ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

シミュレーション仮説

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

超人技の秘密

昔読んだ『4次元宇宙の謎』という本の中に、身体を刃物で刺し貫かれても平気なことを見世物にするサドゥー(行者)のような人間の話が書かれていたが、そのサドゥーに、「なぜ、こんなことが出来るのか?」と尋ねたら、彼は「私の実体はここにないから」のような答をしていたと思う。
だが、それは、誰しも同じことなのに、なぜ我々には彼のようなことが出来ないのかというと、我々は、身体が自分の実体だと思っているからだろう。
我々の身体はホログラムのようなものだし、我々の心・思考活動はコンピュータープログラムのようなものかもしれない。
単に、我々が知るホログラムやプログラムよりはるかに高度であるというだけのことだろう。

軽い催眠状態にすることで、身体を針で刺しても痛みを感じず、血も流れない状態に出来るのは、血管の収縮によるものだと言われるが、他にも、催眠暗示により、ある程度は火への耐性が出来ることには説明がし難い。
また、逆に、催眠状態にある者に、普通の状態の硬貨に触れさせ、「これは非常に熱い」と暗示を与えると、本当に火ぶくれが出来たりもする。
こういったレベルのことであれば、無理矢理、生理学的なこじつけで説明が出来るかもしれないが、そうでない(桁違いの)事象の報告例も多くある。

世界的なコーチであるアンソニー(トニー)・ロビンズは昔、燃える炭の上を自分だけでなく、セミナー受講者達にも歩かせる「火渡り」を売り物にしていたが、この現象も、足を置いたり、離したりするタイミングの問題だと言う人もいるが、物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、自身でこの火渡りを体験し、物理学的にはあり得ない現象であると述べている。
科学的にあり得ない事例なら、『トーチェ氏の心の法則』に、かなり取り上げられている。
たとえば、前にも述べたが、脚が折れたら走れないことを知らない人が、脚が折れても走り回るなどだ。
エミール・クーエの診療所に担ぎ込まれた歩くことが出来ない人が、10分後には元気に走り回っていたという話もある。

こういった現象を、人間の未知の力と見るべきか、全てはバーチャル(仮想)だと捉えるかであるが、どちらも一応は正しいが、正確には、やはり後者なのだろう。
私も、いろいろ出来る方だが、簡単に見せられる決定的なものがない。なぜそうなのかというと、アランの幸福論のようなもので、そんなことが出来たら、いろいろ面倒だからだ。
分かり難いもの・・・一般人にアピール出来るようなものでないなら、私はいくらでも奇跡を起こせるが、固定観念が強い者には見る機会はない。
だから、「俺の目の前でやってみろ。そうしたら信じてやる」などと言う者には、誰も見せてくれないだろう。
興味本位や退屈しのぎで見たがる者も同じだ。そんな者は眠っているのだから、わざわざ起こす必要もないというのが、この世界の設定なのだろう。

呼吸の回数を、無理のない範囲でどんどん下げていき、1分で2回くらいの呼吸が平気で出来るようになれば、いろいろ不可思議なことも起こるかもしれないと思う。
固定観念が少ない子供の場合は、親が、あまり固定観念がない場合、不意に不思議なことを行うことがある。
大人で固定観念がないというのは、良い場合もあるが、馬鹿だからである場合も多く、馬鹿というのは、変なところで固定観念が大きいという特徴がある。
だから、やはり、呼吸の数を落とすことで固定観念を消していく方が良いと思う。
亀か植物にでもなったつもりで呼吸すると良い。
亀がぜーぜーはーはー呼吸するイメージなんてないだろうからね。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)4次元宇宙の謎 ~時間と空間の最新像にせまる~
(2)トーチェ氏の心の法則(トーチェ夫妻)
(3)聖なる量子力学9つの旅(フレッド・アラン・ウルフ)
(4)アンソニー・ロビンズの運命を動かす(アンソニー・ロビンズ)
(5)自己暗示(C.H.ブルックス、エミール・クーエ)

