ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ザ・シークレット

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

現実創造ツールとしての漫画

非常に沢山の賢者達が、世界を思うがままに創造することが出来る精神を持つために最も有効な訓練は「自己観察」だと述べている。
これは、「自分を他人のように観察する」訓練だ。
自分が、空に浮かぶ大きな目にでもなったつもりで、あるいは、壁の目とか、自分の身近にいる幽霊にでもなったつもりで自分を観察するのである。
冷徹な科学者のように、ただただ、無批判に自分を観察する。身体も思考も行動も反応も全てである。

このような話を見たり聞いたりした人は多いと思う。
そりゃ、賢者の本には、大抵書かれているからね。
やってみたことがある人もいるだろう。
でも、誰も、超人にも、魔法使いにも、神様にも、無敗のナンパ師にも(笑)なっていない。
なれるはずなのに。

19世紀のスイスで、教師であり、作家であり、政治家であり、そして、画家であったロドルフ・テプフェールは、1枚の紙を4つほどのコマに分け、各コマに簡易な絵と説明を書く、新しい形の表現を発明した。
小説では、文章の中に挿絵があるが、それをひっくり返し、絵の中に「挿文」を入れたのだ。
漫画の誕生である。
漫画は「絵画言語」とも言われる。つまり、「語る絵」なのである。
テプフェールは、今日では一般的な、吹き出しの中にセリフを書く手法は使っていないが、テプフェールこそが漫画の発明者と考えて良いと思う。
セリフの吹き出しは、誰が始めたのかは分からないと思うが、日本で初めて、セリフの吹き出しが使われたのは、画・樺島勝一、作・織田小星の『正チャンの冒険』と言われている。
そして、漫画は、宿命的に低俗なものと蔑まれることも多い中で、世界的に人気を得、さらに発展している。
私は、漫画ほどに、人類を前に進めた発明は滅多にないと思う。

「漫画の王様」と言われる手塚治虫の、漫画への貢献は偉大であった。
その手塚治虫は、漫画の絵は記号であるとよく言っていた。
手塚治虫が中学時代に描いた絵を見たら「天才か」と思うほどの腕前であるが、その腕を敢えて隠し、シンプルな線で描いた記号である漫画絵は極めて雄弁である。
人間の創造力ゆえに、読み手の数だけの宇宙が創造されるのだ。

賢者達が勧める自己観察の行は、自分を漫画のキャラクターと考えるとうまくいく。
なぜなら、人間の脳は、まさに、そのやり方に適合しているからだ。
つまり、シンプルなものに対してこそ、深く多様な想像力を発揮するのが脳なのである。
自分の状況を、心の中で、漫画の1コマに変換して眺めると、その瞬間が生き生きと浮かび上がり、的確な観察が出来るだけでなく、ストーリーの流れまで読める。
例えば、自分は面白くない学生生活や会社員生活を送る平凡なつまならい人間というコマがここにある。
その中で、自分が、どんな気持ちでいるかも分かる。
例えば、クラスの中や、会社の同じ部署の中に、可愛い女の子がいて、何とか彼女と仲良くなれないものかと考えているキャラクターとしての自分が存在する。
それなら、続きは、彼女と仲良くなって、あんなことやこんなことをしている(笑)漫画にすれば良い。
漫画なんだから。

『ザ・シークレット』、あるいは、DVDの『THE SECRET』で、世界的作家のニール・ドナルド・ウォルシュは、同じことを「神の黒板」を使って説明している。
現状が、例えば、「21世紀の初頭、ニール・ドナルド・ウォルシュというハンサムな男がいた」と、黒板に書かれていて、後は、自分の好きなように書けば良いと言うわけだ。
しかし、よほど想像力がないと、黒板では、ちょっとやり難いのである。
だが、最も優れた「想像の道具」である漫画を使えば簡単だ。
まずはあせらず、自分の現状を、心の漫画として、絵、説明文、必要なら、セリフの吹き出しを使って表現し、客観視することだ。
そして、望む展開を、絵や説明文やセリフで思い描くと良い。
ただし、いきなり、可愛いあの子と、あんなことやこんなことをしているコマを考えると、なぜかうまくいかない。
なぜなら、現実という漫画は確かに心が作るが、心は魂から生まれたものであり、魂は生命であり愛であるからだ。
だから、モラルや良心のないコマは、生命力を持たない。
確かに、宇宙には、マイナスの魂という存在もあり(『エメラルド・タブレット』参照)、その力を集めてインモラルな欲望を叶えた者もいるが(ヒトラーやスターリンなど)、その代償は自分の魂であり、しかも、叶う夢も春の世の夢のごとく儚いものである。








