呪文は、言葉の響きにより、速やかに意識が宇宙意識に達し、自分の意識と宇宙意識が一体化してしまうことは、般若心経の本文中で保証されているのである。だから、般若心経は、我々は呪文の部分だけを唱えれば良いのである。

真言の力は、どんな考え方で見ても、その威力は絶大で、これを使わないことは何とももったいない。
人間が宇宙や自然の全潜在力に守られ、力を与えられる、最高の、そして、事実上、唯一の方法かもしれない。少なくとも、最も簡単で、誰にでも失敗なく出来る方法であると思う。








解答>惚れ込むことの魔力

今朝書いた重要問題の答が出た。

能力的には平凡なシーモア・パパートがなぜ、世界的数学者、コンピューター科学者、心理学者、教育学者、AI研究者になれたのか?
それは、パパートが4歳の時、自動車の機械の中の歯車に惚れ込み、それ以来、あらゆることを歯車で考えるようになったからだ。
しかし、歯車はあくまで、パパートが惚れ込んだものであり、各自、自分が好きなものを見つけないといけない。
そして、パパートの場合は歯車だったが、その好きなものを、どのように使えば良いかの具体的なことを、パパートは言っていない。

では、あなたが何かを好きだとして、それをどのようにすれば、あなたは宇宙人的能力を発揮出来るのだろうか?
それはこうだ。
その好きなものを使おうなんて思ってはならない。
そうではなく、その好きなものが、頭の中で自由に振舞うのを許すのだ。
パパートの頭の中では、歯車はパパートの意思に関係なく、自由に動いたはずなのだ。
それを見てパパートは、何でも分かってしまったし、何でも出来たのだ。
しかし、「人類最高の数学教師」とまで言われたパパートが、このことをちゃんと言わなかったとは意外だ。
いや、言ってはいたが、心理学の微妙な言い回しをしていたため、うまく翻訳出来なかったのかもしれないと思う。
だが、真相は、この通りだ。
好きなものを自由にさせれば良いのである。
これは、こうも言えるのだ。
それは、あなたの好きなものが、あなたが自由を与え、自由に動き出すほど、あなたは好きでなくてはならない。
自由に動くなら、もちろん、初音ミクさんでも良いのである。
きっと、優れたボカロPさんというのは、頭の中で、初音ミクさん(あるいはお気に入りのボーカロイド)が歌ってくれるのである。
化学のベンゼン環は、ケクレが、イメージの中の蛇を自由にさせたら、蛇が動いて、自分の尻尾に噛み付くのを見て、ヒントを得て発見したものなのだ。
湯川秀樹の中間子理論も、夢の中で、子供達がボールを投げ合っているのを見て、そのボールから中間子を着想したのだ。
きっと、ケクレは蛇・・・と言うより、古代からある象徴図形であるウロボロス(尻尾を噛む蛇、あるいは、竜)が好きだったのだろう。
ケクレのウロボロスが、パパートの歯車だったのだ。

さあ、私も、これからは、大好きな○○に、頭の中で自由に振舞っていただこう。













当ブログ著者、KayのAI書。
次のような人は、本書が向いていると思います。
・数学とプログラミングのいずれか、あるいは、両方「得意でない」人。
・AIの概念を知るのではなく、AIを作り、楽しみたい人。
・AIが面白い問題を解決するのを見たい人。
・自分や会社(あるいは学校等)の役に立つAIを自分で作りたい人。
・ExcelやAccessでデータ処理をすることに興味がある人。
本書のほぼ全ての実習を行うために必要なデータを作れるExcelマクロ(VBAプログラム)によるシミュレーション・プログラムを無償ダウンロード出来ます。

惚れ込むことの魔力(自己評価:名文w)