光合成
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「光合成」
Kay

人生という劇のシナリオの決め方

この世界は、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』のようなコンピューターが作った仮想世界であることは間違いないと思う。
イーロン・マスクはずっと前から、そう断言していたが、彼は小学生の時から、世界の秘密を解き明かそうと、沢山の本を読み、科学の勉強もしたようだ。
その中で、彼は、イエス・キリストのことは認めていたようだ。
しかしまあ、イーロン・マスクは、結局、SFの『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んで、世界の仕組みについて納得がいく答を得たようだが、どの本かは何でも良いのだと思う。
本を読むってことは、本を書くことと同じで、自分の外に本があるわけではない。ここら辺はなかなか分からないと思うが。

「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツ(1865~1939)の時代は、コンピューターも存在していなかったが、イェイツは、この世界を劇と見なして、同じことに気付いていた。
それで、「そこらに(下手な)リア王やオフィーリアがいる」と言い、「主役を演じる役者は、自分が泣いたりしない」と言ったのだ。
この、「主役を演じる役者は、自分が泣いたりしない」というのは重要だ。
逆もまた真なりで、主役になるつもりなら、泣き言を言わないことだ。
映画にも劇にもシナリオがある。
だが、この世界の劇やシナリオは変わっていて、主役が「シナリオはこうだ」と思い込んだらそうなる。
では、「シナリオはこうだ」と思い込むにはどうすれば良いか?
どうもしない。
ハムレットを演じる役者が、オフィーリアが恋人になるために、何をする必要もないのと同じだ。
シナリオはそうと決まっているのだから。
それと同じで、憧れのあの子が恋人になることはシナリオなのだから、何もしなくて良い。

だが、ハムレットもリア王も、泣き言を言ったのでハッピーエンドにならなかった。
シェイクスピアも、そんなことが分かっていて、わざと主役をこき下ろしたのだ。
主役失格である。
結局、主役は、ハムレットの親友ホレイショーであり、リア王の忠臣ケント伯爵であった。
くれぐれも泣き言を言わず、暇があれば聖なるメソッドをやればシナリオは決め放題である。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)新約聖書 福音書(塚本虎二)
(2)銀河ヒッチハイク・ガイド(ダグラス・アダムス)
(3)イェイツ詩集(対訳)
(4)ハムレット(新潮文庫)
(5)リア王(新潮文庫)

マドンナリリー
AIアート1249
「マドンナリリー」
Kay

世界には自分しかいないことの具体的解説

私は子供の時、不意に、他の人に意識はあるのかという疑問が浮かんだ。
それで、いくら考えても、他の人には意識はないとしか思えなかった。
これは、漫画やアニメや映画や小説の登場人物に、実際には意識がないのと同じである。
それで、大人になってから、ジョセフ・マーフィーの本に、こんなことが書いてあるのを見つけた。
「あなたは世界の中で唯一の考える主体である」
なんともややこしい表現だが、簡単に言えば、意識があるのは自分だけで、他の人には意識がなく、ロボットのようなものだということだ。
だからと言って、他の人を傷付けるのは、自分にしか意識がないということを分かっていないのだ。

意識がない他の人に入り込むことは出来る。
ただ、それをやって気付くことは、他の人はハリボテというか、適当に作られたロボットみたいなものだし、それどころか、初音ミクのようにバーチャルな存在という場合が圧倒的に多い。
まあ、稀に、精妙に作られたロボットがあって、そのロボットの中に定着し、元々の自分の方がロボットになってしまうことがある。
つまり、自分もまた、ロボットに過ぎないということだ。

それで、興味があるのは、他のロボット達を好きなように動かせるかだと思うが、それは出来るし、実際、ただいま、それをやっている。
やっているのだが、自分の意識を制限してしまい、それに気付かないのだ。
つまり、いわゆる普通の人のように、他の人にも、自分と同じような意識があると誤解しているのである。