断言する。これで引き寄せは出来る(超自信作)

よく、「引き寄せはない」と言う人がいる。
引き寄せとは、願望を心の力で現実化することである。
だが、引き寄せがないどころか、この世に引き寄せ以外に何があるだろう?

引き寄せはないという人とじっくり話せば、その人が完全に引き寄せを行っていることが分かる。
そりゃ、その人が男であれば、例えばだが、100億円は欲しいし、若くて美人で清純な彼女は欲しいし、格好良い肉体と健康も欲しいとは思っているだろう。
しかし、話してみれば、彼が、安月給、モテない、肥満を引き寄せていることは明らかなのだ。
引き寄せは、精神性・・・つまり、精神の成熟に応じたものを引き寄せるのである。
100億円持っている者と話せば、その者が100億円に相応しい精神性を持っていることは明らかである。

ロンダ・バーンの有名な引き寄せの本『ザ・シークレット』では、とかく、「望みはでっかく」といった感じの話が多いが、でっかい望みを実現するには、でっかい精神性が必要である。
仮の「100万ドルの小切手」を作って100万ドルを引き寄せるなんて話もあったが、100万ドルの精神性がない者が100万ドルを引き寄せるはずがないじゃないか?
作家のジャック・キャンフィールドが、数十万円くらいの年収しかなかったのに、年収を約一千万円にしたのは、年収数十万円の精神性が一千万円の精神性に変わっただけだし、それから彼は、年収1憶円の精神性になったので、100万ドルの小切手を得たのである。
『ザ・シークレット』は、意図的かどうかは知らないが、その一番肝心で、一番読者受けしないところを書いてないのである。

精神性って、別に修行して得られるものではない。
むしろ、欲望の成就を目指して修行すると(下心があれば、誰でも、結構、厳しい修行が出来るものだ)、変なものを引き寄せるのである。
コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』の中で、引き寄せとは書いていないが、右脳の使い方をうまく書いている。そして、引き寄せって、つまるところ、右脳を使うことなのだ。
そして、ただの少年が右脳を使った話をしているが、その「ただの少年」って、ウィルソン自身の子供時代のことだ。
ウィルソンは、この経験から、右脳を使うのに・・・つまり、引き寄せを行うのに一番大切なことは、「シャンとすること」と見事に書いている。
つまりだね、「引き寄せはない」という話をする人は、ちっとも「シャンと」していないのである。
「シャンと」するって、どういうことか分かるだろうか?
「泣き言を言わない」ってことだ。
「僕は引き寄せが出来なかったんです」なんて泣き言を言っている者に、好みの引き寄せが出来るはずがないじゃないか?

私だって、何度も書いたが、子供の時から、誰も信じられないような奇跡を沢山起こした。
もちろん、泣き言を言わずにシャンとしていた。
だが、泣き言を言う時は、あまり嬉しくないというか、ロクでもないことしか引き寄せなかった。
言い換えれば、泣き言を言えば、嫌なものを引き寄せるのである。

ところで、母親や教師は、子供や生徒に泣き言を言わせるのが大好きだから気をつけないといけない。
そんな精神性の低い、未熟な親や教師と関わると、好みの引き寄せが出来なくなるのである。
だからって、「ママが悪いんです」「あんな教師に当たりさえしなければ」なんて文句や泣き言を言ってはならないよ(笑)。

つまり、好みの引き寄せを行うために、言ってはならないことは3つだ。
それは、「いいわけ」「文句」「泣き言」だ。
引き寄せが出来ない人は、この3つをよく言う(あるいは思う)はずだ。
いいわけしない、文句を言わない、泣き言を言わない人が、引き寄せが出来ないなんて話は聞いたことがない。

