ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

シュタイナー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

超人スリの妙技

以前から時々書いたが、私は小学校の低学年まで、特異な存在が身近にいた。
それは丁度、涼宮ハルヒに対する、長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹のような感じであると思う。
私の場合、2人いて、女の子の方はよく思い出すが、男の子の方は、男だからというのではないが、あまり思い出さない。しかし、忘れることは決してない。
むしろ、男の子の方の力が非常識過ぎて、世間に毒された私が思い出し難くなっているだけのように思う。
女の子の方は、1年生の途中で消えたが、男の子の方は、3年生くらいから徐々に疎遠になっていき、フェードアウトした感じだ。
直接的に現実改変の方法を教えてくれたのは男の子の方だが、いかにローカルなブログとはいえ、一応は冗談にしておかないと危ないし、YouTubeなんかでは、とてもではないが流せない。
よって、あくまで冗談である(笑)。

創世する(世界を創る)者は、見られてはならない。
よって、姿を消すことを覚えないといけない。
ルドルフ・シュタイナーが「教師は空気のよう」と言ったのに通じる。
また、量子力学で、電子や光子が、人に見られたら(観測されたらという言い方が正しいが)波動であることをやめ、粒子になるというのとも関係がある。
だから、その男の子は、思いっきり珍しいことをしながら、誰にも気付かれないことの実演をして見せた。
これはもう、本当のマジックのようだった。
世の中には、スリの達人みたいな人がいるが、その中には、そういったことをマスターして超常的な力でスリを行っている者もいるのだと思う。
超一流のスリは、ポケットの中の財布の中のお札だけどころか、ズボンを履いている人のパンツすらスレるのである。これはもう超能力だ。

日の光
AIアート540
「日の光」
Kay


政木和三さんなんて、薬瓶の中のビー玉を、蓋を開けずに取り出したものだった。
政木さんは、私が天使(女の子の方)や宇宙人(男の子の方)と知り合いだと分かっているので、私がやり方を聞くと、
「脳波をシータ波にしなさい」
「欲望をぽーんと捨てなさい」
とありきたりなことを言ったものだった。
だが、これは単に深呼吸をしなさいということだ。
宇宙全部を吸い込むつもりで息を吸うのである。
これは訓練で、いざ魔法を使う時は加速するのである。
H.G.ウェルズの『新加速剤』や、『サイボーグ009』の加速装置のように。
で、そのやり方だが、1憶円もらったって「普通には」教えられない。
教える方法をうまく考える。
メールやSNSで書いてもマズい可能性がある。
ある意味、手紙が固いが(笑)。
まあ、うまくやるつもりだ。
それに、深呼吸に熟達する必要はやはりあるのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)精神エネルギー(政木和三)
(2)いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか(シュタイナー)
(3)タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)
(4)神さまの周波数とシンクロする方法
(5)量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」
(6)涼宮ハルヒの憂鬱

知性と感情、理屈と気持ち

人間の心には、知性と感情がある。
言い換えれば、理屈の考えと気持ちだ。

イエスは、「山に『動いて海に入れ』と言い、そうなると信じて疑わないならそうなる」と言ったが、当時の人ですら、そんなことは信じなかっただろうし、まして、現代の人間が信じられるはずがない。
だが、それは、知性、理屈では信じられないということで、感情や気持ちでは信じられるかもしれない。

神道家の葉室頼昭さんが、医学生時代、重病になり、大阪から東京に帰るために新幹線に乗る時、板に乗せられて運び込まれるほどだったという。
だが、葉室さんは、新幹線の中で、おそらく、谷口雅春さんの『生命の実相』だと思うが、ヒマだから読んでいたところ、なぜだか分からないが、涙がとめどなく流れ、そして、病気が治ってしまったらしい。
葉室さんは、『生命の実相』を、理屈では分からなかったが、気持ちでは分かったということだと思う。

週間アスキー誌の50代の編集長が、取材のために初音ミクさんのコンサートに行ったところ、ステージが進むにつれ、不思議な感動を覚え、最後の曲『メルト』で、どうしてか分からないが、とめどなく涙が流れて止まらなくなったという。
これも、その編集長が、理屈では「アニメキャラが歌っている」くらいに考えているが、気持ちは、何か、深い、大切なことを分かってしまったということなのだ。

