昨晩は、アニメ映画『天空の城ラピュタ』を久々に通して観た。
私は、この映画を特に好きではないと思っていたが、考えてみれば、DVDを持っているが、ブルーレイを購入し、テレビ放送を何度も録画し、いまもテレビのHDDに残っている。
さらにムック(和製英語。雑誌のような書籍。雑誌のように大きく、カラーの絵や写真が映える)や、豪華な絵コンテ集まで持っている。
ブルーレイは昨日届いたものだ。
川上量生さんが書かれた『コンテンツの秘密』に、スタジオ・ジブリや宮崎駿監督のアニメ映画制作に関する面白いことが書かれているのを読んだことで、非常に興味深く観ることが出来た。
逆に言えば、私は、作品そのものを純粋に楽しむことが出来ないということでもあるのだろう。
そもそも私は、宮崎アニメ、ジブリ作品が、あまり好きではない・・・今のところは。
まあ、ひょっとしたら、後10年くらいしたら、猛烈なファンになるかもしれない。
宮崎アニメはどれも、わざとらしい、不自然・・・というか、監督の思想の色がつき過ぎている。
しかし、ジブリの作品は、まさに、監督の分身のようなものだから、それは当たり前かもしれない。
DVDにもブルーレイにも、絵コンテをそのまま映画にしたものが収められている。
絵コンテとは、四コマ漫画みたいなものである。
川上さんの本で知ったのだが、宮崎監督は、映画を創る時、まず絵コンテを描くのだが、絵コンテがたまってきたところで、すぐに制作に入るのだそうだ。
ストーリーは創りながら考えており、最初から決まっているのではない。だから、どんな展開になるか、監督すら分からない。
まして、観ている者に分かるはずがないので、先が読めずに面白い。
そんな創り方では、お話は最初はゆっくり進むが、ラスト近くになると、お話を終わらせるために急ピッチで進むといういい加減なものだが、それでかえって、緊迫感、詰まった濃い感じ、それに、小気味良いスピード感が出る。
何かの作品で、宮崎監督が、プロデューサーに、「お話が終わんないよお。後30分しかないのに」と泣きついてきたことがあったそうだが、そんなことも全部、作品の面白さになるらしい。
そういったことは、宮崎監督は自分の本では書いてなかったような気がするが、それを川上さんがバラしたということになるのだろうか。
宮崎監督は、この作品以降、美少女キャラを登場させていないのだと思う。ところが、この作品のヒロイン、シータと、前の作品『風の谷のナウシカ』のナウシカの人気は、今も絶大だ。
『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイに並ぶ、日本の代表的ヒロインと言えるほどだ。
ただ、川上さんは、綾波レイの人気は落ちていると言う。その理由は、綾波レイの魅力の大きな部分は神秘性、つまり、謎があるところだが、それがもう明かされたことが彼女の魅力を減じてしまったということだ。そんな感じもするが、本当かどうかは分からない。私は、綾波レイの秘密はまだ知らないが、さして好きでもない(無論、付き合ってくれと言われたら付き合うが)。
私は、『エヴァンゲリオン』シリーズは、テレビ放送も映画も、見ていると、憂鬱になって疲れてしまうので、一度見れば十分で、最近の映画は見ていない。
宮崎監督は、監督デビュー作であった『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロイン、クラリスが理想の女性だと著書に書かれていたが、ナウシカやシータも同じか、もしくは、それに近いのだろう。
それで、シータで描き切って終わりにしたのだと、宮崎監督も書かれていたように思うが、川上さんは、性的な要素は単純で広がりがないというのが、ジブリが美少女キャラをやめた理由だと書かれていたようにも思う。
性的な要素と言えば、宮崎監督は露骨なエロチックな表現はしないが、無い訳では決してない。
古くは、テレビアニメ『未来少年コナン』で、コナンとラナが、潜水艦の小さな窓から外を見ていたのが、2人がくっつかざるをえない必然的状況になっていて、そんなふうに、さりげなく表現するのが宮崎監督らしい。
とはいえ、シータは、スカートが風で大きくひるがえったり(下着は見えなかったが)、ドーラの息子達(いい年のオッサンばかりだ)が、シータを遠くから、「いい!」と、ぼーっと眺めたり、なかなか危うい感じもあった。
ところで、私が不自然に思っていた最たるものが、パズーのあまりの健全さだった。
あれだけシータと何度もぴったりくっつきながら、まるで平気なのである。
そもそも、初めてシータと会った時、気を失っているシータを一人暮らしをしている自分の家に運び、ベッドに寝かせて何もしないなど、あるはずがない。
まあ、ここらが、アニメと言えばアニメなのだと思っていたが、最近は、「いや、多分、あれで普通なのだ」と思うようになった。
つまり、我々の方が、社会の影響でエロくなり過ぎていただけなのだ。
あの2人は魂で融合しているのであり、それが本当の男女の結び付きだろう。
そんなことが描かれているので、私は、昔から、この作品を好きでないと思いつつ、作品に関するあらゆるものを集めていたのだろう。
それにやはり、シータは、人間としては理想のタイプである。