作詞家の阿久悠さんなんて、息を吸って止めて願うだけで、曲のヒットを引き寄せた。
たとえ曲がヒットしなくても、彼は、いいわけしないし、文句を言わないし、泣き言も言わないからだ。
だから、我々も、いいわけせず、文句を言わず、泣き言を言わない範囲のことを望めば、息を吸って止めて望めば叶うのである。

私が知る範囲で、最も「いいわけしない」「文句を言わない」「泣き言を言わない」を実践していたのは、笹沢佐保氏の時代劇小説『木枯らし紋次郎』のヒーロー、紋次郎である。
小説とはいえ、彼の引き寄せのパワーは半端ないが、それが実に自然であったと思う。
世界的ベストセラー小説『アルケミスト』で、たった一人で異国に来た少年が持ち金を盗まれた時、彼が、文句を言うことも泣き言を言うこともやめた時、即座に引き寄せが起こったではないか?
良い小説とは、全くの現実なのである。








魔法のランプより、まず魔法の指輪を得る

昨日、大きな引き寄せの力と、小さな引き寄せの力の話をした。
大きな引き寄せの力は、高い精神性がなければ使えないが、小さな引き寄せの力は、使おうと思えば、子供でも使えるし、誰もが無意識的に使っている。

ロンダ・バーンの、世界的に有名な『ザ・シークレット』の本やDVDでは、引き寄せの力を、巨大な力を持つアラジンの魔法のランプに喩え、誰もが魔法のランプを持っていると言うが、そんな大きな力を使えるのは、精神を鍛え上げ、磨き抜いた者だけだ。
しかし、奇跡的ではあっても、影響の範囲の小さな、弱い引き寄せであれば、使い方さえ分かれば、誰でもすぐに使える。
尚、精神性をおかしな方向で鍛えている場合、短期的に大きな引き寄せが出来るが、そのような者は、すぐに自滅する。

スターリンやヒトラーのように、ある意味、非常に優秀で、しかも、精神を鍛えた者が、利己的な目的で大きな引き寄せの力を使っても、やがて、超悲惨な最後を迎える。
だが、ちっぽけな人間が大きなことを望んでも何も出来ない。
小さな者は、天下国家のことより、まずは自分の面倒を見れるようにならなければならない。社会で働いて自分や家族の面倒を見てこそ、自然に小さな引き寄せの力も発動し、同時に、精神性が高まり、さらに努力を続ければ、大きな引き寄せの力も使えるようになるかもしれない。

『アラビアンナイト』の魔法のランプの話では、アラジンは、魔法のランプと共に、魔法の指輪も手に入れている。
(※本当は、アラジンと魔法のランプの話は、『アラビアンナイト』の話ではないらしいが、その件は今回は無視する)
魔法の指輪の魔神の力は、魔法のランプの魔神の力に劣る。
しかし、私は、子供の時から、魔法の指輪の方が好きだった。
持ち運びに便利だし、使っても影響力が小さそうなので、気楽に使える感じがするからだ。
だが、アラジンは、愛しいバドルウルバドゥール姫を取り戻すためには、魔法のランプを奪い返す必要があったように、人生において、魔法のランプの力を必要とする者もいる。いわゆる、大人物、大物になる者だ。
そんな者は、まず、試練に遭い、これに打ち勝つ必要がある。

魔法の指輪のような、小さな引き寄せ、小さな魔法は誰にでも使えるはずだが、今は、意図的には使えない人が圧倒的になった。
それだけ、人々の心が卑しくなっているのかもしれない。
小さな魔法を使うには、それほど高い精神性は必要としないが、腐り切ったような人間には使えないのかもしれない。
とはいえ、大きな引き寄せの力のように、試練と戦って磨き高めた心が必要なわけではなく、幼子のような精神性か、それがなければ、個人的な修行をすれば、すぐに使えるようになる。
イエスは、「幼子のようになれ」と言ったが、それは、特に現代では難しく、むしろ、少し修行をした方が良いと思う。
その修行は「自分にはちょっと難しいかな」と思う程度のものを、毎日、続ければ良い。
自分には少しハードルが高いと思えるだけのジョギングとか、腕立て伏せとか、あるいは、腕振り運動を1日千回でも良い。
念仏1日30分とか、真言1日千回でも良いのだが、身体を動かすものの方が続け易いと思う。とはいえ、人それぞれなので、自分の好きな修行をすれば良い。
そうすれば、息を吸って止めて願えば叶うし、目を薄目にして真面目に願っても叶う。
私のお気に入りの、西田文郎氏の「かもの法則」が分かり易いし、精神的にストレスがないので良い「かも」しれない(笑)。








