ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

シミュレーション仮説

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

悪夢からの目覚め

悪夢を見た。
久々の高校生になった夢だった。
これまでの、小学生とか高校生になった夢を見ている時は、自分はもうとっくの昔に卒業しているという記憶があるのが普通だったが、今回はガチで、高校入学後1か月のバリバリの新入生という記憶しかなかった。それも含め、捏造の記憶も完璧で、その状況をごく自然に感じているというリアルな夢だった。
その夢の中では、なぜか私は、トップクラスの私立の進学校の高等部の生徒で、高校から(中等部を経ず)入ったようだ。実際の私は、そこそこの私立の進学校に高校から入ったのだが、その記憶はないながら、そんなエリート校にいる場違い感はかなり感じていた。
高校入学から、それまでの記憶はあった。よく出来た夢だ(笑)。

夢は、こんな展開になった。
その日、私は大きく寝過ごしていた。時計が遅れていたのだが、電波時計でないとしても、今時の時計がそんなに遅れるはずがない。
私は「あいつかあいつが時計を遅らせたのだな」と思った。夢分析的には、現実で、私の足を引っ張るやつか(笑)。
とにかく学校に行こうとして家を出たら、隣の家のおばあさんと出逢い、彼女の医者の息子と一緒に歩いていた。
すると、池があって進めない。遅れている時に、さらに障害が起こる。夢でよくあるパターンだ(笑)。
ところが、そのお婆さんは、首まで水に浸かりながら、「これ、どうやって渡るんでしょうねえ?」と言いながら、あっさり向こう岸に行ってしまった。彼女の医者の息子は、横の壁を上っていく。なるほど、こうすればいいのかと思い、私も、反対側の壁を上る。そして、高いところから向こう岸に跳び降りようとしたら、そのおばあさんが、「こっちだよ」と手を広げる。それはないと思い、私は全く別の場所に着地した。
2人と別れ、駅に着くと、もうかなり遅れていたが、忘れ物を思い出し、いったん家に帰った。
電車に乗って、高校まで1.3km程度の駅に着き、電車を降りた。
大通りに出ると、知り合いの立派な大人の男性4人が見えたが、声をかける必要もない。私は学校に向かって走り出した。
なぜかその4人が私の斜め後ろで私と同じ方向に向かっており、私はなぜか彼らの会話に興味を持ったが、聴こえなかった。

学校に着くと、同級生男子が校舎から出てきたのを見て、私は「大遅刻だよ」と言うと、彼は「まだ1時限目ですから大丈夫ですよ」と言う。何が大丈夫なのか分からないし、それにお前はどこに行くんだよと思ったが、スルーした。
私は、授業中に教室に入って、立派な態度で遅刻を謝罪するシミュレーションを頭の中で行った。私が本当の高校生時代なら思いもしなかったことだ。当時は、怒られない限り謝らなかったし、怒られても滅多なことでは謝らなかった。処世術がなってない(笑)。いや、謝ったからって赦してもらえると思うのは良くないが・・・。
ところが、その時、私は、教師が「よし、ではこの問題をやってみろ」と言うのが思い浮かび、大いにあり得ると思った。
私はこの夢では、入学1か月にして、勉強が周囲に全く着いていけなくなっていた。
問題をやれと言われても、出来るはずがないが、この一流進学校では「分かりません」とは言ってはいけないことになっている。
そう思っていたら、スマートフォンに、校内SNSから通知があり(今でも珍しいだろう、こんな学校)、見たら、「職員室に来い」とあった。
私の、あまりに駄目な勉強振りを注意するつもりなのだと思った。
ところが、私は、職員室の場所だけは、いくら思い出そうとしても思い出せない。
とはいえ、何とかたどり着きはするだろう。
そうしたら言ってやろうと思った。
「やる気は全くありません。学校はやめます」
それで一気に楽になる。そうすんなりやめさせてくれるとは思えないし、学校の友達(いたのか?意外 笑)に悪いと思ったが、とにかくやめるんだ。
そう思ったら、目覚ましが鳴り、目が醒めた。
目が醒めてもしばらくは「学校をやめたい」と強く思った。
そして、学校に行く必要がないことを理解すると安堵した。

本当に、見事に完璧な夢だった。
これが本物の仮想世界、あるいは、シミュレーション世界というものだ。
そして、この現実も、それと全く変わらないシミュレーション世界であることがはっきりと分かった。
しかし、そこまで容易く架空の記憶、偽の記憶を与えられてしまうのなら、このシミュレーション世界を脱することは、かなり難しい。
だが、これがシミュレーション世界であると認識した上で、このシミュレーション世界を好きなように改変することは可能だ。
コリン・ウィルソンが座右の書とした、イギリスの偉大なSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』にあるように、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
のである。
今日から、『ポリー氏の人生』を読もう。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)
(4)いかにして自分の夢を実現するか(ロバート・シュラー著。稲盛和夫訳)