私は、やはり子供の時、他の人の行動を操ったり、あるいは、テレビに映っている人物に、右手を上げさせたり、頭をかかせたりといった動作をさせていたものだ。
生放送でなくても出来たのは面白いが、映画とかドラマだと、出来ないわけではないと思うが、あまりうまくいかない。
まあ、実際は、うまくいかない気がするだけだと思うが、うまくいかなかったのは確かだ。

では、どうすれば、自分の意識の制限を外し、全ての人を自分の思い通りに動かせるかだが、やはり、「私」と唱え続ければ良いのだと思う。
なぜなら、他の人の中に入り込み、その人に「私」と唱えさせたら、その人の中に意識が移動していくのを感じるからで、それをずっとやると、完全にその人の中に移動してしまう。
ただ、実際に移動までしたことは、おそらくない。
どれほど凄く見える人間だって、今の自分と比べたら、やっぱりハリボテだからだ。
それは、大谷翔平でも同じである(凄い人物は、バーチャルな場合が多かった)。

そして、人間だけでなく、石でも水でも、人形やハンマーなどの物にも、意識が入り込むことが出来る。
(本当は分子や素粒子でも同じだが、それを言うとややこしいので、言わない)
石や人形に心があるように感じる理由にも、それがあるのだと思う。
それで、本当は、どんな引き寄せでも出来る。
それが出来ると思えれば良いのだが、それには、意識の制限を外すことだ。
それには、さっきも言ったが、1つの方法として「私」と唱え続けるというものがある。
「神」と唱えても「今」と唱えても、結果的には同じなのだと思うが、何か違うところもあるのだろう。しかし、それはよく分からない。
引き寄せメソッドも、効果があるものは、似たところがあるのである。

正確性には欠けるかもしれないが、だいたいこれで合っていると思う。
だが、理屈を考えるより、聖なるメソッド(「私」と唱える等)をやった方が良いだろう。
制限された意識では、十分なIQがなく、考えても分からず、かえって変な誤解をするだけだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(2)眠りながら巨富を得る(ジョセフ・マーフィー)
(3)あるがままに ~ラマナ・マハルシの教え~
(4)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(5)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(6)魂について(アリストテレス)

暇つぶし
AIアート1242
「暇つぶし」
Kay

悪夢からの目覚め

悪夢を見た。
久々の高校生になった夢だった。
これまでの、小学生とか高校生になった夢を見ている時は、自分はもうとっくの昔に卒業しているという記憶があるのが普通だったが、今回はガチで、高校入学後1か月のバリバリの新入生という記憶しかなかった。それも含め、捏造の記憶も完璧で、その状況をごく自然に感じているというリアルな夢だった。
その夢の中では、なぜか私は、トップクラスの私立の進学校の高等部の生徒で、高校から(中等部を経ず)入ったようだ。実際の私は、そこそこの私立の進学校に高校から入ったのだが、その記憶はないながら、そんなエリート校にいる場違い感はかなり感じていた。
高校入学から、それまでの記憶はあった。よく出来た夢だ(笑)。