本当のシークレット

アメリカのロンダ・バーンが2006年に出した『ザ・シークレット(THE SECRET)』という書籍やDVDは世界的に大ヒットしたが、そのテーマが実に良かったと思う。
それは、
「これまでは、シークレットを知っているごく一部の人間が世界中のほとんどの富を所有してきた。そのシークレットを公開する」
だった。
この「シークレット」とは、引き寄せの法則の活用法である。
しかし、ごく一部の人間が、世界中の富の大半を持っているというのは本当だが、そんな者達が強大な理由はシークレットでは全くない。
実は、もっと興味深いものだ。
ごく一部の支配層の力は、実際は、長年に渡って蓄積した戦略的ノウハウと資産によるものだが、当然ながら、メンタル面に留意しなければ、それを保ち続けることは出来ない。
そのメンタル面での秘訣が凄いのである。
これこそ、本当のシークレットだ。
それは、一言で言えば「信念」なのだが、「信念」はどうやったら持てるかというと、「心の全てのベクトルを一方向に向ける」ことによってである。
図で示すと、下のようなものだ。

[普通の人の心のベクトル]
↓→→ ↓ →→↑←←→↓→↑
→→↓↓→→←→↓→→↑→↓
←→→↓→↑←→↓→↑←→↓

[エリートの心のベクトル」
→→→→→→→→→→→→→
→→→→→→→→→→→→→
→→→→→→→→→→→→→

心の力が全て一方向に向いていることによって、心の強大な力が発揮されるのである。
(実際は、8割が同じ方向なら強力である)
普通の人は、心がいろんな方向に向いているので、何かをやろうとしても、大きな力が発揮出来ない。
普通の人でも「優秀な人」というのは、心のベクトルの多くが、同じ方向に向いている。

では、どうすれば、エリートの心のベクトルが得られるかというと、それは、目標を定めることだ。
そして、支配者達の目標の設定や、目標の達成にモチベーション(動機)を与えるノウハウが非常に高度なのである。
それを含め、彼らの強さの秘密は「戦略的ノウハウと資産」と上で述べたのである。

支配者達の目標設定や動機付けのノウハウは、相変わらず「シークレット(秘密)」である。
ただ、このシークレットは、強力ではあるが、非人間的なところもあり、使う方も苦しいのである。

もう1つ、心のベクトルを整然とさせる方法がある。
それが、般若心経で説かれたもので、決まった言葉を繰り返し唱えることである。
アファーメーションもそうなのだが、優れた言葉で出来たアファーメーションでなくてはならず、それが聖書の中に多くあることは、優れた教師達が指摘し続けてきた通りである。
聖なるマントラや、神仏の名を唱えるナーマスマラナや念仏も、心のベクトルを整える優れた方法である。
「神様の奇跡が起こる」という言葉も、心のベクトルを整える力が強く、この言葉を1日中唱えたホームレスの男性は、2週間ほどで心のベクトルがかなり整い、そうなると何でも分かるので、一億円を2回も当てることが出来たのである。
冷酷な支配者の世界征服は着々と進み、我々には厳しい時代が来る。
我々は言葉の力を使って、それに対抗しなければならない。








本当の「良い気分」とは

ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』は、世界で最もヒットした引き寄せ書だ。
だが実際は、内容は全く洗練されておらず、矛盾も多く、引き寄せマスターとして登場する人達の中には、好き勝手に、いい加減なことを言って読者を混乱させているにも関わらず、これほど成功した理由は、この書籍の内容に準じて作られたDVD『THE SECRET』(世界で800万枚以上売れたらしい)の一番最後を見れば分かるように思う。
ロンダ・バーンが、木の棒で砂浜の上に“FEEL GOOD”と書く場面だ。
引き寄せに必要なのは、「FEEL GOOD(いい気分)」であることだけであり、それをこれほど単純に見事に表現したものは他にないのだから、大成功したのである。