リアルな夢の続き
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「リアルな夢の続き」
Kay

あらためて世界の実態をさらりと

『マトリックス』のような映画によって、我々が現実と思っている世界は、実は電子装置によって見せられている幻想・夢ではないかという考え方が一般に示された。
ただ、そのような考え方は大昔からあったし、『マトリックス』のようなテクノロジーによる仮想世界の話も半世紀以上前から、SFなどで描かれている。
そして、ある意味では、実際にこの世界は仮想世界のようなものであると言える。
たとえば、養老孟司さんの『唯脳論』では、電子装置を使うまでもなく、我々が現実だと思っているものは脳が作った幻想・夢であることが明快に示されている。

人類はいずれ、『マトリックス』のように仮想世界の住人になるという有力な説がある。
だが、問題は、我々は精神的には仮想世界に住むとして、現実的な肉体の管理が必要であることだ。
『マトリックス』では、肉体は眠らせれ、栄養を自動供給されていたが、実際にはそんなことをしたら、肉体は衰えて駄目になり、それが脳の健康にも影響し、精神も駄目になる。
そこで、「いや、維持されるのは脳だけで良い」ということになり、我々の実態は実は培養液にぷかぷか浮かぶ脳で、脳が人工神経に接続されているのだという説もあるが、では、その脳はどうやって管理するかであるが、それを行うのはAIロボットであるということになる。
それなら、AIは完全に人類の支配者であり、AIの判断次第で人類は容易く滅びる・・・というか、そんな状態で人類が存続していると言えるか疑問だ。

そこで、「シンギュラリティ」の概念を提示したことでも知られる発明家のレイ・カーツワイルも言うように、精神を脳からコンピューターに「アップロード」し、脳自体も不要にする・・・つまり、我々は記憶や心をコンピューターに入れてしまい、脳はゴミ箱に捨てるといったことが考えられているが、これは魂とか霊といったものの存在を否定した考え方と言えると思う。
まあ、カーツワイルも、当面は、脳以外を機械化して生物としての死の概念をなくすと考えている。
脳自体は、うまく培養すれば永遠に持つと考えているのかもしれない。
だが、いずれにしろ、これらは唯物論というか、ニュートン・デカルト式の考え方であり、もっと新しい考え方がある。
新しいと言っても、それはある種の神秘思想に似ている。
たとえば、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝『或るヨギの自叙伝』などに登場するババジは肉体も自在に創造支配出来る精神体のような存在で、本来、人間はそんな能力を持っているとされる。
まるで夢物語であるが、かなり前から量子力学が、そのようなことが出来る可能性を示していると思う。

1つの考え方としておくが、我々の実体は魂であり、それは神のごとき力を持ち、旧約聖書の神のように「〇〇よあれ」と言えば〇〇が出来る。
だが、我々の魂には何かによって制限がかけられていて、そんな神のごとき力を使うことが出来ない。
その制限についての1つの説が『エイリアン・インタビュー』にあるように、宇宙人によって地球に設置されたマインドコントロール装置が、我々の魂の力を抑え込んでいるというものだ。
『エイリアン・インタビュー』に書かれた通りであるかどうかは分からないが、私は概ね、あの通りであると思う。
そして、『エイリアン・インタビュー』では、釈迦や老子といった人々が自力でマインドコントロール装置の支配から脱することに成功しており、神である魂の力を取り戻している。
我々も、Omoiさんによる初音ミクさんの楽曲『テオ』のように、「今まで奪われてた分は取り戻すまでさ!」といきたいものである。

私だけではないと思うが、私は子供の時は、魂にかけられた制限が弱く、一般的には奇跡としか思えないことを何度も起こしたので、私には上のババジや『エイリアン・インタビュー』は単なる現実である。
引き寄せの法則は、その良い入門というか導入部分であると思う。
引き寄せメソッドとは、魂にかけられた制限を取り払うことであるべきと思う。
そして、それは、それほど簡単ではないが、それほど簡単ではないという想い自体が魂にかけられた制限で、実のところ容易いのである。
やり方は普段書いてある通りであるが、人によって好みがあり、今後もいろんな方向から書いてみようと思う。

目力
AIアート831
「目力」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(2)或るヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ)
(3)シンギュラリティは近い [エッセンス版](レイ・カーツワイル)
(4)唯脳論(養老孟司)
(5)老子 (岩波文庫)
(6)ファーストワルツ(Omoi)※CD等