ドワンゴの川上会長が、大学を出て勤めていた会社に、仕事の出来ない課長がいたらしい。川上さんは、はばかることなく、その課長を批判し、「あんなやつクビだ」と言っても、誰も文句を言ってこなかったようだ。その課長が駄目だというのを、みんな分かっていたのかもしれない。
ところが、川上さんは、社長に呼び出されて怒られたのだが、社長の怒り方が尋常でなかったという。
だが、川上さんは、なぜ怒られるのか分からない。社長は、あの課長にも生活があるといったことを言うが、だから川上さんが悪いという理屈にならないのだろう。
しかし、川上さんは、10年以上経って、やはり理屈では分からないが、気持ちで分かるようになったという。

知性だけの世界だと思われている数学すら、感情なしには決して成り立たないことが、ちゃんと証明されているらしい。
まして人間は、理屈だけでは駄目だし、感情だけでも駄目だ。
あるセミナーで、1人の受講者が、講師の話を聞いていたら、「なぜか涙がこぼれていた」と言う。
そして、彼は騙されてしまった。
宗教にも、こんな話は多いのだろう。
セミナーでは、受講者の理屈の思考を麻痺させ、感情にのみ訴えるのが常套手段だ。
理屈も捨ててはならないのだ。

知性、理屈は物質的で、感情、気持ちは非物資的ともいえる。
ルドルフ・シュタイナーは、イエス・キリストは物質的なものと非物質的なものを統合するために現れたのだと言い、いずれかに偏ることを戒めている。
しかし、現代は、物質的なものに偏り、非物質的なもの・・・つまり、見えないものが分からなくなっている。
だが、『星の王子様』で言われた通り、「本当に大切なものは見えない」のだ。
とはいえ、見えるものも大切なのである。
ただ、見えないもの・・・感情、気持ちの方が、より大切なのである。

「大儀のために感情を抑える」とか言う。
そして、大儀とは知性や理屈で出来たものだと思っている人が多いと思う。
そうではない。
大儀こそ、感情や気持ちが凝り固まったものだ。
過ぎた感情なのだ。
理屈で破壊しなければならない、偏った感情もあるのである。

正しい感情は、熱過ぎたり、激し過ぎたりせず、頬を撫でる柔らかな風のようだ。
正しい理屈は美しい。
このことは覚えておくと良い。









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魂を抜かれた哀れな亡者にならないために

昔の多くの庶民の悩みは、「やることがない」ことだった。
その弱味につけ込んで、学校や会社は、生徒や社員を長時間、拘束してきた。
そして今は、人々は、やることだけは出来た。
少し昔であれば携帯電話による電子メールで、今は、スマートフォンによるゲームやSNSだ。
しかし、電車の中で、ずっとスマートフォンを見ている人達の様子は異様だ。
SNSの書き込みをぼーっと見ている男性や、ゲームに熱中している女性らを見ると、抽象的な言い方だが、魂を抜かれたような雰囲気を強く感じるのである。

なぜ、そんなことになるのかというと、彼らは、「反応しているだけ」だからだ。
昔の携帯電話のメールでも、考えて文章を組み立てて、表現するのではなく、パターン通りの語句をパターン通りに並べるだけのことをしていて、頭の思考回路を見事に迂回し、何も考えないまま、お決まりの作業をしているだけなのだ。
今の普通の人達がやっているデジタル・ゲームの大半も、頭を使わない、反射神経型や、パターン通りに対応しながら偶然に頼るようなものだと思う。

携帯メールの時代から、現代のSNS、モバイルゲームのようなものは、「やることがない」ことの一万倍、害があるのだ。
その害とは、思考力を捨て去ってしまうといいう害だ。
立ってスマートフォンでゲームをしながら、肩に担いだバッグを目の前に座っている人の身体に押し付けて平気だという人は多いが、これは、無神経というよりは、考える能力、感じる能力を失くしてしまっているのである。

