悪夢を見た。
久々の高校生になった夢だった。
これまでの、小学生とか高校生になった夢を見ている時は、自分はもうとっくの昔に卒業しているという記憶があるのが普通だったが、今回はガチで、高校入学後1か月のバリバリの新入生という記憶しかなかった。それも含め、捏造の記憶も完璧で、その状況をごく自然に感じているというリアルな夢だった。
その夢の中では、なぜか私は、トップクラスの私立の進学校の高等部の生徒で、高校から(中等部を経ず)入ったようだ。実際の私は、そこそこの私立の進学校に高校から入ったのだが、その記憶はないながら、そんなエリート校にいる場違い感はかなり感じていた。
高校入学から、それまでの記憶はあった。よく出来た夢だ(笑)。
夢は、こんな展開になった。
その日、私は大きく寝過ごしていた。時計が遅れていたのだが、電波時計でないとしても、今時の時計がそんなに遅れるはずがない。
私は「あいつかあいつが時計を遅らせたのだな」と思った。夢分析的には、現実で、私の足を引っ張るやつか(笑)。
とにかく学校に行こうとして家を出たら、隣の家のおばあさんと出逢い、彼女の医者の息子と一緒に歩いていた。
すると、池があって進めない。遅れている時に、さらに障害が起こる。夢でよくあるパターンだ(笑)。
ところが、そのお婆さんは、首まで水に浸かりながら、「これ、どうやって渡るんでしょうねえ?」と言いながら、あっさり向こう岸に行ってしまった。彼女の医者の息子は、横の壁を上っていく。なるほど、こうすればいいのかと思い、私も、反対側の壁を上る。そして、高いところから向こう岸に跳び降りようとしたら、そのおばあさんが、「こっちだよ」と手を広げる。それはないと思い、私は全く別の場所に着地した。
2人と別れ、駅に着くと、もうかなり遅れていたが、忘れ物を思い出し、いったん家に帰った。
電車に乗って、高校まで1.3km程度の駅に着き、電車を降りた。
大通りに出ると、知り合いの立派な大人の男性4人が見えたが、声をかける必要もない。私は学校に向かって走り出した。
なぜかその4人が私の斜め後ろで私と同じ方向に向かっており、私はなぜか彼らの会話に興味を持ったが、聴こえなかった。
学校に着くと、同級生男子が校舎から出てきたのを見て、私は「大遅刻だよ」と言うと、彼は「まだ1時限目ですから大丈夫ですよ」と言う。何が大丈夫なのか分からないし、それにお前はどこに行くんだよと思ったが、スルーした。
私は、授業中に教室に入って、立派な態度で遅刻を謝罪するシミュレーションを頭の中で行った。私が本当の高校生時代なら思いもしなかったことだ。当時は、怒られない限り謝らなかったし、怒られても滅多なことでは謝らなかった。処世術がなってない(笑)。いや、謝ったからって赦してもらえると思うのは良くないが・・・。
ところが、その時、私は、教師が「よし、ではこの問題をやってみろ」と言うのが思い浮かび、大いにあり得ると思った。
私はこの夢では、入学1か月にして、勉強が周囲に全く着いていけなくなっていた。
問題をやれと言われても、出来るはずがないが、この一流進学校では「分かりません」とは言ってはいけないことになっている。
そう思っていたら、スマートフォンに、校内SNSから通知があり(今でも珍しいだろう、こんな学校)、見たら、「職員室に来い」とあった。
私の、あまりに駄目な勉強振りを注意するつもりなのだと思った。
ところが、私は、職員室の場所だけは、いくら思い出そうとしても思い出せない。
とはいえ、何とかたどり着きはするだろう。
そうしたら言ってやろうと思った。
「やる気は全くありません。学校はやめます」
それで一気に楽になる。そうすんなりやめさせてくれるとは思えないし、学校の友達(いたのか?意外 笑)に悪いと思ったが、とにかくやめるんだ。
そう思ったら、目覚ましが鳴り、目が醒めた。
目が醒めてもしばらくは「学校をやめたい」と強く思った。
そして、学校に行く必要がないことを理解すると安堵した。
本当に、見事に完璧な夢だった。
これが本物の仮想世界、あるいは、シミュレーション世界というものだ。
そして、この現実も、それと全く変わらないシミュレーション世界であることがはっきりと分かった。
しかし、そこまで容易く架空の記憶、偽の記憶を与えられてしまうのなら、このシミュレーション世界を脱することは、かなり難しい。
だが、これがシミュレーション世界であると認識した上で、このシミュレーション世界を好きなように改変することは可能だ。
コリン・ウィルソンが座右の書とした、イギリスの偉大なSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』にあるように、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
のである。
今日から、『ポリー氏の人生』を読もう。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)
(4)いかにして自分の夢を実現するか(ロバート・シュラー著。稲盛和夫訳)
AIアート1153
「リアルな夢の続き」