リアルな宇宙への潜入

現実以上にリアルな夢を見たことがある。
いや、本当は、夢の方がリアリティが高いのだが、目覚めた後の脳は、夢の印象を再現する能力に欠けるだけなのだと思う。
だから、目が覚めているのに、夢心地でいる時は、世界のリアリティが格段に上がっていることに気付くことがある。
「アラビアのロレンス」として知られるT.E.ロレンスは、その体験を自伝『知恵の七柱』に書いており、その記述が非常に重要であるとして、イギリスの作家コリン・ウィルソンが心理学的評論『右脳の冒険』に引用している。

私が夢で見た、地上付近の空中に停止した宇宙船の存在感や威圧感は圧倒的だった。
また、空に浮かんだ曼荼羅のようなイリュージョン(幻影)的な映像ほど美しいものは、見たことがない。
天使的な存在にも、少なくとも2度会ったが、いかなる人間の美少女も全く比較にならなかった。
W.B.イェイツの『まだらの鳥』で、イェイツ自身を投影した主人公マイケルが湖に浮かぶ精霊の少女に会った時の記述を見た時、あの夢で見た天使の少女のことを思い出した。
『まだらの鳥』のその場面では、空気は澄み渡り、マイケルは、精霊の少女の服のひだの1つ1つまではっきり見えたと言う。
これは、イェイツの実体験であることは間違いないと思う。
そう、リアルな世界では、空気感が全く違うのだ。

夜の9時
AIアート497
「夜の9時」
Kay


解剖学者の養老孟司さんの『唯脳論』に詳しく書かれている通り、世界は脳内の知覚というか情報処理に過ぎない。
そして、ロジャー・ペンローズの『量子脳理論』仮説によれば、意識は脳の量子的作用であるが、それは時間と場所に制約されない可能性がある。
さらにずっと論を進めると、つまるところ、世界は、我々が考える意味で存在しているわけではなく、夢のようなものであり、VR(仮想現実)であり、また、コンピューターゲームのようなシミュレーション世界とも言える。
そして、さきほどのコリン・ウィルソンによれば、現代人には世界が、まるで「噛み古したガムのように」色褪せたものに感じてしまっている。
だが、我々は、美しい世界を取り戻すことが出来る。
そして、手順さえ踏めば、その天国のような世界で自由でいることが出来るし、それをまさに天国とか極楽浄土とかエデンとか桃源郷とか言うのだろう。
その楽園の王国に入る鍵はただ1つ、深呼吸であることは疑いないと思う。
もっと正確には、その王国に入るための遺伝子のスイッチをオンにすれば良いのだが、サブシステム的な機能を発動させるスイッチがあり、その(サブシステム的な機能の)スイッチを入れる方法は、これまでも発見されたことがある。
しかし、最終スイッチは多段階構造になっていて、そのプロセスを処理する方法は深呼吸以外になさそうだ。
だが、言い換えれば、深呼吸という手順は用意されており、それが我々に組み込まれているのである。
まあ、四の五の言わず、深呼吸をしっかりやれば分かることである。
ところが、深呼吸をあまりさせないための因子も組み込まれているのだろう。
ほとんどの人が、十分な深呼吸をせず、したとしても継続しないのである。
だが、私はあえて未開の地に踏み込み、深呼吸という光線銃を使い、至高の宝を得ようと思う。

◆当記事関連書籍のご案内◆
(1)右脳の冒険―内宇宙への道
(2)砂漠の反乱 (中公文庫)
(3)自伝小説 まだらの鳥
(4)唯脳論 (ちくま学芸文庫)
(5)ペンローズの〈量子脳〉理論 ―心と意識の科学的基礎をもとめて

このホログラム世界を動かすには

この世界がコンピューターゲームのような仮想世界であるという説があり、よく知られているところでは、世界的事業家のイーロン・マスクや、イギリスの天才哲学者ニック・ボストロムらは、それを完全に肯定している。
(スティーブン・ホーキング博士も肯定的見解を示したらしい)
つまり、この世界は、映画『マトリックス』やアニメの『ソードアート・オンライン』のような世界である可能性が高いということだ。
しかし、人間としては、もっと曖昧に考えると良いのであると思う。
つまり、この世界は、リアル世界とバーチャル世界の中間であると考えれば良い。
具体的には、感覚的な物理空間をほぼ作っている電子同士がコミュニケーションしながら世界を作っているというふうに見なすのである。
言い方を変えれば、電子には意志があり、電子同士が意志を交換しながら、世界を創造・変化させているのである。
これであれば、現行の普通の量子力学で割と簡単に説明可能なのである。
つまり、この世界は、コントロールされたホログラム世界であると考えれば間違いない。
そして、人間の意志が電子に影響を与えることも、実験的に分かっている。
これらから引き出される真理は、昔、インドの詩聖タゴールがアインシュタインに言ったように、人間が見ていなければ月は存在しないし、もっと言えば、宇宙は人間がいるから存在するということである。