2016年に88歳で亡くなったシーモア・パパートは驚くべき天才だった。
数学、心理学、教育学、コンピューターサイエンス、AIなどの分野で、高い業績を残した。
ところが、ある程度は謙遜と捉えるべきかもしれないが、彼は、自分の能力は平均的であると言う。
教育学や児童心理学の権威でもある彼が、自分の能力の評価を、著しく誤ったとも思えない。
そして、そんな平凡な自分が、なぜ、それらの難しそうな分野で成功出来たのかも述べている。
それは、4歳位の時だと思うが、歯車に惚れ込んだことだった。
機械の歯車である。
幼いパパートは、それを飽きずに、惚れ惚れと眺めていたのだと思う。
そして、パパートは、あらゆることを歯車で考えるようになったのだと言う。
遊びの計画も、スポーツの戦略も、女の子の気の引き方も、算数はもちろん、高等数学も。
だが、パパートは、歯車をどう使ったのか・・・いや、実際に手元に歯車を持っていた訳ではないので、どんなふうに頭の中で歯車で考えたのかは述べていないし、「歯車活用マニュアル」なんてものを作る気などサラサラないとも述べていた。
歯車の使い方が秘密なのではなく、そんなもの、教えても意味はないし、そもそも、教えることなど不可能なのだろう。
ただし、誰もが、自分(パパート)の歯車のようなものを持つことは出来るし、持つべきだとも言っていた。
要は、何かに惚れこめば良いのである。
パパートが歯車に心底惚れ込んだように。

ただ、サッカー選手がサッカーボールに惚れ込むというのとは違うと思う。
もちろん、サッカー選手はサカーボールが好きだろうが、それに惚れこんだりはしない。
パパートは数学も好きだったろうが、数学に惚れ込んだのではないだろうし、ものごとを数学で考えたのでもない。
「俺は何でも数学で考える」なんてやつは、大抵、変なやつで、多分、無能者だ(笑)。

スティーブ・ジョブズなんて、ひょっとしたら、大学を辞めた後で、その大学で無断受講したカリグラフィー(文字装飾技法。日本の書道に通じる)に惚れ込んだから成功したのではないかと思っている。

では、何かに惚れ込むと、なぜ能力が高くなったり、成功したりするのか?
パパートは、それが、強力な概念の力を与えてくれるからと言うが、それでは曖昧で解らない。
結局のところ、パパートもよく解っていなかったのかもしれない。
だが、この世界が、実は、コンピューターが作るVR(仮想現実)世界だと考えると、少しヒントが浮かぶ。
惚れ込むほど好きなものが、このVR世界(シミュレーテッド・リアリティーと呼ばれる)を動かすコマンド、あるいは、プログラムになるのだ。

インドの聖者ラマナ・マハルシだって、アルナチャラの山の写真に魅せられ、それに惚れ込んだ。
何にも執着しない大聖者である彼も、なぜか、アルナチャラの山だけは特別視し、その理由は聞かれても述べなかった。
そして、彼ほど、この世界がVR世界であるといった意味のことを明確に述べた人はいなかったと思う。
(イーロン・マスクも、この世界がシミュレーテッド・リアリティだと断言するが、彼の言は矛盾が多い)

何でもいいから惚れ込みなさい。
初音ミクさんに惚れ込むというより(それも大事だがw)、ボーカロイド技術に、あるいは、その根本のフーリエ変換に、あるいは、その原型の波の形に。
もちろん、もっと別の単純なもので良い。
あのパパートの場合は歯車だったのだから。













当ブログ作者、KayのAI書。
「プリンが美味いか不味いかは、食べてみれば分かる」という言葉があります。
数学、プログラミング、AI理論を勉強してから機械学習型AIを作るというのは、プリンを食べずにプリンを作ろうとするようなものです。
この本では、まず、プリンをぱっくんと食べて(笑)、プリンを楽しむように、まず、AIを楽しみます。
そして、プリンのための卵を鶏に産ませたり、小麦を収穫することは専門家にまかせ、必要な材料を買ってくれば良いのです。
独自のプリンは作るが、非現実的な努力まではしない(普通の人にとって、非現実的な努力が、数学やプログラミングや高度なAI理論です)。
それと同じように、誰でも適度な作業をしながら、自分のために役立つAIを作る。それが、この本のポリシーです。
また、扱うテーマは日常的でピンとくるもの、興味深いものを選んでいます。