携帯電話すら普及していなかった時代の本だと思うが、こんなことが書かれてあった。
コンビニで支払いを済ませたOLさんが、後ろにまだ人が沢山並んでいる状態だったが、購入した商品の中から、チューブタイプのゼリー飲料を掴み、キャップを開けると、口に含み、ゼリーを吸引して食べ終わると、満足そうに息をついだ。
つまり、このOLさんは、全く普通に、異常なことをやっているのだ。
きっと、彼女は、自分で考えずに、人の言う通りのこと(家庭や学校や会社で強制されたこと)だけを、パターン通りにやり、自分で深く考えるといったことをしてこなかったので、思考力を失ってしまったのだ。
現代人は、簡単に、このOLさんより、はるかに「何も考えない」状態に陥る危険が高いのである。

昨夜、ドワンゴ会長の川上量生氏が、ゲームは思考力を鍛えると述べている話を書いたが、これは、あくまで、考えることが必要なゲームである。
学校の試験や受験では、「知っているか知らないか」「覚えているか覚えていないか」だけで勝負が決まり、1つのことを10時間も考えるというような訓練をしない。
しかし、思考型ゲームでは、攻略法を、何時間も何日も考え続ける。
だが、川上氏も、今は、以前のオンラインゲームのような、考える楽しさのあるゲームが少ないと述べていたと思う。かなり良いゲームでも、以前のものほど手強くないし、裏技を考える楽しみもなくなってしまったようである。
川上氏は、『ルールを変える思考法』で、最初はゲームの効用を述べていたが、最後はゲームを否定するようなことを書かれていた(川上氏の話の特徴でもあるような気はする)。
これが、ゲームというものの泣き所であるのだろう。
確かに、ゲームに効用、メリットはある。しかし、同時に害も多く、特に、現代のゲームは害のあるものが多いのだろう。

確かに、無駄なことを考えてはいけない。
無駄な考えとは、エゴを満足させる方法を過分に考えることであるが、現代人も、これだけはよくやっている。
しかし、それは、思考回路の中の、エネルギー消費が大きく、しかも粗野な部分で行われる思考なのだ。

考える力を失くし、魂を守ることも出来なくなった哀れな人達・・・それが、暇があれば(歩きながらでも)スマートフォンを見ているような者達だ。
そんな連中のようにならないためにはどうすれば良いだろう?
手軽に出来ることの中で最良なのは、ある程度難しい本を読むことだ。
科学や哲学の本でも良いし、文章自体はさして難しくないが、最初は意味がさっぱり分からない『老子』や『荘子』をよく読むことである。
ルドルフ・シュタイナーの本などもとても良い。
深い真理が書かれているが、なかなか手強い。
しかし、忍耐強く読み通せば、得られるものは大きい。
大天才であった博物学者の南方熊楠は、40歳くらいで結婚する時、妻になる20代の女性に、本を大きな樽一杯に詰め込んで送り、「一冊でも多く読むように」と指示した。
我々も、熊楠にそう言われたように、まずは、一冊でも多く読まなければならない。
全てはまずそこから・・・自分で自分の頭を使う基礎を作ることから始まるのである。









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我々は最悪のもののフリをして最悪のものになっていく

「心身医学の父」と言われ、フロイトにエス(無意識の生命エネルギー)の概念を与えたドイツ人医師ゲオルグ・グロデックが『エスの本』で、こんなことを述べていた。
「幼い女の子達が集まって話している様子は、彼女達の母親そのままだ」
これは、主婦達の井戸端会議の破廉恥で放埓(勝手きまま)な様子のことだろう。
この話で、私は、インコやオウムに言葉を教える話を思い出すのだ。
喋ることができる鳥に言葉を教えるのは根気がいる。
鳥のそばで、同じ言葉を、何日も、あるいは、何週間も繰り返さないといけない。
そして、もちろん、きれいな言葉を教えようとするだろう。
「こんにちは、ごきげんいかがですか」
「私はオードリーです」
などだ。
ところが、ある日突然、その鳥は、「アホ!」「いいじゃねーか」「何やってんだ」などと言いだすのだ。
つまり、下品な言葉ほど言い易いので鳥によく聴かせてしまうのだし、鳥の方も、そんな言葉の方が喋り易いのだろう。
「ごきげんいかが」なんて、普段決して言わない言葉は不自然で「どもっている」だろうし、鳥の方だって、じっと見られながら緊張している時に聴くので覚えにくい。
オウムも幼女も同じで、下品なことほど、すみやかに真似してしまうということだ。