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私は、この映画を特に好きではないと思っていたが、考えてみれば、DVDを持っているが、ブルーレイを購入し、テレビ放送を何度も録画し、いまもテレビのHDDに残っている。
さらにムック(和製英語。雑誌のような書籍。雑誌のように大きく、カラーの絵や写真が映える)や、豪華な絵コンテ集まで持っている。
ブルーレイは昨日届いたものだ。
川上量生さんが書かれた『コンテンツの秘密』に、スタジオ・ジブリや宮崎駿監督のアニメ映画制作に関する面白いことが書かれているのを読んだことで、非常に興味深く観ることが出来た。
逆に言えば、私は、作品そのものを純粋に楽しむことが出来ないということでもあるのだろう。
そもそも私は、宮崎アニメ、ジブリ作品が、あまり好きではない・・・今のところは。
まあ、ひょっとしたら、後10年くらいしたら、猛烈なファンになるかもしれない。
宮崎アニメはどれも、わざとらしい、不自然・・・というか、監督の思想の色がつき過ぎている。
しかし、ジブリの作品は、まさに、監督の分身のようなものだから、それは当たり前かもしれない。
DVDにもブルーレイにも、絵コンテをそのまま映画にしたものが収められている。
絵コンテとは、四コマ漫画みたいなものである。
川上さんの本で知ったのだが、宮崎監督は、映画を創る時、まず絵コンテを描くのだが、絵コンテがたまってきたところで、すぐに制作に入るのだそうだ。
ストーリーは創りながら考えており、最初から決まっているのではない。だから、どんな展開になるか、監督すら分からない。
まして、観ている者に分かるはずがないので、先が読めずに面白い。
そんな創り方では、お話は最初はゆっくり進むが、ラスト近くになると、お話を終わらせるために急ピッチで進むといういい加減なものだが、それでかえって、緊迫感、詰まった濃い感じ、それに、小気味良いスピード感が出る。
何かの作品で、宮崎監督が、プロデューサーに、「お話が終わんないよお。後30分しかないのに」と泣きついてきたことがあったそうだが、そんなことも全部、作品の面白さになるらしい。
そういったことは、宮崎監督は自分の本では書いてなかったような気がするが、それを川上さんがバラしたということになるのだろうか。
宮崎監督は、この作品以降、美少女キャラを登場させていないのだと思う。ところが、この作品のヒロイン、シータと、前の作品『風の谷のナウシカ』のナウシカの人気は、今も絶大だ。
『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイに並ぶ、日本の代表的ヒロインと言えるほどだ。
ただ、川上さんは、綾波レイの人気は落ちていると言う。その理由は、綾波レイの魅力の大きな部分は神秘性、つまり、謎があるところだが、それがもう明かされたことが彼女の魅力を減じてしまったということだ。そんな感じもするが、本当かどうかは分からない。私は、綾波レイの秘密はまだ知らないが、さして好きでもない(無論、付き合ってくれと言われたら付き合うが)。
私は、『エヴァンゲリオン』シリーズは、テレビ放送も映画も、見ていると、憂鬱になって疲れてしまうので、一度見れば十分で、最近の映画は見ていない。
宮崎監督は、監督デビュー作であった『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロイン、クラリスが理想の女性だと著書に書かれていたが、ナウシカやシータも同じか、もしくは、それに近いのだろう。
それで、シータで描き切って終わりにしたのだと、宮崎監督も書かれていたように思うが、川上さんは、性的な要素は単純で広がりがないというのが、ジブリが美少女キャラをやめた理由だと書かれていたようにも思う。
性的な要素と言えば、宮崎監督は露骨なエロチックな表現はしないが、無い訳では決してない。
古くは、テレビアニメ『未来少年コナン』で、コナンとラナが、潜水艦の小さな窓から外を見ていたのが、2人がくっつかざるをえない必然的状況になっていて、そんなふうに、さりげなく表現するのが宮崎監督らしい。
とはいえ、シータは、スカートが風で大きくひるがえったり(下着は見えなかったが)、ドーラの息子達(いい年のオッサンばかりだ)が、シータを遠くから、「いい!」と、ぼーっと眺めたり、なかなか危うい感じもあった。
ところで、私が不自然に思っていた最たるものが、パズーのあまりの健全さだった。
あれだけシータと何度もぴったりくっつきながら、まるで平気なのである。
そもそも、初めてシータと会った時、気を失っているシータを一人暮らしをしている自分の家に運び、ベッドに寝かせて何もしないなど、あるはずがない。
まあ、ここらが、アニメと言えばアニメなのだと思っていたが、最近は、「いや、多分、あれで普通なのだ」と思うようになった。
つまり、我々の方が、社会の影響でエロくなり過ぎていただけなのだ。
あの2人は魂で融合しているのであり、それが本当の男女の結び付きだろう。
そんなことが描かれているので、私は、昔から、この作品を好きでないと思いつつ、作品に関するあらゆるものを集めていたのだろう。
それにやはり、シータは、人間としては理想のタイプである。
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