それなら、一般的な関心は、どうすれば、このホログラム世界を自由に動かせるかだろう。
それはもう分かっており、ただ思考を消せば良いのである。
思考を消すには、脳波をスローアルファー波に下げれば良い。もっと下げてシータ波にすると眠ってしまう。
(ただ、意識を保ったままシータ波に出来れば全知全能であるが)
脳波をスローアルファー波にするには、志賀一雅博士が教える「よかった・ありがとう呼吸」をすれば良い。
息を吸いながら「よかった」と思い、息を吐きながら「ありがとう」と思うだけである。

何もない空間
AIアート381
「何もない空間」
Kay


思考を消すための、もっと強力な方法が、ヨガのクンバクと、弓術の達人、阿波研造が『弓と禅』の中で語っている呼吸法を統合した「神の圧力呼吸」だ。
これは、胸(肺)にいっぱい空気を吸い、胸の中に息の圧力を感じると、その圧力を腹の中に起こしてしばらくこの圧力を留め、そして息を吐く。
この原理の詳細は分かっていないが、一応の説明をすると、空気の中に思考を消す極めて小さな粒子(仮にX粒子)があるが、普通の呼吸ではX粒子は吸い込んでもそのまま出て行く。しかし、X粒子は心臓付近に一定時間留めると、神経に吸収されるという仕組みを利用するのである。
(関英男博士は、このX粒子を、サイ粒子、幽子、GPTなどと呼んでいた)

いずれにしろ、呼吸法に励むことが神に近付く秘訣であると思う。








世界というゲームに勝つコマンド

昔(と言っても10年も経ってないと思うが)、あるテレビ番組で、大学受験生が好きな言葉ランキングというものを簡易に調査していたが、1位は「大丈夫」で、理由としては「安心出来る言葉だから」といった感じだったと思う。
同じ頃、選抜試験というなら、世界一過酷と言われるネイビーシールズ(米国海軍特殊部隊)の入隊試験を突破するような者は、いつも頭の中で「大丈夫」といった言葉をつぶやいているものだという話をある本で読んだ。
また、ある人気自己啓発家が、最もプラスの効果がある言葉は「大丈夫」であると言うのをYouTubeでたまたま見たことがある。
そして、20世紀の作品ながら、いまだ人気が高い漫画・アニメ『カードキャプターさくら』のヒロイン、桜の最強無敵の呪文が「絶対、大丈夫だよ」だった。

「大丈夫」の人気の高さは大したものだが、この言葉はある程度の実力がある者用だ。
あるいは、ある程度の根拠を要する言葉である。
何かの問題を前にした時、それを解決出来る力が自分にあることを、ある程度確信出来る時には「大丈夫だ」と言うと落ち着く場合もあるが、ギャンブルのような状態で「大丈夫」と言っても根拠がなく、少しも落ち着かないだろう。

「大丈夫」というのは、「余計な心配をしない」という効果を期待する言葉で、これはつまるところ「余計なことを考えない」というのと同じであるから、思考を消すという意味合いを多少含んでおり、悪い言葉ではない。
知っている人は少ないが、人間は(意識があるまま)思考を消せば全知全能である。
思考を消す最高の言葉は、いつも言う通り「私は誰か?」であるが、これは神頼みの言葉ではなく、自分に問いかけることで無限の効果を発揮する。

無題
AIアート117
「無題」
Kay


この世界がコンピューターゲームで、我々がプレイヤーであるとすれば、「私は誰か?」は、ゲームに必然的に組み込まれた強力な隠しコマンドで、反則級の力がある。
どのくらいの威力かと言うと、ゲームそのものを作り変えてしまう。
「大丈夫」は、簡単に使えるが、威力の小さな攻撃コマンドのようなもので、良いものではあるが、それほどの期待は出来ない。
一方、管理者用のマスターコマンドにあたる言葉があり、一般管理者用が「私は何も信じない」で、システム管理者用が「私は何も考えない」だ。
このようなことをバラシて良いのかと思うが、現在、ゲームが暴走して、世界は第三次世界大戦に突入してしまった。
ただ、それ(現在は既に第三次世界大戦中であること)に気付いていないプレイヤーが多いのだが、それでも、1割くらいのプレイヤーは、ゲームがおかしくなっていることには気付いていると思う。
「私は何も信じない」は完璧な防御機能を持つが、「私は何も考えない」は、周囲の一切の影響を受けない、ある意味、幽霊のような存在になりながら、実行力だけは完璧に持つという、反則もいいところのデタラメなものだ。

作家の西尾維新という人の作品を読むと、彼はこんな仕組みを薄々と感じているように思える。
よって、彼の作品はなかなか参考になるが、長くなり過ぎると、書くことがなくなるのか、相当ダレる傾向があると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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