夢は、こんな展開になった。
その日、私は大きく寝過ごしていた。時計が遅れていたのだが、電波時計でないとしても、今時の時計がそんなに遅れるはずがない。
私は「あいつかあいつが時計を遅らせたのだな」と思った。夢分析的には、現実で、私の足を引っ張るやつか(笑)。
とにかく学校に行こうとして家を出たら、隣の家のおばあさんと出逢い、彼女の医者の息子と一緒に歩いていた。
すると、池があって進めない。遅れている時に、さらに障害が起こる。夢でよくあるパターンだ(笑)。
ところが、そのお婆さんは、首まで水に浸かりながら、「これ、どうやって渡るんでしょうねえ?」と言いながら、あっさり向こう岸に行ってしまった。彼女の医者の息子は、横の壁を上っていく。なるほど、こうすればいいのかと思い、私も、反対側の壁を上る。そして、高いところから向こう岸に跳び降りようとしたら、そのおばあさんが、「こっちだよ」と手を広げる。それはないと思い、私は全く別の場所に着地した。
2人と別れ、駅に着くと、もうかなり遅れていたが、忘れ物を思い出し、いったん家に帰った。
電車に乗って、高校まで1.3km程度の駅に着き、電車を降りた。
大通りに出ると、知り合いの立派な大人の男性4人が見えたが、声をかける必要もない。私は学校に向かって走り出した。
なぜかその4人が私の斜め後ろで私と同じ方向に向かっており、私はなぜか彼らの会話に興味を持ったが、聴こえなかった。

学校に着くと、同級生男子が校舎から出てきたのを見て、私は「大遅刻だよ」と言うと、彼は「まだ1時限目ですから大丈夫ですよ」と言う。何が大丈夫なのか分からないし、それにお前はどこに行くんだよと思ったが、スルーした。
私は、授業中に教室に入って、立派な態度で遅刻を謝罪するシミュレーションを頭の中で行った。私が本当の高校生時代なら思いもしなかったことだ。当時は、怒られない限り謝らなかったし、怒られても滅多なことでは謝らなかった。処世術がなってない(笑)。いや、謝ったからって赦してもらえると思うのは良くないが・・・。
ところが、その時、私は、教師が「よし、ではこの問題をやってみろ」と言うのが思い浮かび、大いにあり得ると思った。
私はこの夢では、入学1か月にして、勉強が周囲に全く着いていけなくなっていた。
問題をやれと言われても、出来るはずがないが、この一流進学校では「分かりません」とは言ってはいけないことになっている。
そう思っていたら、スマートフォンに、校内SNSから通知があり(今でも珍しいだろう、こんな学校)、見たら、「職員室に来い」とあった。
私の、あまりに駄目な勉強振りを注意するつもりなのだと思った。
ところが、私は、職員室の場所だけは、いくら思い出そうとしても思い出せない。
とはいえ、何とかたどり着きはするだろう。
そうしたら言ってやろうと思った。
「やる気は全くありません。学校はやめます」
それで一気に楽になる。そうすんなりやめさせてくれるとは思えないし、学校の友達(いたのか?意外 笑)に悪いと思ったが、とにかくやめるんだ。
そう思ったら、目覚ましが鳴り、目が醒めた。
目が醒めてもしばらくは「学校をやめたい」と強く思った。
そして、学校に行く必要がないことを理解すると安堵した。

本当に、見事に完璧な夢だった。
これが本物の仮想世界、あるいは、シミュレーション世界というものだ。
そして、この現実も、それと全く変わらないシミュレーション世界であることがはっきりと分かった。
しかし、そこまで容易く架空の記憶、偽の記憶を与えられてしまうのなら、このシミュレーション世界を脱することは、かなり難しい。
だが、これがシミュレーション世界であると認識した上で、このシミュレーション世界を好きなように改変することは可能だ。
コリン・ウィルソンが座右の書とした、イギリスの偉大なSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』にあるように、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
のである。
今日から、『ポリー氏の人生』を読もう。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)
(4)いかにして自分の夢を実現するか(ロバート・シュラー著。稲盛和夫訳)

リアルな夢の続き
AIアート1153
「リアルな夢の続き」
Kay

あらためて世界の実態をさらりと

『マトリックス』のような映画によって、我々が現実と思っている世界は、実は電子装置によって見せられている幻想・夢ではないかという考え方が一般に示された。
ただ、そのような考え方は大昔からあったし、『マトリックス』のようなテクノロジーによる仮想世界の話も半世紀以上前から、SFなどで描かれている。
そして、ある意味では、実際にこの世界は仮想世界のようなものであると言える。
たとえば、養老孟司さんの『唯脳論』では、電子装置を使うまでもなく、我々が現実だと思っているものは脳が作った幻想・夢であることが明快に示されている。