脳の映像領域で考える

アメリカの事業家イーロン・マスクの名を知らない人がいまだ多いのは驚くべきことだ。
民間宇宙船開発会社スペースXで、ロシア、中国、そして、アメリカ政府と競い、人類の火星移住計画を推進し、都市の地下に無限層の自動車交通路を本当に作り始め、太陽光発電で電気代を無料にしようとしている。
今月(2019年7月)は、脳機能を拡張するチップを人間の脳に埋め込む臨床試験を2020年から行うことを政府機関に申請している。
だが、イーロンの目下最も大きな事業は、電気自動車製造会社テスラで、この新しく業界に参加した自動車会社が、フォードやGMといった大手自動車会社を時価総額で抜き去るという信じ難いことをやり、AIによる自動運転を推進する。

ところで、イーロン・マスクの興味深い思考法は、「脳の映像領域で考える」ことだ。
彼の自動車会社の名称にもなっている大天才ニコラ・テスラも似たことを言っていた。
要は、イメージで考えるとも言え、そのこと自体は、普通の人でも何となく解ると思うが、普通の人は曖昧にしか知らないのだ。
イメージで考えるちゃんとしたやり方を知れば、天才になると言うより、世界を創造出来る。つまり、ミニ神様になれるのだ。
数学者、心理学者、コンピューター科学者で、いずれの分野でも天才級の実績を残したシーモア・パパートは、幼い時に「歯車」に惚れ込み、何でも歯車で考えると言う。
彼は、自分の能力は平凡だという。彼の平常の愚行を思えば、それはあながち謙遜ではないかもしれない。そして彼は、そんな凡人である自分が、それなりの実績を上げられたのは、歯車で考えたからだと言う。頭の中で、歯車を動かしながら考えるのだ。これも、イーロン・マスクの言う、「脳の映像領域で考える」ということと同じなのだろう。
昨日も書いたが、私が奇跡の力を発揮した時も、いつもイメージがあった。
奇跡の本家本元のイエス・キリストも、そのあたりはもっと具体的に教えても良かったのにと思うが、時代を考えればやむを得ないか・・・

「イメージしろ」と言われた時の、普通の人のやり方は、あまりに冗長で鋭さがない。
イメージには力が必要で、生き生きとしていなければならず、カラーであることが効果的で、そのためには、普通の人では、かなり短時間に集中してイメージしなければならない。
例えば、リンゴが食べたいと思ったら、自分が今、一番食べたい形・・・剥いて8分の1ほどに切ったリンゴが白い皿に乗っている様子を「ぱっと」イメージしたら、ふと振り返れば、ありえない状況で、誰かが「リンゴいらない」と、リンゴを手渡してくれたり、あるいは、本当に剥いたリンゴが出てきたりするのである。
私は子供の時、そうやってリンゴを「空中に注文」していたものだ。
小学生の時の下校時、「今日は、あの道であの(可愛い女の)子に会おう」と勝手に決めて、いつもは通らないその道を行きながら、彼女の印象的な一瞬を強く思い浮かべると、やはり、そこに彼女が現れるのである。
必ずしも、イメージ通りに事が運ぶのではない・・・いや、イメージそのものはかなり外れる。
例えば、私は、天体望遠鏡を初めて手にいれた小学4年生の時、夜空の星の配置に関して知識ゼロながら、「土星を見よう」と思って、図鑑で見た大きな土星の写真をイメージして、適当に星を1つ選んで望遠鏡で見たら、ちゃんと輪はついていて土星だと判ったが、図鑑の土星とは比べ物にならないほど小さかった。
しかし、十分以上に感動的だった。
イメージと違うのは悪いことではない。何とっても、人生とは未知との遭遇を楽しむためのものと言って過言ではないのだから。
昔の魔法も、シンボルを1つ、瞬間的に強くイメージする訓練をしたものであるが、本来、好きなものであれば訓練などする必要はない。
しかし、大人になると、そうやって教えないと、なかなか出来ないものである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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