ところが、『THE SECRET』(DVD)の中で、名前も覚えていないが、一応は成功者ではあるのだろうが、チャラい男が、
「いい気分になればいいんですよ。こう、『ひゃっほー!!』って感じでね」
と言ったりするから、それだけで、少なくとも、半分の人は引き寄せから遠ざかったと思う。
テンションが高い状態、盛り上がっている状態が気分が良いことだと大誤解させる迷惑なものだった。
「テンションが高い」と言ったら、一般的に、感情が高ぶっている状態と理解され、「やる気がある」みたいな良い意味に捉えている人が多いが、「テンション」とは、「精神的な緊張や不安」のことであり、それが高まったら良いことなど何もない。
そして、感情が高まっている「ひゃっほー!!」の状態というのは、緊張や不安から必死で逃げようとしているだけなのだ。
「ひゃっほー!!」の状態でいれば、ますます、緊張や不安は高まる。

また、『THE SECRET』の中で、賢者ぶった男性の老人が、やはり気分を良くするためという意味だろうが、「美味しいものが食べたいなら食べて下さい」と言ったが、これも最悪なのだ。
必要以上に、美味しいものを食べる、アルコールを飲む、性的快楽に溺れるというのは、やはり、テンション(精神的緊張や不安)を隠す、あるいは、紛らわすもので、そんなことをやれば、ますます、悪い気分を抱え込むことになる。
だいたい、気分が良い時というのは、質素な食事で十分に満足するし、アルコールは不要、あるいは、僅かで良いし、性的刺激も、少なくとも、過度なものは不要で、むしろ、過度なものを嫌悪するのである。

「ひゃっほー!!」や馬鹿騒ぎは、引き寄せを止め、不幸に落ち込ませる原因でしかない。
ロックコンサートで、テンションが上がって、大いに盛り上がった後は惨めな気分だと思う。幸せが逃げたのだから。
良いロックは、荘厳ではあっても静かなものである。
坂本龍一さんが作曲した『BEHIND THE MASK』をアメリカの人達がロックと見なしていることを、坂本龍一さんが驚き、坂本龍一さん自身が、この曲がロックであることを理解するのに20年かかったという面白い話がある。作った本人が、ロックを作ったという意識がまるでなかったのだ。
だが、これはロックの超名曲で、エリック・クラプトンやマイケル・ジャクソンらもカバーしたが、彼らは、商業的成功のため、これを、テンションが上がる、俗っぽいロックにアレンジしてしまったように思う。
本来の『BEHIND THE MASK』は、荘厳で静かな曲なのだ。

人間は、まずは、生存が保証された時に、いい気分になる。
衣食が十分であるとか、しっかりとした住む家や仲の良い家族があるといった状態だ。
あるいは、就職出来たとか、出世したとか、幸せな結婚をした時に、生存が保証されたように感じ、気分が良くなる。
逆に、これらが得られないと、気分が悪くなる。生存が保証されず、不安定であるのだからだ。
いわゆる、「マズローの欲求の5段階」は、生存の確率が高まっていく過程に沿っている。
しかし、いかに、物質的な生存の可能性を高めても(お金や地位があっても)、究極的な満足を得られないばかりか、むしろ、それ(物質的成功)が過度に高まると気分が悪くなる。
それで、マズローは「自己実現」というわけの分からないことを言って誤魔化したが、それが誤魔化しであることは本人も分かっていたようで、死ぬまで「自己実現」について、いろいろ取り繕っていた。
人間は、いつか死ぬのだから、生存の保証など、あるはずがない。
しかし、自分が肉体ではないこと、実に、「存在(生存とほぼ同じ)」でしかないことが分かれば、生存の保証など全くの不要だ。
ただ、それを理屈で理解しようとしたら、やっぱり、迷ってしまい、気分は悪くなる。
人間の頭脳は、霊的なことを理解出来ないのだ。
霊的に理解するには、ただ、「私は在る」と、心の中で、穏やかに丁寧に唱えれば良いだけである。
人によっては、神の名を唱えたり、念仏を唱えることが向いている場合もある。
すると、真の自己であり、「在りて在るもの」である神(あるいは仏)の方から来てくれる。
いきなりこんな説明では分からないと言うなら、「私は気分が良い」と、静かに穏やかに心の中で唱えれば良い。「私は最高の気分だ」でも良い。
そうすれば、やはり、存在(神)がやって来るだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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