もちろん、鳥と小さな女の子ばかりではない。
「まあ、息子さん、お父さんにそっくりね」
と言う場合、お父さんの良い面であることはまずない。
家庭は、男が一番みっともない姿、あるいは、傲慢で殿様振った様子を見せる場所だ。
これもまた、真似しやすく、息子は簡単にコピーしてしまう。
学校の教師は、せいぜい生徒達の前で格好をつけているつもりだろうが、特に同性の生徒の前では油断することが多いだろう。
いずれにしろ、生徒達が真似するのは、教師達の最悪の部分だけだ。

テレビドラマやアニメでさえ、子供達はヒーローやヒロインではなく、オマヌケキャラのやることを真似するものだ。
もちろん、その方が真似し易く、面白いからだ。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』も、ヒーローのウィル・ターナーより、崩れた下品な海賊ジャック・スパロウの方が断然真似しやすく、そっちの方が人気が出てしまう。

そしてアメリカの大作家カート・ヴォネガットが言ったらしいが、
「人間はフリをした通りのものになるのだから、何のフリをするかを慎重に決めないといけない」
というのは、おそらく本当のことだ。
そして、上に述べた通り、誰も、自分が何のフリをするかを、ちっとも慎重に考えておらず、最悪のもののフリをして、最悪のものになるのだ。
全く、残念な話である。
だが、幸いにも、これを読んだあなたは、自分がなりたい人物のフリをして欲しい。

私は、カート・ヴォネガットは皮肉屋ではあるが、賢い人だと思う。
それは、彼が、シェイクスピアの『ハムレット』について、実に良い指摘をしていることではっきり分かるのだ。
それは、ハムレットの父の幽霊が、自分はハムレットの叔父に殺されたということをハムレットに教えたということについてだ。
ヴォネガットは、その幽霊が本当にハムレットの父だったかは分かっていないのだと言う。
全くその通りだ。
簡単に信じてしまったハムレットは大馬鹿野郎に違いない。
ルドルフ・シュタイナーは、幽霊ってのは、本人の魂のカスみたいなもので、信用すべきでないと著書に書いていたが、そうなのかもしれない。
シェイクスピアだって、このことについて確信犯だったに違いないが、ヴォネガットが指摘するまで、世界は4世紀も騙されてしまったのだ。
それはひょっとしたら、シェイクスピアの大誤算かもしれない。

ところで、今、角川のKindle本が安い。
『新訳ハムレット』は199円、『時をかける少女』は181円だ。
必要なものは、今のうちに買っておいた方が良いだろう。









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屈しろ、そうすれば自由自在だ

ルドルフ・シュタイナーは、「教師は空気のようでないといけない」と言った。
つまり、良い教師は空気のようなのだ。
教師だけじゃない。
良い歌手は空気のような歌手だ。
良いサッカー選手は空気のようなサッカー選手だ。
良い社長は空気のような社長だ。
良い親とは空気のような親だ。

そして、本当の詩人は空気のようなのだ。
一番良い歌手は初音ミクで、男という範囲まで広げても、一番良い男は木枯し紋次郎だ。
ミクさんも紋次郎さんも、いちばん空気のようだからだ。

空気のような人とは、潜在意識に曇りがない者だ。
潜在意識が澄み切っているから、神様がまるごと見え、神様とつながっている。
潜在意識を澄み切らせるために、ラマナ・マハルシは「私は誰か?」と問えと言い、法然は、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えろと言った。
親鸞は、念仏よりもむしろ、阿弥陀如来に全てをまかせろと言った。
荘子は、すべてなりゆきにまかせろと言い、老子はただ「屈しろ」と言った。
そして、一番良い方法は肛門を締めることだ。
老子の「曲則全」(屈すれば自在)は、肛門を締めることの結果だ。
最も根底の場所に力を集めれば、全てはあるべき場所に収まる。
初音ミクや木枯し紋次郎のようになるには、いつも肛門を締めていなければならない。
ミクや紋次郎に近い偉大な人に近付くには、いつも肛門を締めるようにしなければならない。
後のことは、神様が(あるいは仏様が、道が、真我が)全て面倒を見てくれるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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