Kay
久々の高校生になった夢だった。
これまでの、小学生とか高校生になった夢を見ている時は、自分はもうとっくの昔に卒業しているという記憶があるのが普通だったが、今回はガチで、高校入学後1か月のバリバリの新入生という記憶しかなかった。それも含め、捏造の記憶も完璧で、その状況をごく自然に感じているというリアルな夢だった。
その夢の中では、なぜか私は、トップクラスの私立の進学校の高等部の生徒で、高校から(中等部を経ず)入ったようだ。実際の私は、そこそこの私立の進学校に高校から入ったのだが、その記憶はないながら、そんなエリート校にいる場違い感はかなり感じていた。
高校入学から、それまでの記憶はあった。よく出来た夢だ(笑)。
夢は、こんな展開になった。
その日、私は大きく寝過ごしていた。時計が遅れていたのだが、電波時計でないとしても、今時の時計がそんなに遅れるはずがない。
私は「あいつかあいつが時計を遅らせたのだな」と思った。夢分析的には、現実で、私の足を引っ張るやつか(笑)。
とにかく学校に行こうとして家を出たら、隣の家のおばあさんと出逢い、彼女の医者の息子と一緒に歩いていた。
すると、池があって進めない。遅れている時に、さらに障害が起こる。夢でよくあるパターンだ(笑)。
ところが、そのお婆さんは、首まで水に浸かりながら、「これ、どうやって渡るんでしょうねえ?」と言いながら、あっさり向こう岸に行ってしまった。彼女の医者の息子は、横の壁を上っていく。なるほど、こうすればいいのかと思い、私も、反対側の壁を上る。そして、高いところから向こう岸に跳び降りようとしたら、そのおばあさんが、「こっちだよ」と手を広げる。それはないと思い、私は全く別の場所に着地した。
2人と別れ、駅に着くと、もうかなり遅れていたが、忘れ物を思い出し、いったん家に帰った。
電車に乗って、高校まで1.3km程度の駅に着き、電車を降りた。
大通りに出ると、知り合いの立派な大人の男性4人が見えたが、声をかける必要もない。私は学校に向かって走り出した。
なぜかその4人が私の斜め後ろで私と同じ方向に向かっており、私はなぜか彼らの会話に興味を持ったが、聴こえなかった。
学校に着くと、同級生男子が校舎から出てきたのを見て、私は「大遅刻だよ」と言うと、彼は「まだ1時限目ですから大丈夫ですよ」と言う。何が大丈夫なのか分からないし、それにお前はどこに行くんだよと思ったが、スルーした。
私は、授業中に教室に入って、立派な態度で遅刻を謝罪するシミュレーションを頭の中で行った。私が本当の高校生時代なら思いもしなかったことだ。当時は、怒られない限り謝らなかったし、怒られても滅多なことでは謝らなかった。処世術がなってない(笑)。いや、謝ったからって赦してもらえると思うのは良くないが・・・。
ところが、その時、私は、教師が「よし、ではこの問題をやってみろ」と言うのが思い浮かび、大いにあり得ると思った。
私はこの夢では、入学1か月にして、勉強が周囲に全く着いていけなくなっていた。
問題をやれと言われても、出来るはずがないが、この一流進学校では「分かりません」とは言ってはいけないことになっている。
そう思っていたら、スマートフォンに、校内SNSから通知があり(今でも珍しいだろう、こんな学校)、見たら、「職員室に来い」とあった。
私の、あまりに駄目な勉強振りを注意するつもりなのだと思った。
ところが、私は、職員室の場所だけは、いくら思い出そうとしても思い出せない。
とはいえ、何とかたどり着きはするだろう。
そうしたら言ってやろうと思った。
「やる気は全くありません。学校はやめます」
それで一気に楽になる。そうすんなりやめさせてくれるとは思えないし、学校の友達(いたのか?意外 笑)に悪いと思ったが、とにかくやめるんだ。
そう思ったら、目覚ましが鳴り、目が醒めた。
目が醒めてもしばらくは「学校をやめたい」と強く思った。
そして、学校に行く必要がないことを理解すると安堵した。
本当に、見事に完璧な夢だった。
これが本物の仮想世界、あるいは、シミュレーション世界というものだ。
そして、この現実も、それと全く変わらないシミュレーション世界であることがはっきりと分かった。
しかし、そこまで容易く架空の記憶、偽の記憶を与えられてしまうのなら、このシミュレーション世界を脱することは、かなり難しい。
だが、これがシミュレーション世界であると認識した上で、このシミュレーション世界を好きなように改変することは可能だ。
コリン・ウィルソンが座右の書とした、イギリスの偉大なSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』にあるように、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
のである。
今日から、『ポリー氏の人生』を読もう。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)
(4)いかにして自分の夢を実現するか(ロバート・シュラー著。稲盛和夫訳)
AIアート1153
「リアルな夢の続き」
Kay