人類はいずれ、『マトリックス』のように仮想世界の住人になるという有力な説がある。
だが、問題は、我々は精神的には仮想世界に住むとして、現実的な肉体の管理が必要であることだ。
『マトリックス』では、肉体は眠らせれ、栄養を自動供給されていたが、実際にはそんなことをしたら、肉体は衰えて駄目になり、それが脳の健康にも影響し、精神も駄目になる。
そこで、「いや、維持されるのは脳だけで良い」ということになり、我々の実態は実は培養液にぷかぷか浮かぶ脳で、脳が人工神経に接続されているのだという説もあるが、では、その脳はどうやって管理するかであるが、それを行うのはAIロボットであるということになる。
それなら、AIは完全に人類の支配者であり、AIの判断次第で人類は容易く滅びる・・・というか、そんな状態で人類が存続していると言えるか疑問だ。

そこで、「シンギュラリティ」の概念を提示したことでも知られる発明家のレイ・カーツワイルも言うように、精神を脳からコンピューターに「アップロード」し、脳自体も不要にする・・・つまり、我々は記憶や心をコンピューターに入れてしまい、脳はゴミ箱に捨てるといったことが考えられているが、これは魂とか霊といったものの存在を否定した考え方と言えると思う。
まあ、カーツワイルも、当面は、脳以外を機械化して生物としての死の概念をなくすと考えている。
脳自体は、うまく培養すれば永遠に持つと考えているのかもしれない。
だが、いずれにしろ、これらは唯物論というか、ニュートン・デカルト式の考え方であり、もっと新しい考え方がある。
新しいと言っても、それはある種の神秘思想に似ている。
たとえば、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝『或るヨギの自叙伝』などに登場するババジは肉体も自在に創造支配出来る精神体のような存在で、本来、人間はそんな能力を持っているとされる。
まるで夢物語であるが、かなり前から量子力学が、そのようなことが出来る可能性を示していると思う。

1つの考え方としておくが、我々の実体は魂であり、それは神のごとき力を持ち、旧約聖書の神のように「〇〇よあれ」と言えば〇〇が出来る。
だが、我々の魂には何かによって制限がかけられていて、そんな神のごとき力を使うことが出来ない。
その制限についての1つの説が『エイリアン・インタビュー』にあるように、宇宙人によって地球に設置されたマインドコントロール装置が、我々の魂の力を抑え込んでいるというものだ。
『エイリアン・インタビュー』に書かれた通りであるかどうかは分からないが、私は概ね、あの通りであると思う。
そして、『エイリアン・インタビュー』では、釈迦や老子といった人々が自力でマインドコントロール装置の支配から脱することに成功しており、神である魂の力を取り戻している。
我々も、Omoiさんによる初音ミクさんの楽曲『テオ』のように、「今まで奪われてた分は取り戻すまでさ!」といきたいものである。

私だけではないと思うが、私は子供の時は、魂にかけられた制限が弱く、一般的には奇跡としか思えないことを何度も起こしたので、私には上のババジや『エイリアン・インタビュー』は単なる現実である。
引き寄せの法則は、その良い入門というか導入部分であると思う。
引き寄せメソッドとは、魂にかけられた制限を取り払うことであるべきと思う。
そして、それは、それほど簡単ではないが、それほど簡単ではないという想い自体が魂にかけられた制限で、実のところ容易いのである。
やり方は普段書いてある通りであるが、人によって好みがあり、今後もいろんな方向から書いてみようと思う。

目力
AIアート831
「目力」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(2)或るヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ)
(3)シンギュラリティは近い [エッセンス版](レイ・カーツワイル)
(4)唯脳論(養老孟司)
(5)老子 (岩波文庫)
(6)ファーストワルツ(Omoi)※CD等
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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